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つまらない人生だった

もう孤独でよい

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 結婚披露宴にふさわしい色鮮やかな制服を着た衛兵が会場までの通路をかためている。

 華麗さをとうとぶ隣国の城は、自国のものよりも多くの装飾がほどこされ目を楽しませてくれる。

 庭園が美しい時期を選んだといわれるだけあり色とりどりの花が咲き乱れていた。

 案内係にうやうやしく礼をされているのを見ながら、グレイスは自分の体が自分のものでないような感覚におそわれていた。

 エスコートをする夫のアーサーに手をそえているものの、アーサーの体温を感じることもできなければ感触さえもおぼつかない。

 足はちゃんと動いている。しっかりと口角をあげているのでそれなりに笑顔はつくれているだろう。

 隣国の王太子の結婚披露宴に参加する。自国での公務よりも気を張る必要がある。幸せにみえる笑顔が一番必要な時だ。

 グレイスはわざと口元をうごかし笑顔をつくりなおすことにする。顔色が悪くなっていないことを祈る。

 必死にいまの状況にふさわしい振るまいをすることのみに集中し、グレイスは着席するまでの辛抱だとくいしばった。

 招待客が全員着席し王太子夫婦が会場入りしてと、ようやく宴がはじまりグレイスは一息つく。

 隣の席にいるこれまで会ったことのないこの国の王族と、遠方の国の王太子と会話をしながら、会場に向かう馬車のなかで聞いたことについて考えていた。

「君の元近衛騎士のオリバーが亡くなったそうだ」

 脈絡もなくアーサーの口からこぼれた言葉にグレイスは何をいわれたのか理解できなかった。

 オリバーが亡くなった。
 嘘だ。

 オリバーの死をつげたアーサーは人の生死について話をしているような表情ではなく、思い出した連絡事項をつたえているという雰囲気だった。

「……オリバーがなぜ? 病ですか?」

「盗賊団討伐の最中に負傷し亡くなったらしい。まだ若かったのに残念だ」

 嘘だ。オリバーがならず者に殺されてしまうようなへまをするわけがない。

 自分のせいだ。討伐の最中に暗殺された。そうに違いない。

 グレイスは激しい目眩におそわれ目をつぶった。自分の体が傾いでいるような気がするが体の感覚をつかむことができない。

 アーサーの声がぼんやりとしか聞こえず何をいっているのか頭にはいってこない。

 グレイス付きの近衛騎士だったオリバーはグレイスより十五歳年上でまだ四十代半ばだ。早すぎる死にグレイスは呆然とした。

 オリバーはグレイスがアーサーと結婚した時から近衛騎士として仕えてくれた。

 しかしグレイスとの不適切な関係を噂され二年前に国境を守る砦へ異動させられた。えん罪だった。グレイスとオリバーの噂が突然ささやかれるようになり、事実無根だと火消しをしたが噂は執拗にはびこりつづけた。

 義父である国王陛下が「事実がどうなのかなど、今となってはどうでもよいことだ。事実無根であろうと噂が広がりすぎた。これ以上王太子妃の評判に傷をつけるわけにはいかない。護衛を異動させる」その一言でオリバーは国境地帯に異動させられた。

「私のせいだ」グレイスはこみ上げる罪悪感に吐き気をおぼえた。

 馬車のドアが開けられはっと我にかえったグレイスは、アーサーの空色の瞳がグレイスを冷静に見すえていることに気付いた。

 何を考えているのか分からない表情で見つめられ、グレイスは寒気をおぼえた。

 ふいにアーサーがオリバーの死についてグレイスがどのような反応をするのか確かめていたのかもしれないと思い、「どうして――」疑問がわきおこる。

 そしてこれから結婚披露宴に参加するというタイミングでオリバーの話をしたのは、わざとだったのではと思い至り愕然とした。

 国の代表として出席する大事な場面でまさかと思ったが、グレイスを観察していると感じたアーサーの視線を思い返すと、自分の推測は間違っていないのではという気がする。

 しかしどのように考えても、なぜそのようなことをわざとしたのかの理由が分からない。王太子妃の失態は王太子、そして王国の評判を落とすのだ。

 自分の評判を落とす可能性があることをする意味は何なのか? どのように考えても答えがでない。

 考え過ぎなのだろうと思うが、グレイスにオリバーの死を伝えた時のアーサーの様子、冷たいと感じるほどの冷静さ、グレイスの反応をうかがうような視線に隠れるものを考えれば考えるほど気のせいだと言い切れない思いがつのる。

 拍手する音でグレイスは自分の考えにはまりこんでいたことに気付き、あわててグレイスも拍手した。

 グレイスから少しはなれた席に座っているアーサーが、隣に座っているこの国の王弟の一人と話している姿がみえた。

 出会った頃のアーサーは二十代半ばで王太子として堂々としていたが、時々はにかんだ笑みをみせることがあり少年の面影がのこっていた。

 王太子として実績をつみ、貴族達とのやり取りで老練な相手とも対等に渡りあい、もう彼のなかに少年らしさをみつけることはできない。

 アーサーが正面をむきグレイスと視線をまじえると笑顔をみせた。グレイスも笑顔をかえしながら、自分の夫はいま何を考えているのだろうと思った。

 グレイスがオリバーの話に動揺したままではなく、王太子妃という身分に恥じないふるまいをしているのか見張らなくてはと思っているのだろうか。

 それとも自分達の結婚披露宴を思い出し――。

 そのように考えた途端、愛していないといわれたことが頭をよぎった。できれば一生思い出したくないが、あの時のことはときおり記憶の底からよみがえる。

「ああ、あの時と同じだ」

 結婚式の二日前に愛していないといわれた時と今の状況は似ている。アーサーが大事な行事の直前にグレイスを動揺させたことが。

 結婚式の時はグレイスがもし元恋人で現愛人のミア夫人のことを聞かなければ、もしかしたら愛していないといわれることはなかったかもしれない。

 アーサーはグレイスが気持を寄せていることを知っていたので、結婚式のあとに政略結婚だというつもりだったのかもしれないが、結婚式前にいうつもりはなかったような気がする。

 アーサーはせっかちだ。国の政策や事業は王であろうと簡単に意志を通すことはできない。王命であろうと多くの貴族の既得権益が損なわれる場合は時間稼ぎという形で邪魔がはいる。

 そのせいか私的な部分では自分の思い通りに事を進めたいとなるのか、アーサーが思い立ったらすぐに行動にうつすのをグレイスは見てきた。

 そのように考えると、やはりアーサーの行動が分からない。アーサーがオリバーの死を知ったのが馬車に乗る前だとしたら馬車に乗ったあとすぐにいったはずだ。

 それにアーサーの側近達がこれから結婚披露宴にむかうというタイミングでオリバーについて報告するわけがない。

 考えてもアーサーがなぜオリバーの死をグレイスにあのタイミングで伝えたのか理由は分からないが、何かしらの意図があってグレイスにオリバーのことをつげたことだけは分かる。

 グレイスはいますぐにでもアーサーにつめよりたくなる気持ちをこらえ背筋をのばす。

 アーサーにどのような意図があろうと、ここで失態を見せるわけにはいかない。これ以上見なくてよいものや知らなくてよいことに意識をむけるべきではない。

 グレイスはこれ以上オリバーのことは考えないと決め結婚披露宴をやりすごした。





 長時間にわたる結婚披露宴が終わりアーサーと客室に戻ったグレイスは、明日の予定を確認するなどすべきことをおえたあと、自身の秘書官であるノアにオリバーについて何か聞いているかをたしかめた。

 オリバーの名をだすとノアは表情を保ってはいたが目元がぴくりと動いた。

「盗賊団の討伐中に負傷し亡くなったという報告がありました」

「いつ知ったの?」

「国を出発する直前です」

 グレイスはアーサーがオリバーのことをつげたタイミングがわざとで、オリバーのことをつげグレイスを動揺させようとしたのだとはっきり分かった。

 ノアや侍女に休むようにつたえたあと、グレイスは座っていたソファーに深く体を沈みこませた。

 オリバーと最後に会った時のことが目にうかぶ。

 自分のせいだと謝罪するグレイスに、
「違います。殿下をおとしいれようと画策した人間が執拗かつ狡猾に立ち回った結果です。決して殿下のせいではありません」
笑みをみせてオリバーは言い切った。

 仕事中は無駄口をたたかず周囲に睨みをきかせているが、休憩中はグレイスのことを自身の子のような扱いをしてくれた。

 十五歳年上のオリバーにとってグレイスは、自分の長女と数歳しか変わらないことから自分の子を守るような気持ちでいてくれたようだった。

「あまり頑張りすぎると体を壊しますよ」いつもグレイスの体調を気づかってくれ、そしてささいな行動もほめてくれた。こぶしを振るようなしぐさ付きで素晴らしいとほめてくれるのがとても嬉しかった。

 日頃からオリバーは話をするときに手振り身振りが多く、それが大袈裟なほどオリバーの興奮度が高いといえた。

 言葉だけでなく大きな身振り手振りで気持ちを伝えてくれるオリバーと一緒にいると自身の父が彼ならとよく思った。

 グレイスにとってオリバーは護衛としていつも自分を守ってくれるだけでなく、父のように思いつい甘えてしまう存在だった。

 オリバーを主人として守れなかったどころか、えん罪で彼を危険な場所へ異動させることになり自身の無力さに打ちのめされた。

 近衛騎士として厳しい訓練を受けプライドを持って仕えてくれていた。とくに王族の護衛は厳選された者のみがその任につく。高い矜持をもって仕えてくれていたオリバーの忠心と努力を踏みにじってしまった。

 せめて王都にいられる部署へと国王陛下に嘆願したが叶えられなかった。

 そのおかげでオリバーだけでなく、オリバーの家族に多大な犠牲を強いることになった。

 国境地帯は隣国との関係が落ち着いているとはいえ小競り合いはあり、盗賊が出没したりと決して治安が良いとはいえない場所だ。そのためオリバーは単身で赴任した。

 事実無根の噂でオリバーとその家族の人生が狂ってしまった。彼らの人生を歪めたのは自分だという自責の念がグレイスを苦しめた。

 オリバーを守れなかったという無力感と後悔、罪悪感で、オリバーが王宮を去ったあと放心する日々がつづいた。

「私がいなければ。私にかかわらなければ――」グレイスは自分がオリバーのかわりに死ねばよかったと苦しかった。

 オリバーの死が事故であろうとそうでなかろうと、オリバーが本来であれば送られるはずのない場所へと異動させられ亡くなったのはグレイスのせいだ。

 グレイスは二度と、もう二度と自分のせいで人の命がうばわれるようなことはしないと強く決心する。

 それが自分を孤独にし、人と温かな関係をきずけなくなろうと、それが自分の周りにいる人達の命を守るなら喜んで孤独をえらぶ。

 誰もが認める王太子妃になり、二度と誰にもつけいらせない。人を不幸にするような隙を二度とつくりはしない。

 オリバーの笑顔を思いうかべグレイスは心に誓う。

 自身の側近達を守れるのはグレイスだけだ。王太子妃となってからずっと仕えてくれている信頼できる臣下を守るためなら、これまでの親しい関係を変えてでも一線をひき、決して誤解を生まないようにする。

 もう誰も失いたくない。グレイスはこぼれた涙をぬぐった。



◆◆◆◆◆◆



 大雨が降ったのが嘘のように晴れわたった空を馬車の中からながめながら、グレイスは洪水被害の大きさに心を痛めていた。

 これまで何度か氾濫している河だが、治水がうまくいき最後に洪水がおこったのは百年前だという。

 予定されていた地方での公務先にむかう途中に、グレイスは洪水の被害状況を把握するのと慰問をかね被災地を訪問した。

 被害にあった地域と被害にあわず日常生活がそのまま送られている地域の落差が同じ世界のことと思えない気分にさせた。まるで悪い夢をみて目が覚めたような感じだ。

 疲れていたので馬車が動く音のみがする状況がありがたかった。いつもなら秘書官のノアから報告や今後の予定にかかわりのある問題について話したりするが、ノアは城からとどいた伝言に対応するため現地にとどまり、あとを追ってくることになっていた。

 突然、馬が鋭くいなないたかと思うと、跳びはねるような異常なゆれ、低い何の音か分からない音が聞こえる。

 同乗している護衛が外の様子を確かめようとしていると、ドーンという重音と衝撃がおそった。

 女の叫び声が聞こえる。

 喉が痛い。

 どうやら叫び声は自分のもので激痛のあまり叫んでいたらしい。痛みから逃れたいが痛みは強くなるばかりだ。

 何かが自分の体を圧迫し身動きがとれないのは分かるが、自分の目が開いているのか開いていないのかも分からない。

 何も見えない。体が動かない。

 ――痛みが少しひいてきた。

 誰かが体を圧迫しているものを取り除いてくれているのだろうか。助けが来たのだろうか。

 助け。それは本当に助けなのだろうか。

 つまらない人生だった。

 王太子妃とよばれ、次代の希望ともちあげられたが、一人の女の人生としてみれば本当につまらない人生だった。

 親から愛されたかった。良い子だと抱きしめられたかった。

 アーサーに愛されたかった……。一人の女として、妻として。

 子供達。私の……希望。私……の……愛。

 ね む……い。……ね……む い……。



<訃報>
 グレイス・バートン・ハリス王太子妃殿下
 洪水被災地の慰問中に発生した不慮の事故により逝去。享年三十五。
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