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第1章

8話

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 日が昇っては沈み、またそれを繰り返し。どのくらい時が経ったのかも霞んだ意識のなかでは分からなかった。ただひたすらヴィクトールに深く愛されて、身体を求められて。
 逃げ場を失ったサクラは、衰弱した体躯でその愛に必死に応えた。





「……サクラ」

 熱気を纏った低い声が、耳朶を甘く掠る。透明な露がゆらゆらと震える睫毛を持ち上げると、すぐそばにあったヴィクトールの顔がゆっくりと近づいた。

「愛している……サクラ……」

「あっ……んっ」

 唇がふやけてしまうほど口づけを交わしたというのに、ヴィクトールはまたサクラと唇を触れ合わせる。柔らかくて、熱くて、脳が甘く痺れて。
 周囲の雑音も閉ざされたこの空間に二人きりでいることが、どうしようもなく幸せに感じられた。シーツに染み付いた体液の匂いと、部屋に充満した汗の匂いですら心地よさを覚える。

 サクラの身体を蝕もうとしていた靄も、気づけば薄く消えかかっていた。息苦しさもほんのわずかだが軽くなっている。

 願わくば、誰に邪魔されることもなくこのまま──

「サクラ。すまない」

「……え?」

 唇をわずかに離して告げられた言葉に、サクラは瞬きを繰り返す。
 ヴィクトールは片腕でサクラを抱いたまま、もう片方の手で彼女の髪を梳かして。夜に染められたサクラの瞳をじっと見つめた。

「何年も一緒に過ごしてきたのに、お前の苦しみに気づいてやれなかった。他のことに現を抜かして、一番大切なお前を傷つけてしまった。許してくれ、サクラ。時間を掛けて償わせてくれ」

「ヴィクトール……」

「明日からは可能な限りお前と過ごそう。夜も、食事のときも……そうだな。サクラの体調も考慮した上でとはなるが、公務で遠くへ向かうときは無理のない範囲でついてきてほしい。二人でどこかに出掛けるのもいいな。サクラがもし行きたいところがあるのなら、そこへ一緒に」

 長い指先が髪を滑り、火照った頬へと伝う。身体が燃え盛るように激しかった情交からは考えられない優しい触れ方に、サクラはきゅっと唇を噛み締めた。

 行きたい場所だなんて。ヴィクトールと二人で一緒にいられるのならどこへ行っても幸せだ。その言葉だけでも心が救われるような気がする。
 でもなぜだろう、心の奥底に潜む不安を拭い取れないのは。自分のことを愛していると言ってくれる夫を信じたいのに。国王としての立場がありながら、王妃としての価値なんて皆無に等しい自分の側にいてくれるヴィクトールの想いに報いたいのに──

「……こわい」

「なに?」

「……ごめんなさい。わたし、怖い」

 ぽつりと呟いた言葉が、すっと胸に落ちる。

 そう、サクラは恐れていた。ヴィクトールが自分から離れていってしまうのが怖いのだ。サクラからすれば、ヴィクトールが自分を捨てることになり得る理由は十分に揃っている。

 ヴィクトールの側には、王である彼の妻の立場に相応しい血筋と権力を持ったクリスチアーヌがいること。二人の間には、跡継ぎとなる男児がすでに生まれていること。時が経つにつれて聖女として国を護る力が薄れてきてしまっていること。もし新たに聖女となる人間が現れれば、完全に自分は国にとって不要な存在となること。

 (それから、それから)

 心の中で指折りをして数えているうちに、涙が溢れだす。再び泣き出してしまった妻の姿を前に、ヴィクトールは大きく目を見張った。

「サクラ、泣くな、泣かないでくれ。頼む、もう苦痛な思いはさせないから。お前の悲しむ姿は見たくない。私が悪かった、どうか許してくれ」

「……わ、わたしも、わたしもごめんなさ、い……」

「サクラはなにも悪くない。謝る必要はどこにもない。悪いのは私だ」

 ぎゅうっ、と締め付けるように素肌のまま抱きしめられる。サクラは控えめに夫の背中に腕を回し、涙に濡れた睫毛をそっと伏せた。

 二度と靄に蝕まれないように、強い心を保たなければ。ヴィクトールの言葉を信じたい。サクラにはヴィクトールしか愛せる人がいないのだから。

 (もう、あんな苦しい想いはしたくない)

 汗ばんだ胸板に頬を寄せ、心音を確かめるように耳を澄ます。トクントクンと刻まれる鼓動が乱れかけていたサクラの荒んだ心を宥めていき、自然と呼吸が和らいでいった。

「サクラ、愛している。もう元の世界に帰るなんて言わないでくれ。ずっと私の側にいてくれ」

「ヴィクトール……」

 腕の力が緩められ、瞼を閉じたヴィクトールの顔が近付く。

 ああ、結局自分は彼から離れられない。ヴィクトールが口にした言葉が嘘だったとしても、きっと偽りの愛に溺れてしまう。

「愛している……サクラ」

 唇に触れる熱い吐息にサクラもまた視界を閉ざし、体温を分かち合うような深い口づけを受け入れて。
 身体と心を溶かしていくような熱に、また一粒の涙を流した。


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