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02 小竜。

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 きゅるるるっとお腹から音が出て、その場に響く。
 空腹が、限界だ。

「ふむ。お腹を空かせているのか。では食事を済ませつつ、互いの詳しい状況説明をしよう」
「あっ、えっと、いただけると助かります……ありがとうございます」

 恥ずかしさを覚えながらも、お腹を押さえて頭を下げる。

「少し待っていろ」

 立ち上がったノークエルティス様は、自分の翼に触れると、一枚の羽根を抜いた。
 それを手渡されたので、受け取る。

「これを持っていれば、襲われない」
「襲われ……!?」

 バサッと翼を羽ばたかせると、上空へ行ってしまった。
 待って。おそっ、襲うっ、何かが森にいるの!?
 私はピーンと背伸びをして、羽根を握ったまま固まった。
 蛍の光が無数に飛び交い、生い茂る葉を緑色や黄色に照らす、静かな夜の森。
 獣精霊と呼ばれる精霊の森だ。猛獣の一匹や一群れ、いてもおかしくはないか。
 普段、人が足を踏み入れないのだから、私みたいな子どもは小動物と変わりなく、がぶっといかれるかもしれない。
 なんであれ、私は森の主である獣精霊の客人。この羽根さえ持っていれば、襲われないだろう。
 ……早く、戻らないだろうか。
 フクロウのような鳴き声と、虫の音を聞いているけれど、静かすぎてちょっと怖い。
 森の中で一人なんて、普通の子どもなら泣いているだろう。
 ノークエルティス様が持ってくるのは、きっと果物だ。これだけ色んな形の木々と葉っぱがあるのだから、果物の木ぐらいあるだろう。
 食欲はなく、あまり食べていなったこともあり、胃袋は以前より小さくなったと思う。果物一つで、お腹は満たされるはず。
 そう予想しながら、月明かりに羽根を翳してみる。
 夜空に溶けてしまいそうな黒が、羽根先にまで染まっている白い羽根。
 指先で撫でれば、柔らかくて、くすぐったい。
 ドスン!

「!?」

 目の前に重たいものが落ちてきた。
 驚いて羽根を握り直していたけれど、ノークエルティス様の仕業だ。

「狩ってきたぞ。果物も取ってきた。焼いてから、食べるとしよう」

 にかっと明るく笑いかけるノークエルティス様が、空から降り立つ。
 私の前に落としたのは、丸々と太ったイノシシに似ている。牙があるけど、耳がウサギのように二つ長く伸びていた。

「これを食べるのですか……?」
「ビビッドだが、知らないのか?」
「ビビッド……ああ、知ってます。食べたことはありますが、こんな姿だったのですね」

 ビビッドのお肉のステーキとか、食べた記憶がある。
 こんな姿だったのは、知らなかった。

「食べたことはあるが、姿形は知らぬか。裕福な生活をしていたのだな」
「……そうですね。父は裕福な商人でした。何不自由なく育ててもらいました」

 果物を渡してくれたノークエルティス様に答える。
 林檎だ。真っ赤に完熟していそう。鼻を近付けなくても、甘い香りがする。
 他にも、桃やオレンジが渡された。

「そうなると、その父が残したものが多くあるんじゃないのか?」

 ひょいっと右手を振り上げたノークエルティス様。
 ビビッドの周りを囲うように、土が盛り上がっていき、あっという間に窯が出来上がった。
 そこに、ボッと火の玉を投げ込む。

「確かに……遺産があります。けれど、継母と腹違いの妹がいまして……」
「ほう? 上手くいっていないのか」
「はい……私のことは……もういらないと話していました」

 声が震える。呪いの言葉を口にするだけで、涙が込み上がってきた。

「もういらない、か。まるで物扱いだな」

 嫌悪を滲ませて、ノークエルティス様はため息をつく。
 肉が焼ける匂いが、充満してきた。

「仕方ありません……継母にとって、私は別の女の娘でしかありませんから」
「仕方なくないな。自然界でも、別種族の子どもを我が子として育てることはよくある。別の女との娘がいる男を愛して結婚した以上、我が子のように愛して育てる覚悟を決めるべきだと、我は思うがな」

 きっぱりと言い放つ言葉に、涙がポロリと零れてしまう。
 そんな覚悟で父と結婚してくれていたなら、変わっていたのだろうか。

「……今更何言っても無理か。まぁ、食べろ」

 ノークエルティス様は火を一振りして消すと、肉の塊を差し出してきた。
 こんがり焼けた匂いがする。オロオロとしてしまったが、林檎を置いてから、むき出しの骨を掴んで持つ。

「果物と交互に食べるといいぞ」
「はい、いただきます」

 お肉にかぶりついて、ホクホクのそれを咀嚼しながら、ごっくんと飲み込んだ。
 それから、お肉を落とさないように注意しつつ、林檎にかじりついた。
 こういう食べ方は、初めてだ。でも甘い味気をしているような感じなのだろう。
 シャリシャリと林檎の果肉が口に残ったまま、お肉にかじりつく。
 素材そのものの味を堪能出来る。これはこれで、美味しい。

「美味しいです。……でも意外です。森の動物を狩ってくるなんて……果物だけ取ってくると思ってました」
「何故だ? 弱肉強食、弱いものは強いものの糧になるものだ。この森に住む生き物も、例外ではない。感謝して食べるがいい」
「なるほど……感謝しています。美味しいです」

 もう一度言って、私はお肉と林檎を頬張る。
 ノークエルティス様なんて、二つ目のお肉をたいらげたところだ。

「……ところで、ノークエルティス様」
「ん?」
「私は魔法を使ったことがありません……それでも聖女になれますか?」

 右手にお肉を、左手に林檎を持ったままだけれど、私は確認した。
 大事なことだ。

「そう言えば、人間がまともに魔法が使えるほどの魔力を得るのは、十歳からだったな」

 人間が魔法をまともに使えるのは十歳になってからだと言われている。

「つまり、ロリィベネはまだ十歳になっていないのか」
「まだ九歳です……夏になれば十歳になりますが……」

 早く魔法が使いたかった私に、家庭教師をつけてやると父が言ってくれたことを思い出す。
 この国では普通、裕福な家庭は家庭教師をつけて学び、十一歳からは魔法を中心に学ぶ魔法学校に通う。
 アダムも去年から学校に通っていると話を聞いた。

「何、案ずるな。年齢は関係ない。問題は、我が与える力が馴染むかどうかだ」

 馴染む……? 

「今夜は食べて眠ってしまえ」
「はい……」

 話は明日に持っていくようだ。
 持っていたものを食べ終えると、ノークエルティス様は少し離れたところに簡単なベッドを作ってくれた。
 植物を急成長させて、私が横たわれるほどの大きさの塊。乗ったら呆気なく潰れてしまうかと心配したけれど、そんなことはない。
 とてもしっかりしていて、私の身体を包み込む。草原に寝転んだ時のような草の感触と香り。
 お腹も十分すぎるほど満たされたから、眠気はすぐにやってきた。

「……ノークエルティス様」
「なんだ?」
「手を握っていていいですか?」
「手? まぁいいが……」

 またノークエルティス様の手に触れる。
 父よりも大きく、それでいて細く長い、骨ばった手。
 ちょっと熱があると思えるほど温かい。でも多分、これは彼の正常な体温なのだろう。

「熱で寝込んだ時、父がずっと手を握ってくれていたのです……。最期の時も、ずっと握っていました……」

 両手を握り締めて、私はまた涙を溢した。

「病気で倒れて、それっきり……お別れも言えませんでした……っ」

 ボロボロと涙を溢れさせる。
 言葉を交わすことなく、見送った。

「……別れなんて、大抵は突然だ。存分に泣け。いずれ悲しみは癒える。そして、大切な思い出がより大切になるだろう」

 もう片方の手で涙を拭うと、ぽんぽんっと軽く頭を叩いてあやしてくれる。

「そういう悲しみは、優しさに変っていくものだ」

 大丈夫、と言い聞かせるように告げてくれた。

「ロリィベネ、お前は優しく強い娘となるだろう」

 最後に聞こえたのは。

「我には、そんなお前が必要だ」

 呪いの言葉を取り除くような優しい声が、浸透するように告げてくれたのだ。



 眩しさを感じた。
 ゆっくり浮上する意識の中、鳥の囀りを耳にする。
 目を開くと、薄緑色があった。
 葉っぱではない。
 何かな、と何度か瞬きをしたあとに、触れてみる。
 壁?
 違う。球体みたいだ。ボールかな。それにしては固い。
 つるつるとザラザラの中間の肌触り。
 なでなでしていたけれど、ノークエルティス様の手を握っていないことに今更気付いた。

「!」

 飛び起きて、探そうとしたけれど、謎の物体の全貌が目に留まる。

「……タマゴ?」

 私が両手で抱えなくてはいけないほどの大きなタマゴだった。
 ほんのりライトグリーンに艶めくそれを、一回撫でる。
 なんで、私のそばに、こんな大きなタマゴが。

「おはよう。ロリィベネ」
「ノークエルティス様! おはようございますっ」

 翼を引きずるように歩み寄ってきたノークエルティス様が、挨拶してきた。

「そのタマゴは、朝食だ」
「えっと……なんのタマゴですか?」

 鳥のタマゴだとして、どんなに大きいだろうか。

「ミニドラゴンだ」
「えっ! ミニドラゴンって……ドラゴンはドラゴンですよね? いいんですか?」

 ドラゴンと言えば、生き物の中では絶対王者。食物連鎖の頂点ではないのか。
 なんで私達の朝食になってしまうのだ。

「ミニドラゴンはドラゴンの中でも希少でな。どちらかと言えば、妖精の類だと判断している。タマゴから孵るが、タマゴは産まない種族だ」
「?」

 タマゴから孵るけれど、タマゴは産まない。
 ならこのタマゴは、どこから現れたのだろう?

「妖精はどこから生まれるか知っているか?」
「いいえ」

 正直に知らないと首を横に振る。

「ある妖精は咲いた花の中から、またある妖精は芽吹いた植物から誕生するんだ。朝露の雫の中から生まれる妖精もいる。ここまで言えば、もうわかるだろう?」
「ミニドラゴンは妖精の類だから……タマゴはミニドラゴンからではなく、他の何かから出てくる?」
「そうだ」

 にんまりと八重歯を見せて、ノークエルティス様は頷いた。

「ミニドラゴンにはミニドラゴンの畑がある。ちょうどこれくらいのベッドと同じ大きさの花が咲き、タマゴを出すのだ」

 そう言って、私が座った草のベッドに手を置く。
 かなりの大きさの花だろう。こんなタマゴを出すのだから当然か。

「この森の中にあるんですね?」
「ああ。タマゴを出すのはいいのだが、滅多に孵らない。恐らくこの森にしか畑はないから、希少なのだ。昨日言ったように、弱肉強食」
「弱いものは強いものの糧に」
「そうだ。大きな目玉焼きにして半分こしよう。ドラゴンのタマゴは我も食べたことないが、きっと美味いぞ」

 弱肉強食か。
 嬉々としてノークエルティス様は、昨日の窯の元に歩いて行った。
 可哀想だと思うけれど、ちゃんと感謝して食べてあげよう。
 両手で持ち上げたタマゴに、感謝を込めて、一礼した。
 すると、揺れる。
 というより、動いた。
 めき。と殻を壊す音を耳にした。
 ぱきん。と穴が開いて、タマゴの破片が落ちる。
 ぽっかーん! と爽快な音を立てて、タマゴの半分を吹っ飛ばしたそれは、両腕を上げていた。
 ごしごしとその腕で目元を擦って、つぶらな瞳を開く。
 ネコ目のようなペリドット色が、私を見上げた。
 額から頭の上まで、ライトグリーンの硬そうな皮膚があり、黄色いトゲが一列に並んでいる。額のトゲは正面から見ると、ハート型のように見えた。
 後頭部に向かって角が二つ、頭をつつむようにあって、その下にはロバのような長い耳が垂れ下がっている。 
 口元も、ネコのものに似ていた。髭はないけど。
 背にある翼は蝙蝠のようだけれど、丸みがあって、刺々しさはない。
 尻尾は硬いライトグリーンの皮膚と黄色いトゲがある尖ったもの。
 小さな小さな足は、ちょこんと付け足しただけのような可愛い足だけれど、爪が三本も尖っていた。腕も同じだ。

「キュウ?」

 耳をぴこんっと跳ねさせたあと、つぶらな瞳を瞬かせて、愛らしい口元で声を鳴らす。
 私をじっと見つめるのは、間違いなくミニドラゴンのタマゴから孵ったーーーーミニドラゴン。

「あのっ! 生まれましたっ!」

 私はミニドラゴンと目を合わせたまま、少し離れたノークエルティス様に報告した。

「なんの話だ……あれっ?」

 振り返ったノークエルティス様は、私が両手に持つミニドラゴンを目にして、素っ頓狂な声を出す。
 朝食にするはずだったタマゴが孵るとは予想外だったようで、現実を受け入れるまで少しの間、獣精霊様は固まってしまった。


 
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