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航悠編
7、お手並み拝見
それから数日に渡り、雪華は自室での療養を余儀なくされた。三日経った今は動くのも多少楽になってきたが、年明けまで任務に戻るのは無理そうだ。
寝台の上で書物を読んでいると、扉を叩く音に顔を上げる。……航悠が消毒に来たのだろうか。
「開いている。入っていい」
航悠とはあれ以来いつも通りに接しているが、肌を晒すのにはやはり気恥ずかしさが付きまとっていた。妙な間を置かず入室を許したものの、なんとなく胸がざわつく思いで唇を引き結ぶ。
しかし、音の主は扉を叩いたきり部屋に入ってこようとしない。もう一度許可を出すと静かにそれが開かれ、現れた男の姿に雪華は書物を取り落とした。
「あんた――」
「……その……女性の寝室に入るのは、さすがにどうかと思ったんだが……」
戸口に現れたのは、私服に身を包んだこの国の皇帝だった。龍昇は部屋の入口に立ったまま、困惑のていで室内に目を彷徨わせている。
いかにも所在なさげな彼は、寝台の上の雪華から視線を逸らすと早口でつぶやいた。
「やはり出直した方が良さそうだ。菓子を置いていくから、良かったら食べてくれ」
「あ、待っ――! ……っ!! いった……」
「! 大丈夫か…!」
「いたたた……。いや、平気だ」
とっさに起き上がり、重く突き抜けた痛みに呻く。
ここ数日安静にして忘れていたが、急に動けば当然それなりに痛い。慌てた龍昇が、寝台のそばまで駆けつける。
「だ、大丈夫か……?」
「大したことはない。……そんなに慌てて帰ることもないだろう。茶は出せんが、座るぐらいしたらどうだ?」
「あ、ああ……。では少し、失礼する」
龍昇が頭を下げ、寝台から少し距離を置いて椅子に腰かける。雪華も居住まいを正すと、背筋をまっすぐに伸ばして座る幼馴染に問いかけた。
「それにしても、一体どうした? また薫風楼に行っていたのか」
「ああ。また伝言を頼もうかと思ったんだが、あの女性…藍良殿に、あなたが怪我をしたと聞いて。失礼かと思ったが、見舞いに寄らせてもらった」
「藍良め……。それにしても、よく私の部屋が分かったな」
「ああ、それは下で、あなたの仲間の方に聞いて……。特売日がどうとか言っていたな。急いでいたようだったが」
「……青竹か。年末は売り出しをしているからな。おおかたそれにでも行ったんだろう」
雪華の周りの人間は、どうにも警戒が緩いらしい。機密も何もあったものではないが、知られて困ることでもないし深く考えないことにする。
龍昇は黒い瞳に憂いを浮かべると、言い出しにくそうに切り出す。
「任務中に怪我をしたと聞いたが……状態はどうなんだ?」
「どうもこうも、見た通りだ。少しヘマをしたが、大した怪我じゃない」
「そうだろうか……。藍良殿も仲間の方も、心配していたようだったが」
「心配をかけたのは事実だからな。同じ過ちを犯さぬよう、次からは注意するさ」
龍昇がなんとも言えない表情でうなずく。短い沈黙ののち、彼は扉に視線を向けた。
「先日一緒にいた、武官の彼は――」
「? ……ああ、航悠か。今は出かけているが、同僚だ。そういえば、ふざけて妙なことを言っていたな」
龍昇が持ち出したのは、城の任務の最後に女官として顔を合わせた時のことだ。龍昇と航悠の二人に挟まれ、気まずい思いをしたことを思い出す。
「ここで一緒に住んでいるのか?」
「まぁそうだな。長い付き合いになる」
「…………。彼の言っていたことは、事実か…?」
「は?」
憂い顔で問われ、雪華は首を傾げた。あのとき、航悠が何か言っていただろうか。すでに薄くなりつつある記憶を探り、思い当たった言葉を告げる。
「ああ……知らない仲では、とか言ってたな。残念ながら、違う。よく間違えられて辟易するが」
「……そうか」
心もち身を乗り出した龍昇が、椅子へと戻る。その様をきょとんと眺めていると、龍昇は手元へと視線を落とし口を開いた。
「体調が悪くなければ、もう少し話をしてもいいか」
「ああ」
「あなたは、斎の国内も色々と見て回ったと言っていたな。少し、話を聞いてもいいだろうか」
「? ああ」
唐突な質問に何事かと思ったが、そういえば以前に軽くこれまでの遍歴を話したことがあった。龍昇はそれに興味を持ったようだったが、その後落ち着いて話す時間もなかったため機会をうかがっていたのかもしれない。
幼馴染から思慮深い皇帝の顔に戻り、龍昇は口を開く。
「あなたの目から見て、斎の地方……国境沿いや海岸沿いの暮らしぶりは、どう見えただろう」
「どう、と言われてもな……。州によっても変わるし。そうだな、例えば西峨はシルキアと隣り合うだけあって、鍛冶や製鉄が盛んだったな。あんた達の言うここ数年……シルキアとの関係が危うくなってきてからも、あの州だけは元気だった」
昨年までのあてどない旅暮らしを振り返りながら、彼の役に立ちそうなことをかいつまんで話す。龍昇の相づちを受け、雪華はさらに思考を巡らせた。
「辺境は、どこも官吏や役所の統制が取りきれていない感じだったな。税の徴収にしても上からの指示に従うのみで、その年々の状況を鑑みてないようだった」
「……そうか」
「まあ農民は比較的あんた達に好意的だったよ。もともと農村や漁村の民は皇朝の交代を歓迎していたしな。あんたが皇帝になってから期限付きで税を減らしたと聞いたが、それに喜んでいる印象だった。ま、この先もとに戻った時にどうなるかは分からんが」
そこで雪華は、熱心に耳を傾けている龍昇の視線に気付いた。偉そうに語ったことが少し恥ずかしくなり、言い訳のようにぼそりとつぶやく。
「庶民のたわ言だ。真に受ける必要はない」
「いや……参考になった。あなたの言葉には、報告書の数字にはない生身の声を強く感じる。こういう話を、俺は聞いてみたかったんだ」
「買いかぶりすぎだ。城にも、州府あたりから地元の官吏が来るだろう」
「だが彼らも官吏であることには変わりない。本当は俺が出向いて、地方の民の声を直接聞ければいいんだが……」
身に余る称賛を雪華は面はゆくあしらっていたが、龍昇の溜息に顔を上げた。また思い悩みはじめたその顔にぴしゃりと言ってやる。
「それは無理だな。体がいくつあったって足りない。生身の情報が欲しいのなら、それを得ることができる部下を育てることだ。……実際、為政者のところまで民の代表が直訴しにくる国もあったぞ。官吏でなく、農民や漁民の代表が。異国の流儀をそのまま取り入れることはできんが、参考にぐらいはしたっていいだろう」
皇帝が何でもかんでもできるわけではないし、一から十まで重荷を背負う必要もない。余計な仕事まで抱えこもうとするのを制するように知りうる限りの妥協案を告げると、龍昇の顔が少しほころんだ。
「……そうだな。今の一件が落ち着いたら、早急に検討してみよう」
「ま、私の話など話半分に聞いておくんだな。大した役に立つとも思えんし」
「そんなことはない。……ありがとう」
堅苦しい話は、正直なところ自分の性には合わない。雪華は手を振るとこの話題を打ち切った。
そんな雪華に龍昇は首を振り、深々と頭を下げる。皇帝らしからぬその態度に困惑するが、そういえばこの男は昔から生真面目な奴だった。
「今日、あなたと話してみて改めて思ったんだが……あなたの持つ情報や知識は、官吏の報告に勝るとも劣らない素晴らしいものだ。あなたの視点は偏りがない。為政者と民、その両方からこの国を冷静に見ていると思った」
「買いかぶりすぎだ。庶民の目線で上への愚痴を言っただけにすぎない」
掛け値なしの賞賛に、気まずいものを感じて溜息をつく。
褒められることなど何もない。この男の重責に比べれば、自分の立場など気楽なものだ。だが続く言葉に、雪華は大きく目を見開く。
「頼みがあるんだ。その情報と知識……胡朝を盛り立てるのに、貸してはもらえないか」
「……っ」
「あなたのような人が、今の胡朝には……いや、今の俺には必要なんだ」
真摯な口調で告げた龍昇が、同じく真摯な瞳で雪華を見下ろす。その視線に、雪華は溜息で応える。
「だから、買いかぶりすぎだ。前に情報を集めてもいいと言ったのは、あくまで目前の国の危機に対してできることがあると思ったからで、それ以上の要求をされても面倒なだけだ。……悪いが、断る。胡朝を盛り上げようなんて気持ちはさらさらないしな。あとはあんたが何とかしろ」
余計な感情を挟まないようさらりと告げると、龍昇は目を見開いたあとに苦笑した。その答えを半ば予想していたかのように引き下がる。
「……手厳しいな」
「当然だ」
彼個人のことが嫌いなわけではない。ただ、胡朝が嫌いなだけだ。そう言外に告げると、龍昇はまなじりを和らげた。
そして思い出したように携えてきた包みを雪華に渡し、立ち上がる。
「すまない、長居してしまった。良かったらこれでも食べて養生してくれ。では失礼する」
きっちりと椅子を戻して、龍昇が部屋から出ていく。
文句のつけどころのない――悪く言えば堅苦しいその立ち居振る舞いに、雪華は苦笑するしかなかった。そして、包みへと手を伸ばす。
「あ……」
重箱の中に入っていたのは、小さな器に固められた杏仁豆腐だった。外気の温度で冷えたままになっていて、見るからに美味そうだ。
よたよたと歩いて匙を取ってくると、つやつやと揺れる白いそれをしばし堪能する。
一皿めを軽くたいらげ、二皿めに手を出してしまおうかと迷っていると、今度は断りもなくいきなり扉が開いた。
「帰ったぜ。消毒――」
「……あ」
寝台から身を乗り出したところで、航悠が姿を現した。中途半端な姿勢のまま、雪華は固まる。……もしや、龍昇と鉢合わせたりしていないだろうか。
「……差し入れか?」
「ああ。……お前も食べるか?」
片眉を上げた航悠が近付いてくる。何も言われないということは、懸念したことはなかったようだ。雪華は内心でほっと息をつく。
「……そうだな。お手並み拝見といこうか」
にっと笑うその表情に、何かが含まれていたような気がするのは――たぶん、気のせいだろう。
その後の消毒はなぜかいつも以上に入念で、時間がかかり……結果的に雪華は、何度もうめき声を上げさせられる羽目になった。
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