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第2章 タランテラの悪夢
170 急転する事態1
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引っ越しを3日後に控え、いつもの様にフレアはエルヴィンのゆり籠の側で編み物をしていた。コリンシアの春物のショールは編み上がったので、今はおそろいで自分のショールを編んでいる。傍らではコリンシアが読書をしており、春の陽気に誘われて時折欠伸が漏れていた。
「フレア様!」
そこへ足音を乱し、血相を変えたオリガが駈け込んでくる。来る近い将来の為、本宮の女官に相応しい所作をアリシアから叩き込まれている彼女にしては珍しいとフレアは驚いて顔を上げる。
「どうしたの?」
「今、聞いたのですが……」
息を整える間すら惜しい様子で、途切れ途切れに彼女は聞き捨てならない内容の報告をする。
「ラグラスがフレア様や私達を捕えたと言って、殿下を脅しているそうです」
今でもオリガを口説こうとする者はいて、そんな一人がうっかり漏らした情報だった。大人しい彼女にしては驚くほど強く相手を追及して全てを聞き出し、慌ててここへ駈け込んで来たのだ。
「そんな……」
フレアが自失していたのは束の間の事だった。意を決して立ち上がると、祖父の部屋へと向かう。その後をオリガと何故かコリンシアが続き、ちょうどエルヴィンの様子を見に来た乳母役の女性は何事かと見送った。
「おじい様、あの方が脅されているのは本当なの?」
「フ、フレア?」
部屋に入るなり、いつもよりも強い口調で問いただしてくるフレアの姿にペドロは驚き、そして問われた内容を理解し返答するのに間が開いた。
その間にフレアとオリガはペドロの執務机の前に寄り、コリンシアはそのすぐ側に駆け寄った。そしてオリガが血相を変えて母屋に駈け込んでくる姿を見かけて追いかけてきたルイスとティムまで部屋に駆けつけていた。
「それは……誰から聞いたのだ?」
「それは私が……」
オリガがその話を聞き出した経緯を説明すると、ルイスは天を仰いで「アイツ減俸……」と呟き、ペドロも諦めたように大きく息を吐く。そして諦めの付いたペドロは全てを話すと言って女性人達に席を勧めて、重い口を開いた。
「そなたも承知しておる通り、ベルクやラグラスはそなたが自分達の手中にあると信じておる。だが砦に籠るラグラスはベルクから得た潤沢な資金を使い果たし、金策に困った挙句そなたの存在を仄めかしてフォルビアに身代金を要求したのだ」
「エドや皆様の対応は?」
「本気にはしていない様だ。君の身代わりを仕立てて脅したようだが、姫君は代用が出来ないからね。冷静に対処しているよ」
ルイスも諦めて最新の情報を伝える。元々両親が立てる対策にまどろっこしさを感じていたので、彼女に真相を話す事で打開できると踏んだのかもしれない。
「それでも、ラグラスに囚われている方がいるのですね?」
「そうだな。フォルビアでは連日その対応に追われているみたいだ。それと、審理に先駆けて殿下はフォルビアを訪問する予定だ」
「本当に?」
「ああ」
ルイスの返答にフレアは彼をまっすぐに見つめる。
「私を……私達をフォルビアへ連れて行って」
「危険だよ?」
「分かっております」
オリガもコリンシアもうなずく。
「仕方ないな。連れて行ってやるよ」
ルイスが肩を竦めて答えると、フレアやオリガ、コリンシアは顔を綻ばせ、ペドロは渋い表情を浮かべる。
「本当?」
「ありがとう」
「ルイス殿下、状況を分かって言っておられますか?」
「勿論。父上と母上のやり方は安全なんだろうが慎重すぎて見ているこっちがイライラする。全責任は私が負う。フレア達をフォルビアに連れて行く」
「……」
ルイスがそう言い切ると女性陣3人は抱き合って喜び、口を挟まないでいたティムも思わず万歳と叫んでいた。しかし、ペドロ1人だけは喜べずに頭を抱える。
「すぐに出る準備を整える。父上が気付けば絶対に連れ戻されるから、その前に聖域を出るぞ」
「はい」
ペドロ以外の4人は声を弾ませて返事をするとすぐに部屋を出て行った。そして嬉々としてその準備に取り掛かった。
その頃、ベルクは磁器の工房を見てみたいと言い出したシュザンナのお供でサントリナ領に来ていた。皇都でエドワルドに挨拶をした後、お茶の席で使用されていたサントリナの磁器にシュザンナが深く感銘を受け、急きょ訪問が決まったのだ。
到着したその日は大規模な歓迎会が催され、領内の有力者が大母補の御尊顔を拝しようと挙って参加した。華やいだことが好きなベルクもこれには満足し、大公夫妻が勧めるまましばらく滞在する事を了承した。
その翌日からは、サントリナ家の嫡男であるオスカーを案内役に、風光明媚な観光地を訪れた。普段、礎の里の大神殿に籠って暮らしているシュザンナはことのほか喜び、その雄大な自然に目を輝かせる。
「ねえ、ねえ、あれは何?」
「あれは金冠鶴ですよ。この湿地で雛を育てております」
湿地の畔に建てられた露台から一行は一面に広がる景色を眺めていた。タルカナに居ても王都の屋敷からほとんど出る事のなかった為、何でも物珍しくて仕方がないシュザンナが、ひときわ大きな野鳥の姿を見つけて指差した。
オスカーは次々出される質問に笑顔で付き合う。和気あいあいとした2人の様子にお付きの人々は微笑ましく見守っている。
一方で薬草園が気になっているベルクは10日間も観光地……特に田園地帯を巡る旅に付き合わされて飽きてしまい、苛立ちを募らせていた。
「シュザンナ様、そろそろ目的の磁器工房を見学させて頂いて、フォルビアに向かいませんか? 私も審理の準備が有りますし、いつまでもお邪魔していてはサントリナ公にもご迷惑です」
サントリナ領について10日目。遂に痺れを切らしたベルクは、オスカーが席を外している間に切り出した。極上のスイーツに囲まれてご機嫌だったシュザンナは、きょとんとベルクを見返した。
「そうかな? ねえ、どう思う?」
シュザンナは傍らに控えるお付きの女神官を振り仰ぐ。彼女は困ったような表情を浮かべながらも「そうですね」と答え、さらに続ける。
「お国の状況を考えれば過分な待遇を頂いたと思います。そろそろお暇して、本来のお役目に戻るべきかと思います」
「……分かった」
シュザンナはうなずくと、その後戻ってきたオスカーに自分からその旨を伝えた。彼は引き留めたが、役目がある身である事を強調すれば引き下がった。
そして翌日、大公家直営の工房を案内され、緻密に作り上げられた人形の置物をお土産にもらうと、大母補様は大層満足してサントリナ領を出立したのだ。
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12時に閑話を更新します
「フレア様!」
そこへ足音を乱し、血相を変えたオリガが駈け込んでくる。来る近い将来の為、本宮の女官に相応しい所作をアリシアから叩き込まれている彼女にしては珍しいとフレアは驚いて顔を上げる。
「どうしたの?」
「今、聞いたのですが……」
息を整える間すら惜しい様子で、途切れ途切れに彼女は聞き捨てならない内容の報告をする。
「ラグラスがフレア様や私達を捕えたと言って、殿下を脅しているそうです」
今でもオリガを口説こうとする者はいて、そんな一人がうっかり漏らした情報だった。大人しい彼女にしては驚くほど強く相手を追及して全てを聞き出し、慌ててここへ駈け込んで来たのだ。
「そんな……」
フレアが自失していたのは束の間の事だった。意を決して立ち上がると、祖父の部屋へと向かう。その後をオリガと何故かコリンシアが続き、ちょうどエルヴィンの様子を見に来た乳母役の女性は何事かと見送った。
「おじい様、あの方が脅されているのは本当なの?」
「フ、フレア?」
部屋に入るなり、いつもよりも強い口調で問いただしてくるフレアの姿にペドロは驚き、そして問われた内容を理解し返答するのに間が開いた。
その間にフレアとオリガはペドロの執務机の前に寄り、コリンシアはそのすぐ側に駆け寄った。そしてオリガが血相を変えて母屋に駈け込んでくる姿を見かけて追いかけてきたルイスとティムまで部屋に駆けつけていた。
「それは……誰から聞いたのだ?」
「それは私が……」
オリガがその話を聞き出した経緯を説明すると、ルイスは天を仰いで「アイツ減俸……」と呟き、ペドロも諦めたように大きく息を吐く。そして諦めの付いたペドロは全てを話すと言って女性人達に席を勧めて、重い口を開いた。
「そなたも承知しておる通り、ベルクやラグラスはそなたが自分達の手中にあると信じておる。だが砦に籠るラグラスはベルクから得た潤沢な資金を使い果たし、金策に困った挙句そなたの存在を仄めかしてフォルビアに身代金を要求したのだ」
「エドや皆様の対応は?」
「本気にはしていない様だ。君の身代わりを仕立てて脅したようだが、姫君は代用が出来ないからね。冷静に対処しているよ」
ルイスも諦めて最新の情報を伝える。元々両親が立てる対策にまどろっこしさを感じていたので、彼女に真相を話す事で打開できると踏んだのかもしれない。
「それでも、ラグラスに囚われている方がいるのですね?」
「そうだな。フォルビアでは連日その対応に追われているみたいだ。それと、審理に先駆けて殿下はフォルビアを訪問する予定だ」
「本当に?」
「ああ」
ルイスの返答にフレアは彼をまっすぐに見つめる。
「私を……私達をフォルビアへ連れて行って」
「危険だよ?」
「分かっております」
オリガもコリンシアもうなずく。
「仕方ないな。連れて行ってやるよ」
ルイスが肩を竦めて答えると、フレアやオリガ、コリンシアは顔を綻ばせ、ペドロは渋い表情を浮かべる。
「本当?」
「ありがとう」
「ルイス殿下、状況を分かって言っておられますか?」
「勿論。父上と母上のやり方は安全なんだろうが慎重すぎて見ているこっちがイライラする。全責任は私が負う。フレア達をフォルビアに連れて行く」
「……」
ルイスがそう言い切ると女性陣3人は抱き合って喜び、口を挟まないでいたティムも思わず万歳と叫んでいた。しかし、ペドロ1人だけは喜べずに頭を抱える。
「すぐに出る準備を整える。父上が気付けば絶対に連れ戻されるから、その前に聖域を出るぞ」
「はい」
ペドロ以外の4人は声を弾ませて返事をするとすぐに部屋を出て行った。そして嬉々としてその準備に取り掛かった。
その頃、ベルクは磁器の工房を見てみたいと言い出したシュザンナのお供でサントリナ領に来ていた。皇都でエドワルドに挨拶をした後、お茶の席で使用されていたサントリナの磁器にシュザンナが深く感銘を受け、急きょ訪問が決まったのだ。
到着したその日は大規模な歓迎会が催され、領内の有力者が大母補の御尊顔を拝しようと挙って参加した。華やいだことが好きなベルクもこれには満足し、大公夫妻が勧めるまましばらく滞在する事を了承した。
その翌日からは、サントリナ家の嫡男であるオスカーを案内役に、風光明媚な観光地を訪れた。普段、礎の里の大神殿に籠って暮らしているシュザンナはことのほか喜び、その雄大な自然に目を輝かせる。
「ねえ、ねえ、あれは何?」
「あれは金冠鶴ですよ。この湿地で雛を育てております」
湿地の畔に建てられた露台から一行は一面に広がる景色を眺めていた。タルカナに居ても王都の屋敷からほとんど出る事のなかった為、何でも物珍しくて仕方がないシュザンナが、ひときわ大きな野鳥の姿を見つけて指差した。
オスカーは次々出される質問に笑顔で付き合う。和気あいあいとした2人の様子にお付きの人々は微笑ましく見守っている。
一方で薬草園が気になっているベルクは10日間も観光地……特に田園地帯を巡る旅に付き合わされて飽きてしまい、苛立ちを募らせていた。
「シュザンナ様、そろそろ目的の磁器工房を見学させて頂いて、フォルビアに向かいませんか? 私も審理の準備が有りますし、いつまでもお邪魔していてはサントリナ公にもご迷惑です」
サントリナ領について10日目。遂に痺れを切らしたベルクは、オスカーが席を外している間に切り出した。極上のスイーツに囲まれてご機嫌だったシュザンナは、きょとんとベルクを見返した。
「そうかな? ねえ、どう思う?」
シュザンナは傍らに控えるお付きの女神官を振り仰ぐ。彼女は困ったような表情を浮かべながらも「そうですね」と答え、さらに続ける。
「お国の状況を考えれば過分な待遇を頂いたと思います。そろそろお暇して、本来のお役目に戻るべきかと思います」
「……分かった」
シュザンナはうなずくと、その後戻ってきたオスカーに自分からその旨を伝えた。彼は引き留めたが、役目がある身である事を強調すれば引き下がった。
そして翌日、大公家直営の工房を案内され、緻密に作り上げられた人形の置物をお土産にもらうと、大母補様は大層満足してサントリナ領を出立したのだ。
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