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おまけ:二人の時間
くら澤にて③
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「定番のチーズケーキはあずの好物だもんな。でも、おすすめは秋らしく、カボチャのプディング。デザートは俺担当だから、胸張ってすすめるぞ。あとアイスもあるけど、これは業者から仕入れているからどうでもいいか。あず、なに食う?」
「ユキ兄」
思い切り体を硬直させ、戸惑うように小さくつぶやくあずさに向かい、微笑みかける。頭を撫で、髪の毛をいじっているせいか、ふんわりと柔らかい匂いがした。華奢な体つき。潤んだ目。弟と同等の扱いで構ってやった子供の頃と、あずさはもう違う。十分に色香の漂う女だった。
「兄ちゃんのおごりだ。好きなの言えよ、あず」
これ見よがしにあずさの耳元でささやいた瞬間、がしっと手首を掴まれた。
「あずって言うな」
気が付くと、弟の顔が目の前に迫っていた。
怒りを抑えようともしない、きつい目つき。ちょっとでも体を揺らしてこれ以上あずさにもたれたら、すぐにでも拳が飛んできそうな勢いだ。こちらも十分、男の顔つきだった。
いや、この目は昔から変わらない。あの四歳のときも、あずさを見つめる俊成の目は真剣だった。
「……ばーか」
ぶっと吹きだしながらそう言うと、良幸は立ち上がり、拳を俊成の頭に振り落とした。
「ええっ?」
状況を把握できないあずさの、疑問の叫びが店内に響く。
「ってーよ、ユキ兄っ」
「お前が悪いんだよ。男の嫉妬なんてみっともないことするから。なあ、あずさ」
「へぇっ?」
まだ追いついていけてないあずさに向かい、今度はにやりと微笑みかける。
「おごるのは止めだ。また次の機会な。今日はもう二人とも、帰れ」
どうしてよいか分からないといった表情であずさは良幸を見つめ、そしてゆっくりともう一人の当事者に視線を移す。
「俊成、君?」
先ほどまでとはうって変わり、顔を真っ赤にした俊成がそっぽを向いている。その表情に、あずさもようやく理解が出来たらしい。中途半端に口を開くと、そのまま何も言えずに一気に顔が赤くなった。そんな二人を見て、また良幸が笑い出す。
「帰ろう、あず」
がたんと椅子を倒しかねない勢いで立ち上がると、俊成は強引にあずさの手を引いた。
「え、だって、お会計」
あずさがとっさにカウンターに目をやると、兄弟の母が慌てて手を振ってみせた。
「仕送りから引いておくから、今は良いわよ」
つまりはさっさと帰れということだ。良幸は母にもにやりと微笑みかけると、そのままの意地悪い顔つきで、俊成の背中に呼びかけた。
「俊成。言っておくけど、俺が妹って呼ぶのは、あずさだけだからな。それ以外は認めないから、ちゃんと捕まえとけよ」
その瞬間、弟の背中がぴくりと震える。顔は見えないが、すでに耳元まで赤くなっているのは確認済みだ。
俊成は無言のまま店を出、一方のあずさはもたもたとバッグを手に、そんな恋人の後を追おうとしていた。
「あずさ」
声をかけると良幸はそれ以上何も言わず、親指をぐっと突き立て、片目をつむった。
あずさは一瞬戸惑うような表情を見せたが、すぐに同じように親指を突き立て、へへっと笑う。その照れた表情のまま母に向かってぺこりとおじぎをすると、小走りで店から出ていった。
「可愛いねぇ」
しみじみとつぶやくと、背後から母の声がした。
「ユキ、からかいすぎよ」
だがその声は笑いを含んでいて、真剣味がない。良幸は店内から厨房に戻ろうと振り返り、準備運動をするように肩を回した。
「さてと。迷惑な客も帰ったことだし、そろそろ本気で働くか。親父、お袋、今日は店閉めたら鳥源行こうなー」
「焼き鳥?」
「ちなみにお袋のおごりだから」
「なんでよ」
「まあ、仕方ないよな」
今まで黙って見守っていた父が、苦笑する。口を尖らせ抗議する母を笑ってかわし、良幸は前掛けを締めなおした。
くら澤は、これからが忙しくなる。
良幸の頭の中には、もはや二人のことなど残っていなかった。
「ユキ兄」
思い切り体を硬直させ、戸惑うように小さくつぶやくあずさに向かい、微笑みかける。頭を撫で、髪の毛をいじっているせいか、ふんわりと柔らかい匂いがした。華奢な体つき。潤んだ目。弟と同等の扱いで構ってやった子供の頃と、あずさはもう違う。十分に色香の漂う女だった。
「兄ちゃんのおごりだ。好きなの言えよ、あず」
これ見よがしにあずさの耳元でささやいた瞬間、がしっと手首を掴まれた。
「あずって言うな」
気が付くと、弟の顔が目の前に迫っていた。
怒りを抑えようともしない、きつい目つき。ちょっとでも体を揺らしてこれ以上あずさにもたれたら、すぐにでも拳が飛んできそうな勢いだ。こちらも十分、男の顔つきだった。
いや、この目は昔から変わらない。あの四歳のときも、あずさを見つめる俊成の目は真剣だった。
「……ばーか」
ぶっと吹きだしながらそう言うと、良幸は立ち上がり、拳を俊成の頭に振り落とした。
「ええっ?」
状況を把握できないあずさの、疑問の叫びが店内に響く。
「ってーよ、ユキ兄っ」
「お前が悪いんだよ。男の嫉妬なんてみっともないことするから。なあ、あずさ」
「へぇっ?」
まだ追いついていけてないあずさに向かい、今度はにやりと微笑みかける。
「おごるのは止めだ。また次の機会な。今日はもう二人とも、帰れ」
どうしてよいか分からないといった表情であずさは良幸を見つめ、そしてゆっくりともう一人の当事者に視線を移す。
「俊成、君?」
先ほどまでとはうって変わり、顔を真っ赤にした俊成がそっぽを向いている。その表情に、あずさもようやく理解が出来たらしい。中途半端に口を開くと、そのまま何も言えずに一気に顔が赤くなった。そんな二人を見て、また良幸が笑い出す。
「帰ろう、あず」
がたんと椅子を倒しかねない勢いで立ち上がると、俊成は強引にあずさの手を引いた。
「え、だって、お会計」
あずさがとっさにカウンターに目をやると、兄弟の母が慌てて手を振ってみせた。
「仕送りから引いておくから、今は良いわよ」
つまりはさっさと帰れということだ。良幸は母にもにやりと微笑みかけると、そのままの意地悪い顔つきで、俊成の背中に呼びかけた。
「俊成。言っておくけど、俺が妹って呼ぶのは、あずさだけだからな。それ以外は認めないから、ちゃんと捕まえとけよ」
その瞬間、弟の背中がぴくりと震える。顔は見えないが、すでに耳元まで赤くなっているのは確認済みだ。
俊成は無言のまま店を出、一方のあずさはもたもたとバッグを手に、そんな恋人の後を追おうとしていた。
「あずさ」
声をかけると良幸はそれ以上何も言わず、親指をぐっと突き立て、片目をつむった。
あずさは一瞬戸惑うような表情を見せたが、すぐに同じように親指を突き立て、へへっと笑う。その照れた表情のまま母に向かってぺこりとおじぎをすると、小走りで店から出ていった。
「可愛いねぇ」
しみじみとつぶやくと、背後から母の声がした。
「ユキ、からかいすぎよ」
だがその声は笑いを含んでいて、真剣味がない。良幸は店内から厨房に戻ろうと振り返り、準備運動をするように肩を回した。
「さてと。迷惑な客も帰ったことだし、そろそろ本気で働くか。親父、お袋、今日は店閉めたら鳥源行こうなー」
「焼き鳥?」
「ちなみにお袋のおごりだから」
「なんでよ」
「まあ、仕方ないよな」
今まで黙って見守っていた父が、苦笑する。口を尖らせ抗議する母を笑ってかわし、良幸は前掛けを締めなおした。
くら澤は、これからが忙しくなる。
良幸の頭の中には、もはや二人のことなど残っていなかった。
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