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飛路編
15、愛しい男
しおりを挟む蒼月楼に戻ってきた雪華と飛路は、酒楼を通り抜けて二階へと上がった。
自室へ戻ろうとする飛路を、袖を引いて引き留める。
「せっかく酒を買ってきたんだ。一杯やらないか」
「え……、でも」
「お前の部屋、三人だからうるさいだろ。たまには静かに飲んでみるのもいいんじゃないか。私の部屋、来いよ」
「……う、うん」
飛路は妙に緊張した様子で、雪華のあとについてきた。部屋に入り、乾果とともに杯を出してやると、かしこまって酌を受ける。
「何をそんなに緊張してる。取って食いやしないよ。ほら、飲め。今日はすっきりしたろ?」
「……ありがとう。つか、そういうこと言うなって」
「? ……ああ、悪い。元の性格だ」
軽くふちを合わせて、一杯目を飲み干す。飛路もようやく付き合う気になったのか、静かに酒を舐めはじめた。
おりしも空は満月だ。二人は冬の月を肴に、静かにゆっくりと、今まで話せなかった昔のことをとつとつと語り合った。
「お前と宗将軍、言ってはなんだが似てないな。髪の色ぐらいか? 将軍はもっと熊みたいで――」
「うん、よく言われた。オレはお袋似だから。オレももっとあんな風に、たくましい体格だったら良かったんだけど……」
「うーん……。将軍には悪いが、お前の方が女性には好かれる……かな?」
「ひっで。……でも親父も言ってた。お袋を口説き落とせなかったら、結婚できなかったかもって」
「ぶっ……。将軍、わりと気にしてたんだな……」
月が真上に上る頃には、程よく酔いが回ったのか飛路も饒舌になってきた。取りとめのない話で小さく笑い合い、酒をつぎ合う。
そうして買ってきた酒を半分ほど飲み干したところで、ほんのりと頬を染めた飛路が戸惑いがちに口を開いた。
「あんた、さ……今日、言ったよな。オレのこと、その、好いてる……って。あれ、なんでだ?」
「なんでって……」
つっかえながら紡がれた問いかけに、目を見開く。
というか、そんなに赤くならないでほしい。こっちまで恥ずかしくなってくる。
ろうそくの灯りでも分かるほど火照った顔をした飛路が、眉をひそめて雪華を見つめる。
「だって前、言ってたじゃん。恋愛対象として見れるかは、まだよく分からないって。今はその……違う、のか?」
「…………。お前、恥ずかしいことを聞いてくる奴だな……」
酒の力を借りた部分もあるのだろうが、直球で聞いてくる男は実はそう多くはない。
こちらも酒の効果なのか、雪華も耳が熱くなり、それでもできるだけ正直に答えようと言葉を探す。
「なんだろうな。なんか、放っておけなくてな。……母性本能? いや違うか。私に母性があるとも思えんしな」
「母性本能は……ちょっと」
「うん、それは違う…かな。少しはあるかもしれんが。お前の気持ちに感化されたのかな……」
――なぜ、飛路へ異性として好意を抱くようになったのか。雪華はその理由をほろ酔いの頭でつらつらと述べる。
「男に好きだと言われて、嬉しいと思う。その男のことが、気にかかる。その男に、無事でいてほしいと願う。……その男に、側にいてほしいと思う。触れたいと思う。これと言える理由がなくても、それだけ思ってれば……それはもう、惚れてるってことだろ? まあ、お前はちゃんといい男だが」
「……っ」
「だからそこで赤くなるな……。私が恥ずかしいだろうが」
言えば言うほど、飛路の顔も自分の顔も赤くなっていく。だがこれを逃すと伝える機会もないかもしれない。
すべてを告げてくれた飛路に、雪華もまた包み隠さぬ本心を伝える。
「……お前をな、そばで見ていたいと思った。これからどんな風に生きていくのかを。だから、お前を受け入れたいと思った。……それが理由では、駄目か?」
「……まさか」
大きく首を振った飛路はこれ以上ないというぐらいに顔を赤くして、はにかんだ笑みを浮かべる。その表情を見て、雪華の頭の中で何かが焼き切れる。
(ああ……くそっ。可愛いな……)
酔いが回っているのかもしれない。自分もかなり、思考が恥ずかしいことになっている。それに輪をかけるように飛路がつぶやいた。
「嬉しい、な……。オレ、ずっと、あんたのことが好きで……。でもオレは年も下だし、あんたの周りには頭領とか皇帝とか、立派な男がたくさんいて……」
「航悠も龍昇も、そういう対象ではないんだが」
「あんたはそう言うけど、絶対あの人たちは違うよ。あの人たちと比べて、オレはなんて非力なんだろう、何してんだろうって思って……イライラして、あんたに当たったり……自分がどうしたらいいのか、分からなくなった。どうやって、この国で生きていきたいのかも」
「…………」
「でも今日、あんたが認めてくれて……全部、終わった気がしたんだ。これからどうしていこうとか、まだ全然まとまらないけど――やっと始められるって思った。オレはこの国と、あんたのために、ちゃんと考えて生きたいって……思ったんだ」
言いたいことをすべて吐き出したのか、飛路は安堵したように杯の酒を飲み干した。
手酌しようと伸ばされたその手を、雪華はがしりと押しとどめる。
「……雪華さん?」
「悪い。さっき言ったこと、取り消す。……取って食っても、いいか」
「……は!?」
自分はたぶん、酔いが回っているのだと思う。
――この男が、愛しい。その温もりを感じたい。この男と、重なりたい。
突然湧いてきた勢いに任せて、気付けばそんなことを口走っていた。
「とと、取って食うって、あんた……!」
「いや、悪い。何を言ってるんだろうな。なんだかお前を見てたら、色々感慨深くって……。惚れてるんだから仕方ないが」
もはや何を言っているのかも分からなくなってきた。赤面で慌てふためく飛路を見据え、雪華は色を滲ませた目で請う。
「その……この前の続きを、したいんだ。女の方からこんなことを言うのもどうかとは思うんだが……」
「……っ……」
飛路の喉が、ごくりと動いた。立ち上がる雄の気配に、本能的な雌の欲が煽られる。
だが飛路は目を伏せると、雪華の手を押しとどめた。
「……駄目だよ……」
(あ……)
瞬時に胸に走ったのは、羞恥と少しの苦さだった。飛路から手を離すと、雪華は苦笑して目を伏せる。
「……そうか。悪い。まだ、そこまでの対象じゃなかったな」
「ちが…っ、そうじゃなくて……! その、オレの親父が……」
「……宗将軍?」
突然降って湧いた名前に、目を瞬いた。……なぜここで、父親の名が出てくる。
飛路は怒りと困惑が入り混じったような顔で苦渋の声を紡ぐ。
「男なら、無責任にそういうことをするなって……。結婚を決めた相手にだけ、誠意をもって行えって。自分が色々、失敗したからって……」
「…………」
「だからその……あんたに欲情しないとか、そんなことはまったくなくて……。ていうか、むしろ本当にヤバくて。すっごく、すっごく嬉しいんだけど――」
「…………」
なんと言うか……本当に律儀だ。そしていい男だ。
律儀すぎて泣けてくる。航悠に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
「そうか……。言いつけ、ちゃんと守ってるんだな」
「自分でも馬鹿だって思うんだけど……! 親父、もう死んでんのに、こんな言葉だけ刻み込まれてチクショーって感じなんだけど」
飛路は本当に悔しそうだ。雪華はなんだか微笑ましい気分になり、けれど少しだけ宗将軍への当てつけを込めて言ってやった。
「私は一応、お前がいいと言うなら生涯を共にする気持ちなんだがな」
「え……」
「それに、私は宗家の主君だ。私の言葉には、宗将軍も逆らえない。なんてのは……駄目、だろうな」
これ以上は、飛路を困らせるだけだろう。少し頭を冷やした方が良さそうだ。
雪華は立ち上がり、水でも取ってこようかと扉に手をかけた。だが次の瞬間、強く手首を掴まれて壁へと押しつけられる。
「――っ!」
叩きつけられるように体が押さえられ、強引に口付けられる。突然豹変した態度に雪華は目を見開いた。
「……っ! ……飛路……っ、おい……」
「……っ、くそ…ッ! 抑えようと思ったのに、あんた、そんな風に言うから……っ! 駄目。もう無理。……我慢できない」
「……っ、ん――!」
焦れたように言った飛路が性急に雪華を抱きしめる。
滅茶苦茶に口付けられながら引きずられ、衝動的にもがくが飛路の手はびくともしない。
「ぅあっ……!」
寝台に押し倒されたところで思わず声が出て、飛路はハッとしたように動きを止めた。
「あ……ご、ごめん」
「いや……大丈夫だ。……無理するな、飛路。私が悪かった。お前の考えを曲げてまでどうこうする気は――」
「……ずりぃ」
「え?」
「こっちがその気になった途端、引くのって……ずるい。謝ってほしいわけじゃないのに」
雪華がごねたから無理やり行動に移したのかと思ったが、こちらが謝ったら飛路は拗ねたようにつぶやいた。真上の顔を見上げると、飢えた目と視線が合う。
「あ……それもそうだな。すまん……じゃなくて。…………いいのか?」
「それって普通、男の台詞なんじゃないの? いいも何も…最初っから、したかったのは本当だし。親父も……許してくれる、気がする。つーか、ごめん! ってことで許してもらう。ちょっと色々、情けないけど……」
バツが悪そうな顔で尻すぼみに告げた飛路に、雪華は小さくふき出した。彼の赤毛を撫でると、優しく口を開く。
「いや……。知ってたか? 宗将軍は私には甘いんだ。だからきっと……笑って許してくれるさ」
微笑んで、真上にある顔に一つ口付けすると、この上なく嬉しそうに飛路は笑った。
そして今度は飛路からその唇を重ねようとして、しかし直前でぴたりと止まる。飛路はじっと雪華を覗き込むと、泣きそうな顔でつぶやいた。
「好きだ。……好きだよ。あんたのことが、とても大事で……大好きなんだ。あんたじゃないと、駄目なんだ。ずっと、オレと……いて下さい」
「……ああ」
飛路の目を見つめ、しっかりと頷く。
明るい色の目が潤みながら歪み、その端に唇を滑らせるとわずかに表面が湿った。
雪華だけがすべてというように自分を見つめるこの青年を――心の底から、愛おしいと思った。
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