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試験
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「うわっ!? 」
「もーリアムー! めちゃくちゃ恥ずかしかったんだけどー! 」
授業終わりに中庭をハルと歩いているとカエラが後ろから飛びついてきた。
「今道の真ん中で抱きつかれてる俺も恥ずかしいんだけど…… 」
「勇気出して初めて手をあげてみたのにー! 」
「無視?! 」
「はいはい」と言ってカエラが離れる。
「しかもハルの時は気にしもしなかったのに私の時は皆、注目するし。言った後の視線が痛すぎて死ぬかと思ったよ…… 」
「そりゃあカエラは入試過去最高得点だからな。注目もされんだろ。てかカエラ座学は得意じゃねぇのか? 」
「うん。リアムに教わったりもしてるんだけどなぁ」
「どんだけ実技が高かったらそれで過去最高点取れんだよ。ズルすぎだろ」
「えへへ。まぁ私、未来の騎士団団長なので? 」
カエラがわざと自慢するように言ってから笑う。
校内だと俺とハルは一緒にいる事が多く、必然的に俺によく絡みにくるカエラもハルと話す機会が多かった。
この2人の性格なのですぐに打ち解けて、今となってはこの2人と行動を共にするのが俺の校内での基本スタイルとなっている。
「あれ、カエラは? 」
少し目を離した間にカエラの姿がなくなっていることに気づく。
「売店見つけたからなんか買ってくるってよ。ちょっとしたら戻って」
「みてみてーキャラメルカロット買ってきたよ! 」
「早っ! 」
「あーーんっ……んーおいひー」
口いっぱいにカロットを含みカエラが満足そうに微笑む。ちなみにカロットはこっちの世界特有の料理だ。
パンのような生地を揚げた後に砂糖でコーティングしていて、その上からたっぷりのカラメルソースをかけて食べる。
校内の売店のカロットは特に絶品で昼下がりの今に最高なんだよなぁ。とはいえ。
「いくらなんでも頬張りすぎじゃない? 」
「ふぃーふぁん、ふぃーふぁん、ふぁっふぇふぉふぇ—— 」
「何言ってんのか分かんねぇよ。まずは飲み込んでからにしろ、飲み込んで」
「ふぁいふぁい、ふぁふぁっふぁふぉ」
「……っぷっ、あはははは! 本当に頬張りすぎでしょ」
リスのように口いっぱいにカロットを頬張る姿に笑いが堪えられなくなる。
カエラは昔と随分姿が変わった。身長は昔と比べ大幅に伸び、最近では俺と大差なくなってきている。
それに何より雰囲気が大きく変わった。昔は活発な少女といった感じだったのに今では貴族の家の出だと勘違いされる事すらある。今のカエラの姿を見てカエラが孤児院出身なことを見破れる人など存在しないだろう。
しかも最近では巷で“天才”の二つ名をつけられてるそうだ。幼馴染の俺としてはカエラを遠く感じてしまうこともある。だが中身はこの通り。
「ふゅ? ふぉーふぁふぃふぁふぉ? 」
「いや、変わらないなーって思ってさ」
「リアム、お前よく今カエラがなんつってんのか分かったな」
「長年の勘だよ」
「むぐむぐ……っぷは。私たちは兄弟みたいなものだからね。目を見れば大体分かっちゃうわけですよ」
兄弟、か。
カエラの言葉に小さな胸の痛みを覚える。
「兄弟なら分かるもんなんか? 俺も姉ちゃんが1人いるけど、普段から何考えてんだかさっぱりでよ—— 」
リーーンゴーーン リーーンゴーーン
「あっ! 」
「あり? 」
「やべっ! 」
鳴り響く鐘の音に中庭を歩いていた生徒たちが慌ただしく走り出す。
まずい、俺たちも急がないと! 確か次の授業は——……
◯◯◯
「最初の個人実践訓練へようこそ、若人諸君」
寝癖だらけの紫髪の男が気の抜けた声で、第1運動場に三列ほどに並んだ生徒たちに挨拶をする。
最後の方についた俺たちは一番後ろの列に並ぶことになった。
「はぁ、はぁ。ど、どうにか間に合ったなリアム…… 」
声を顰めてハルが話しかけてくる。
「はぁ、はぁ、かなりギリギリだったけどな」
「わ、脇腹が痛い…… 」
「食べてすぐ走ったらそうなるでしょ」
とは言いつつも俺も脇腹が若干痛い。くそー昼ごはんからは結構経ってるんだけどな。
「…… 」
値踏みするように紫髪の教師が俺たちを見回す。よく見るとツヤもよく健康的な肌色とは対照的に、男の目はどこか虚でなんとも言えない不気味さがあった。
俺達以外の生徒もこの男の異質な雰囲気が気になるのか何かを話し合っている。
「あー…… 」
しばらくしてようやく男が口を開く。だが男が口にした言葉は想像の遥か斜め上をいくものだった。
「初めに前置かせてもらうが。俺にお前らを卒業させる気はない」
一気に生徒達が静まり返る。
え、聞き間違えじゃないよな。冗談?
いやでも顔が冗談を言ってる風じゃ無いんだけど……。
「この中で、毎年どれだけの数の騎士が死ぬのか知ってるやつは居るか? 」
しばらくの沈黙の後、前の方で1人の女子がおずおずと手を挙げる。
「ね、年間約40から70人ほど……です」
「そうだ。フルエア帝国では近年大きな戦争が無い。だがそれだけの騎士が毎年死ぬ。そういう仕事だ。だから俺はここでわざわざ間引きをやってる。面倒だがな」
「間引き? 」
「なんなんだアイツ」
徐々に生徒達の間で、水面に波紋が広がるように動揺が伝播していく。
「俺が卒業を許すのは怪物どもだけだ。そいつらは俺の授業への参加を許そう。だがそうでない雑魚どもには」
瞬間、心臓に氷を直接押し当てられたかのような悪寒が全身を走る。
「ここで寝ていてもらう」
「はぁ!? 」
「ぐぉ!! 」
「きゃあ!! 」
生徒たちの列の所々から短い悲鳴が聞こえてくる。
これは……殺気!?
「う、動けねぇ……! 」
ハルが低く呻く。殺気を放つ教師を止めたいのだろうが体が言うことを聞かないようだ。
いや、ハルだけじゃない。俺の足もさっきから根が生えたように地面を離れない。たぶんこの場にいる全員がこうなってるんだ。
この世界では熟練の騎士や冒険者の殺気は単なる威圧ではない。自身の魔力を利用した攻撃の一種だ。
場合によっては魔力による威圧だけで戦いの決着がつく事すらある。ゆえに殺気を向けるという行為は宣戦布告と同義と言える。それは生徒と教師といえど変わりはない。
コイツ、正気じゃない!
「おい」
「ん」
皆がうずくまる中、俺の右前にいた小柄な生徒がゆっくりと教師の男の前に出ていく。こっちの世界ではほとんど見かけない黒髪を後ろで一つに束ねているのが印象的だ。
今動けるってことは余程の実力者なのか……。
「控えろ下郎が。不快だ」
「確かお前は……グアル・ミラニ——かはっ! 」
次の瞬間、黒髪の生徒の拳は教師の腹に深々と捩じ込まれていた。
「……あー。はーやっ—— 」
黒髪のまわし蹴りが何か言いかけた男の側頭部を捉える。鈍い音を立てて黒髪より随背丈のある教師の体が横方向へと吹き飛ぶ。受け身も取れず地面に叩きつけられた男は地面を2、3度転がり動かなくなった。
その場の全員が二転三転する事態に呆然となる。
「おいリアム。今の、どこまで見えた? 」
ハルの声は震えている。
「……腹を殴った後に回し蹴りじゃないの? 」
「俺もそう見えた。でもじゃあ、なんで教師の足が折れてんだよ」
足が折れてる?
言われてようやく気づく。地面に転がる教師の左足は脛の部分からパッキリと関節と逆方向に折り曲がっていた。
完全に折られてる。いつ、どうやって?
「殺したの? 」
静かな声がざわめく空気を裂く。
いつの間にか俺の横にいたはずのカエラが黒髪の生徒の前にいた。
「あの殺気が出せるのならば死なない程度には手加減はした。もっとも、余生は床の上だろうがな」
「そこまでする必要あった? 」
「この男は俺たちに対して限度を超えた殺気を向けた。教師であろうと害すれば排除するのは当然だろう? 」
淡々と黒髪が言う。確かに間違ってはない。だけど——
「あの人を殴ったことは合ってると思う。あなたがやらなかったら私がそうしてた。でも、あなたなら行動不能にするだけに手加減は出来たんじゃないの? 」
「面倒だからな」
「それが、騎士を志す人間の言葉? 」
「……お前も面倒だな」
黒髪の生徒の声が明確な苛立ちを帯びる。まずい!
「カエラ! 」
「元気が良いようで何より」
「「!?」」
その場にいた全員が当人達を除いて再び凍りつく。
睨み合う2人の間に割り込んだのは、蹴り飛ばされたはずの教師の男だった。
しかも足が……治ってる!?
「お前、どうなっている」
「世の中は広いって事だ、イキり黒髪くん」
「ッ! ふざけ—— 」
「静かに」
一言教師が呟く。すると黒髪の生徒は地面に膝をつきその場にうずくまった。
黒髪が苦悶の表情で顔を歪める。そして異変は黒髪だけに留まらなかった。
「くそっ!! 」
「きゃっ! 」
生徒達が悲鳴をあげて次々とうずくまる。先程よりも更に強い教師の男の殺気に襲われた生徒達は、ほとんどが地面に這いつくばることとなった。
「……殺して、やる……! 」
「この至近距離で喰らって気が飛ばねぇんだから大概バケモンだな。合格だ」
教師の男がうずくまる黒髪の生徒を見下ろしながら言う。合格? さっきは間引きって言っていた。まさかこれが何かの選別なのか? だとしたら俺も動かないとまずい!
「く、ぐぅ……! 」
くそっ、顔を上げるのがやっとだ。そもそも黒髪も立てないのに立てるやつなんて居るのか?
気になってあたりを見回す。すると予想外にもチラホラと立っている人影はあった。
だが全員立つのがやっとなようでさっきの黒髪のように教師の男に抵抗する生徒は見当たらない。
そうだカエラは? カエラは大丈夫なのか!?
「……ッ!? カエラッ! 」
視界が歪みよくは見えないが紫髪の前でカエラはうずくまっていた。昔見ていた悪夢がその姿にふいに重なる。
騎士になったカエラが魔物に殺される、何度も見た悪夢。
一瞬、子供の頃のように恐怖が心を満たす。だが次の瞬間に全身を覆い尽くしたのは煮えたぎるような憤怒だった。
「……全部で4人か。豊作だな」
「おい」
「あ? 」
奥歯が砕けそうなほど歯を噛み締めながら、ゆっくりと地面を両手で押して立ち上がる。鉛のように重くなっていたはずの体は不思議と動いた。
「その子から……離れろ!! 」
「なんだ、立てるのか。お前も合格——」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! カエラから離れろ! 」
「はいはいっと。カエラ……カエラ・ラステリアか」
紫髪が足元でうずくまるカエラにチラリと目線を向ける。
「“天才”が聞いて呆れるな」
興が冷めたとばかりに言い捨てる。それは俺の中に残った最後の理性を砕くには十分すぎる一言だった。
視界が真っ赤に染まる。
「死ね!! 」
どこか余裕を持った態度を崩さなかった紫髪の顔が初めて引き攣る。当たり前だ。
その場で立つのがやっとだったはずの生徒が、今自分の目の前で拳を構えているのだから。
「あ゛あ゛あああああああ!! 」
なぜ今俺は動けるのか。なぜ5メートルはあった紫髪との距離を一瞬で詰められたのか。
そんなことを考えられるほど俺は今冷静じゃない。
殴り飛ばす。いや、殺す。
そうして無防備なままの紫髪の顔面に俺の拳が捩じ込まれる——直前に、俺は地面に倒れた。
「かはっ! 」
すぐに立ちあがろうとするが、さっきとは打って変わって指一本動かすことができない。紫髪の仕業かとも思うが、見上げると紫髪も俺の様子に混乱している様子だ。
「なんなんだお前は」
「くそっ! 」
最悪だ。ついカッとなってしまった。これで退学にでもなったらカエラを守れな——
「遅れてごめんね。リアム」
「え? 」
聞き慣れた声に顔を上げる。なぜかそこには平然と立つカエラがいた。そして。
「ふん!! 」
「は」
気の抜けた掛け声が一度聞こえたかと思うと、教師の男の体が無抵抗に後ろへと倒れていく。
だが攻撃の主が男を抱き抱えたことで、男が再び地面に打ち付けられることはなかった。
白昼夢でも見ているかのような気分に陥る。
「これで良しっと。大丈夫リアム? 」
「あ、ああ」
カエラが人1人殴り倒した後とは思えない爽やかな笑顔で笑う。
「靴紐が解けちゃってさ。結んでて遅くなっちゃった。ごめん! 」
「くつひも…… 」
苦しくて屈んでたわけじゃなかったのか。
「それで、殴っちゃったけどこの人どうしよっか。よっと」
カエラが紫髪を地面に横にする。
紫髪は完全に気絶しているのか脱力した状態でピクリともしない。様子からして顎を殴られたのだろうが今度はそれすら俺には見えなかった。
あれーおっかしいなぁ。ゲームとかだとこういう展開って普通転生した人の特権なんじゃ……。
「……実はカエラって転生してたりしない? 」
「? テンセイ? 」
「いや、なんでもない…… 」
才能って、残酷だ……。
「もーリアムー! めちゃくちゃ恥ずかしかったんだけどー! 」
授業終わりに中庭をハルと歩いているとカエラが後ろから飛びついてきた。
「今道の真ん中で抱きつかれてる俺も恥ずかしいんだけど…… 」
「勇気出して初めて手をあげてみたのにー! 」
「無視?! 」
「はいはい」と言ってカエラが離れる。
「しかもハルの時は気にしもしなかったのに私の時は皆、注目するし。言った後の視線が痛すぎて死ぬかと思ったよ…… 」
「そりゃあカエラは入試過去最高得点だからな。注目もされんだろ。てかカエラ座学は得意じゃねぇのか? 」
「うん。リアムに教わったりもしてるんだけどなぁ」
「どんだけ実技が高かったらそれで過去最高点取れんだよ。ズルすぎだろ」
「えへへ。まぁ私、未来の騎士団団長なので? 」
カエラがわざと自慢するように言ってから笑う。
校内だと俺とハルは一緒にいる事が多く、必然的に俺によく絡みにくるカエラもハルと話す機会が多かった。
この2人の性格なのですぐに打ち解けて、今となってはこの2人と行動を共にするのが俺の校内での基本スタイルとなっている。
「あれ、カエラは? 」
少し目を離した間にカエラの姿がなくなっていることに気づく。
「売店見つけたからなんか買ってくるってよ。ちょっとしたら戻って」
「みてみてーキャラメルカロット買ってきたよ! 」
「早っ! 」
「あーーんっ……んーおいひー」
口いっぱいにカロットを含みカエラが満足そうに微笑む。ちなみにカロットはこっちの世界特有の料理だ。
パンのような生地を揚げた後に砂糖でコーティングしていて、その上からたっぷりのカラメルソースをかけて食べる。
校内の売店のカロットは特に絶品で昼下がりの今に最高なんだよなぁ。とはいえ。
「いくらなんでも頬張りすぎじゃない? 」
「ふぃーふぁん、ふぃーふぁん、ふぁっふぇふぉふぇ—— 」
「何言ってんのか分かんねぇよ。まずは飲み込んでからにしろ、飲み込んで」
「ふぁいふぁい、ふぁふぁっふぁふぉ」
「……っぷっ、あはははは! 本当に頬張りすぎでしょ」
リスのように口いっぱいにカロットを頬張る姿に笑いが堪えられなくなる。
カエラは昔と随分姿が変わった。身長は昔と比べ大幅に伸び、最近では俺と大差なくなってきている。
それに何より雰囲気が大きく変わった。昔は活発な少女といった感じだったのに今では貴族の家の出だと勘違いされる事すらある。今のカエラの姿を見てカエラが孤児院出身なことを見破れる人など存在しないだろう。
しかも最近では巷で“天才”の二つ名をつけられてるそうだ。幼馴染の俺としてはカエラを遠く感じてしまうこともある。だが中身はこの通り。
「ふゅ? ふぉーふぁふぃふぁふぉ? 」
「いや、変わらないなーって思ってさ」
「リアム、お前よく今カエラがなんつってんのか分かったな」
「長年の勘だよ」
「むぐむぐ……っぷは。私たちは兄弟みたいなものだからね。目を見れば大体分かっちゃうわけですよ」
兄弟、か。
カエラの言葉に小さな胸の痛みを覚える。
「兄弟なら分かるもんなんか? 俺も姉ちゃんが1人いるけど、普段から何考えてんだかさっぱりでよ—— 」
リーーンゴーーン リーーンゴーーン
「あっ! 」
「あり? 」
「やべっ! 」
鳴り響く鐘の音に中庭を歩いていた生徒たちが慌ただしく走り出す。
まずい、俺たちも急がないと! 確か次の授業は——……
◯◯◯
「最初の個人実践訓練へようこそ、若人諸君」
寝癖だらけの紫髪の男が気の抜けた声で、第1運動場に三列ほどに並んだ生徒たちに挨拶をする。
最後の方についた俺たちは一番後ろの列に並ぶことになった。
「はぁ、はぁ。ど、どうにか間に合ったなリアム…… 」
声を顰めてハルが話しかけてくる。
「はぁ、はぁ、かなりギリギリだったけどな」
「わ、脇腹が痛い…… 」
「食べてすぐ走ったらそうなるでしょ」
とは言いつつも俺も脇腹が若干痛い。くそー昼ごはんからは結構経ってるんだけどな。
「…… 」
値踏みするように紫髪の教師が俺たちを見回す。よく見るとツヤもよく健康的な肌色とは対照的に、男の目はどこか虚でなんとも言えない不気味さがあった。
俺達以外の生徒もこの男の異質な雰囲気が気になるのか何かを話し合っている。
「あー…… 」
しばらくしてようやく男が口を開く。だが男が口にした言葉は想像の遥か斜め上をいくものだった。
「初めに前置かせてもらうが。俺にお前らを卒業させる気はない」
一気に生徒達が静まり返る。
え、聞き間違えじゃないよな。冗談?
いやでも顔が冗談を言ってる風じゃ無いんだけど……。
「この中で、毎年どれだけの数の騎士が死ぬのか知ってるやつは居るか? 」
しばらくの沈黙の後、前の方で1人の女子がおずおずと手を挙げる。
「ね、年間約40から70人ほど……です」
「そうだ。フルエア帝国では近年大きな戦争が無い。だがそれだけの騎士が毎年死ぬ。そういう仕事だ。だから俺はここでわざわざ間引きをやってる。面倒だがな」
「間引き? 」
「なんなんだアイツ」
徐々に生徒達の間で、水面に波紋が広がるように動揺が伝播していく。
「俺が卒業を許すのは怪物どもだけだ。そいつらは俺の授業への参加を許そう。だがそうでない雑魚どもには」
瞬間、心臓に氷を直接押し当てられたかのような悪寒が全身を走る。
「ここで寝ていてもらう」
「はぁ!? 」
「ぐぉ!! 」
「きゃあ!! 」
生徒たちの列の所々から短い悲鳴が聞こえてくる。
これは……殺気!?
「う、動けねぇ……! 」
ハルが低く呻く。殺気を放つ教師を止めたいのだろうが体が言うことを聞かないようだ。
いや、ハルだけじゃない。俺の足もさっきから根が生えたように地面を離れない。たぶんこの場にいる全員がこうなってるんだ。
この世界では熟練の騎士や冒険者の殺気は単なる威圧ではない。自身の魔力を利用した攻撃の一種だ。
場合によっては魔力による威圧だけで戦いの決着がつく事すらある。ゆえに殺気を向けるという行為は宣戦布告と同義と言える。それは生徒と教師といえど変わりはない。
コイツ、正気じゃない!
「おい」
「ん」
皆がうずくまる中、俺の右前にいた小柄な生徒がゆっくりと教師の男の前に出ていく。こっちの世界ではほとんど見かけない黒髪を後ろで一つに束ねているのが印象的だ。
今動けるってことは余程の実力者なのか……。
「控えろ下郎が。不快だ」
「確かお前は……グアル・ミラニ——かはっ! 」
次の瞬間、黒髪の生徒の拳は教師の腹に深々と捩じ込まれていた。
「……あー。はーやっ—— 」
黒髪のまわし蹴りが何か言いかけた男の側頭部を捉える。鈍い音を立てて黒髪より随背丈のある教師の体が横方向へと吹き飛ぶ。受け身も取れず地面に叩きつけられた男は地面を2、3度転がり動かなくなった。
その場の全員が二転三転する事態に呆然となる。
「おいリアム。今の、どこまで見えた? 」
ハルの声は震えている。
「……腹を殴った後に回し蹴りじゃないの? 」
「俺もそう見えた。でもじゃあ、なんで教師の足が折れてんだよ」
足が折れてる?
言われてようやく気づく。地面に転がる教師の左足は脛の部分からパッキリと関節と逆方向に折り曲がっていた。
完全に折られてる。いつ、どうやって?
「殺したの? 」
静かな声がざわめく空気を裂く。
いつの間にか俺の横にいたはずのカエラが黒髪の生徒の前にいた。
「あの殺気が出せるのならば死なない程度には手加減はした。もっとも、余生は床の上だろうがな」
「そこまでする必要あった? 」
「この男は俺たちに対して限度を超えた殺気を向けた。教師であろうと害すれば排除するのは当然だろう? 」
淡々と黒髪が言う。確かに間違ってはない。だけど——
「あの人を殴ったことは合ってると思う。あなたがやらなかったら私がそうしてた。でも、あなたなら行動不能にするだけに手加減は出来たんじゃないの? 」
「面倒だからな」
「それが、騎士を志す人間の言葉? 」
「……お前も面倒だな」
黒髪の生徒の声が明確な苛立ちを帯びる。まずい!
「カエラ! 」
「元気が良いようで何より」
「「!?」」
その場にいた全員が当人達を除いて再び凍りつく。
睨み合う2人の間に割り込んだのは、蹴り飛ばされたはずの教師の男だった。
しかも足が……治ってる!?
「お前、どうなっている」
「世の中は広いって事だ、イキり黒髪くん」
「ッ! ふざけ—— 」
「静かに」
一言教師が呟く。すると黒髪の生徒は地面に膝をつきその場にうずくまった。
黒髪が苦悶の表情で顔を歪める。そして異変は黒髪だけに留まらなかった。
「くそっ!! 」
「きゃっ! 」
生徒達が悲鳴をあげて次々とうずくまる。先程よりも更に強い教師の男の殺気に襲われた生徒達は、ほとんどが地面に這いつくばることとなった。
「……殺して、やる……! 」
「この至近距離で喰らって気が飛ばねぇんだから大概バケモンだな。合格だ」
教師の男がうずくまる黒髪の生徒を見下ろしながら言う。合格? さっきは間引きって言っていた。まさかこれが何かの選別なのか? だとしたら俺も動かないとまずい!
「く、ぐぅ……! 」
くそっ、顔を上げるのがやっとだ。そもそも黒髪も立てないのに立てるやつなんて居るのか?
気になってあたりを見回す。すると予想外にもチラホラと立っている人影はあった。
だが全員立つのがやっとなようでさっきの黒髪のように教師の男に抵抗する生徒は見当たらない。
そうだカエラは? カエラは大丈夫なのか!?
「……ッ!? カエラッ! 」
視界が歪みよくは見えないが紫髪の前でカエラはうずくまっていた。昔見ていた悪夢がその姿にふいに重なる。
騎士になったカエラが魔物に殺される、何度も見た悪夢。
一瞬、子供の頃のように恐怖が心を満たす。だが次の瞬間に全身を覆い尽くしたのは煮えたぎるような憤怒だった。
「……全部で4人か。豊作だな」
「おい」
「あ? 」
奥歯が砕けそうなほど歯を噛み締めながら、ゆっくりと地面を両手で押して立ち上がる。鉛のように重くなっていたはずの体は不思議と動いた。
「その子から……離れろ!! 」
「なんだ、立てるのか。お前も合格——」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ! カエラから離れろ! 」
「はいはいっと。カエラ……カエラ・ラステリアか」
紫髪が足元でうずくまるカエラにチラリと目線を向ける。
「“天才”が聞いて呆れるな」
興が冷めたとばかりに言い捨てる。それは俺の中に残った最後の理性を砕くには十分すぎる一言だった。
視界が真っ赤に染まる。
「死ね!! 」
どこか余裕を持った態度を崩さなかった紫髪の顔が初めて引き攣る。当たり前だ。
その場で立つのがやっとだったはずの生徒が、今自分の目の前で拳を構えているのだから。
「あ゛あ゛あああああああ!! 」
なぜ今俺は動けるのか。なぜ5メートルはあった紫髪との距離を一瞬で詰められたのか。
そんなことを考えられるほど俺は今冷静じゃない。
殴り飛ばす。いや、殺す。
そうして無防備なままの紫髪の顔面に俺の拳が捩じ込まれる——直前に、俺は地面に倒れた。
「かはっ! 」
すぐに立ちあがろうとするが、さっきとは打って変わって指一本動かすことができない。紫髪の仕業かとも思うが、見上げると紫髪も俺の様子に混乱している様子だ。
「なんなんだお前は」
「くそっ! 」
最悪だ。ついカッとなってしまった。これで退学にでもなったらカエラを守れな——
「遅れてごめんね。リアム」
「え? 」
聞き慣れた声に顔を上げる。なぜかそこには平然と立つカエラがいた。そして。
「ふん!! 」
「は」
気の抜けた掛け声が一度聞こえたかと思うと、教師の男の体が無抵抗に後ろへと倒れていく。
だが攻撃の主が男を抱き抱えたことで、男が再び地面に打ち付けられることはなかった。
白昼夢でも見ているかのような気分に陥る。
「これで良しっと。大丈夫リアム? 」
「あ、ああ」
カエラが人1人殴り倒した後とは思えない爽やかな笑顔で笑う。
「靴紐が解けちゃってさ。結んでて遅くなっちゃった。ごめん! 」
「くつひも…… 」
苦しくて屈んでたわけじゃなかったのか。
「それで、殴っちゃったけどこの人どうしよっか。よっと」
カエラが紫髪を地面に横にする。
紫髪は完全に気絶しているのか脱力した状態でピクリともしない。様子からして顎を殴られたのだろうが今度はそれすら俺には見えなかった。
あれーおっかしいなぁ。ゲームとかだとこういう展開って普通転生した人の特権なんじゃ……。
「……実はカエラって転生してたりしない? 」
「? テンセイ? 」
「いや、なんでもない…… 」
才能って、残酷だ……。
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