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23.兄の友人

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 ハロルドが公務で手が離せない為、二週間以上も会う事が出来ない日々を過ごしていたローゼリアは、何故かその状況に物足りなさを感じるようになっていた。

 何故ならフィオルドが起こしかけた婚約破棄騒動以降のこの三か月近くは、二週間ペースで必ずと言っていい程、ハロルドと会っていたからだ。だが現状は、すでに二週間以上過ぎてもハロルドと会えない日々が続いている。そもそも第二王子に会える機会が頻繁にあったこの三か月間が、特別な状況だったのだ。
 その事にやっと気付いたローゼリアだが、それでもハロルドと会えない日々が続くこの状況に胸がざわついた。

 だが、そんな心境とは対照的に婚約者候補でもあるルシアンとは、毎日のように屋敷で顔を会わせていた。現状のルシアンは、王太子リカルドに対応して貰っている自身の領地の交易品の新たな取引申請の手続き終了を待っている状態なのだ。
 ミオソティス伯爵家の持つ領地は、王都より少し離れているのだが、毎回手続きの度に王都まで出てくるのが大変なので、王都に近いマイスハント家に滞在する事をクライツが気を利かせて勧めた。その為、ルシアンはこの二週間マイスハント家に滞在している。

 そうなれば当然、ローゼリアとも屋敷内で顔を会わす機会が増える。
 登城予定のない日などは、兄を交えて三人でお茶をする機会も多いので、ローゼリアが特に望んでいなくともルシアンとの交流は増えていった。その状況が、周りからルシアンとの仲を取り持つように仕組まれていると感じてしまったローゼリアは、この先の身の振り方に悩み出す。

 恐らく周りからは、ルシアンとの婚約を望まれているのだろう。
 しかし現状ではローゼリアが、その期待に応える事は難しい。ハロルドと交流を重ねる前であれば、素直にその状況を受け入れる事が出来たはずなのだが、今のローゼリアでは、自身の中でハロルドが占める割合が多すぎる為、周りから望まれているルシアンとの未来をすんなりと受け入れる事が難しいのだ。

 その為、今のローゼリアはルシアンと過ごす時間を極力避けたいと思っていた。だがそんな思いとは真逆の状況をローゼリアは強いられている。何故なら今目の前には優雅にティーカップを口元に運ぶルシアンがいるからだ。

「申し訳ございません。本日、兄は領地内の視察で夕方まで不在でして」
「それで一応客人扱いの私への接待を彼から頼まれてしまったのですね。こちらこそ気を遣って頂き、ありがとうございます。それにしても……あなたに自分の友の相手を押し付けるとは、クライツもなかなか妹使いが荒い兄のようですね」
「押し付けるだなんて……。ルシアン様の東国との貿易情報のお話は、とても興味深い内容ばかりなので、今この瞬間もわたくしは、とても楽しいひと時を過ごさせて頂いております」
「そう言って頂けるとありがたい。なんせ今の状況は、私の方にしかメリットのない時間となってしまっているので……。クライツに私の相手を押し付けられたあなたには申し訳ないと思いつつも、私にとっては今この瞬間は大変喜ばしい状況ですので」

 嬉しそうに目を細めて微笑むルシアンにローゼリアは、どんな反応して良いか分かず、作り笑いを返した。婚約者候補として申し分のないルシアンから好意を向けられる事に不快感はない。むしろ兄と年齢が同じという事もあり、非常に話しやすいので、かなり心地良い時間を過ごす事が出来る相手だ。

 しかし、それでもローゼリアが求めてしまうのは、何故かハロルドなのだ。
 ルシアンと違い、王族であるハロルドと過ごす時間は、それなりに緊張感を伴う。適切な距離感を常に保ちながらの会話も多い為、気を抜く事は出来ない。
 ルシアンと過ごす時間が穏やかで心地良い時間ならば、ハロルドと過ごす時間は緊張感を強いられる時間となる。

 だがハロルドとの時間には、その緊張感を相殺してしまうくらいローゼリアが心を惹き付けられてしまう瞬間が多々訪れる。それは生真面目なハロルドが、ふとした瞬間に見せる柔らかい表情や仕草がローゼリアにはとっては、たまらない程、魅力的な物に見えてしまうからだ。

 緊張感を持って接しなければならない相手であるハロルドが、何度かローゼリアに対しては気を抜く様子を度々見せてくれる状況は、常に穏やかな状態で時間が流れるルシアンとの時間では味わえないものだ。その為、ハロルドとの時間は、ローゼリアの心を良い意味で掻き回す。ハロルドの一挙一動で気持ちが高まるその状況は、ローゼリアにとってこそばゆさを感じつつも、何故かそれが癖になってしまっていた。

 だが、ルシアンと過ごす時間では安堵感はあっても気持ちが高ぶる瞬間はない。
 甘い言葉を囁かれ、あからさまに好意を示す言葉を口にされて赤面する事はあれど、ハロルドの時に感じる胸をキュッと締め付ける様なこそばゆい感覚は、一度も感じた事がなかった。それ故にローゼリアが魅力を感じてしまうのは、ハロルドと過ごす時間の方となる。

 現状ルシアンの相手をしているこの時もそうだった。
 そんなローゼリアの心境を見透かしているのか、ルシアンがやや残念そうな笑みを浮かべて口を開く。

「ローゼリア嬢は……私と過ごしてくださる時には、あまりお見せしてくださらない表情をハロルド殿下の前では、よくされますよね? もしやハロルド殿下とは、フィオルド殿下とのご婚約が決定された時からのお付き合いなのですか?」

 ルシアンの急な問いにローゼリアが一瞬だけ、動きを止めた。
 周りの人間には自分がハロルドの前でそのような状態になっている事には、兄以外には気付かれていないと思っていたからだ。

「いえ。ハロルド殿下とは、あの婚約破棄未遂騒動のパーティーの際、初めてお会いしました」
「では、まだお二人がお会いされてから三か月程しか経っていないのですか? それなのに表面上の感情のコントロールが完璧なあなたを一喜一憂させてしまうハロルド殿下は、相手の心を開かせる事が得意な方なのですね」

 ルシアンのその考えにローゼリアが不思議そうに首を傾げる。正直、ハロルドの生真面目過ぎる性格では、そこまで社交性が高いとは感じられないからだ。むしろ今目の前にいるルシアンの方が、相手を懐柔させる能力が高いと言える。その考えが表情に出てしまっていたのか、対人スキルの高いルシアンに気付かれてしまい、にっこりと意味深に微笑まれる。

「正直なところ、私はハロルド殿下が羨ましいです。あなたは、今こうして私を過ごしている時間を楽しんでくださっている様子は感じ取れますが、ハロルド殿下がご一緒の際は楽しむだけでなく、そのやりとりに夢中になっていらっしゃるようにも見受けられたので……」

 やや寂しげに微笑むルシアンの指摘にローゼリアが、驚くようにゆっくりと目を見開く。

「夢中……ですか?」
「ええ。何と言うか……あなたはハロルド殿下とご一緒の際は、一瞬の変化も見逃さないという姿勢のように私には見えてしまって……。もしかしたら王族の方に対する最大限の気遣いから無意識でそうなっていらっしゃるかとも思ったのですが、以前フィオルド殿下も交えて話しをされている機会に遭遇した際、フィオルド殿下に対しては、そのような素振りをされていなかったので……。そうなりますと、王族の方に対しての気遣いという訳ではないですよね?」

 ローゼリアが必死で隠そうとしているハロルドに対する気持ちに気付いているのか、ルシアンはジワリと確信に近づく様な会話展開をしてくる。その状況に内心は焦りながらもローゼリアは、得意の表情筋を固定する事に力を注いだ。

「確かに気遣いという点では申し訳ない事にフィオルド殿下に対しては、少々疎かになっていたと思います。ですが、それは婚約者という立場の期間が長かったので、フィオルド殿下には緊張感があまり抱けなくなってしまったのかもしれません」
「なるほど。そうなりますと……あなたから見た私もフィオルド殿下と同じく、あまり緊張しないで過ごせる相手という認識でよろしいでしょうか?」
「ええ。ルシアン様は穏やかで、とてもお話がしやすい雰囲気をお持ちですから。わたくしにとっては、とてもリラックスした状態で交流出来る方になります」

 親しみやすいという意味を込めてローゼリアがそう口にすると、何故かルシアンが悪戯めいた光を瞳に宿し、口元に弧を描く。

「それは兄であるクライツと同じような感覚で話しやすいという事?」

 急に砕けた口調で問われ、一瞬ローゼリアが驚きで固まる。
 だがルシアンの方は笑みを浮かべ、そんなローゼリアの反応を楽しむように探る様な視線を送って来た。

「それは……」

 ルシアンの急な変化に戸惑い、ローゼリアが口ごもる。
 するとルシアンがブッと吹き出した後、笑いを堪える様な仕草を始めた。

「いや、申し訳ない。あなたはその事には全くの無自覚だったのですね……。私はこれでもあなたと出会った頃から、やや甘い言葉を囁いてきましたが……。それは少しでも私を異性として意識して頂きたかったからです。ですが、どうもあなたから感じる私への印象は、クライツに対するものと同じようですね」

 そう言われ、ローゼリアがゆっくりと瞳を見開く。
 その反応にルシアンは、またしても楽しそうな笑みを深めた。

「始めはあなたの兄である彼と私が同年齢なので、その様な反応になってしまうのかと思っておりました。ですが、この間フィオルド殿下も交えて会話をされている時に気付きました。あなたが私に対する印象は、恐らく実の兄であるクライツと、少々手の掛かる弟のような存在だったフィオルド殿下と同じだと」

 ルシアンのその指摘にローゼリアが、そのまま固まる。
 その反応を確認したルシアンが、困ったような笑みを浮かべた。

「あなたにとって私は気張らずリラックス出来る人間である事は、大変光栄な事です。ですが、出来れば私の一挙一動であなたが動揺してしまうような反応を見せて欲しいとも願ってしまうのです」
「動揺……ですか?」

 何故、そんな事をルシアンが望むのか理解出来なかったローゼリアは、その理由を問いただす。すると、ルシアンがやや寂しげな笑みを浮かべる。

「ローゼリア嬢、私はあなたにとって安堵感を抱かせる『兄的存在』にはなりたくないのです……。それよりも私の些細な動作や言葉でも動揺してしまうような、あなたの心を良い意味でかき乱す存在になりたいのです」

 そう言ってルシアンはスッと立ち上がり、ローゼリアの元までやって来る。そしてそのまま片膝をつき、そっとローゼリアの手を取る。

「すぐにそのような存在になれるとは思ってはおりません。ですが、少しでも私の事を『兄的な存在』ではなく、一人の『男』として意識して頂ければと願います」
「ルシアン様……」
「近々、ハロルド殿下より最後の婚約者候補のご紹介があるかと思いますが、その際に是非私が今懇願した事を心に止めて頂ければと思います。恐らく新たにご紹介を受ける婚約者候補の方々に比べたら、直接あなたと関係醸成の交流を持てた私の方が分はありますからね」

 一瞬、手を取られた際に困惑の色を見せてしまったローゼリアだが、片目をパチリと閉じながら茶目っ気ある笑みを浮かべてきたルシアンの仕草で思わず苦笑する。
 すると、タイミングよく部屋の扉がノックされた。
 控えていた侍女が扉を開けると、領地からルシアンが連れて来た侍従が部屋に入って来る。

「ルシアン様、お手紙が届いております。取り急ぎお渡しした方が良いかと思いましてお持ち致しました」
「このタイミングで渡しにくるなんて、君はかなり無粋だな。そこまで急がなくても……」

 そう言いかけたルシアンだが、手紙の差し出し人を確認した瞬間、苦笑する。そしてその手紙を軽くローゼリアに見せながら、残念そうな表情を浮かべた。

「ローゼリア嬢、誠に申し訳ないのですが、どうやら取り急ぎ対応しなければならない手紙のようです。恐れ入りますが、お茶のお時間はここまでという事で」
「ええ。是非そちらのご対応を優先なさってください」

 残念そうなルシアンとは違い、ややホッとした反応でローゼリアが答える。
 その様子を見たルシアンが、更に寂しそうに苦笑する。

「父からのこの手紙には、恐らく一度私に領地に戻るよう書かれております。その為、私は明日に領地に戻らなければなりません……。その間、あなたはハロルド殿下より今までご紹介された婚約者候補者の中から、選定を打診されるかと思います。その際は是非、私の存在も心に留めて頂けますと嬉しいです」
「ルシアン様、あの……」
「もちろん、新たな候補者の方で心惹かれる男性がいらっしゃれば遠慮なく、その方をお選びください。ですが……」

 そこで一度、ルシアンが言葉を切る。

「私と言う存在もお忘れなく」

 ふわりと笑みを浮かべたルシアンは、取っていたローゼリアの手の甲にそっと口付けを落した後、ローゼリアの手を優しく解放しながら立ち上がる。その行動に合わせるように茫然としたローゼリアが、ルシアンの動きをゆっくりと目で追った。

「それでは領地に戻る準備がありますので、本日はこれで失礼致します」

 そう言って名残惜しそうに侍従ともに部屋を出て行ったルシアンの姿が見えなくなるまで目で追っていたローゼリアだが、数秒後に脱力するように長椅子へと背中を沈める。

「わたくしは……ずっとルシアン様を異性として見ていなかったのね……」

 そう呟いたローゼリアは、ルシアンに指摘されるまで全く気付けなかった自分自身の無意識な行動に落胆しながら、横にあったクッションを手に取り、そこへ勢いよく顔を埋めた。
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