元禄大正怪盗伝

山岸マロニィ

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Ⅰ.トーキョー・ファントムシーフ

(2)転移セシ者

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 夜の街は、地上にきらめく満天の星々のように美しい。
 電気が作り出す光とは違い、魔法灯の光は柔らかくて、どこか温かい……悔しいけど。

 エンドー・トウヤは、この景色を空から眺めるのが好きだった。
 この世界トーキョーで数少ない、彼の心をなぐさめるものだ。

 ――でもどうせなら、無様に吊るされた状態ではなく、背中が冷や汗で濡れていない方が良かった。
 まぁ、『怪盗ジューク』として大立ち回りをやった後だ。贅沢ぜいたくは言っていられないが。
 それにしても……

 と、トウヤは彼をワイヤーで吊るすドローンを見上げた。
「遅かったじゃないか、リュウ」
 彼が恨めしい目を送った先、ドローンの上からクリッとした目が覗く。
「間に合ったから良いのでアリマス」
「けれど、あとコンマ一秒迎えが遅かったらハチの巣だったぜ」
「コンマ一秒も余裕があったのでアリマス。ワガハイの計算に間違いはないでアリマス」

 覗いているのは、ヤモリ。
 真っ黒なうろこは夜空の色と同化してほとんど見えない。

 とはいえ、本物のヤモリではないし、妙な喋り方をするのは、彼がAIだからだ。
 ヤモリ型高性能自律ロボット――「この世界」の存在ではない。

 トウヤと一緒にこの世界へ転移してきた、彼の相棒なのだ。

 ◇

 彼の記憶にあるのは、西暦二一二〇年の東京での暮らし。
 夢も希望も、秩序すらない街で、師匠である『怪盗十九号』の助手をしていた。

 カネやモノはごく一部の富裕層に集まり、多くの人々は生活に困窮する。
 政治も行政も、高い税金を払える者たちにしか向いていない。
 ――だから、生きるためには、奪うしかなかったのだ。

 怪盗の活躍で溜飲りゅういんを下げる人々に対して、彼らの生活は決して楽なものではなかった。「怪盗」を名乗る以上、義賊でなければならないという師匠の強い信念があったからだ。
 盗んだ金品は、より貧しい人々に配ってしまう。
 夜は盗み、昼間は労働でわずかな日銭を稼ぐ。
 でもトウヤは、そんな生活が嫌いじゃなかった。

 孤児だったトウヤを我が子のように可愛がってくれる師匠を、彼は心から信頼していた。
 その上、師匠はとても話上手で、手品を見せたり不思議な昔話をしたりして、幼い彼を興奮させた。

「実は、私は『大正』と呼ばれる時代からタイムスリップしてきたんだ」

 粗末な食卓で向き合っている時、師匠はそんな話をした。
「嘘だ、タイムスリップなんてあるワケないよ」
「もし『魔法』が存在していたとしたら?」
「もっと嘘っぽいね」
 と、首を傾げるトウヤの前に、師匠はくすんだ茶色の古い写真をいくつか並べる。
「これが東京駅、これが銀座の時計台、それにこれが浅草の凌雲閣りょううんかく
 そこに映る建物の、どれもが二十二世紀には存在しないものばかりで、トウヤは目を丸くした。
「そして、これが蒸気機関車。背の丈もある大きな車輪を、電気ではなく、蒸気の力で動かすんだ。シュッ、シュッと、煙突から煙を立てて走るんだぞ」

 真っ黒な鋼鉄の巨体が走る場面を想像すれば、トウヤの頭の中は大正時代にタイムスリップする。
 黒い機関車が風を切り、美しいレンガの建物の間を疾走する様子は、幼いトウヤを魅了した。
「カッコいいな……」
「そうだろう、そうだろう」

 師匠の話には夢しかなかった。
 未来を夢見るエネルギーに満ちていた。
 子供騙しの与太話だとは思いつつも、どこかリアリティのある師匠の話は、ひとりの少年に夢を持たせるのに十分だった。
 トウヤはそんな街の様子を頭に思い描いては、たまらない気持ちになるのだ――子供心にも未来がないこんな街など捨てて、夢のある世界に行ってみたいと。

「僕も本物を見てみたいよ。ねえ、どうやったら大正時代に行けるの?」

 すると師匠は、顔の前に人差し指を立ててこう言うのだ。
「行く方法はひとつだけある。でも、それは今じゃない」
「えー、なんで?」
「行けるのはひとりだけだからな」
 そう言って、師匠はトウヤの頭を撫でる。

「ひとりで生きていけるようになったら、その方法を教えてやろう――」

 ◇

 ……結局、その方法を知ったのは、師匠の死の間際だった。
 公安警察に追い詰められて、瀕死の重傷を負い動けなくなった師匠は、トウヤにあるものを託した。

 ――それが、このリュウなのだ。

 緑にオレンジの縞模様の派手な色をしたヤモリ。普段は目立つ事この上ないが、光学迷彩で今は真っ黒だ。
 元々は子供向けのおもちゃなのだが、師匠により魔改造を施されているのだ。
 ヤモリ特有の吸着性のある手足でどこにでも行ける。暗視カメラ、集音器、変声機、各種通信、プロジェクターなどなど様々な機能を搭載していて、師匠の「仕事」のサポートをしていた高性能ロボット。

 ――そして、タイムスリップの鍵となるがあるはずなのだ。
 しかしリュウ自身、それが何なのかを知らない。

 ひとつ、ヒントがあるとするならば……

 別れる直前、師匠はこう言った。
「――イーサンを、探せ」

 イーサンというのが誰なのか、どこにいるのか。
 この世界に来てからずっと探しているが、手がかりすら掴めていない。

 そんなトウヤとひと時も離れず過ごすリュウは、クリッとした目をしたかわいいヤツで、師匠と同様、従順に彼のサポート役をこなす……少々、危なっかしい時もあるが。

 今は、トウヤの左耳に付けられたピアス型脳波通信機の指示を受信して、ドローンの上に張り付いて操縦をしている。
 彼の指図がなければ、あの衛兵長を死なせるところだった……その点でも、感謝しなくてはならないだろう。

 だが当のリュウは呑気なもので、風に顔を向けて気持ち良さそうに目を細めている。
「このままアジトに戻るでアリマスか?」
「アジトという呼び方は好きじゃないな。我が家と呼ぼうぜ」
 トウヤの言葉に、だがリュウは不満げな声を出す。
「ワガハイはあの場所は好きでないでアリマス。我が家とは思いたくないでアリマス」
「そう言うなよ。朝までぐっすり眠れるだけマシだろ」
「ドブネズミが出るでアリマス! 何回ドブネズミに喰われそうになったか分からないでアリマス」
「でも、喰われなかったじゃないか。おまえの特別製の鱗は、ドブネズミも歯が立たないさ」
「まぁ、そうではアリマスが……」

 ブツブツ言いつつも、リュウはドローンの向きを変える。
 すると、遠心力でトップハットが飛びそうになりトウヤは慌てて手で押さえた……いつもより操縦が荒い。従順とはいえ、自己主張が強いのがリュウの欠点だ。

 間もなく足下の景色がトーキョーの都心部に入る。
 真夜中とはいえ騒がしいのは、きっと怪盗が出たせいだ。

「追われてる可能性も考えないとな。念のため、一度駅に下りてから、最終便の人混みに紛れて帰ろう」
「それがいいでアリマス」

 光学迷彩を施したドローンは、音もなくレンガ造りの駅舎へと下りていく。

 ――トーキョー駅。
 帝都トーキョーの玄関口となるターミナル駅である。

 ドーム型の屋根に降り立つと、サスペンダーに電磁石で取り付けたワイヤーを外す。ドローンで彼を吊るしていたものだ。
 それからドローンを折り畳んで洗いざらしの風呂敷で包めば、誰が存在し得ない道具オーパーツに気付くだろうか。

 軽やかな身のこなしで屋根を滑り、最終便が停車するホームに降り立った頃には、トウヤはつぎはぎだらけの着物を端折はしょった行商人の姿となっていた。

 風呂敷包みを背負って改札を出る。
 早足に出口に向かう人々の中で足を止め、華が開いたような造形の美しい天井を見上げれば、そこは紛れもなく、師匠の話で憧れた大正時代の東京だ。

 ――しかし、違うのだ。

 この世界は、トーキョーであって、東京ではない。
 師匠が住んでいた街ではない、時空の違うどこかパラレルワールドなのだ。

 時計の鐘が鳴る。
 ボーン、ボーンと十二の刻を打つその下に、今日の日付が掲示されている。


 ――――元禄二百三十三年。


 それが、この時代に付けられた年号だった。


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