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第30話 餌付け

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 フォールスは、寝室を出て行ったかと思うと、トレイに、さっき用意してくれた紅茶と、山盛りの菓子の皿を載せて戻ってきた。

 私の隣に座った彼は、まだ少し、泣いた余韻でひっくひっくとしている私に、紅茶のカップを渡してくる。

 私は紅茶を口にする。ぬるくなった紅茶が、泣き疲れた体に優しくしみわたる。

 彼は菓子をひとつつまみあげると、私の口に近づけてくる。

「ほら、口開けて」

 私は、フォールスに逆らえず、恐る恐る口を開けて、その菓子を口にする。まるで餌付けされる雛のようだ。

「おいしい……」
「ならよかった。弱った時は甘い物に限る」

 そうして、私はしばらく、されるがまま菓子を口に運ばれ、餌付けされ続けた。
 お腹も心も満たされて、私は残った紅茶を飲み干した。

「落ち着いた?」
「ええ……ありがとうフォールス」
「どういたしまして。さてと、どうしようかな」
「……?」
「結婚式。具体的にどうするか、何か考えてた?」

 私は、フォールスに聞かれた瞬間、顔から血の気が引いた。

「…………フォールス、あの、ごめんなさい、わ……私……結婚式をやらなきゃという事だけで頭がいっぱいで……どうするのかなんて全く……考えて……いな……ああ……なんて馬鹿なの私……!」

 私は顔を覆う。あまりの馬鹿さに、立ち直れない。誰か私を消して欲しい。

「そんな事だろうと思ったけど……はあ、まったく、手のかかる姉だな」
「もう……弟扱いしたのは謝るから……本当……私を穴に埋めて……」

 どん底まで落ち込む私に、フォールスはポンポンと背中を叩いてくる。

「ま、それだけ必死だったって事だよ。ここまで頑張ったんだ、あとは全部僕に任せて」
「そんな……あなた忙しいんじゃないの?そこまでさせられない!」
「あのさあ……君に任せたら、いつになるか分からないだろ?素直に諦めて、全部僕に任せときなさい」

 全くその通りだ。私は何も反論できない。私が選べる選択肢は、一つしか残されていなかった。

「…………お願いします」
「はい、よくできました」

 この瞬間、私達の立場が逆転したのは、言うまでもない。

***

「……というわけで、結婚式をやる事になった」

 スクルさんを呼んだフォールスは、これまでの事をかいつまんで説明した。

「本気かフォールス。お前がそこまで被虐的だったとは、さすがの俺も気づかなかった」
「順番が入れ替わっただけだと思って耐えてる」
「おっ、いいね前向きで」

 フォールスとスクルさんの会話に、私は口を挟まず、ただ黙って聞いていた。
 お願いする立場なので、極力でしゃばらないようにしないといけない。

「大っぴらにやるわけにはいかないから、ほとんど君に任せてしまう事になるけど、頼めるか?」
「任せとけ。お前が動いて、ゴシップ紙の奴らに嗅ぎつけられても困るし……表向きは俺とお姫様の結婚準備って事で進めていいよな」
「ああ、頼む。アステも、それでいい?」

 急に話を振られて驚いてしまう。

「はっ、はい、スクルさん、よろしくお願いします……」

 慌てて返事をするものの、スクルさんの表情はいつもと違って、あまり機嫌が良さそうではなかった。

「お姫様、協力はしますよ。……でも、俺は少し怒ってます」
「おいスクル……」
「お姫様は、こいつの何が不満なんですか?」

 いつも私の味方をしてくれていたスクルさんでも、さすがに今回ばかりはそうはいかないだろう。でも、思ってもない事を言われるより、何倍もマシだ。

「不満は……ないわ」
「じゃあなぜ、本当に結婚しない?嘘ついて結婚式を挙げて、それで母親を満足させて、それでおしまい?それじゃあまりにもこいつが可哀想だ」

 可哀想。そう、フォールスは可哀想だ。でも、どうすればいいのか、私にだって分からないのだ。

「……じゃあスクルさんは、混血の女が、領主という地位の男性と結婚できるなんて、本当に可能だと思っているんですか」

 スクルさんは、言い返してこない。私は言葉を続ける。

「私が踏み出せないのは、フォールスが嫌いだからじゃない。私のような混血の女が、フォールスを愛する資格がないと思うからよ。恋愛までは許されるかもしれない。でも、その先は?好きになっても、結婚できず、愛人止まり?……混血の女には、お似合いな立場よね」
「……スクル、今回は君の負けだ。潔く諦めろ」
「フォールス……だけどよ」

 フォールスは、スクルさんの肩に手を置いて、首を横に振る。

「君のところが羨ましいよ。でも、ここはまだ、そこまで懐の広い場所にはなってないんだ。僕はアステを守るつもりでも、きっと僕の目の届かないところで嫌な思いをする。それを我慢してまで結婚してくれと、僕は無理強いできない」
「……そう、だよな。すまない」
「いいんだ。僕のために怒ってくれてありがとう」

 フォールスは、スクルさんの肩をポンと叩くと、私に向き直る。

「アステ。スクルの父親は、僕と同じような立場だけど、人間の女性を妻に迎えてる。正妻ではないけれどね。だから、混血の君が結婚を渋るのが、理解できないだけなんだ。それは分かって欲しい」

 前に、彼もそれなりの立場だと言う事は聞いたが、はっきりとは知らなかったから、驚いてしまう。
 そして、正妻ではないとしても、地位の高いものが人間を妻に迎えられる場所に、羨ましさを感じた。

「そう……だったのね。スクルさん、私、あなたの事情も知らないで、きつい事を言ってしまったわね……ごめんなさい」

 ムキになって反論した事が恥ずかしくなる。相手の事情も知らずに、何を偉そうに言ってしまったのだろう。でも、そんな私に、スクルさんは申し訳なさそうな顔をする。

「いえ……あなたが謝る必要なんてないんです。つくづく自分が、恵まれた環境でおめでたく育ったのが分かりましたよ。そして、それを押し付けようとした。俺が全面的に悪い。本当に、申し訳ない」

 いつも自信に満ち溢れているスクルさんの、しょんぼりとした様子。私は、見慣れないその様子に、なんとも落ち着かなくなってしまう。

「スクルさん……そんなしおらしいスクルさん、私嫌よ?大丈夫。これでまた私達、少し分かり合えたでしょう?」

 そう言うと、スクルさんは手を口に当て、くうう……と唸り始めた。

「うう……お姫様……すまんフォールス、やっぱり俺、お前とお姫様の結婚には反対だわ。俺が連れて帰りたい」
「だめだ」

 そう言うと、フォールスは私を強引に抱き寄せる。

「誰にも渡すもんか」
「ずるいぞフォールス!」
「も、もう!私は物じゃないのよ!」

 三者三様、それぞれの叫びが響き……そんなこんなで、気づけば夜も更けていた。

 スクルさんが、腕時計に目を落とし、言った。

「おっと、もうこんな時間。話も決まりましたし、お姫様、そろそろお送りしましょう。式のことは、とりあえずまた明日、迎えにあがったのと同じ時間に打ち合わせしましょうか。俺がお伺いします」
「ええ、それで。スクルさん……本当に、よろしくお願いします」
「任せてください。世界一綺麗な花嫁が見れるのが楽しみですよ。……っと、帰りは俺?それとも王子様?」
「俺が送る。あとスクル、王子様はやめろ」

 フォールスが王子様呼びに怒った瞬間、私とスクルさんは、顔を見合わせる。

「ふふ!やっぱり、言った通りだったわね!」
「ははっ!ほんとに!」

 急に笑い出した私とスクルさんに、フォールスはなんだなんだと訝しむ顔をしたのだった。
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