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第1章 群青の騎士団と謎の佳人
115 宴の夜に3
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やがて扉を叩く音がする。オリガは隣の次の間に出て廊下への扉を開けると、そこにはアスターが立っていた。
「フロリエ様のお支度はお済みでしょうか? お迎えに上がりました」
「はい。お呼びして参ります」
礼儀正しく聞いてくる彼にオリガも頭を下げて応える。一旦、奥の部屋へ彼女は戻り、やがて奥からフロリエの手を引いて次の間に現れた。
「ほぉ……」
アスターは思わず息をのんだ。この1年余りの間、彼女がここまで着飾った姿を見たことは無かった。着飾ればどこの令嬢にも引けはとらないであろうとも予測はしていたが、あまりの美しさに言葉がすぐに出なかった。
「あの……」
絶句したアスターにフロリエは不安になり、声をかけた。彼はいつもの冷静さを取り戻すと、笑顔で彼女に頭を下げる。
「失礼致しました。殿下がお待ちでございます」
「は、はい……」
彼女は震える声で答えると、腕に抱いていたルルーの背中をなでて落ち着かせてからオリガに預けた。そしてアスターに震える手を差し出す。
「参りましょう」
彼は自分の腕に彼女を捕まらせて会場へ向かった。会場で流れている音楽が近づくにつれて手の震えがひどくなる気がする。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……。もう、始まっているのですか?」
「そうです。殿下が少し遅れてお連れする様に指示されましたので」
主催者よりも送れて着くのは、非常に無作法で目立ってしまう気がしてフロリエは震え上がってしまう。
「そ……そんな……」
「殿下を信じて下さい。大丈夫です」
「……」
そうしている内に会場となっている広間の扉の外に着いた。ちょうど曲が終わるのを待って係りに扉を開けさせる。
「さ、行きましょう。階段がありますから、その前で一度止まります」
「は……はい」
アスターは小声でフロリエに説明する。ここまで来てしまっては逃げる事も出来ない。彼女は足が震えるのを必死でこらえながら彼について歩くと、数歩で再び立ち止まった。彼女には見えないものの、会場中の視線を集めているのを痛いほどに感じる。
「フォルビア公グロリア様御息女、フロリエ・ディア・フォルビア様」
名前が紹介されたので、彼女はその場で腰をかがめて挨拶をする。グロリアの娘という事と彼女の美しさに、会場は驚きのあまりどよめいている。
「ゆっくり降ります」
小声でアスターが伝えるので、小さくうなずいた。一段一段彼も慎重に足を運び、下まで降りた。
「殿下が目の前にいらっしゃいます」
フロリエはそれを聞くと、深く腰をかがめた。
「フロリエ、良く来てくれた」
エドワルドの声がする。気配で隣にマリーリアが居るのも分かった。おそらく周囲にはたくさんの人が興味深げに彼女を見ているのだろう。たくさんの視線も感じる。
「本日はお招きありがとうございます。病に伏しております母の名代で参りました。更には遅参いたしました無作法をお詫びいたします」
「それは私が指示した事、気になさるな。堅苦しい挨拶は止めにして、今宵は楽しみましょう。顔を上げて下さい」
エドワルドが苦笑混じりに言うと、彼女はようやく顔を上げた。
「さ、お手をどうぞ」
彼に促されて彼女はおずおずと手を差し出す。彼はその手を取ると、手の甲に軽くキスをする。エドワルドがフロリエに親しく話しかける様子に周囲がざわついている。
「一曲、お相手願います」
「はい……」
エドワルドに手を引かれてフロリエは会場の中央に連れて行かれる。音楽が流れ始めて2人は一礼をすると踊り始めた。
「来て下さって本当に良かった」
「……」
「そう、緊張なさらないで。ゆったりと私に合わせて下さい」
エドワルドはフロリエの緊張をほぐすために、難しいステップは控えて彼女が合わせやすいように心がけて踊った。おかげで徐々に彼女も慣れてきて、だんだんと緊張も解けてきた様子である。
「やはりワルツもお上手だ」
「殿下のおかげでございます」
フロリエはようやくの事で返事をするが、彼女の手はまだ少し震えている。
「心配は要らない。私があなたをお守りします」
エドワルドの言葉に、フロリエは頬を染める。当初はざわついていた会場も、いつの間にか2人の踊る姿に魅了されて静まり返っていた。やがて曲が終わり、2人が優雅に礼をすると、その姿に魅了された人々から大きな歓声が上がっていた。
「これで私の役割は終りですね」
物憂げにマリーリアがつぶやく。彼女がこの場にいるのはひとえにエドワルドのお嫁さん候補とされていて、彼にその気は無くても彼女を招待しないと後に彼の外聞が悪くなるからにすぎない。一度彼と踊った事で義理は果たせた。彼が本当に待ち望んでいた女性と幸せそうに踊る姿を見届けると、マリーリアは広間の出口に向かった。
「どうした、もう帰るのか?」
そこには警備を兼ねているのか、アスターが立っていた。
「ええ。役目は終えましたし、父の名が知られてしまいましたので、早々に戻ろうと思います」
地方に居る有力者はたいてい国政と深いかかわりがある人物と仲良くなりたがるものである。5大公家の当主の娘と懇意になりたいと思う者が少なからずいるはずであった。先ほどまではエドワルドが側にいてくれたので、何事も無かったが、彼は今、フロリエの相手をしている。1人でいれば父親に自分を取り次いで欲しいという申し込みが殺到するだろう。面倒な事になる前に帰りたかった。
「もったいない。すぐに崩してしまったら皆が残念がるぞ」
「ですが、あまり長居をしても……」
すると、アスターはすっと手を差し出す。
「殿下ほど上手くは無いが、踊ってくれるか?」
「アスター卿?」
「少なくとも私の側にいれば変な輩が話しかけてくることはあるまい」
口に出しては言わないが、これもエドワルドに彼が頼まれていた事であった。彼がエドワルドの腹心である事は周知の事実である。その彼の目の前で彼女に無体な真似が出来る者がこのロベリアにはいないからだ。もっとも、エドワルドに頼まれるまでもなく、彼はこの役目を自ら申し出るつもりだった。
「……ルーク卿よりは、はるかにお上手でしたね」
マリーリアの返答にアスターは肩を震わせる。共に夏至祭の舞踏会を思い出していた。
「相手の足を踏まない程度には踊れますよ」
「それではお願いします」
マリーリアはアスターの手に自分の手を重ねた。そして曲が変わるのを待って2人で広間の中ほどへ歩いていく。
意外な取り合わせに会場から大きなざわめきが起こる。
「あれはアスター卿?」
「あの方いつもは踊られないのに……」
「踊れるのか本当に?」
今までアスターはこういった場では踊ろうとはしてこなかったので、皆、半信半疑のようである。一方のマリーリアは先ほどエドワルドと高度なダンスを踊っているので、その技術は証明済みであった。どんな踊りになるか、皆が注目している。
やがて音楽が流れ始めると、大方の予想に反してアスターはマリーリアをリードして軽やかなステップを踏み始める。その腕前に皆が感嘆の声を上げる。
「お見事です」
「どういたしまして」
マリーリアとアスターは短く会話を交わすと、その後は無言でステップを踏んでいく。彼自身はエドワルドには及ばないと言っていたが、その技術は彼に劣らない程高度なものだった。その様子をエドワルドは会場の隅から眺めていた。
「アスターがマリーリアと踊っている」
「まあ……」
一曲踊ったので、エドワルドはフロリエを上座へ案内して休憩していた。給仕からワインを受け取り、乾いた喉を潤す。
「珍しい光景かも知れないな」
そう言いつつも彼の視線は既にフロリエへ戻っている。緊張でこわばっていた表情も一曲踊る間に和らぎ、上気して頬が少し染まっている。彼はいくら眺めても飽きないようで、先ほどからずっと彼女を見つめていた。
逆にフロリエはずっと主催者であるエドワルドが側にいる事に申し訳なく思っていた。
「殿下は他の方を誘わなくてよろしいのですか?」
「今日の予定は全てあなたで埋めてありますよ。招待状をお渡しした時に申し上げたでしょう?ずっと側にいるといい、と」
「殿下……」
「次の曲はまた踊って下さい。せっかく来て下さったのだから、共に楽しみましょう」
エドワルドはそう言うと、フロリエの手を取って再びキスをした。申し訳ないと思いつつも、彼女は彼の気持ちがとてもうれしかった。頬を染めてうなずいた。
「はい、御心のままに……」
「フロリエ様のお支度はお済みでしょうか? お迎えに上がりました」
「はい。お呼びして参ります」
礼儀正しく聞いてくる彼にオリガも頭を下げて応える。一旦、奥の部屋へ彼女は戻り、やがて奥からフロリエの手を引いて次の間に現れた。
「ほぉ……」
アスターは思わず息をのんだ。この1年余りの間、彼女がここまで着飾った姿を見たことは無かった。着飾ればどこの令嬢にも引けはとらないであろうとも予測はしていたが、あまりの美しさに言葉がすぐに出なかった。
「あの……」
絶句したアスターにフロリエは不安になり、声をかけた。彼はいつもの冷静さを取り戻すと、笑顔で彼女に頭を下げる。
「失礼致しました。殿下がお待ちでございます」
「は、はい……」
彼女は震える声で答えると、腕に抱いていたルルーの背中をなでて落ち着かせてからオリガに預けた。そしてアスターに震える手を差し出す。
「参りましょう」
彼は自分の腕に彼女を捕まらせて会場へ向かった。会場で流れている音楽が近づくにつれて手の震えがひどくなる気がする。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……。もう、始まっているのですか?」
「そうです。殿下が少し遅れてお連れする様に指示されましたので」
主催者よりも送れて着くのは、非常に無作法で目立ってしまう気がしてフロリエは震え上がってしまう。
「そ……そんな……」
「殿下を信じて下さい。大丈夫です」
「……」
そうしている内に会場となっている広間の扉の外に着いた。ちょうど曲が終わるのを待って係りに扉を開けさせる。
「さ、行きましょう。階段がありますから、その前で一度止まります」
「は……はい」
アスターは小声でフロリエに説明する。ここまで来てしまっては逃げる事も出来ない。彼女は足が震えるのを必死でこらえながら彼について歩くと、数歩で再び立ち止まった。彼女には見えないものの、会場中の視線を集めているのを痛いほどに感じる。
「フォルビア公グロリア様御息女、フロリエ・ディア・フォルビア様」
名前が紹介されたので、彼女はその場で腰をかがめて挨拶をする。グロリアの娘という事と彼女の美しさに、会場は驚きのあまりどよめいている。
「ゆっくり降ります」
小声でアスターが伝えるので、小さくうなずいた。一段一段彼も慎重に足を運び、下まで降りた。
「殿下が目の前にいらっしゃいます」
フロリエはそれを聞くと、深く腰をかがめた。
「フロリエ、良く来てくれた」
エドワルドの声がする。気配で隣にマリーリアが居るのも分かった。おそらく周囲にはたくさんの人が興味深げに彼女を見ているのだろう。たくさんの視線も感じる。
「本日はお招きありがとうございます。病に伏しております母の名代で参りました。更には遅参いたしました無作法をお詫びいたします」
「それは私が指示した事、気になさるな。堅苦しい挨拶は止めにして、今宵は楽しみましょう。顔を上げて下さい」
エドワルドが苦笑混じりに言うと、彼女はようやく顔を上げた。
「さ、お手をどうぞ」
彼に促されて彼女はおずおずと手を差し出す。彼はその手を取ると、手の甲に軽くキスをする。エドワルドがフロリエに親しく話しかける様子に周囲がざわついている。
「一曲、お相手願います」
「はい……」
エドワルドに手を引かれてフロリエは会場の中央に連れて行かれる。音楽が流れ始めて2人は一礼をすると踊り始めた。
「来て下さって本当に良かった」
「……」
「そう、緊張なさらないで。ゆったりと私に合わせて下さい」
エドワルドはフロリエの緊張をほぐすために、難しいステップは控えて彼女が合わせやすいように心がけて踊った。おかげで徐々に彼女も慣れてきて、だんだんと緊張も解けてきた様子である。
「やはりワルツもお上手だ」
「殿下のおかげでございます」
フロリエはようやくの事で返事をするが、彼女の手はまだ少し震えている。
「心配は要らない。私があなたをお守りします」
エドワルドの言葉に、フロリエは頬を染める。当初はざわついていた会場も、いつの間にか2人の踊る姿に魅了されて静まり返っていた。やがて曲が終わり、2人が優雅に礼をすると、その姿に魅了された人々から大きな歓声が上がっていた。
「これで私の役割は終りですね」
物憂げにマリーリアがつぶやく。彼女がこの場にいるのはひとえにエドワルドのお嫁さん候補とされていて、彼にその気は無くても彼女を招待しないと後に彼の外聞が悪くなるからにすぎない。一度彼と踊った事で義理は果たせた。彼が本当に待ち望んでいた女性と幸せそうに踊る姿を見届けると、マリーリアは広間の出口に向かった。
「どうした、もう帰るのか?」
そこには警備を兼ねているのか、アスターが立っていた。
「ええ。役目は終えましたし、父の名が知られてしまいましたので、早々に戻ろうと思います」
地方に居る有力者はたいてい国政と深いかかわりがある人物と仲良くなりたがるものである。5大公家の当主の娘と懇意になりたいと思う者が少なからずいるはずであった。先ほどまではエドワルドが側にいてくれたので、何事も無かったが、彼は今、フロリエの相手をしている。1人でいれば父親に自分を取り次いで欲しいという申し込みが殺到するだろう。面倒な事になる前に帰りたかった。
「もったいない。すぐに崩してしまったら皆が残念がるぞ」
「ですが、あまり長居をしても……」
すると、アスターはすっと手を差し出す。
「殿下ほど上手くは無いが、踊ってくれるか?」
「アスター卿?」
「少なくとも私の側にいれば変な輩が話しかけてくることはあるまい」
口に出しては言わないが、これもエドワルドに彼が頼まれていた事であった。彼がエドワルドの腹心である事は周知の事実である。その彼の目の前で彼女に無体な真似が出来る者がこのロベリアにはいないからだ。もっとも、エドワルドに頼まれるまでもなく、彼はこの役目を自ら申し出るつもりだった。
「……ルーク卿よりは、はるかにお上手でしたね」
マリーリアの返答にアスターは肩を震わせる。共に夏至祭の舞踏会を思い出していた。
「相手の足を踏まない程度には踊れますよ」
「それではお願いします」
マリーリアはアスターの手に自分の手を重ねた。そして曲が変わるのを待って2人で広間の中ほどへ歩いていく。
意外な取り合わせに会場から大きなざわめきが起こる。
「あれはアスター卿?」
「あの方いつもは踊られないのに……」
「踊れるのか本当に?」
今までアスターはこういった場では踊ろうとはしてこなかったので、皆、半信半疑のようである。一方のマリーリアは先ほどエドワルドと高度なダンスを踊っているので、その技術は証明済みであった。どんな踊りになるか、皆が注目している。
やがて音楽が流れ始めると、大方の予想に反してアスターはマリーリアをリードして軽やかなステップを踏み始める。その腕前に皆が感嘆の声を上げる。
「お見事です」
「どういたしまして」
マリーリアとアスターは短く会話を交わすと、その後は無言でステップを踏んでいく。彼自身はエドワルドには及ばないと言っていたが、その技術は彼に劣らない程高度なものだった。その様子をエドワルドは会場の隅から眺めていた。
「アスターがマリーリアと踊っている」
「まあ……」
一曲踊ったので、エドワルドはフロリエを上座へ案内して休憩していた。給仕からワインを受け取り、乾いた喉を潤す。
「珍しい光景かも知れないな」
そう言いつつも彼の視線は既にフロリエへ戻っている。緊張でこわばっていた表情も一曲踊る間に和らぎ、上気して頬が少し染まっている。彼はいくら眺めても飽きないようで、先ほどからずっと彼女を見つめていた。
逆にフロリエはずっと主催者であるエドワルドが側にいる事に申し訳なく思っていた。
「殿下は他の方を誘わなくてよろしいのですか?」
「今日の予定は全てあなたで埋めてありますよ。招待状をお渡しした時に申し上げたでしょう?ずっと側にいるといい、と」
「殿下……」
「次の曲はまた踊って下さい。せっかく来て下さったのだから、共に楽しみましょう」
エドワルドはそう言うと、フロリエの手を取って再びキスをした。申し訳ないと思いつつも、彼女は彼の気持ちがとてもうれしかった。頬を染めてうなずいた。
「はい、御心のままに……」
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