群青の空の下で(修正版)

花影

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第3章 ダナシアの祝福

22 罪と罰1

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 長年の習慣でエドワルドは夜明けとともに目を覚ました。妻子が帰還する前は朝食までの時間を自分の鍛錬に費やしていたのだが、今は腕の中の愛しい存在を愛でる至福のひと時となっている。まだ深い眠りの只中にある妻の額や頬に口づけ、寝乱れた長い黒髪を優しく梳く。少しはだけた胸元には昨夜付けた赤い痕が残っており、こうして触れているとまだ眠っている妻に無理を強いてしまいたくなる。しかし、一度寝込ませてしまった教訓からエドワルドは沸き起こる欲情を何とか抑え込み、頭を冷やす為にそっと寝台を抜け出した。
「ん……エド?」
「まだ早い。寝てていいぞ」
 そっと抜け出したつもりだったが、フレアを起こしてしまった様だ。寝台の縁に腰かけ、まだ寝ているように促すが、少し寝ぼけているらしい彼女は手探りでエドワルドの夜着を掴むと甘えるように擦り寄ってくる。その仕草があまりにも愛おしく、先程までの決意もどこかに吹き飛び、つい腕の中に抱きこんでしまう。唇を重ね、彼女の纏う香りを堪能していたが、無粋にも扉を叩く音が邪魔をする。
「何だ?」
 少しだけ不機嫌そうに返事をすると、扉の外からオルティスが申し訳なさそうに声をかけてくる。
「殿下、リネアリス公がお2人にお会いしたいとお見えになられております。時間の事も御座いますのでお断り致したのですが、どうしてもと仰せになられ、殿下の御判断を仰ぎたく存じます」
 まだ夜が明けたばかりである。上司ともいえる相手の家に気軽に尋ねてくる時間では無い。すっかり目が覚めてしまった妻と顔を見合すが、この時間に無理を承知で尋ねてきたという事は、それだけ急を要する事態なのだろう。
「分かった。支度するから少し待たせておいてくれ」
 自分はともかく、妻のフレアは寝間着のままで客に会わせる気にはなれない。エドワルドは客には少し待つようにとオルティスに伝言を頼み、2人は手早く身支度を整えた。
 妻の手を引き応接間に行くと、焦燥しきったリネアリス公が彼等を立ったまま待っていた。確か昨日の出迎えには夫婦そろって参加し、夫の方は執務室で重鎮を揃えての申し送りにも出席していた。その時にはいつも通りで変わった様子は見受けられなかった筈だった。
「このような時分に申し訳ございません」
 訪問するには非常識な時間であることは分かっているらしく、2人の姿を見るなり頭を下げた。エドワルドは一つうなずくと、先ずは妻に手を貸してソファに座らせ、それから自分はその隣に腰を下ろす。彼にも席を勧めると、緊張しているのかぎこちない動作で席に着いた。
「で、用向きは何だ?」
 妻と2人きりで過ごす貴重な時間を邪魔されて不機嫌なエドワルドはそれを隠そうとしなかった。リネアリス公は冷や汗を流しながら、それでも意を決したように口を開く。
「実は、私共の末の娘イヴォンヌの事でございます」
「ご息女の?」
 このような時間にわざわざ訪ねてくる位だからただの家庭内の問題ではないだろう。元よりエドワルドはリネアリス公とそこまで親しく付き合ってはなかったので、そう言った個人的な話は殆《ほとん》どした事は無い。あるとすれば、昨秋未だ具合が悪い時にベルクが強引に件の令嬢との見合い話を持ち掛けて来た時ぐらいだろう。
「あの子は……殿下に断られたにも関わらず、あの縁談を諦めてはおりませんでした」
「は?」
 あの話を持ち出された時には、相当具合が悪かった事もあってエドワルドはベルクに本気で怒りをぶつけたはずだった。その状況を目の当たりにし、更には1ヶ月前に無事に帰還したフレアと婚礼も上げているのは周知の事実である。令嬢の思考が理解できず、エドワルドは思わず真顔で聞き返した。
「高名な賢者様が取り持って下さる話だから間違いは無いと信じ込み、その……奥方様は絶対に助からないと思い込んでいたようです。ご帰還とご成婚の話を聞いても、殿下は……言い難いのですが騙されているのだと……」
「それで?」
 怒りを孕んだエドワルドの声が地を這う。リネアリス公は震えあがりながらもどうにか話を続ける。
「お恥ずかしい限りでございますが、娘の状態に私共が気付いたのがルーク卿やオリガ嬢が参加された先日のお茶会の後でした。家内がその時の様子を娘にも語っていた所、突然そんなはずは無いと言い出しまして、分かった次第でございます」
「……それを伝えにわざわざ来たのか?」
「いえ……」
 向けられる怒りにリネアリス公は口ごもる。それでは話が進まないので、フレアは夫の手にそっと自分の手を重ねる。
「フレア?」
「怒るのは後回しにして、とにかくお話を伺いましょう」
 妻の一言で不思議と怒りが治まっていく。頃合いを見計らっていたオルティスが淹れたお茶を飲んで完全に気持ちを落ち着けると、リネアリス公に話の先を促した。
「それで?」
「娘は……参加したお茶会などで、5大公家の令嬢である地位を利用し、会話の中で奥方様の評価が下がる様に仕向けておりました。その場に集まっていたのは下位の貴族の令嬢ばかり。あの子の話は事実として受け取られ、奥方様の悪い噂を助長させてしまいました。
 その事実を知った私達は、自分が何をしたか反省させるために娘を謹慎させました。ですが、自分のした事が罪になると理解できないあの子は、あろうことか、奥方様を排除しようと……」
「何だと?」
 リネアリス公が慌ててやってきた理由をエドワルドはようやく理解した。イヴォンヌの企ては反逆罪とみなされ、たとえ未遂で終わったにしてもリネアリス家を取り潰しに出来るのだ。隠匿する事も出来たかもしれないが、政治手腕の乏しい現在のリネアリス公では隠し通すのは難しいと判断したのだろう。
「実は、娘は未だにグスタフ殿の孫娘マルグレーテと交流があり、私共の居ないところで謹慎中にも招いて会っていたようです。彼女も現状に不満を抱いており、話をしているうちにフレア様やマリーリア卿を貶めれば、自分達と立場が入れ替われると本気で思っていたようです。
 そして薬品を混ぜた香水か何かをマリーリア卿の名前で献上させようと企てておりました。それを使った奥方様の見た目が変われば、殿下のお気持ちも変わって自分を迎えてもらえる。そうなれば献上したマリーリア卿も罪に問われて失脚し、自分が成り代われるなどと甘えた考えを持っていたようです」
「愚かな……」
 エドワルドは呆れたように呟いた。彼は妻の内面に惹かれて求婚したのだ。外見が変わったところでその気持ちが揺らぐことは無いと断言できる。そもそも今の騎士団はこんな稚拙な犯行にごまかされることなくすぐに犯人を炙り出せる。更に付け加えるならば、薬学の心得があるフレアもオリガもそういった混ぜ物にはすぐに気付くだろう。自己中心的な愚かしい企てとしか言いようが無かった。

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