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第29話 栗色の髪の少女
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殿下は2つ並んだ寝室のうち、ドアにLと彫られている方の部屋を使うように言った。もう片方のドアには「R」というアルファベットが彫られている。
LéonardのLと、RichardのRなのかな。
「この部屋……」
そこには10代の少年の夢を詰め込んだような空間が広がっていた。子どもの頃に憧れた、木の上にある秘密基地。そんな感じの部屋だ。
本棚には、男の子が好んで読みそうな冒険や騎士の物語がシリーズで揃えられていて、他にも植物図鑑や辞書、歴史書などが並んでいる。勉強机の上には大きな世界地図が貼られ、天井からは帆船模型がぶら下がり、壁一面には明るい色調の水彩画が掛けられている。
埃っぽさも湿っぽさもないこの部屋は、まるで今でも誰かが使っているかのようだ。
「昔、ここで暮らしていたことがあってな」
「……レオナルド殿下と、ですか?」
「…………なぜ、そのことを」
「石碑を見たので」
妃候補から外してほしいと望んだそばから、王族に関する秘密を口にするなんて。否定され、非難されて当然だというのに、殿下はただ静かに「そうか」と言うと、額に手を当てたままの姿勢で立ち竦んだ。
「……君の観察眼には、感服するな」
「殿下。……レオナルド殿下は、どのような御方だったんですか?」
「ん?」
「知りたいんです。……ダメ、でしょうか?」
「そうだな――」
殿下はポスンと幅狭なベッドに腰をかけると、ポンポンとシーツを叩いて私を隣に座らせた。そうして、レオナルド殿下との想い出をポツリポツリと語り始めた。
「レオナルド――双子の弟は、小さい頃から身体が弱くてな。空気が良いこの森で暮らしてた。本ばかり読んで過ごしていたせいか、博学で想像力が豊かでさ。庶民の暮らしをこの目で見たいとよく言っていた」
「庶民の暮らしを?」
「あぁ。あの頃は双子が忌み嫌われていたから。誕生したのは王子一人と発表されたが、両親は俺たちを平等に扱った。公の行事にも、体調を見ながらレオと俺を交互に参加させたくらいだ。普段ここで暮らしていたレオにとって、王宮へ行く途中に馬車から庶民の暮らしを眺めるのが一番の楽しみだったんだ」
「……お2人は、よく似ていらっしゃったんですね」
「あぁ。外見から体質までそっくりだった。違ったのは利き手くらいだ」
「もしかして、殿下が両利きなのって、レオナルド殿下と入れ替わったのを気づかれないためですか?」
「それもあるが、両方使えると便利だろう? だからだ」
「性格は? どんなでした?」
「負けん気が強くて、俺が手加減して本気を出さないと怒るんだ。勝つまでゲームを続けようとするから、毎回付き合うのが大変だった」
「ふふっ。負けず嫌いだったんですね」
「絵を描くのもの上手でな。ここに飾ってあるものは、全てレオが描いたものだ」
「……あれもですか? ぷーって頬っぺたを膨らませてる、殿下の絵」
風景画の中に一枚だけ、人物を描いた水彩画が飾られていた。
「あれは俺じゃない。よく見てみろ」
「え~?」
近くに寄って見てみることにした。
短い栗色の髪をした子どもが、リスみたいに頬っぺたを膨らませて、鼻に小じわを寄せている。愛らしさはあるが、お世辞にも上品とは言えない。どうしてこんな場違いな絵を飾っているんだろう?
「……たしかに、殿下ではなさそうですね」
髪の毛の色が違うもの。
「当たり前だ。俺にはそんなヘン顔、絶対に無理だ」
殿下の声がやけに近くで聞こえるなと思て隣を見たら、背を屈ませて人物画に見入っている殿下の端正な横顔が目に入った。どアップで。
トクン。
距離が近すぎて、殿下のことをヘンに意識してしまう。それに考えてみたら、私たち今、寝室に二人っきりだ……。
「こ、子どもらしい、愛くるしい表情じゃないですか」
「まあな」
「きっとこの女の子、真剣に何かに挑戦していたんだと思いますよ?」
「――よく分かったな、少女だと」
「分かりますよ。顔の輪郭も、表情も、女の子特有の柔らかさがあるもの」
「そんなもんか? で、タイトルは何だと思う?」
「うーん。爆発寸前、とか? 」
「くくくっ。たしかにそんな感じだな」
殿下の笑い声が耳を掠める。ただそれだけなのに、胸がトクントクンと音を立てて煩い。得意なはずの鉄仮面が、今夜に限ってうまく被れない。
あぁ、髪を短く切ったりするんじゃなかったな。
ショートボブじゃ、赤くなった耳を隠すことができないんだもの。
ヘンに勘の鋭い殿下に気づかれないように、この部屋に不釣り合いな人物画を眺めて気を紛らわせようとしているうちに、気付いてしまった。
女の子の、新緑の木々を思わせる明るい翠色の瞳の真ん中に、僅かに夕陽の光芒のようなオレンジ色が射していることに。
うそ……。
これって――さくらんぼの種飛ばし競争をしたときの――まさか、ね。
そんなこと、あるわけ………。
――ガタン。
思わず後ろへ数歩下がると、ベッド脇に置かれているチェストにぶつかった。
驚いて振り向くと、聖典が置かれているだろうその空間に、難解な医学書がぎっしりと詰まっていた。
背表紙を見ただけで分かる。
これらの医学書は、10歳前後の子どもが読んで理解できるようなものじゃない。
そのことがかえって、レオの闘病期間の長さを感じさせた。
病に侵された10歳の少年が、何とか治療の糸口を得ようと医学書のページを手繰っていたのかと思うと、もうダメだった。
鼻の奥がツンとして、枯れたと思っていた涙がまた溢れてくる。
「殿下……うぐっ、すんっ」
「どうした!?」
「うぐっ、うぐっ、うわぁん――――」
「どうした? デルフィーヌ? これ以上泣くと、瞼が倍になってキレッキレの瞳が台無しに――!?」
殿下のシャツが私の鼻水と涙でぐしゃぐしゃになるのもお構いなしに、わんわん泣いた。そうして気が付くと、ベッドの中で眠っていた。
LéonardのLと、RichardのRなのかな。
「この部屋……」
そこには10代の少年の夢を詰め込んだような空間が広がっていた。子どもの頃に憧れた、木の上にある秘密基地。そんな感じの部屋だ。
本棚には、男の子が好んで読みそうな冒険や騎士の物語がシリーズで揃えられていて、他にも植物図鑑や辞書、歴史書などが並んでいる。勉強机の上には大きな世界地図が貼られ、天井からは帆船模型がぶら下がり、壁一面には明るい色調の水彩画が掛けられている。
埃っぽさも湿っぽさもないこの部屋は、まるで今でも誰かが使っているかのようだ。
「昔、ここで暮らしていたことがあってな」
「……レオナルド殿下と、ですか?」
「…………なぜ、そのことを」
「石碑を見たので」
妃候補から外してほしいと望んだそばから、王族に関する秘密を口にするなんて。否定され、非難されて当然だというのに、殿下はただ静かに「そうか」と言うと、額に手を当てたままの姿勢で立ち竦んだ。
「……君の観察眼には、感服するな」
「殿下。……レオナルド殿下は、どのような御方だったんですか?」
「ん?」
「知りたいんです。……ダメ、でしょうか?」
「そうだな――」
殿下はポスンと幅狭なベッドに腰をかけると、ポンポンとシーツを叩いて私を隣に座らせた。そうして、レオナルド殿下との想い出をポツリポツリと語り始めた。
「レオナルド――双子の弟は、小さい頃から身体が弱くてな。空気が良いこの森で暮らしてた。本ばかり読んで過ごしていたせいか、博学で想像力が豊かでさ。庶民の暮らしをこの目で見たいとよく言っていた」
「庶民の暮らしを?」
「あぁ。あの頃は双子が忌み嫌われていたから。誕生したのは王子一人と発表されたが、両親は俺たちを平等に扱った。公の行事にも、体調を見ながらレオと俺を交互に参加させたくらいだ。普段ここで暮らしていたレオにとって、王宮へ行く途中に馬車から庶民の暮らしを眺めるのが一番の楽しみだったんだ」
「……お2人は、よく似ていらっしゃったんですね」
「あぁ。外見から体質までそっくりだった。違ったのは利き手くらいだ」
「もしかして、殿下が両利きなのって、レオナルド殿下と入れ替わったのを気づかれないためですか?」
「それもあるが、両方使えると便利だろう? だからだ」
「性格は? どんなでした?」
「負けん気が強くて、俺が手加減して本気を出さないと怒るんだ。勝つまでゲームを続けようとするから、毎回付き合うのが大変だった」
「ふふっ。負けず嫌いだったんですね」
「絵を描くのもの上手でな。ここに飾ってあるものは、全てレオが描いたものだ」
「……あれもですか? ぷーって頬っぺたを膨らませてる、殿下の絵」
風景画の中に一枚だけ、人物を描いた水彩画が飾られていた。
「あれは俺じゃない。よく見てみろ」
「え~?」
近くに寄って見てみることにした。
短い栗色の髪をした子どもが、リスみたいに頬っぺたを膨らませて、鼻に小じわを寄せている。愛らしさはあるが、お世辞にも上品とは言えない。どうしてこんな場違いな絵を飾っているんだろう?
「……たしかに、殿下ではなさそうですね」
髪の毛の色が違うもの。
「当たり前だ。俺にはそんなヘン顔、絶対に無理だ」
殿下の声がやけに近くで聞こえるなと思て隣を見たら、背を屈ませて人物画に見入っている殿下の端正な横顔が目に入った。どアップで。
トクン。
距離が近すぎて、殿下のことをヘンに意識してしまう。それに考えてみたら、私たち今、寝室に二人っきりだ……。
「こ、子どもらしい、愛くるしい表情じゃないですか」
「まあな」
「きっとこの女の子、真剣に何かに挑戦していたんだと思いますよ?」
「――よく分かったな、少女だと」
「分かりますよ。顔の輪郭も、表情も、女の子特有の柔らかさがあるもの」
「そんなもんか? で、タイトルは何だと思う?」
「うーん。爆発寸前、とか? 」
「くくくっ。たしかにそんな感じだな」
殿下の笑い声が耳を掠める。ただそれだけなのに、胸がトクントクンと音を立てて煩い。得意なはずの鉄仮面が、今夜に限ってうまく被れない。
あぁ、髪を短く切ったりするんじゃなかったな。
ショートボブじゃ、赤くなった耳を隠すことができないんだもの。
ヘンに勘の鋭い殿下に気づかれないように、この部屋に不釣り合いな人物画を眺めて気を紛らわせようとしているうちに、気付いてしまった。
女の子の、新緑の木々を思わせる明るい翠色の瞳の真ん中に、僅かに夕陽の光芒のようなオレンジ色が射していることに。
うそ……。
これって――さくらんぼの種飛ばし競争をしたときの――まさか、ね。
そんなこと、あるわけ………。
――ガタン。
思わず後ろへ数歩下がると、ベッド脇に置かれているチェストにぶつかった。
驚いて振り向くと、聖典が置かれているだろうその空間に、難解な医学書がぎっしりと詰まっていた。
背表紙を見ただけで分かる。
これらの医学書は、10歳前後の子どもが読んで理解できるようなものじゃない。
そのことがかえって、レオの闘病期間の長さを感じさせた。
病に侵された10歳の少年が、何とか治療の糸口を得ようと医学書のページを手繰っていたのかと思うと、もうダメだった。
鼻の奥がツンとして、枯れたと思っていた涙がまた溢れてくる。
「殿下……うぐっ、すんっ」
「どうした!?」
「うぐっ、うぐっ、うわぁん――――」
「どうした? デルフィーヌ? これ以上泣くと、瞼が倍になってキレッキレの瞳が台無しに――!?」
殿下のシャツが私の鼻水と涙でぐしゃぐしゃになるのもお構いなしに、わんわん泣いた。そうして気が付くと、ベッドの中で眠っていた。
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