辞令:高飛車令嬢。妃候補の任を解き、宰相室勤務を命ずる

花雨宮琵

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第44話 …事故だけど。たぶん。

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「――フィーヌ、忘れ物はないか?」
「大丈夫です」
「よし。じゃあ、俺たちも帰るか」
「はい」

 宰相閣下の邸宅までは、ガブリエル隊長が愛馬で送ってくれることになった。

「――今日の殿下、嬉しそうだったな」
「はい。お誘いして良かったです。ふわぁ……」
「ん? どうした?」
「なんだか眠くって」
「準備頑張ったもんな。着くまで寝てていいぞ?」
「ありがとうございます。ふわぁ………」

 ガタン――
 馬車が停まる音に飛び起きた。あれ、ここどこだろう? 
 慌てて身体を起こそうとして――

 ガッチーン。

「くっ……」
「痛ぁ」 
 
 何かに頭をぶつけた衝撃で、瞼の裏に星がチラつく。

「大丈夫か?」
「え……?」

 聞き覚えのある声に驚いて瞳を開けると、口元を押さえた殿下が心配顔で私を見下ろしていた。

 えっ? えっ!? どうして私、殿下の胸に寄り掛かってるの!? 
 ガブリエル隊長は? 愛馬は!?
 もしかして、さっきぶつかったのって、殿下の顎!? 

「殿下。もしかして、ぶつけた拍子に舌を噛んじゃいました!?」
「大丈夫だ」
「大変、出血してる!」
「平気だ。このくらい舐めてれば治る」
「ダメですよ! 場合によってはちゃんと治療しないと」

 一旦座席から降り、前屈みの姿勢で殿下の両頬を包み、口を開けさせて舌の傷の深さを診ていたら、いきなり外側から扉が開けられた。

「無礼者っ!! 殿下に何をしている!?」
「うわぁっ!!」

 突然大声を出された驚きでバランスを崩し、前のめりになった私を殿下が受け止めてくれた――と思ったら、お互いの唇が重なっていた。
 偶発的な事故だけれど、私にとっては初めての口づけなわけで……。衝撃のあまり動くこともできず、そのまま唇を重ねること数秒間。

「なんと破廉恥なっ!! 今すぐ殿下から離れろっ!! 殿下っ!! ご無事ですか?」

 私の両頬に手を添えた殿下が、私の唇に柔らかな温もりを押し付けると、チュッと可愛い軽快なリップ音を立ててようやく唇が離された。

「騒ぐな。大したことはない」
「もしや、お怪我を!?」
「舌を噛んだだけだ。彼女が責任を取って治療を施してくれるらしい。暫く2人にしてくれるか?」
「ぬっ!! …………かしこまりました」

 衛兵は殿下へランタンを渡すと、牽制するかのようにギロリと私を睨みつけながら馬車の扉を閉めた。

「……」

 さっきのは事故よね? 深い意図など、なかったのよね?
 でも、最後のチュッていうのは……。

 ダメだ、沈黙がいたたまれない。
 こういう状況の抜け道を、私は一つしか知らない。気まずい事実をなかったことにする、の一択だ。

「ちょっと、殿下? 勘違いされるような言い方、なさらないでください! さっきの衛兵、私のことすっごい睨んでましたよ?」
「ほぉう。勘違い? どのような?」
「まるで私のつたない口付けで殿下の舌を噛んで傷つけちゃったみたいに思われたじゃないですかっ!!」
「ふっ、おもしろい。で、どうしてくれるんだ?」
「へっ!?」

 ま、まずい。今の言い方は悪手だったかも……。

「デルフィーヌが治療、してくれるんだろう?」
「それは……ちゃんと診せてくだされば」
「こうでいいか?」
「……やっぱり、まだ出血してます」

 清潔なハンカチで殿下の舌を圧迫することにした。
 殿下が「そんな姿勢じゃ治療できないだろ。いいから膝の上に座れ」と言うものだから、仕方なく殿下の腰に跨り右手に持ったハンカチで殿下の舌を押さえた。
 左手は軽く殿下の胸に添えているけれど、私の不安定な身体を支えるように腰のあたりで殿下の逞しい両腕がクロスしている。

「たぶん、5分くらい押さえていれば大丈夫だと思いますので」
「そうか」

 殿下の両腕にグッと力がこもる。
 眠気が吹き飛び冷静になると、すんごい体勢をしていることに気がついた。

 破廉恥だ。
 これは、破廉恥以外の何ものでもない。
 ガブリエル隊長の愛馬に乗っていたはずなのに、いったい何がどうなって、こんなことに……。

 これまでの人生で一番長い5分間をやり過ごしてから、そっとハンカチを離した。

「良かった。止まってる」

 殿下が「本当だな」と言って両腕に力を込めて引き寄せるものだから、殿下の胸板に顔をうずめる格好になってしまった。私の髪の毛を梳きながら横髪を耳にかけてくるものだから、くすぐったくて仕方ない。

「ふふっ。ちょっと、殿下」
「さっきの、試してみるか?」
「え? なにを?」
「口付けで甘噛みしても切れたりしないってこと」
「っ!!」
「――悪い、からかった。ただ、今夜はもう少しだけ、ただのリシャールでいさせてくれないか?」

 殿下の顔が再び近づいてきて、思わず瞳を閉じたのだけれど。

 バタンッ!!
 再び乱暴に馬車のドアが開かれた。

「殿下! ご乱心なさいませぬよう」
「……クソッ」

 今、『くそっ』って言った? あの、品位にうるさい殿下が!?

「ガブリエル。わざわざの出迎え、ご苦労。が、それには及ば――」
「殿下。成人前のご令嬢を夜更けまで連れまわすのは外聞がよろしくありません」
「外聞など気にするデルフィーヌではないだろう。な?」

 それはそうだけど、人から言われるとムッとしちゃうわね。

「私が懸念しておりますのは、殿下の評判です」
「ガブリエル、保護者面か?」
「近衛騎士の使命は、殿下を全方面からお護りすること。よろしくない評判が立つ前に主を諫めるのも仕事のうちかと」

 殿下はチッと舌打ちすると、ようやく腕の拘束を解いてくれた。

 なんとか殿下の膝から降り、ガブリエル隊長の手を取った瞬間にグイッと引き寄せられ、そのまま横抱きされてしまった。

「殿下は――動けないようですね。暫くここで熱をお冷ましください」
「え? 『動けない』って、私の体重で足を麻痺させてしまったんでしょうか?」
「フィーヌの体重のせいじゃないが、ま、しびれさせたのは事実だな」
「ど、ど、どうしましょう!?」
「放っておけ。さ、帰るぞ? 眠たいんだろ?」
「すみません……」
「ったく、あの青二才は。油断も隙もあったもんじゃないな。ま、未遂に終わってよかったよ」

 ガブリエル隊長はそう言うと、いつものように私の頬にビズをした。

「ん? 今日はやけに大人しいな」
「……眠たいから」
「そっか。そうだよな」

 ごめんなさい隊長。未遂じゃないんです。キス、しちゃったんです。
 ……事故だけど。たぶん。

 暗闇だからよく見えないけれど、痛いほど視線を感じるのはなぜだろう? 
 不思議に思って振り返ると、王家の紋章が彫られた馬車を仕事帰りの役人たちが興味津々な様子で眺めていた。

「えっ!! どうして宿舎の前なんですか!?」
「ん? 殿下は知らなかったようだな、フィーヌが宰相ん家に引っ越したこと。とりあえず、今夜は俺の官舎に泊まれ」

 カーテンが引かれていない馬車の中は、ランタンの灯りで外から中の様子が丸見えだ。

「嘘でしょ……」

 丁度その時、馬車を降りた殿下がこちらへやって来た。
「ガブリエル、待て! デルフィーヌは俺が責任を持って送――」

「ん? あれ? 姫様がどうしてここに――」
「姫様? ……!!」

 ガブリエル隊長の視線の先には、エライザ様が呆然と立ちすくんでいた。エライザ様の存在に気づいた殿下も、マズいという表情を浮かべている。

「殿下、エライザ様の誤解を解いてこないと……」
「あぁ。ガブリエル、デルフィーヌを頼んだ」

 迷いなくエライザ様のもとへ向かう殿下の背中を、隊長に横抱きされた格好で見送った。
 殿下にとってあれは、「誤解」だったんだ……。
 その瞬間、私の心が現実世界から切り離されて、まるで見世物の見物人のように二人のやり取りを見ていた。

 咄嗟に踵を返して走り出したエライザ様を、殿下が肩を掴んで引き留める。その瞬間、エライザ様はイヤイヤと首を横に振りながら殿下の胸に飛び込む。殿下はそんな彼女を諫めるように優しく肩を抱くと、そのまま二人して夜闇に消えていったのだった。
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