辞令:高飛車令嬢。妃候補の任を解き、宰相室勤務を命ずる

花雨宮琵

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第57話 命の灯

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「そんなっ! っデルフィーヌ!! 嫌よ!! 嫌っ!! お願いだから、目を覚ましてちょうだい」

 義母の叫声が無機質な回廊にこだまする。
 声を抑えられないほど感情を高ぶらせる義母を、私は知らない。
 改めて、自身が置かれた状況の深刻さを知る。

 急に周囲が騒がしくなったと思ったら、先導していた衛兵を押しのける勢いでリシャール殿下がやってきた。義母は勢いよく立ち上がると、乱暴に殿下の胸ぐらを掴んだ。

「あれほど申しましたでしょう!? 今日は決して娘の側を離れないでくださいと!! どうして、娘を1人にしたのです? どうして!? 貴方がいながら、どうして――っ!!」

 こんなに取り乱した義母を見たことはない。
 愛情の抱けない、いきなり降って湧いた義娘のはずなのに。
 どうしてこの人は、こんなにも私のことで怒りを露わにするのだろう。
 
「聖女様をここへ」
 私を診察するなり、筆頭宮廷医がそう提案した。

「あいにく、ソンブレイユ公と共に帰途につかれたようでして、今から呼び戻すのでは時間が……」
「ならば、我々で出来るだけのことをしよう」
 
 宮廷医の指示で回廊の立ち入りが禁止されると、その場で側頭部の縫合処置が行われることになった。
 義母と殿下は側でそれを見守ってくれていたけれど、傷周りの髪の剃毛が始まると、義母は見るに堪えないという感じに背を向けて、静かに涙を流した。

 全ての処置が終わると、私の身体をどこかへ運ぶことになったらしい。
 宮廷医が、「極力、ご令嬢のお身体を動かさないよう、慎重に運んでください」と衛兵たちに指示を出している。

「王太子宮に運んでくれ」
「殿下!? さすがに婚約者でもない女性を王太子宮へ運ぶのは――」
 すかさず首席近侍がリシャール殿下の説得を試みる。

「ここからは王太子宮が一番近い。彼女の命を前に、そのような些事に拘る者など、ここにはいないと信じたい」
「……出過ぎたことを申しました。彼女を王太子宮の南翼1階にあるアテナの間へ」

 衛兵4人に宮廷医が3人付き添う形で私の身体は運ばれていった。

「殿下にお願いがございます。わたくしの王太子宮への滞在をお許しください」
「ミシェル夫人とロワーヌ侯爵の通行許可書を発行してくれ」
「かしこまりました」
「夫人。デルフィーヌ嬢の命は、総力を挙げて必ず助けると約束する」
「当たり前です。でないとわたくし、殿下を一生許しません。死んでも化けて出ますから」
「本当に、申し訳なかった」
「あの約束は、なかったことにさせていただきます」
「それは……」
「これ以上、あの子を傷つけないでやってください」
「っ……」

 そうして大袈裟なほどの人たちにそれは慎重に運ばれ、無事に王太子宮の客間に着くと、報せを受けたソフィーが部屋を整えてくれていた。

 ソフィーが唇を真一文字に結んでいる。
 悲しみと怒りを我慢しているときの彼女の顔だ。
 ごめん、ソフィー。また貴女に、こんな想いをさせちゃった。

 以前、侯爵家まで訪ねてきてくれた宮廷医が、殿下立ち合いのもと再度診察を始める。

「どうだ?」
「脈拍・呼吸が極端に弱い。可哀そうに、こんなにも腫れて。止血処置は済んでおりますが、せめてお顔に傷が残らないよう、治療を続けさせてくださいますか?」
「もちろんだ。薬代はいくらかかってもいい。頼む」
「先生。私にも何かお手伝いさせてください」
「侍女殿は、医療の知識があるようだね? 随分と用意がいい」

 宮廷医のおじいちゃんは、ソフィーが部屋に持ち込んでいた医療鞄を見ながらそう言った。

「お嬢様と一緒に、野戦病院で看護をしていた経験があるんです」
「それは頼もしい。ご令嬢もそうでしたか。そうか、それでエライザ様が倒れたときに。なるほど」

 おじいちゃん先生は何かに納得したような様子で、ソフィーに指示を出しながら処置を行なってくれた。

 その日の夜から、高熱が出た。
 あれからずっと、義母は私のいる客間に滞在し、ソフィーと交代で看病してくれている。私の髪を撫でては、「痛かったでしょうね……」と話しかけ、静かに涙を流す義母を見て、私の中で義母に対する想いが塗り替えられていく。

 2日目の夜。
 国王陛下が義父を伴って私が寝かされている部屋を訪れた。

「ミシェル夫人。カロリーヌが、本当に申し訳なかった」
「妃殿下は……」
「実家の領地にある屋敷に幽閉することが決まった。生きて王都の地を踏むことは二度とないだろう」
「そうですか」
「カロリーヌが全て告白した。19年前、何が起きたのかを。あの時、私に真相を教えていてくれたら……というのは、今さらだな。今回の事件は、マグダレーナとよく似た容姿のデルフィーヌが側妃に召し上げられることを恐れたカロリーヌによる、短絡的で愚かな犯行だった」
「そんな……」

息子リシャールの妃候補だった、娘ほど歳の離れた女性を娶るわけがない。しかし、これもカロリーヌと信頼に足る関係を築けなかった、私の落ち度だ」
「陛下。わたくしども親世代が残した禍根は、私たちの手で終わらせるべきです。どうか、娘たちを――。これ以上、誰も傷ついてほしくはないのです」
「私も同じ気持ちだ。これからブリジット夫人にも話を聞く。彼女の処分は免れないだろうが、無関係なリリーは不問としよう」
「ありがとうございます」

 やっぱりお義母様はかっこいい。
 リリー嬢に実質的な処罰が及ばないよう配慮するなんて。
 公正で、愛情深くて、キリリと凛々しい。永遠に私のロール・モデルだ。

 それにしても――私の実父は、結局、誰なのだろう。
 カロリーヌ妃は前・宰相の可能性を示唆していたけれど、お屋敷に飾られていた肖像画を見ても、特に何も感じなかった。だとしたら、やはりロワーヌ侯爵なのだろうか。どちらにしても、この切れ長な瞳の持ち主ではないけれど。

 親世代の禍根は解決つつあるようだが、私の容態は一向に快復する兆しがない。

 あれから殿下は、一日に何度もお見舞いに来てくれている。
 私の手を取り、耳元で何かを語りかけてくれているのだけれど、その声が私に届くことはない。

 氷嚢を交換して、縫合処置のためにところどころ剃り上げられてチンチクリンになってしまった髪の毛を優しく撫でてくれていた殿下の手が止まる瞬間、私の心はどうしようもなく苦しくなる。

 愛が何かなんて知らなかった頃は、愛する人が自分のために涙を流してくれるなんて、きっと嬉しい事に違いないと思ってた。
 でも実際は、全然違ってた。私は、なんにも分かってなかった。

 みなの懸命な治療にも関わらず、私の命の灯は徐々に弱くなっていき、3日目の夕方、とうとう筆頭宮廷医が危篤を宣言した。

 そうしてその夜。神殿に、国王陛下の勅命を持った早馬が到着した。
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