辞令:高飛車令嬢。妃候補の任を解き、宰相室勤務を命ずる

花雨宮琵

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第50話 ラファエルの悪戯

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――3時間程前のこと。

 閣下の邸宅・グラース侯爵家では、日頃から外国からのお客様をもてなすことも少なくない。
 使用人たちから挨拶程度でいいから大陸の共通語を教えてほしいとお願いされて、時々、レッスンをしているのだけれど、今日は帝国のお姫様でもあるエライザ様がいらしているということで、即興で帝国語のレッスンが行なわれることになった。

 前回、テレサ様とのお茶会でのプロポーズ大作戦が功を奏したことで皆の遊び心に火が点いて、帝国語の練習半分、遊び半分で、チョコレートペンを使っていろんなメッセージをプレートに書いていた。

「これはね、『召し上がれ』という意味なんよ。で、こっちは『ありがとう』。そっちは『おめでとう』。分かった?」
「はい! エライザ様、ありがとうございます」

 みんな、エライザ様の可愛らしい訛りのある王国語に頬を緩めている。
 ガブリエル隊長って、女性に関しては“来るもの拒まず、去るもの追わず”って感じだったけど、特定の人はいなかったのよねぇ。寄ってくるのも、どちらかというと派手目な女性ばかりだったし。
 エライザ様のように、生粋のお嬢様なのに素朴で初心な内面を持つ女性に想いを寄せられたら、案外、コロっといっちゃうんじゃないかしら?

「あれ。デルフィーヌ様、こちらは?」
「ふふふっ。これはね、『もうあなたなしでは生きられない!』って意味なの」
「きゃー! 大胆っ!!」
「でしょ? ラファエル様がテレサ様と観劇からお戻りになったら、テレサ様へ出して差しあげてね?」
「かしこまりました!」

 こんなお遊びが、後々、大変な事態を招くことになるなんて……。この時の私に言ってやりたい。やめておきなさい、と。

 ◇◇◇

 エライザ様をガブリエル隊長に託した後は、テオドール様の昼寝に付き添うことにした。幼子のぽっこりしたお腹に手を添えて寝かしつけながら、これまでのことを振り返ってみる。

 あの夜。家族会から帰って来たとき。
 エライザ様は、ガブリエル隊長の官舎を訪ねてきたんじゃないだろうか。2年前の大戦を想い出し、少なからず感傷的な気分になっているだろう隊長を励まそうと思ったのかもしれない。きっとあの時、私を横抱きにして頬にビズをしていた隊長の姿を見てショックを受けたのだろう。

 だとしたら――エライザ様がやたら殿下を訪問してたのは、ガブリエル隊長に会いたかったから? 隊長は任務上、常に殿下の近くに控えているから。
 殿下と二人、ヒソヒソ話でもするかのように頬を寄せ合っていたのも、護衛として後ろに控えているガブリエル隊長への恋心を殿下に打ち明けていたから?

 たしかに、前回の王国訪問で蜂に刺されたエライザ様を一番に救助したのは隊長だった。異国の地における危機を救ってくれたヒーローに一目惚れしたのも頷ける。

 ってことは――私とのキスをただの戯れだと言ったのも、私のことを妹みたいな存在だと言ったのも、殿下じゃなくて隊長だったってこと?
 だったら、だったら、私にもまだチャンスがある……はずないか。
 私と殿下とでは、身分が違いすぎるもの。

 あぁ。またこれだ、このループ。
 期待からの失望。
 いったい何度繰り返せば、私はここから抜け出せるんだろう……。
 
 テオドール様が規則的な寝息を立て始めたのを確認すると、そっとベッドから降りた。
 ふと窓の外を眺めると、ガブリエル隊長とエライザ様が日傘も差さずに庭を散歩していた。エライザ様が何か話すたび長身の隊長が身を屈め、顔を寄せて笑い合っている。
 王国の貴族女性にとって日傘は必須のアイテムだけれど、エライザ様のお国では違うのだろう。日光浴を楽しむかのように散歩している姿がとても自然に感じられて、これから共に人生を歩んでいく二人の未来が瞼に浮かんだ。

 「いいなぁ。エライザ様、大事にされてるって感じ。新婚の夫婦みたい」

 夫婦かぁ……。
 私ももうすぐ成人する。そうしたら、結婚だってできるわけで。
 そろそろ本気で、この長~い片思いにケリをつける頃合いなのかもしれない。
 
「……してみようかな、お見合い」

 実は、帝国にいる義母から手紙が来たのだ。
 帝国に私へ紹介したい殿方がいるらしく、近いうちに帝都へ来るよう書かれていた。

「行ってみようかな、帝都。今度の休みに」

 そんなふうに思っていたら、急にお屋敷内が騒がしくなってきた。このままだとテオドール様が起きてしまうと思って廊下へ出たところにソフィーがやってきた。

「お嬢様!!」
「そんなに慌ててどうしたの?」
「それが、殿下がいらしていて」
「殿下が!?」

 はっ! すっかり忘れてた!!
 まずい……。今顔を合わせるのは、非常に気まずい!!

 だってあの力作――『ザ・リシャール』をまだ回収できていないんだもの。
 内容は国家のトップシークレット。
 それも今となっては無用の長物。
 あんな危険物、どうやって処理すればいいの!?

「そうなんです。先触れなしにいらっしゃったようで」
「旦那様とエリー様は不在だし、ラファエル様もまだお戻りになっていないんでしょう? 帰ってもらうしかないんじゃない?」
「それが……」
「なに?」
「デルフィーヌはいないのか、とおっしゃっていまして」
「私!?」
「お嬢様が作成した調査報告書について質問があるんだそうです。休日にわざわざ聞きにいらしゃるなんて、殿下も仕事熱心ですよね」

 それ。違うから!
 でも、居留守は使えそうにないしなぁ。仕方ない、こうなったら覚悟を決めよう。

 ソフィーへ殿下を談話室へ案内して、侍女へお茶とお菓子の用意をお願いするよう伝えると、足早に私室へと戻った。さすがに殿下を前にエプロン姿でいるわけにはいけないからと、手早く着替えて戻るつもりだったのだけれど。

 侯爵家の使用人は仕事が早い。とにかく早い。
 宰相閣下の邸宅では、宰相室で働く文官並みに使用人たちへ業務の効率化が求められている。それに応えられるほど、侯爵家の使用人のレベルは高かった。
 しかし、早さは時としてミスを引き起こす。
 それがとんでもない結果を生み出すことも――稀にあるらしい、ということを私は身を持って知ることになる。

◇◇◇談話室 侍女視点

 デルフィーヌ様を待つ殿下のもとへ、お茶とケーキをお持ちした。

「……これは?」
「デルフィーヌ様のお気持ちです」
 殿下の目の前には、『もうあなたなしでは生きられない!』というメッセージ入りのケーキ皿が置かれていた。

まことか!?」
「はっ! 大変失礼いたしました。そちらはラファエル坊ちゃまのものでした」
「っ、そうか。たしかラファエル卿は、婚約者との結婚を控えているんだったな」

 帝国語で『召し上がれ』と書かれたお皿をサーブしたつもりだったが、予期せぬ王太子殿下の来訪で軽くパニックを起こし、何がどういう意味だったかなんて、忘却の彼方に吹っ飛んでしまった。
 殿下の様子から、このプレートは「違うな?」と感じ取り、プレートを差し替えることにした。

 慌てて厨房に戻りかけたそのタイミングで、ラファエル坊ちゃまがテレサ様と観劇からお戻りになった。

「ラファエル坊ちゃま!! 実は――」
「何? 殿下がデルフィーヌを? そうか。大丈夫だ、俺が何とかしよう」
「ありがとうございます!」
「とりあえず、厨房へ案内してくれ」
「こちらです!」

「ふーん。今日は帝国語なんだな。よし、じゃあ、俺がメッセージを書くから殿下へ届けてくれ。いいな?」
「かしこまりました!」

 ああ、やはりラファエル坊ちゃまは頼りになる。
 私は自身満々に、今度こそはと談話室へいらっしゃる殿下へケーキのプレートをお持ちした。

「これは……」
「デルフィーヌ様のお気持ちです」
「嘘だろ……」
「必ず殿下へお届けするようにと仰せつかりました」
「……そうか」

 ラファエル坊ちゃまが書いたそのプレートに、帝国語で『チューして!』と書かれていたことなど、帝国語を解さない私には知る由もなかった。
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