細めの雪にはなれなくて

雨門ゆうき

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ひと時の休息

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 同僚の社内での自殺があった週の土曜日、かおりは奏介のアパートにいた。アパートへの道すがらスーパーに寄り食材を買って、今日は奏介に鍋をふるまうつもりだったのだ。この日の奏介は会ったときから機嫌がよく、自分の気持ちと裏腹で少し気後れする気持ちもあったが、単純に彼の人生が上手くいっているのだと、うれしくもあった。

 「今日は、鍋の食材買ってきたから。一緒に食べよう。」そう言って台所に向かおうとすると、「かおり、聞いてよ。この間言ってた画廊の主人のこと。小さいところだけど、一応画廊の一角だけど絵を飾っれるか判断するのに、作品をもっと見てくれるってさ。」彼の性格上めずらしく、少し興奮した様子で話しかけてきた。「うん。すごい、おめでとう。」そう言いながらも自分の心境が裏黒く、素直に一緒に喜べなかった。奏介にもそれは伝わった。「かおり、鍋は僕が作ろうか?何かしんどそうだよ。ごめん、僕だけ喜んで。」そう言って台所に立とうとする彼。辛そうな自分の心境を察して気を利かせてくれる彼と付き合えている自分が、あまりにも幸せな状況にいることに少し罪悪感を覚えた。…同僚は今週死んだのだ。声をかけてくれる彼を制して自分でやると伝えた。自分が甘えずに少しでも無理をすることで、同僚への罪悪感に蓋をしていたのかもしれない。

 鍋は魚介や肉をたくさん入れた寄せ鍋で、とても美味しくできた。食べながら奏介の話を楽しく聞いてあげられればと思ったが、それ以上に彼が気を使っているのが分かり、そこは申し訳なかった。その日は彼のアパートに泊まり、ひと時のぬくもりと安心感を得て、平日よりもずっと深い眠りについたかおりだった。

 日曜の朝、ゆったりと目を開けると、彼が私よりも早く起きて朝食を作っていた。かつおのだしの匂いがする。トントンと音を立てる包丁の音、おそらくはネギでも切っているのだろうか。「う~ん、おはよう。ごめん寝すぎたね。」寝起きのふわついた声で奏介に話しかける。「おはようー。いいよー幸せそうな顔見れたから。朝ごはん食べたら、どこか行く??絵を描きに行ってもいいし。」「うーん、うん。絵描きたい。いいところある?」「まかせてー。少し人はいるけど、それをバックに入れながら描くのもありだと思うから、時々僕が描いてるところ行こう。」奏介はそう言いながらお盆で朝食を持ってきた。なんて優しい彼だろう、本当に自分が彼女でいいのだろうか。

 テーブルの上にはごはんとネギ入りのみそ汁、目玉焼きに鯵の干物ときゅうりの浅漬け。後はなぜかごはんに合わない珈琲も乗せて。こういうところにやはり独特の感性がある彼。でも、久しぶりに食べた鯵、幼い頃に飽きるほど食べてそれ以来避けていた焼き魚で、少し故郷を思い出してほっこりした気分になれた。

 朝食を食べ終わると、電車に乗って彼の写生スポットにでかける二人。場所はベンチがある、秋の終わりの今の季節には物悲しい美しさがあるセピアの並木道。そこのベンチに腰掛けてスケッチを始める。やはり少し人通りは気になったが、気になったのは人通りそのものよりも、自分の見ている“人”が他の人とは違って見えていることだった。ふと消えていた、少しの間だけ忘れることができていた、会社のトイレの光景がフラッシュバックした。
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