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決意

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   ◯◯◯

「おーい、リアムー。遊びに来、たよ? 」

「や、やぁカエラ」

 茜差し込む武道場の入り口を開いて入って来たワンピース姿のセミロングの少女に、重い体を押してどうにか手を振る。
 彼女はカエラ・ラステリア。うちの近所に住んでいる俺の幼馴染だ。昔からこうやって毎日のようにうちに遊びに来ている。

「随分ぐったりしてるね」

「いや……父さんに訓練してもらっただけだから。気にしないで」

 母さんの回復魔法で打撲とか擦り傷は全部治してもらったけど疲労はどうしようもない。もうこのまま寝たいくらいだ。

「羨ましいなぁ。私もグズフさんに指導してもらいたい」

「俺を見てよくそう思えるね……」

「私は騎士団団長になるんだから。ちょっとキツイぐらい耐えられないと」

 カエラがいつものように笑って言う。その笑顔に小さな心臓がドキリと跳ねる。
 その感情を悟られないようにあえて素っ気なく、俺は「そう」とだけ言った。

「……でも、リアムは別に無理して特訓しなくて良いんじゃない? グズフさんなら嫌だったらすぐに止めさせてくれると思うし」

「無理はしてないよ。訓練は俺が頼んでしてもらってるんだ。……俺も騎士団に入るから」

「え、そうなの? リアム喧嘩とか好きじゃないくせに。大丈夫なの? 」

「ああ。でも決めたんだ。父さんみたいな騎士になりたいし、それに——」

「それに? 」

 突然黙った俺を不思議がるようにカエラが俺の顔を覗き込む。

「い、いやなんでも無い」

 慌てていつものように笑顔で取り繕う。
 だが、一度喉まで出かかった「カエラを守りたいから」という本音は、喉につまり中々上手く飲み込めなかった。


 カエラのことが好き。異世界こっちに転生し、6歳の頃にカエラと出会ってからそう自覚するのにそう時間はかからなかった。
 カエラのふとした瞬間の、取るに足らないような素振りに心臓が高鳴ってしまう。この感情が子供の体ゆえの一過性の好きとは、俺にはとても思えない。

 いつのことか、カエラから騎士団団長になるのが夢だと聞かされた時、俺は怖かった。
 騎士団には死の危険がつきまとう事を、父さんからの話で知ってたから。カエラが死ぬなんて今の俺には耐えられない。

 だから俺は騎士になることを決めた。
 騎士になってカエラを生涯守り続けることが、俺の2度目の人生の最優先なのだ。そしていつか、それを叶えられる力を手に入れたら、俺は……


「……そういえば今日カエラに渡したい物があるんだ」

「渡したい物……もしかしてまたカッコいい虫捕まえたの? 」

「もっといい物だよ。ちょっと待ってて」

 疲労も忘れて武道場の外の倉庫にあるものを取りにいく。布袋を抱えて戻ってきた俺を見たカエラが、不思議そうに首を傾げた。中から目的のものを取り出す。

「じゃーん! 誕生日プレゼント! 」

 カエラに差し出した子供用の赤と白の革靴が、差し込む光を反射してキラリと光った。

 今日はカエラの誕生日だ。
 本人は忘れていることが多いが、今日のために俺は随分前から小遣いを溜めてきた。
 そして、この間父さんと街に行った時、カエラにピッタリだと思ってこれを買ってきたのだ。

「…… 」

 無言でカエラが靴を受け取る。俯いて靴を見るその顔の表情は見えない。
 思っていた物とは違うカエラのリアクションに若干不安になる。まさかのチョイスミスか……?

「じ、実はそれ、魔獣の皮に魔石が埋め込まれていて多少傷ついても待機中の魔力で修復される優れ物で——」

「ありがとう」

 カエラが靴を胸元に引き寄せる。
 その目元には今にも溢れそうなほどの涙が溜まっていた。目元を拭い、カエラが満面の笑みを浮かべる。

「リアム。本当にありがとう! 」

「ど、ど、どういたしまして。そ、そうだ折角だし今履いてみてよ! 」

「うん! 」

 みてはいけないものを見てしまったような感覚に襲われ思わずカエラの顔から目を逸らす。
 喜んでくれたのは良かったけど、今のは心臓に悪すぎる。


「見て見て! すっごく走りやすいよ!! 」

 靴を履いたカエラが心底楽しそうに庭を走り回る。
 サプライズだから測れなかったけど、サイズも問題なさそうだ。これはサプライズ大成功って言ってよさそうだな。

「そうだ! 」

 カエラがあたかも世紀の大発見でもしたかのように言って手を打つ。

「ねぇリアム、鬼ごっこしようよ! 今の私なら絶対に捕まらないから! 」

「良いよ。じゃあ俺はここで十かぞえるからその間に——って、もう行っちゃった」

 庭の奥へと駆け出して行ったカエラの背中を見送ってから目を瞑る。

「いーち、にーい、さーん、しー……きゅー、じゅー。良し、行くっよー! 」

「おっけー!! 」

「え? 」

 目を開くとカエラはなぜか俺のすぐ目の前で腕を組んで仁王立ちをしていた。

「なんで戻ってきたの? 」

「ふっふっふっ。さいきょーの靴を手に入れた今の私は絶対に捕まらないんだから、逃げる必要なんて無いって気づいたのだよ。さあ、どこからでも掛かって…………なんで笑うのさ」

 カエラがムスッと目を細める。
 しまった。カエラの言い方が可愛すぎてニヤケが我慢できなかった。

「いやほら、だって今までのかけっことか鬼ごっこでカエラが勝った事ないし」

「う、うう……だけど今日こそ勝つの! あっ、また笑った! 」

「ごめんごめんって」
 
 頬を膨らませて抗議するカエラをなだめる。
 だがその姿がいじらしくて、愛おしくて、余計に上がる口角を止められなくなってしまう。

「もう良いもん! 勝って今日こそ見返してやる! 」

 カエラが走りだす。後を追うために庭におりる。
 夏の長い昼が終わりを迎える黄昏時。庭に生えた背高な草たちが風に揺れてにわかにざわめいた。


     ◯◯◯

「なんで勝てないのーー……! 」

 夕食の席でカエラが呻きながら机に突っ伏す。
 その様子を見た父さんと母さんが小さく苦笑するのが分かった。

 結局夕飯まで鬼ごっこを続けたが、最終的にはカエラが鬼で終わり、俺の勝ちになった。
 俺がプレゼントした靴の試運転なんだから手を抜いた方が良かったかもと今になってうっすら思う。

「カエラちゃんは運動神経が良いのにね。どうして鬼ごっことかだとリアムに勝てないのかしら」

「カエラは走り方に無駄が多いからね。余計なエネルギーを使っちゃうから後半で体力が切れちゃうんだよ」

「なるほど。よく見ているなリアム。流石の観察眼だ」

 満足げに言って父さんが汁物をすする。
 まぁ、これで俺が本当に単なる子供だったらそうかも知れないが、俺は元大人だ。
 観察眼はなくても、まだ体の扱い方に慣れていないカエラと違って、体の効率的な動かし方のノウハウはある。

「走り方に無駄……うーん……」

 食事を口へと運びながらカエラが呻く。

「カエラには潜在能力がある。次期にリアムにも追いつけるようになるさ」

「グズフさんが言うならそうかもしれないですけど……でも出来れば直ぐに勝ちたいなぁ……」

「それならリアムから走り方を教わってみるのはどうだ? 」

「あっ! そっか! 」

 父さんの提案にカエラが手を打つ。

「リアムも良いだろう? 」

「んー……」

 焼き魚を箸もどきの細めの食器で口へと運びながら少し考える。
 母さんがさっき言ったようにカエラの運動センスは抜群だ。教えればすぐに基本的な走り方ぐらいマスターできるだろう。

 でも、ちゃんとした知識のあるわけじゃない俺が妙な先入観を入れるのは良くない気もする。
 いや、これぐらいで何が変わるって訳でもないか。

「分かった。良いよ」

「やったー! 約束だからね! 」

 カエラが笑って軽く俺の背中を叩いた。
 それからも談笑しながら食事は進み、壁にかけられた時間を示す魔石が1時間分の変色を終えた頃、ようやく話に区切りがつき片付けとなった。



「ふーん、ふふふーん。わたーしはー、世界最速ー」

 かなり気の早いオリジナルソングを歌いながらカエラが窓際の水瓶からタライへと水を注ぐ。
 その間に俺と父さんが窓際へと食器を運ぶ。

「3人とも悪いな。後は任せたぞ」

「ええ。父さんも書類仕事頑張ってね」

 父さんが自室に戻ったのを見送って、母さんが並んだ食器をタライに次々と入れる。全ての食器を入れ終わると魔獣の脂と水で出来た異世界版石鹸でわしゃわしゃと食器を洗い始めた。

 その横に俺とカエラも並んで一緒に洗い物をする。
 我が家の洗い物は当番制であり今日は父さんが料理担当の代わりに俺と母さんが洗い物担当だ。

「そういえば、カエラちゃんは今日はお泊まりってことで良いのよね? 」

 母さんが聞く。

「はい。には許可を取ってきました」

「じゃあいつもの場所に寝るのね。今日は空気が綺麗だからよく見えると思うわ。……折角のお泊まりなんだし、2人は今日ぐらい食器洗い休んでもいいわよ? 後は私がやっておくから」

「え……」

 カエラが手を止め少し考えこむ。
 しかし間も無く何も無かったかのように再び皿を洗い始めた。

「大丈夫ですよ。これも意外と楽しいですし、騎士になるなら自分のお皿洗いぐらい自分で出来ないと」

 カエラが笑って皿を洗う手を早める。
 その姿を見てなんとも言えない気持ちになる。それは母さんも同じのようだった。

「そう……。いつもありがとうね」

「いえいえ」
 
 そのまま3人で5分ほどかけて食器を洗い終わし、タライの水を豪快に外に捨てる。
 
「良しっと。ごちそーさまー!! 」

 カエラが夜の山に向かって叫ぶ。
 母さんもそれに続いて「ごちそうさま」と、山に手を合わせた。

 この謎の儀式は異世界こっちに来てから『ごちそうさま』と『いただきます』の文化が無くて違和感があった俺が、母さんやカエラに伝えたのが原因だ。

 皆気に入ってくれたのは良かったんだが、命に感謝するなら山に直接が良いだろう、という事でいつの間にか食事後に山に叫ぶ独自文化になってしまった。
 別にこんな田舎だから誰の迷惑になるわけでもないし、文化の変化を目の前で見れてる気がして面白いからいいんだけど。

「ごちそうさま」

「ねぇ、リアム! 早く星天井見に行こうよ! 」

「ああ」

 待ちきれずに駆け出したカエラを追いかけるような形で俺も居間を出る。

 階段を登り、少し古びた木製の廊下を走り抜け、低い梁を屈んでくぐって、さっきよりも少し細い階段を駆け上がる。階段を登った先には水色の小さな扉があった。
 カエラが扉を開き部屋の中に飛び込む。

「うわぁ!! 見て見てリアム! いつもよりずっと綺麗! 」

「ちょっちょっと待って……! 」

 カエラが声を上げて俺の腕を引っ張る。半ば引き摺り込まれるように部屋の中に入り、2人して床に転がった。
 入る時にしたたかにぶつけた腰をさすりながら目を開ける。

 そこには、星の海があった。

「……綺麗だ」

 赤や白。緑、紫、青、黄色。
 無数の輝き達が絶妙なバランスで夜空を彩っている。
 ドーム状のガラス天井の向こうはまるで夢の中だった。
 
「やっぱり良いね。リアムの家の星天井」

 隣で寝転がるカエラが頬を赤らめて笑う。
 
 この部屋は俺とカエラのお気に入り。通称、星天井だ。
 俺が生まれるよりも前に、父さんが使わなくなった屋根裏を改装して作ったらしい。
 カエラが泊まりにくる日はこの部屋で星を見ながら寝るのだ。


「これで準備かんりょー」

 カエラが2枚の布団を並べ、片方の上に飛び乗る。
 カエラに感謝しつつもう片方の布団に体を預ける。ヒンヤリとした布団に体の熱が吸われていく。
 
「はぁー、リアムのうちは布団もふかふかだから好きー……」

 掛け布団を抱き抱えて、カエラが布団の上をゴロゴロと転がる。少しはだけた寝間着の隙間からカエラの背中の火傷の後が垣間見えた。
 その残像を振り払うように、視線を星の海であてどもなく泳がせる。

「……あ。あの星ってカエラが前に好きって言ってたやつだよね? 」

「そうだよー。あの星、季節で色が変わるからお気に入りなんだぁ」

「なんだかカエラみたいじゃない? コロコロ気分が変わる所とか、綺麗なと——明るいところとか」

「何それ」

 カエラがクスクスと笑う。そうして2人で星を眺めながら他愛もない話を続ける。
 だが次第にウトウトとしてきて、口数が減っていく。
 そして静寂が続くようになり、しばらく2人とも無言で星空を眺めた。



「……本当に今日は星が綺麗だよね。最近いい子にしてたからかな」

 久しぶりに口を開いたカエラが空に手を伸ばす。

「私、星って好きだなぁ。光の強いのも、弱いのも、全部が仲良く集まってこんなに綺麗な夜空になるんだから」

「そう……だね」

「私……騎士団長になれたら、次はお星様になりたいかも。でもそれじゃ……リアムに会えなくて、寂……いや」

 カエラの言葉が途絶え、小さな寝息が聞こえ始めた。
 カエラが体の上に丸めて載せていた掛け布団を広げて、体にかけておく。
 

「……ごめん。カエラ」

「ん、んう…………むにゃ」


 カエラはこの村の外れの孤児院で暮らしている。両親のことは知らないそうだ。
 カエラは孤児院での生活を話してくれない。俺や父さんを孤児院の中に入れもしない。

 カエラは理由を教えようとしない。破れかけたボロボロの靴を今日までなぜ履き続けていたのか。なぜある日突然、騎士団長を目指すようになったのか。
 背中の大きな火傷はいつ負った物なのか。

 そして、俺たちはカエラにカエラが話す以上のことを聞こうとはしない。カエラが俺たちに何かを必死に隠そうとしているのを知っているから。その秘密を無理に暴くことはカエラに今以上の苦痛を与える行為だと、なんとなく分かっているから。


 俺はカエラが好きだ。カエラの全ての不幸を払ってあげたい。でも既に突き刺さった返し付きの不幸は、無理に引き抜けば余計な傷になる。
 だからせめて。

「強く、ならなきゃな」

 もう何もカエラを傷つけないように。
 カエラの未来が幸福で溢れるように。

「こらぁリアム! 」

「うおっ!? 」

 慌てて振り向く。だがカエラの目は閉じたままだ。

「騎士団長の馬ならもっと早く走れるにゃろ……むにゃ」

「寝言か……」

 しかも夢の中だと俺はカエラの馬なのかよ。

「…………っははっ。馬って……あはははは」

 声を押し殺して小さく笑う。
 なにがそんなに面白いのか、自分でも分からないままひとしきり笑う。おかげで布団の中に入った頃には眠気は限界だった。
 横で眠るカエラの横顔を一度だけ見る。

「おやすみ。また明日」
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