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意志を貫く覚悟
しおりを挟む伯爵邸の掃除をメイド達に頼み、私はリーストファー様の部屋に来ている。
「邸をお父様から譲り受けました。邸は少々小狭いですが庭は広いですよ」
お父様は伯爵邸の所有を私にした。私個人の財産ね。ちなみにユミール領も私個人の財産。一応慰謝料のようなものだから。
それに、小狭いと言っても公爵邸より小狭いだけで、旧伯爵邸だけあって建物は立派。
「手直しが少し必要ですが明日からでも暮らせます。明日私達の新居に移りましょう」
「ああ、ありがとう」
リーストファー様の顔が少しほっとしたように見えた。それだけ侯爵家での暮らしは息苦しかったのかもしれない。
「それでですね、婚姻証明書にお互いサインをしませんか?」
私は証明書の紙をリーストファー様に見せた。
リーストファー様は私の顔をじっと見つめた。お互い重なる視線。
そしてポツリと一言。
「すまない」
その『すまない』は婚姻しないという事?でももうこれは王命と同等。今更婚姻したくないは通用しない。婚姻へ向けて準備も進んでいる。
「すまないとは?」
「こんな俺なんかと婚姻させて、すまない…」
「今更怖気づいたんですか?事の重大さに?ご自分で褒美を決め、貴方は陛下から私を授与されました。功績への褒美を貴方は軽々しく決めたんですか?」
「軽々しく!決めた訳では、ないが…」
「それなら貴方のその意志を貫けばよろしいではありませんか」
笑顔を絶やさないと決めたけど流石に今は笑顔が作れない。怒りによく似た感情を私は抱いた。
お互い見つめ合う視線。その視線の意味はきっと同じ、お互い覚悟を決めよう。
「サインをお書きになりますか?」
「ああ、書く」
お互い証明書にサインをした。この婚姻は王命と同等。当主のサインは必要ない。後は王の印で私達は夫婦になる。
リーストファー様がサインをした瞬間、彼は意志を貫く覚悟を決めたと思う。『ああ、書く』と言った時の目が、私にはそう思えた。
「明日提出してきますね」
「ああ頼む」
「邸へ移るのも明日で構いませんか?」
「構わない」
「何か必要なものはありますか?」
「今の所は何もない」
床に色々な物が散らばっていた以前の部屋ではなく、今は綺麗に整頓された部屋。
「この部屋で何か持っていく物はありますか?」
リーストファー様はベッドの脇にある杖を手にした。
「これだけだ」
「ならこの部屋を出るのは簡単ですね」
「そうだな」
リーストファー様は少し笑ったように見えた。
「私の方が大変そうです」
「女性は物が多いからな」
「あら、女性にお詳しいんですか?少し妬いちゃいます」
「ち、違う、違うぞ」
「ふふ、リーストファー様でも慌てる事があるんですね」
「揶揄うな」
「でもこれで私達は夫婦です」
私は手に持っている婚姻証明書を見つめた。
「ああ、俺達は夫婦だ」
私は証明書からリーストファー様を見つめた。
「なら妻が夫の女性の存在に妬くのは当然ですよね?」
「いない、いないいない、女性なんて俺にはいない」
「本当ですか?どこかに隠しているとかではありませんか?後になって辺境に恋人がいるとか言いませんか?」
「恋人がいたらこんな事はしない…」
「なら安心しました。
リーストファー様」
「ん?なんだ?」
私はリーストファー様の手に自分の手を重ねた。
「どんな形であれ私達は夫婦になりました。そこにどのような思いがあっても、婚姻すれば貴方は夫になり、私は妻になります」
私は重なった手を見つめた。そして目を閉じた。『ふぅ』と小さく息を吐いて目を開け、リーストファー様を見つめて微笑んだ。
「明日からよろしくお願いしますね」
「俺こそ頼む」
重ねた手を外し、私は椅子を深く座り直した。
その夜、私は自分の部屋のベッドの上に寝転がり、天井を見つめている。ベッドの脇のテーブルには婚姻証明書。
明日ついに夫婦になる。
私は自分の意思で彼の妻になる事を選んだ。
私は何があっても動じない覚悟を持たないといけない。
こんな時本当に思う。王太子妃教育を受けていて良かったと。私が普通の令嬢なら今頃絶望で狂っていたかもしれない。政略に求めるものは人それぞれ違っても、どれだけ立場が弱くても、それでも夫人として生活は守られる。社交への参加や、ドレスや宝石。それに、従順になるだけで酷い仕打ちはされない。その中で夫人達は自分の居場所を作っている。夫婦に愛はなくても、その先は予想が出来る。
でも私達の婚姻は先の見えない婚姻。予想も出来ない生活に、私でも不安になる。
リーストファー様が何を考えているのかは分からない。分からないからこそ不安は大きくなる。
貴族の男性は分かりやすい。自分が上だと証明したいだけ。妻を従順にさせるのもその一つ。自分に盾を突くな、自分はこの家で一番偉く、お前達は自分のお陰で生活が出来ているという事を知れ、そんな所。でも自分より上の立場の人には弱い。侯爵がお父様に腰が低かったのもそれ。
でも夫人達も夫人達で、従順にしていれば自由は約束される。妻としての役目さえしていれば自分に興味がないんだもの。お茶会や夜会に積極的に参加する夫人もいる。刺繍に没頭する夫人もいる。妻の役目以外の時間は自分の為に使える時間だと、割り切ってる夫人は多い。
あの謁見の間から2ヶ月、リーストファー様は自分が上だと振る舞う仕草は無かった。初めはまあ……あれは別よね?
口数が少ないから私の方が押し気味だし。年上の男性なのに、どこか可愛いらしい所もあるわ。
赤の他人の私を急に妻にしたいと言ったり、何を考えているのか分からないけど、それでも何となく憎めないのよね。優しくされた訳ではないけど、邪険にされた訳でもない。最近一緒に過ごす時間は少し心地良いと思えたりする。
時々見せる少し笑った顔も、寂しそうな顔も、焦った顔も、照れくさそうな顔も、なんとなく、ただなんとなく、目が離せないの。それにこれは私の勘、悪い人だとはどうしても思えない。
まあ、リーストファー様は騎士だから酷い仕打ちはしないだろうけどね。
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