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つまらない人生だった
手にした幸せを大切にする
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「お父さんとお母さんの手をつないだピピンは、とても嬉しくなって歌をうたいました」
グレイスが長女にせがまれ絵本を読んでいると、長男と次男が「ずるい!」といいグレイスにまとわりついた。
長女よりも小さい次男が、グレイスの膝に座っている長女と絵本の間に自分の体をねじこみ、長男はグレイスの背中に飛びかかるようにしがみついた。
「この本がおわったらぼくの好きな本をよんで!」長男が大きな声でいうと、次男が「だめ。つぎぼく」とゆずらない。
「じゃましないでよ!!」長女も叫び、母と娘の穏やかな時間があっという間に兄妹弟でにぎやかにふざけあう場となっていた。
グレイスは子供達の大声に耳が痛かったが、子供達がすこやかに育ってくれている姿に幸せを感じていた。
自分自身は持つことができなかった親子の時間をこのようにしていま持てることに感謝した。
政略結婚で夫婦仲の悪い両親の間にうまれたグレイスは、両親と家族らしい時間を持った記憶がなかった。
グレイスが六歳の時に母が亡くなり、気がつけば父はいつの間にか再婚していた。実母が生きている時から温かい家庭とはいえず、継母とは折り合いが悪かったこともありますます居心地が悪くなった。
「こんなにかわいいのに」
子供達をみながらグレイスはしみじみ思った。
ただ存在するだけで愛おしい。世話する者がいなければすぐにはかなくなる小さな存在は、日々さまざまなことが出来るようになる。その姿をみていると人は何も出来ない状態から大人になるまでの間に、どれほど多くのことが出来るようになるのかと感動をおぼえる。
そして子供達の初めての経験や、初めて出来るようになる姿を見ることができるのがどれほど貴重なのかを痛感した。
できればずっと子供達の側にいて彼らの初めてをすべて見守りたい。しかし王太子妃として果たすべきことは多く子供達とすごせる時間は限られた。
子供達の世話をする乳母達からの報告を聞くたび、自分が直接見ることができなかった彼らの成長を嬉しく思いつつも、あまり早く大きくならないでほしいと思ってしまうことに苦笑した。
「本を読んでもらいたい子は誰かな?」
アーサーの登場に喜び、言い合いをしていた子供達が一斉にアーサーに飛びついた。
伝統的に王侯貴族の子供達は使用人によって育てられるため、親が子に最低限の興味しかしめさないことは多い。
そのためアーサーが子に興味をもち、一緒にいる時間をつくろうとするのはグレイスにとって嬉しい誤算だった。
子が生まれるまでアーサーが子供好きだと感じるような言動はなかったので、長男のルイを抱っこし泣いているのをあやそうとする姿を見てグレイスは目をみはった。
ルイがハイハイできるようになると、アーサーは床の上に寝そべりルイと一緒にゴロゴロしたりし、つかまり立ちができるようになるとのんびりルイの手をひいて部屋を一緒に歩いた。
結婚してから四ヶ月でグレイスが妊娠し、長男、長女、次男と順調に子をなしたこともあり、アーサーとグレイスは子をはさんで穏やかな関係を作りあげることができた。
結婚前に愛していないといわれ、元恋人であるミア夫人という存在がいることを知ったりと、結婚生活は厳しいものになるだろうとグレイスは覚悟していただけに、思いがけず穏やかな夫婦関係をきずけたことが嬉しかった。
結婚後アーサーから蔑ろにされることはなく、子が生まれてからはアーサーが子供達にみせる愛情だけでなく、グレイスに対しても家族としての親愛を感じられるようになった。
アーサーはグレイスに恋愛感情をいだいてはなかったが、家族としての親愛を向けてくれることにグレイスはほっとした。政略結婚としてはかなり良い状況であるといえた。
自分の両親のように冷たい夫婦関係で、あたたかみをまったく感じられない家庭ではないことをグレイスはよろこんだ。
アーサーが次男を膝にのせ、長男と長女がアーサーの両脇に座る形で本を読むことに落ち着いた四人の姿をみながら、グレイスは子供達が父から愛情をうけ育つことが嬉しかった。
自分のように父から愛情を受けることがない寂しさを感じず育ってくれている。寄宿学校時代からの親友、エリザのように両親から愛され、のびやかに育ってくれていることに感謝した。
エリザの両親も政略結婚であったが夫婦として愛をはぐくみ温かい家庭をきずきあげた。愛している、大好きという言葉や抱擁、親愛の口づけが家族のなかに当たり前なものとしてあった。
「父上と母上の二人でこれよんで!」
長男のルイが自分が読んでほしい本を手にすると、グレイスの手をひきアーサー達が座っているソファーへとむかう。
アーサーとグレイスが並んで座り、ルイがグレイスの膝の上にのり、誰の膝にものれずにあぶれた長女をアーサーが抱き上げ、自分の体と膝の上にのっている次男の間に座らせた。
アーサーとグレイスの二人で本をもち、次男が本のページをめくろうとうずうずしている。
クマが冒険する話を声に抑揚をつけて読みながら、グレイスはひそかにアーサーの横顔をみつめた。
表面的には五人の仲睦まじい家族にみえるが、夫が愛しているのはグレイスではない。
もう痛むことはないと思っていた胸にかすかな痛みを感じる。
望みすぎてはいけない。そのように思うものの家族として幸せを感じるたびに、この幸せが自分を愛してくれる夫と作りあげたものであったならと苦しかった。
「ははうえのばん」
アーサーからページをめくるようにいわれた次男が、ページをめくってもつづきをよまないグレイスをうながす。
主人公のクマが差出人の分からない手紙を受けとった場面を読みながら、グレイスは次男がアーサーの机にあった手紙を読んでほしいと持ってきた時のことを思い出した。
次男がアーサーをさがし彼の部屋にはいった時に、机の上におかれていた手紙が白ではなく水色であったことに興味をひかれ、その手紙を持ってグレイスのもとへやってきた。
「ははうえ、みずいろだよ。きれい」
隣国でうすい水色の紙が使われるようになった話をグレイスは聞いていたが実際にみたのは初めてだった。
何気なく手紙に書かれている文字をおうと、ミア夫人からのものでアーサーとの情交について書かれていると分かった。
「人の物を勝手に持ちだしては駄目よ」
次男に注意する自分の声が不自然なほど甲高く、手紙を持つ手がふるえていることに気付き、グレイスはあわてて手紙を折り目にしたがってたたんだ。
動揺していることを悟られないよう姿勢を正し、用事を伝えにきた家令に次男が勝手に持ちだしたアーサー宛の手紙をアーサーの部屋へもどしてほしいと頼んだ。
ミア夫人の存在は知っていたが、それまでグレイスはミア夫人の影を感じることがなかった。
そのため二人の関係はおわったのではと心のどこかで期待していた。しかしただ巧妙に隠されていただけのことだった。
アーサーとグレイスは政略結婚で、必要とされているのは他人からは二人が仲睦まじげにみえることだけだ。それ以上を求めてはいけないと結婚前にわきまえたつもりだった。
しかしミア夫人からの手紙をみて動揺する自分に、無意識のうちにアーサーからの愛を求めていたのだと気付き打ちのめされた。求めてもこたえてもらえない想いを捨てきれずにいたのだと。
アーサーにミア夫人という愛する存在がいることに痛みを感じる。ミア夫人ではなく自分を愛してほしい。自分だけを見てほしい。どうして自分では駄目なのか。
家族として良い関係をつくり心地よい家族の時間を過ごしていたので、アーサーが自分に対し親愛以上の愛をかたむけてくれる時がくるかもと期待してしまった。ありもしない希望を持ってしまった。
「あれほどきっぱり結婚前に愛していないといわれたのに。政略結婚といわれたのに」
グレイスはソファーに体をあずけ、気持ちを整えながらつぶやいていた。
結婚前の感情は消えることなくしぶとく残っていたのかと笑いがこみあげる。
政略結婚の相手として優しくしていただけのアーサーにグレイスは恋をし、結婚をして七年がたっているにもかかわらずまだあの頃の恋心がくすぶっていた。
愛されない痛みが一気に押し寄せた。
アーサーと婚約してからの八年。人々が望む王太子妃になろうとひたすら努力した。
アーサーがグレイスに王太子妃としての役割しか求めていないのであれば、その役割を誰よりも上手くやりとげたい。王太子妃としてアーサーにはグレイスしかいないと思われたい。
愛されない妻というみじめな場所に自分をおきたくない。ありもしない愛を求めつづけ傷つくような無駄な時間をこれ以上すごしてはいけない。
子供達がいる。子供達からもたらされる愛はグレイスを満たした。純粋な愛を向けてくれる存在が愛おしかった。子供達の愛が自分を強くしてくれた。
親の無償の愛について語られることは多いが、自分が親になって思うのは子が親に与えてくれる愛こそが無償の愛ではと思った。
自分がどのような人間であろうと子は自分を愛してくれる。情けない母でも子は親を愛す。ただ愛してくれる。
孤児院にいた子供の中には親から虐待を受けた子も少なくなかった。
むごい仕打ちをされたにもかかわらず一途に親を求める子供の姿はめずらしくなかった。
グレイスは自分の両親、とくに父が自分達に無関心だったことが寂しかった。グレイスの両親は子供に関するすべてを使用人まかせにする典型的な貴族の親だった。
グレイスは母に愛しているといわれ抱きしめられたことはあるが、父からは愛しているといわれたこともなければ、抱きしめられたこともない。
「なぜ私の両親は私からの愛を受けとめてくれなかったのだろう。そしてなぜ愛してくれなかったのだろう」
自分を見てほしかった。良い子だと抱きしめてほしかった。愛しているといってほしかった。
両親は子という愛おしい存在になぜ無関心でいられたのだろう。グレイスには両親の気持ちが分からなかった。
子供達が小さな体でグレイスを抱きしめ、母上大好きといってくれることがどれほど自分を幸せにしてくれるか。
自分の両親をあわれに思った。彼らが望めば簡単に手に入ったはずの愛だ。子の愛に気付かずどちらも愛人からの愛を求めつづけた。
グレイスは隣に座っている夫の肩に自分の頭をあずけ甘えたくなる気持ちをこらえる。アーサーがグレイスに求めているのはそのようなことではない。
グレイスがほしかった温かい家庭を手にしていたので、自分の周りにあふれる政略結婚で仮面夫婦というものを都合よく忘れてしまっていた。
グレイスはため息をつきそうになるのをこらえる。
夫と子供達の姿をみながら、自分が望んだものは全てではないが手にしていると自分に言いきかせる。自分が手にしたものがどれほど貴重なものかは自分が一番よくしっている。
「私は世界で一番幸せなお姫様。王子様にのぞまれて結ばれ幸せな家族をつくった。おとぎ話のお姫様を体現している幸せな王太子妃」
胸のなかでつぶやく。
アーサーに一人の女性としては愛してもらえなくても、二人の間に愛がまったくないわけではない。家族としての親愛が幸せをもたらせている。
アーサーがいだくさまざまな愛のひとつは確実に家族にある。それで十分だ。
グレイスは自分の膝にすわっているルイの体温と重みを愛おしみながらこの幸せがつづくことを願う。
望みすぎてはいけない。自分が手にしているものに感謝する。そのことを忘れてはいけない。
グレイスは本を読むことに意識をむける。この幸せな時間を子供達が大きくなった時に覚えていますようにと祈りながら。
グレイスが長女にせがまれ絵本を読んでいると、長男と次男が「ずるい!」といいグレイスにまとわりついた。
長女よりも小さい次男が、グレイスの膝に座っている長女と絵本の間に自分の体をねじこみ、長男はグレイスの背中に飛びかかるようにしがみついた。
「この本がおわったらぼくの好きな本をよんで!」長男が大きな声でいうと、次男が「だめ。つぎぼく」とゆずらない。
「じゃましないでよ!!」長女も叫び、母と娘の穏やかな時間があっという間に兄妹弟でにぎやかにふざけあう場となっていた。
グレイスは子供達の大声に耳が痛かったが、子供達がすこやかに育ってくれている姿に幸せを感じていた。
自分自身は持つことができなかった親子の時間をこのようにしていま持てることに感謝した。
政略結婚で夫婦仲の悪い両親の間にうまれたグレイスは、両親と家族らしい時間を持った記憶がなかった。
グレイスが六歳の時に母が亡くなり、気がつけば父はいつの間にか再婚していた。実母が生きている時から温かい家庭とはいえず、継母とは折り合いが悪かったこともありますます居心地が悪くなった。
「こんなにかわいいのに」
子供達をみながらグレイスはしみじみ思った。
ただ存在するだけで愛おしい。世話する者がいなければすぐにはかなくなる小さな存在は、日々さまざまなことが出来るようになる。その姿をみていると人は何も出来ない状態から大人になるまでの間に、どれほど多くのことが出来るようになるのかと感動をおぼえる。
そして子供達の初めての経験や、初めて出来るようになる姿を見ることができるのがどれほど貴重なのかを痛感した。
できればずっと子供達の側にいて彼らの初めてをすべて見守りたい。しかし王太子妃として果たすべきことは多く子供達とすごせる時間は限られた。
子供達の世話をする乳母達からの報告を聞くたび、自分が直接見ることができなかった彼らの成長を嬉しく思いつつも、あまり早く大きくならないでほしいと思ってしまうことに苦笑した。
「本を読んでもらいたい子は誰かな?」
アーサーの登場に喜び、言い合いをしていた子供達が一斉にアーサーに飛びついた。
伝統的に王侯貴族の子供達は使用人によって育てられるため、親が子に最低限の興味しかしめさないことは多い。
そのためアーサーが子に興味をもち、一緒にいる時間をつくろうとするのはグレイスにとって嬉しい誤算だった。
子が生まれるまでアーサーが子供好きだと感じるような言動はなかったので、長男のルイを抱っこし泣いているのをあやそうとする姿を見てグレイスは目をみはった。
ルイがハイハイできるようになると、アーサーは床の上に寝そべりルイと一緒にゴロゴロしたりし、つかまり立ちができるようになるとのんびりルイの手をひいて部屋を一緒に歩いた。
結婚してから四ヶ月でグレイスが妊娠し、長男、長女、次男と順調に子をなしたこともあり、アーサーとグレイスは子をはさんで穏やかな関係を作りあげることができた。
結婚前に愛していないといわれ、元恋人であるミア夫人という存在がいることを知ったりと、結婚生活は厳しいものになるだろうとグレイスは覚悟していただけに、思いがけず穏やかな夫婦関係をきずけたことが嬉しかった。
結婚後アーサーから蔑ろにされることはなく、子が生まれてからはアーサーが子供達にみせる愛情だけでなく、グレイスに対しても家族としての親愛を感じられるようになった。
アーサーはグレイスに恋愛感情をいだいてはなかったが、家族としての親愛を向けてくれることにグレイスはほっとした。政略結婚としてはかなり良い状況であるといえた。
自分の両親のように冷たい夫婦関係で、あたたかみをまったく感じられない家庭ではないことをグレイスはよろこんだ。
アーサーが次男を膝にのせ、長男と長女がアーサーの両脇に座る形で本を読むことに落ち着いた四人の姿をみながら、グレイスは子供達が父から愛情をうけ育つことが嬉しかった。
自分のように父から愛情を受けることがない寂しさを感じず育ってくれている。寄宿学校時代からの親友、エリザのように両親から愛され、のびやかに育ってくれていることに感謝した。
エリザの両親も政略結婚であったが夫婦として愛をはぐくみ温かい家庭をきずきあげた。愛している、大好きという言葉や抱擁、親愛の口づけが家族のなかに当たり前なものとしてあった。
「父上と母上の二人でこれよんで!」
長男のルイが自分が読んでほしい本を手にすると、グレイスの手をひきアーサー達が座っているソファーへとむかう。
アーサーとグレイスが並んで座り、ルイがグレイスの膝の上にのり、誰の膝にものれずにあぶれた長女をアーサーが抱き上げ、自分の体と膝の上にのっている次男の間に座らせた。
アーサーとグレイスの二人で本をもち、次男が本のページをめくろうとうずうずしている。
クマが冒険する話を声に抑揚をつけて読みながら、グレイスはひそかにアーサーの横顔をみつめた。
表面的には五人の仲睦まじい家族にみえるが、夫が愛しているのはグレイスではない。
もう痛むことはないと思っていた胸にかすかな痛みを感じる。
望みすぎてはいけない。そのように思うものの家族として幸せを感じるたびに、この幸せが自分を愛してくれる夫と作りあげたものであったならと苦しかった。
「ははうえのばん」
アーサーからページをめくるようにいわれた次男が、ページをめくってもつづきをよまないグレイスをうながす。
主人公のクマが差出人の分からない手紙を受けとった場面を読みながら、グレイスは次男がアーサーの机にあった手紙を読んでほしいと持ってきた時のことを思い出した。
次男がアーサーをさがし彼の部屋にはいった時に、机の上におかれていた手紙が白ではなく水色であったことに興味をひかれ、その手紙を持ってグレイスのもとへやってきた。
「ははうえ、みずいろだよ。きれい」
隣国でうすい水色の紙が使われるようになった話をグレイスは聞いていたが実際にみたのは初めてだった。
何気なく手紙に書かれている文字をおうと、ミア夫人からのものでアーサーとの情交について書かれていると分かった。
「人の物を勝手に持ちだしては駄目よ」
次男に注意する自分の声が不自然なほど甲高く、手紙を持つ手がふるえていることに気付き、グレイスはあわてて手紙を折り目にしたがってたたんだ。
動揺していることを悟られないよう姿勢を正し、用事を伝えにきた家令に次男が勝手に持ちだしたアーサー宛の手紙をアーサーの部屋へもどしてほしいと頼んだ。
ミア夫人の存在は知っていたが、それまでグレイスはミア夫人の影を感じることがなかった。
そのため二人の関係はおわったのではと心のどこかで期待していた。しかしただ巧妙に隠されていただけのことだった。
アーサーとグレイスは政略結婚で、必要とされているのは他人からは二人が仲睦まじげにみえることだけだ。それ以上を求めてはいけないと結婚前にわきまえたつもりだった。
しかしミア夫人からの手紙をみて動揺する自分に、無意識のうちにアーサーからの愛を求めていたのだと気付き打ちのめされた。求めてもこたえてもらえない想いを捨てきれずにいたのだと。
アーサーにミア夫人という愛する存在がいることに痛みを感じる。ミア夫人ではなく自分を愛してほしい。自分だけを見てほしい。どうして自分では駄目なのか。
家族として良い関係をつくり心地よい家族の時間を過ごしていたので、アーサーが自分に対し親愛以上の愛をかたむけてくれる時がくるかもと期待してしまった。ありもしない希望を持ってしまった。
「あれほどきっぱり結婚前に愛していないといわれたのに。政略結婚といわれたのに」
グレイスはソファーに体をあずけ、気持ちを整えながらつぶやいていた。
結婚前の感情は消えることなくしぶとく残っていたのかと笑いがこみあげる。
政略結婚の相手として優しくしていただけのアーサーにグレイスは恋をし、結婚をして七年がたっているにもかかわらずまだあの頃の恋心がくすぶっていた。
愛されない痛みが一気に押し寄せた。
アーサーと婚約してからの八年。人々が望む王太子妃になろうとひたすら努力した。
アーサーがグレイスに王太子妃としての役割しか求めていないのであれば、その役割を誰よりも上手くやりとげたい。王太子妃としてアーサーにはグレイスしかいないと思われたい。
愛されない妻というみじめな場所に自分をおきたくない。ありもしない愛を求めつづけ傷つくような無駄な時間をこれ以上すごしてはいけない。
子供達がいる。子供達からもたらされる愛はグレイスを満たした。純粋な愛を向けてくれる存在が愛おしかった。子供達の愛が自分を強くしてくれた。
親の無償の愛について語られることは多いが、自分が親になって思うのは子が親に与えてくれる愛こそが無償の愛ではと思った。
自分がどのような人間であろうと子は自分を愛してくれる。情けない母でも子は親を愛す。ただ愛してくれる。
孤児院にいた子供の中には親から虐待を受けた子も少なくなかった。
むごい仕打ちをされたにもかかわらず一途に親を求める子供の姿はめずらしくなかった。
グレイスは自分の両親、とくに父が自分達に無関心だったことが寂しかった。グレイスの両親は子供に関するすべてを使用人まかせにする典型的な貴族の親だった。
グレイスは母に愛しているといわれ抱きしめられたことはあるが、父からは愛しているといわれたこともなければ、抱きしめられたこともない。
「なぜ私の両親は私からの愛を受けとめてくれなかったのだろう。そしてなぜ愛してくれなかったのだろう」
自分を見てほしかった。良い子だと抱きしめてほしかった。愛しているといってほしかった。
両親は子という愛おしい存在になぜ無関心でいられたのだろう。グレイスには両親の気持ちが分からなかった。
子供達が小さな体でグレイスを抱きしめ、母上大好きといってくれることがどれほど自分を幸せにしてくれるか。
自分の両親をあわれに思った。彼らが望めば簡単に手に入ったはずの愛だ。子の愛に気付かずどちらも愛人からの愛を求めつづけた。
グレイスは隣に座っている夫の肩に自分の頭をあずけ甘えたくなる気持ちをこらえる。アーサーがグレイスに求めているのはそのようなことではない。
グレイスがほしかった温かい家庭を手にしていたので、自分の周りにあふれる政略結婚で仮面夫婦というものを都合よく忘れてしまっていた。
グレイスはため息をつきそうになるのをこらえる。
夫と子供達の姿をみながら、自分が望んだものは全てではないが手にしていると自分に言いきかせる。自分が手にしたものがどれほど貴重なものかは自分が一番よくしっている。
「私は世界で一番幸せなお姫様。王子様にのぞまれて結ばれ幸せな家族をつくった。おとぎ話のお姫様を体現している幸せな王太子妃」
胸のなかでつぶやく。
アーサーに一人の女性としては愛してもらえなくても、二人の間に愛がまったくないわけではない。家族としての親愛が幸せをもたらせている。
アーサーがいだくさまざまな愛のひとつは確実に家族にある。それで十分だ。
グレイスは自分の膝にすわっているルイの体温と重みを愛おしみながらこの幸せがつづくことを願う。
望みすぎてはいけない。自分が手にしているものに感謝する。そのことを忘れてはいけない。
グレイスは本を読むことに意識をむける。この幸せな時間を子供達が大きくなった時に覚えていますようにと祈りながら。
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