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人参の効果
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目の前に人参をぶら下げると、馬は自分では手に入れられない人参を目指して永遠に走り続けるという。
もちろんアーシェはそんな光景は見たことはないし、今どきそんなことをしたらかなり立派な動物虐待だ。
古典の比喩的表現として知っているのだが、かつてはそんなことが許されたのだろうか。
馬にしたって、揺れる人参であれば、走る反動を使って口元に持ってくるくらい頭が働かないだろうか。
それに、別に腹が空いていなければ欲しいと思わないだろう。
人参が好きじゃない馬だって、いるのではないだろうか。
つまり、『目の前に人参をぶら下げて馬を走らせる』ためには、
①その馬はある程度空腹であること
②人参が比較的好物であること
以上の条件が整わなくてはならない。
ちなみに、アーシェは常にシンに飢えているし、シンは大大好物である。
ゆえに、強力に条件が整っている状態である。
QED。
アーシェは訓練場に向かいながら、サラリと自己分析を終えた。
無表情に歩いている姿を見て、通りすがりの士官や兵士たちが視線を向けてくる。
美しさへの感嘆と欲望。
若さに対する嫉妬と侮り。
好意も悪意も受け慣れていすぎて、危険がない限りアーシェの思考に入ることはない。
ありえないくらい長い足を規則的に動かしている原動力は、目の前にぶら下げられた人参だ。
(人のこと煽りやがってーっ。ぜってぇ俺が勝つし。そんで『ごめんね。もう離れようなんていわないからね。ずっと一緒にいようね』なんていわせて膝枕で頭撫でさせて、あのもっちりした胸にスリスリして、それから……)
などと17歳にしては健全なのか、この先は不健全になるのか完璧な形の小さな頭の中で『ご褒美』への妄想を繰り広げていても、アーシェの美貌は損なわれることなく、通りすがりに人々の視線を集め、呆然と手を止めさせ、基地機能をやや阻害していった。
ーーー後日戯れにシンが、基地機能が阻害された程度を計算してみたところ、その日の基地全体の機能の3%が阻害されていた。アーシェが通り過ぎた部署においては、局地的にではあるが37%の業務低下が起こっていたーーー
アーシェが訓練場に着くと、予想範囲内の光景が広がっていた。
少佐であるアーシェが管轄するのは通常一中隊だ。
3人の大尉が副官の中尉とともに、20人程度の各小隊を管理し、少佐であるアーシェが統括をする。
それぞれに管轄するべき中隊がなかったので、アーシェとシンは同じ中隊を統括している。
同階級であるが、軍では命令系統が厳密に定められるため、アーシェが隊長。シンが副隊長となっている。
通常は任官日が一日でも、宇宙軍標準時で一秒でも早い方が上官となるが、アーシェとシンは同日に特務少佐を任官している。
正直自分とシンであれば、どちらがどうであっても問題ないとアーシェは思っている。
しかし、アーシェが上官となる。
理由は、アーシェのほうが誕生日が早いから。
……世界は不可解に満ちている。
目の前の状況を認識したくなくて、宇宙軍の階級制度の理不尽をついてみたが、状況に変化はなかった。
本来中隊長が臨場したならば、中隊一同は各小隊長の元、整列して迎えなくてはならない。
入隊直後に直立不動の姿勢は、入隊直後のいの一番に新兵に叩き込まれるものだ。
にも関わらず、アーシェの目の前には声を枯らして部下たちにまともな姿勢を取らせようとしている小隊長たちと、ダラ~と立っているだけの兵士たちだった。
アーシェに対して、ごく少数からはその美しさに対する憧憬や羨望、そして欲望が感じられる。
それ以外のものを最大公約的にまとめると、
(こんなガキのエリート様の言うことなんか聞くわきゃねーだろ。はやくママにおっぱいもらいに帰りやがれっ、(Fワード))
といったところだ。
アーシェの美貌も、こういう場面ではマイナス効果になるそうだ(と、シンが教えてくれた。アーシェに自分の美醜は興味ない)。
敵意に満ちた視線を受けたアーシェの感想は、
(あー、シンがこっちじゃなくて良かったかもなー。アイツのことだから、逆に燃えちまって手練手管で飼いならして、筋肉ダルマのドM子羊の群れとかにしちまいそうだからな)
アーシェが進み出ると、小隊長たちとその副官たちが敬礼をしてきた。
その表情には、自分たちの管理能力を、目の前の美貌のエリートに責められる恐れに引きつっている。
アーシェは教本に載せても、美しすぎて誰も真似できないのではと思わせる答礼をして、その間を抜けた。
兵士とは名ばかりの筋肉ダルマたちの群れを一瞥して、群れの中で一目置かれていそうなダルマの前に立った。
「んで? お前がこの子羊たちの頭なわけ?」
身長はアーシェと同じだが、横に1.5倍膨れた兵士が答えた。
「そうかもな。 だったらなんかあんのかよ、エリート坊っちゃんがよっ。さっさと……」
最後までいわせず、アーシェはノーモーションで足を振り上げ、目の前の兵士の顎につま先を当てた。
そのまま蹴り上げた。
アーシェよりも体重が重いはずの兵士が、サッカーボールのように空を飛び、壁際寄せられていた用具の上に落ちた。
アーシェは蹴り上げたままの体勢を維持して体幹の強さを示すと、何事もなかったように下ろした。
誰もが息を潜めて沈黙する中、アーシェが鋭く声を上げた。
「整列」
張り上げたわけでもない声に、中隊の全員が無言で従う。
「別に無茶振りする気はないからさ、やれることはさっさとやれ。
俺が年下だろうが、見た目が気に食わなかろーが、軍人である以上、上官には従うこと。聞こえないと思ってるとこで負け犬が愚痴吠えたり、ビミョーな反抗するくらいだったら、かっちり追い落とせるように計画練ってから実行しろ。いつでも受けて立ってやるよ。
ってことで、階級も実力も見た目もお前らより上で、さらにラブラブなハニーがいる俺の方がすべてにおいて上なんで、お前らはさっさと従え。以上」
ということで、惑星クレイア宇宙軍駐屯基地始まって以来の、上から目線の着任挨拶となった。
もちろんアーシェはそんな光景は見たことはないし、今どきそんなことをしたらかなり立派な動物虐待だ。
古典の比喩的表現として知っているのだが、かつてはそんなことが許されたのだろうか。
馬にしたって、揺れる人参であれば、走る反動を使って口元に持ってくるくらい頭が働かないだろうか。
それに、別に腹が空いていなければ欲しいと思わないだろう。
人参が好きじゃない馬だって、いるのではないだろうか。
つまり、『目の前に人参をぶら下げて馬を走らせる』ためには、
①その馬はある程度空腹であること
②人参が比較的好物であること
以上の条件が整わなくてはならない。
ちなみに、アーシェは常にシンに飢えているし、シンは大大好物である。
ゆえに、強力に条件が整っている状態である。
QED。
アーシェは訓練場に向かいながら、サラリと自己分析を終えた。
無表情に歩いている姿を見て、通りすがりの士官や兵士たちが視線を向けてくる。
美しさへの感嘆と欲望。
若さに対する嫉妬と侮り。
好意も悪意も受け慣れていすぎて、危険がない限りアーシェの思考に入ることはない。
ありえないくらい長い足を規則的に動かしている原動力は、目の前にぶら下げられた人参だ。
(人のこと煽りやがってーっ。ぜってぇ俺が勝つし。そんで『ごめんね。もう離れようなんていわないからね。ずっと一緒にいようね』なんていわせて膝枕で頭撫でさせて、あのもっちりした胸にスリスリして、それから……)
などと17歳にしては健全なのか、この先は不健全になるのか完璧な形の小さな頭の中で『ご褒美』への妄想を繰り広げていても、アーシェの美貌は損なわれることなく、通りすがりに人々の視線を集め、呆然と手を止めさせ、基地機能をやや阻害していった。
ーーー後日戯れにシンが、基地機能が阻害された程度を計算してみたところ、その日の基地全体の機能の3%が阻害されていた。アーシェが通り過ぎた部署においては、局地的にではあるが37%の業務低下が起こっていたーーー
アーシェが訓練場に着くと、予想範囲内の光景が広がっていた。
少佐であるアーシェが管轄するのは通常一中隊だ。
3人の大尉が副官の中尉とともに、20人程度の各小隊を管理し、少佐であるアーシェが統括をする。
それぞれに管轄するべき中隊がなかったので、アーシェとシンは同じ中隊を統括している。
同階級であるが、軍では命令系統が厳密に定められるため、アーシェが隊長。シンが副隊長となっている。
通常は任官日が一日でも、宇宙軍標準時で一秒でも早い方が上官となるが、アーシェとシンは同日に特務少佐を任官している。
正直自分とシンであれば、どちらがどうであっても問題ないとアーシェは思っている。
しかし、アーシェが上官となる。
理由は、アーシェのほうが誕生日が早いから。
……世界は不可解に満ちている。
目の前の状況を認識したくなくて、宇宙軍の階級制度の理不尽をついてみたが、状況に変化はなかった。
本来中隊長が臨場したならば、中隊一同は各小隊長の元、整列して迎えなくてはならない。
入隊直後に直立不動の姿勢は、入隊直後のいの一番に新兵に叩き込まれるものだ。
にも関わらず、アーシェの目の前には声を枯らして部下たちにまともな姿勢を取らせようとしている小隊長たちと、ダラ~と立っているだけの兵士たちだった。
アーシェに対して、ごく少数からはその美しさに対する憧憬や羨望、そして欲望が感じられる。
それ以外のものを最大公約的にまとめると、
(こんなガキのエリート様の言うことなんか聞くわきゃねーだろ。はやくママにおっぱいもらいに帰りやがれっ、(Fワード))
といったところだ。
アーシェの美貌も、こういう場面ではマイナス効果になるそうだ(と、シンが教えてくれた。アーシェに自分の美醜は興味ない)。
敵意に満ちた視線を受けたアーシェの感想は、
(あー、シンがこっちじゃなくて良かったかもなー。アイツのことだから、逆に燃えちまって手練手管で飼いならして、筋肉ダルマのドM子羊の群れとかにしちまいそうだからな)
アーシェが進み出ると、小隊長たちとその副官たちが敬礼をしてきた。
その表情には、自分たちの管理能力を、目の前の美貌のエリートに責められる恐れに引きつっている。
アーシェは教本に載せても、美しすぎて誰も真似できないのではと思わせる答礼をして、その間を抜けた。
兵士とは名ばかりの筋肉ダルマたちの群れを一瞥して、群れの中で一目置かれていそうなダルマの前に立った。
「んで? お前がこの子羊たちの頭なわけ?」
身長はアーシェと同じだが、横に1.5倍膨れた兵士が答えた。
「そうかもな。 だったらなんかあんのかよ、エリート坊っちゃんがよっ。さっさと……」
最後までいわせず、アーシェはノーモーションで足を振り上げ、目の前の兵士の顎につま先を当てた。
そのまま蹴り上げた。
アーシェよりも体重が重いはずの兵士が、サッカーボールのように空を飛び、壁際寄せられていた用具の上に落ちた。
アーシェは蹴り上げたままの体勢を維持して体幹の強さを示すと、何事もなかったように下ろした。
誰もが息を潜めて沈黙する中、アーシェが鋭く声を上げた。
「整列」
張り上げたわけでもない声に、中隊の全員が無言で従う。
「別に無茶振りする気はないからさ、やれることはさっさとやれ。
俺が年下だろうが、見た目が気に食わなかろーが、軍人である以上、上官には従うこと。聞こえないと思ってるとこで負け犬が愚痴吠えたり、ビミョーな反抗するくらいだったら、かっちり追い落とせるように計画練ってから実行しろ。いつでも受けて立ってやるよ。
ってことで、階級も実力も見た目もお前らより上で、さらにラブラブなハニーがいる俺の方がすべてにおいて上なんで、お前らはさっさと従え。以上」
ということで、惑星クレイア宇宙軍駐屯基地始まって以来の、上から目線の着任挨拶となった。
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