群青の空の下で(修正版)

花影

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第2章 タランテラの悪夢

131 冬の到来6

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 エドワルドが皇都に帰還し、政権を掌握してから一月が経った。体調もどうにか回復しつつあり、バセットが顔をしかめて休む様に進言する回数は格段に減っていた。
 体力の回復に伴い、彼は南棟にあるハルベルトが使っていた執務室を引き継ぎ、日中はそちらで政務をこなす様になっていた。
 泊まり込まないのは病床にあるアロンが気がかりだったからだ。医者からもいつ急変するか分からないと言われており、本当ならば日中も出来るだけ近くに居たいと思うのだが、政務の手間を思うと我儘ばかりも言っていられない。朝、執務室に向かう前と、執務を終えて夜に自室に帰る折には必ず父親の病床を見舞う様にしていた。
 その日、執務室で仕事をしていたエドワルドは、その気配を感じると手を止めて立ち上がった。そして露台に続く窓を開けて外に出る。
「グランシアード」
 露台の向こうにいたのは彼のパートナーだった。忙しくてなかなかかまってやれないのだが、飛竜の方がこうして会いに来てくれるのだ。庭に降り立ち、精一杯伸びをして2階にいる彼に頭を寄せる様は微笑ましい。エドワルドも露台から手を伸ばしてその頭を撫でてやれば、飛竜はうっとりとしてその手に頭を擦り付けてくる。仕事に追われるエドワルドにとって、これはほんのひと時の安らぎだった。
「どうした?」
 飛竜が急にピクリと体を緊張させる。エドワルドが訝しむと、飛竜が彼の腕を咥えて引き寄せるので、露台の手すりから半ば落ちる様にして飛竜の背に乗る。その衝撃は未だ完治していない肋骨に響いて思わず呻くが、グランシアードはそのまま飛び立った。
「グランシアード?」
 日中とはいえ、いつ雪が降り出してもおかしくない天気である。部屋着にしている厚手のシャツとズボンに薄手の上着を羽織った状態のエドワルドはその寒さに思わず身震いする。どこかへ連れて行きたいらしいのは理解できたが、凍える前に着いてくれと思わず願っていた。
「で、殿下、いかがなされましたか?」
 着いたのは上層の着場だった。係官が慌てた様子で尋ねて来るが、聞きたいのはエドワルドも同じだ。だが、エドワルドに答える間も与えずに、グランシアードは竜舎の中へものすごい勢いで入っていく。
「グランシアード、止まれ!」
 通路に人がいれば間違いなく怪我人がでる。焦ったエドワルドは止めようとするのだが、飛竜は一目散に奥の室に向かう。幸いにも通路には誰もおらず、最悪の事態は避けられた。着いたのは最近、番と判明したファルクレインとカーマインの室だった。
 アスターは所用で出かけているらしく、室にいるのは腹に卵を抱えたカーマインのみ。お腹に抱えた卵の重みで動きがままならないカーマインの頭を係官が2人掛かりで抑え込んでいた。仲間の危急をグランシアードは察してエドワルドを連れて来たのだろう。
「お前達、何をしている?」
 グランシアードの背からひらりと飛び降りると、エドワルドは室の中に足を踏み入れる。どうやら2人は何かを無理やり食べさせようと、飛竜の口をこじ開けようとしているらしい。
「いや、その……」
「これを……その、食べさせるように命じられたので……」
 突然現れたエドワルドに2人は腰を抜かさんばかりに驚き、そしてその無言の圧力にしどろもどろになって応える。彼等が手にしているのは芋の塊だった。何でもない芋をここまでカーマインが拒否する事の方が逆に疑問に思う。
「中に何が入っている?」
 エドワルドの問いに2人はギクリとなる。やがて騒ぎを聞きつけた係員や竜騎士達が駆けつけて来る気配がし、慌てた2人は身をひるがえして逃げようとする。
「待て!」
 まだまだ完全に復調していない状態ではあるが、長年で培った身のこなしで難なく一人を取り押さえ、もう1人は阿吽《あうん》の呼吸でグランシアードがその襟首を咥えて捕えた。そこへようやく係官が到着する。
「この2人はどこの所属だ?」
 遅れて到着した係官達にその身柄を引き渡してエドワルドは問うが、彼等は一様に首を傾げる。どこぞから応援として来たらしいのだが、その辺りがどうも曖昧だった。とにかくそれらを全て吐かせるように命じると、拘束された2人は少し乱暴に連れ出された。余計な仕事が増えたのだ。その気持ちは分からなくもない。
「この芋を無理に食べさせようとしていた。調べてくれ」
 エドワルドは転がっていた芋を拾うと竜騎士の1人に手渡す。蒸した芋には切れ目があり、何か加工してあるのが一目瞭然だった。竜騎士は敬礼して受け取ると早速その芋の調査にその場を退出する。
 見張りに2名の兵士を残して他は仕事に戻る様に命じ、エドワルドは通路を塞いだ状態のグランシアードにも室に戻る様に促す。小声で知らせてくれたことを褒める事を忘れない。すると大きな飛竜は機嫌よく自分の室に戻って行く。最後に怯えているであろうカーマインを宥《なだ》めようと室に再び足を踏み入れると、背後から通路を駆けてくる足音が聞こえた。
「カーマイン!」
 そこへ息を切らしたマリーリアが駈け込んで来た。カーマインの危急に気付き、北棟からここまで走って来たのだろう。息を整える間も惜しく室に入ると、奥で怯えていた飛竜はマリーリアの姿に安堵して顔を寄せて甘える。
「殿下……兄上が助けて下さったんですか? ありがとうございます」
 エドワルドの姿に気付き、マリーリアは律儀に頭を下げる。呼び直した呼称に思わず顔がにやけてしまいそうだが、状況を考慮して慌てて顔を引き締める。
「グランシアードが気付いた。アスターは出ているのか?」
「はい、もう戻るはずなんですが……」
 実はエドワルドは子供の頃、自分を兄と呼んでくれる存在が欲しかった。この年になってようやくその念願がかなったのだが、堅苦しい彼女はなかなか兄と呼んでくれない。それをつい先日指摘したところ、ようやくそう呼んでくれるようになったのだ。
 内心で達成感に浸っていると、今度はドドドドッと勢いのある足音と共に背中にアスターを乗せたままのファルクレインが現れる。そして飛竜は周囲に目もくれずに室の中へ入り込むと、心配そうに番に顔を寄せた。さっきまでパートナーに甘えていたカーマインは、とたんに番に甘えた声を出している。
「誰かを跳ね飛ばさなくて良かった……」
 その背からホッとした様子でアスターが飛び降りる。その安堵感はエドワルドも十分理解出来て思わず一緒にうなずいていた。
 当の飛竜はもうそんな事はお構いなしで、夢中で番を構っている。少し腹立たしくなったアスターは着けていた装具を少し乱暴にはぎ取っていた。
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