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十二の月

2、【航悠・飛路・ジェダ】遭遇

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 飛路の手柄で、官吏の洗い出しに目途がついた翌日。任務もあらかた終わり、雪華はのんびりとした気分で外朝を歩いていた。
 まずまずの成果と重圧からの解放を控え、油断していたのかもしれない。――最後の最後で、雪華は失態を犯した。

「な――。姫……!?」

「!」

 向こうから一人でやってきた官吏に、膝をつくのが一瞬遅れた。その一瞬で、雪華はとうとう外朝で最も会いたくなかった男に見つかってしまった。

「な……にを、しているんだ……」

「…………」

 かけられたのは、この数か月で記憶の中の高いそれからすっかり塗り替えられてしまった低い声。
 今さら顔を伏せたところで、時すでに遅い。溜息をつくと、雪華は立ち上がってその男――龍昇の顔を正面から見上げた。

「……仕事だ。もう明日には終わるが」

「また……城に潜入していたのか? いつからだ。誰の依頼で、何を調べて――」

「しっ。……大きな声を出すな。誰かに見られたら、互いにまずいだろう」

「……っ」

 実際見られたらまずいのは雪華だけなのだが、龍昇は律儀にもいったん問いかけを打ち切ってくれた。呆然としつつも多少は事情を飲み込んだのか、小さく口を開く。

「あなたが情報を得ることを生業なりわいにしているのは知っていたが……まさか、またここにいるとは……。この前の宴の一件は、城の警備の者が依頼をしたとあとから聞いた。……今回は、誰からの依頼だ?」

「答える義務はないな。だが、詮索せんさくされるのも面倒だ。……あんたの味方、とだけ言っておく」

「なに…?」

「別に、城や人に害をなそうとして潜り込んだわけじゃない。得た情報も、あんたにとって有益なことだ。きっとそのうちに報告がいく」

「え……」

 龍昇がまじまじと雪華の顔を見つめる。雪華の言葉が予想外だったのだろうか。

「なんだ。……あんたたちに害をなす気はないと言っただろう。今の政治まつりごとを乱すような調査はしていないぞ」

「そう……なのか。いや、俺はてっきり――」

 龍昇がはっとしたように口元を押さえる。その言葉の先が容易に想像できてしまい、雪華は眉を歪めた。

「シルキアに情報を渡しているとでも思ったか? ……見くびるなよ。今の情勢でそんなことをしたら国がどうなるか、それぐらいは考える分別がある」

「すまない。俺は――」

「いい。そう思われるような仕事をしているのは私だ。……一応は祖国だからな。他国に蹂躙じゅうりんされるのは、できれば見たくはない」

「…………」

 龍昇は遠い場所を見るように目を逸らすと、ついできつく瞳を閉じた。苦悩する表情に、何事かと雪華は戸惑う。

「どうした」

「そこまで知っているなら、伝えるが……陽連から離れた方がいいかもしれない。……戦になる可能性がある」

「……なんだと?」

 龍昇の言葉に、耳を疑う。見上げると彼は固く唇を引き結んだまま、じっと眉根を寄せている。

「どうして……」

「……シルキアが、鉱物を輸出できる大規模な港を以前から手に入れたいと思っていることを、知っているか」

「ああ……。噂には聞いたことがあるが」

「ここ数年、王が代替わりしてからシルキアは西峨さいがの港をあからさまに狙ってくるようになった。西峨の官吏も、シルキアとの癒着を深めている」

 陽連――皇帝直轄地の西に位置する西峨は、シルキアと唯一国境を接している州だ。その西峨とシルキアが癒着しているということは、この陽連の喉元に剣を向けられているに等しいことではないか。眉を寄せた雪華に龍昇は続ける。

「国境の警備官を増やしたりはしているが――シルキアもとうとう本気で港を、いや西峨一帯を狙う体制を整えてきている。交渉はしてきたが……もう、無理かもしれない」

「…………」

 重く、低く……皇帝が告げる。その声音は、それが真実であることを物語っていた。雪華は龍昇を見上げると、震える唇を開く。

「無理かもしれないなんて……簡単に言うな…! 戦だぞ…? この国の民が駆り出され、巻き込まれ、死ぬんだぞ…!?」

「……っ」

「内乱からたった十三年だ。あんたはまた民たちに戦いを強いるのか!? あんたは皇帝だろう! なぜ、そうならないように対処しないんだ!」

 気付けば、龍昇をなじっていた。
 ……十三年前の惨状を思い出す。内乱は朱朝を倒すだけにとどまらず、最終的には帝都の一部を焼きつくした。あんな戦いが――また起こるのか。
 声を荒げた雪華に呼応するように、龍昇もたまりかねた様子で口を開く。

「俺だって……戦など、起こしたくはない! 交渉はした。外交努力もした。けれど皇帝にだって、どうにもならないことはある……!」

「……っ」

「皇帝の称号が何かの足しになるのなら、とうに使っているさ。自国の民を誰が苦しめたいものか……! だが、流れには抗えないんだ!」

 語勢を強めた龍昇が、はっとしたように目を見開く。龍昇は雪華の顔を見つめ、気まずげに目を逸らした。

「……すまない、取り乱した。あなたに当たっても仕方ないのにな……」

「いや……。こちらこそ悪かった。あんたが何もしてないわけがないのに、勝手なことを言った。板挟みになって悩んでいるのは、あんただろうに……。失言だ、忘れてくれて構わない」

「雪華……」

 雪華の謝罪に龍昇が小さく目を見開く。雪華は重い気持ちで目を伏せると、今一度皇帝に確認を取る。

「……もう、本当に避けようがないのか」

「分からない。今すぐシルキアの軍が西峨に流れ込むということはないだろうが……交渉次第では、あと数か月のうちにということもあり得る」

「……陽連も戦場になるのか?」

「帝都まで踏み入れられることは、さすがにないと思うが……。戦になるとしたら、おそらく西峨だ。一般の民には危害が及ばないよう善処するが――」

「いざ戦になれば、どうなるかは分からない、か」

「ああ……。情けないが、その通りだ。陽連にもきっと西峨から難民が入ってくる。落ち着くまで治安が悪くなるのは避けられないだろう」

 龍昇が苦渋の表情で瞳を伏せる。その顔に、雪華は胸の中で一つの決意を固めた。

「陽連から、離れるつもりはない」

「そうか。ならば、十分気を付けて――」

「その上で、もしもあんたたちが私たちの組織の力を必要とすることがあったら……協力してもいい」

「え……」

「胡朝の手足となって、情報を探ってもいい。それが斎の安定に役立つのなら、私はその任務に全力を注ぐだろう」

「雪華――」

 龍昇が目を見開き、雪華を見下ろす。静かにその視線を受け止めると、彼は少しだけ顔を歪め、ついで小さく笑みを浮かべた。

「それは……心強いな。あなたが味方になってくれるのなら、戦の方が回避してくれそうだ」

「なんだそれは。だが……まぁそうだな。自慢じゃないが、情報を得ることに関しては多少の自信があるぞ。そのぶん値は張るが」

「そうか。国庫から捻出できるよう、善処しよう。それでも駄目なら俺の私費からお願いするよ」

「皇帝のへそくりか。それは期待できるな」

 ようやく静かな笑みを浮かべた幼馴染を見やり、雪華もまた小さく笑う。持ってきた書物を抱えなおすと、龍昇に背を向けた。

「そろそろ失礼するよ。あんたも行った方がいい」

「ああ。――雪華」

「…?」

 きびすを返した雪華に龍昇が声をかける。振り向くと、龍昇は静かな瞳でこちらを見つめていた。

「……気を付けて」

「ああ。……あんたもな」

 そうして小さく頷き合うと、二人は違う方向に向けて歩きはじめた。


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