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第2章 タランテラの悪夢
20 苦難の旅路5
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「いつも秋ごろには、娘はリューグナー医師が処方してくれる高価な薬を送ってくれるのですが、昨年の秋は貴女様が風邪の予防法や身近にある物での対処法を教えて下さったと手紙を寄越しました。
半信半疑ながらこの村でも試してみたところ、冬に体調を崩すものが減ったのでございます。例年ですと冬の間に体力の無い年寄りや幼子が少なからず命を落としておりましたが、この度はいつもの年よりもずっとその数が減りました。貴女様のおかげでございます」
村長の言葉にフロリエは信じられない面持ちで聞いていた。自分には僅かな事しか出来ないと思っていたが、館から離れたこのような場所にも貢献できた事が無性に嬉しかった。
「春になり、グロリア様の訃報を聞いた後に貴女がエドワルド殿下と結ばれ、更には新たなフォルビア女大公となられたことを知り、私達は大いに喜びました。同時にご親族方がこのまま黙っていないのではないかと案じておったのでございます」
村長が一旦言葉を切ると、夫人が言葉を続ける。
「一昨日の晩、あなた方が現れた時、すぐに何者か分かりました。そしてただならぬ事が起こっていることも。あの夜、あなた方がお休みになられた後、主だった村人達と話し合って決めたのです、何があっても貴女方をお守りすると。この村を救って下さったご恩を今度は我々がお返しする番だと……」
「……」
2人の言葉にいつの間にかフロリエは涙を流していた。
「こういった立場にいる上に、長く生きておりますからな、多少なりとも人を見る目はあるつもりでおります。
一昨夜からのあなた方の行動を見ておりますと、仲間内だけでなく、我々にも気遣っておるのが良く分かります。例え娘からの手紙での先入観が無くとも、役人達の話を到底信じることは出来ません。もし、彼等の言う事が真であれば、あなた方は我々を利用しようとした筈です」
「私どもが見る限り、フロリエ様が姫様を慈しみ、姫様がフロリエ様を慕う様は実の親子のようであります。これだけをとっても、あの話は真とは思えません。
我らペラルゴ村の者達は貴女様の無実を信じ、フォルビアの真の主として遇し奉る所存であります。どうぞ明日の出立は見合わせ、お味方が到着なさるまでこの村にてお待ち頂きたく存じます。」
村長の夫婦は椅子から立ち上がると、フロリエの前に跪いた。彼女は驚き、困ったような表情を浮かべたが、やがてゆっくりと首を横に振ると2人に静かに答える。
「せっかくのお申し出ですが、お受けするわけにはいきません」
「フロリエ様」
何か返そうとする村長の夫婦を制し、彼女は何かを決意したような表情で言葉を続ける。
「小竜を連れ歩く私とこの子の髪の色はごまかしようが無く、目立ってしまいます。ましてやあのように役人が触れ回っていれば、いくら村の方々がかくまって下さっても遠からず私達のことは外に漏れることになりましょう。もし、迎えが来る前に知られればこの村もあなた方もただでは済みません」
「そうなるとは限りません。それに、万が一の覚悟は出来ております」
フロリエは寂しそうに首を振り、手首の組み紐にそっと触れる。
「このリラ湖の北では、おそらく私達の逃げ場を封じる為だけに村が一つ犠牲になりました。あなた方はこのフォルビアの……タランテラの財産です。もうこれ以上、私達のためにもう誰かが犠牲になるのを見たくは無いのです」
フロリエが膝の上で握り締めている手は小刻みに震えている。
「母様……」
その手にそっとコリンシアが触れると、彼女は娘を抱きしめた。
「ずっと付き従ってくれるオルガとティムの2人には申し訳なく思っています。ここにいれば楽なのでしょうが、それでも明朝、この村を発とうと思います」
フロリエの決意にオリガもティムも静かに頭を下げる。
「フロリエ様、我々は貴女様と姫様にどこまでもお供させていただきます」
「自分にはお2人を安全な場所までお連れする義務があります。お供させてください」
そう申し出る姉弟に彼女は静かに頭を下げた。
「ありがとう」
彼等の決意を目の当たりにした村長夫婦は一行を引き止めておくことを断念せざるを得なかった。
「ご決意は変えられぬようでございますね」
「はい。お心はありがたく思いますが、行かねばなりません」
「そうですか……では、出来うる限りの事をさせてくださいませ」
「もう充分にしていただいております。これ以上は村に負担となりましょう。お気持ちだけ頂戴いたします」
フロリエがそう言って頭を下げると、村長の夫婦はもうそれ以上言う事が出来なかった。
翌日、4人は夜明け前に起きて出立の準備を整えた。これから先の事を考え、オリガはその豊かな黒髪をバッサリと切り落として男装する。コリンシアもその目立つ髪を短く切り、手に入った渋草の染料で黒く染め上げた。そして姫君も念のために男の子の服装に着替える。もちろんフロリエも腰のあたりまで伸びていた髪を背中の辺りまでで切り落とした。
決意を新たにした4人が階下に降りると、村長夫婦も既に起きていて、居間で彼らを待っていた。
「お世話になりました」
フロリエが彼らに頭を下げると、村長はそっと何かの包みを取り出した。
「どれだけ役に立つか分かりませんが、これをお持ちになってください」
代表してオリガがそれを受け取り、中を見てみると4人分の通行手形が入っていた。
「村長様……」
「村や町を出入りする際にもしかしたら必要になるでしょう。どこまで通用するかわかりませんが、お役立て下さい」
「何から何まで本当にありがとうございます」
村長の心遣いにフロリエは深々と頭を下げた。そして懐からハンカチに包んだものを取り出すと、夫妻の前にそっと置く。
「気持ちばかりですが、宿代として受け取って下さい」
2人が包みを開けると、数枚の金貨が入っている。これはエドワルドから別れ際に渡された巾着に入っていた金の一部だった。これからの旅にも金は必要であるが、世話になったこの村の人達へ出し惜しむ理由は無かった。
「こんなに……いただけません、フロリエ様」
驚いた2人は金を返そうとするが、フロリエはそれを押し留めた。
「私達は命を助けられました。そのお礼に比べると本当に僅かではありますが、お受け取り下さい。それに……畑があのような惨状では冬を越せるだけの収穫が望めるとは思えません。どうか村のためにお使い下さい」
「お爺、お婆、ありがとうね」
コリンシアが2人に抱きつくと、感無量の2人は声も出せず、金を返せなくなった。
「もし……もし、私たちの行方を尋ねて竜騎士のルーク卿が来られたらこれを渡してもらえますか?」
オリガは手にしていた包みを差し出す。中には切り落としたフロリエとオリガ、コリンシアの髪が入っている。オリガの髪は昨年皇都のお土産としてもらったレースのリボンで束ね、コリンシアの髪はフロリエのものと一緒に姫君のお気に入りの青いリボンで束ねてある。彼が見れば誰の髪かは一目瞭然だろう。ちなみに余った青いリボンはルルーの首に巻きつけてある。
「分かりました。お預かり致します」
村長は恭しくそれを受け取った。
「村長様、準備が整ってございます」
そこへ中年の男が遠慮がちに声をかけてきた。村でも体格のいいこの男は、近くの町まで村での必需品を買いに行く事になっていた。フロリエ達は村長の計らいでそれに途中まで同道させてもらう事になったのだ。男に従って表に出ると、2台の荷車が用意されていた。
1台は買い出し用に用意されていた物。もう1台は子供を連れていては旅がはかどらないだろうからと、村長が彼らに譲ってくれたものだった。古びた荷車には年老いた驢馬が繋がれている。歳はとっているが、フロリエとコリンシア、そしていくらかの荷物は充分運んでくれるだろう。このこともあってフロリエは大金を2人に手渡したのだ。
「それでは村長様、奥方様、本当にありがとうございました」
最後にもう一度フロリエはそう言って2人に頭を下げると、他の3人もそれに習って深々と頭をさげた。
「道中のご無事をお祈りいたしております」
村長の夫婦も頭を下げる。名残惜しいが、譲ってもらった荷車にコリンシアとフロリエが乗り込み、オリガとティムはもう一台に乗せてもらう。途中まではどちらの驢馬もティムが操る事になっていた。
気付くと白々と夜が明け始めている。村長夫婦だけでなく、他の村人達にも見送られながら荷車はゆっくりと村の門をくぐり、登り始めた太陽に向かって街道を歩み始めた。
半信半疑ながらこの村でも試してみたところ、冬に体調を崩すものが減ったのでございます。例年ですと冬の間に体力の無い年寄りや幼子が少なからず命を落としておりましたが、この度はいつもの年よりもずっとその数が減りました。貴女様のおかげでございます」
村長の言葉にフロリエは信じられない面持ちで聞いていた。自分には僅かな事しか出来ないと思っていたが、館から離れたこのような場所にも貢献できた事が無性に嬉しかった。
「春になり、グロリア様の訃報を聞いた後に貴女がエドワルド殿下と結ばれ、更には新たなフォルビア女大公となられたことを知り、私達は大いに喜びました。同時にご親族方がこのまま黙っていないのではないかと案じておったのでございます」
村長が一旦言葉を切ると、夫人が言葉を続ける。
「一昨日の晩、あなた方が現れた時、すぐに何者か分かりました。そしてただならぬ事が起こっていることも。あの夜、あなた方がお休みになられた後、主だった村人達と話し合って決めたのです、何があっても貴女方をお守りすると。この村を救って下さったご恩を今度は我々がお返しする番だと……」
「……」
2人の言葉にいつの間にかフロリエは涙を流していた。
「こういった立場にいる上に、長く生きておりますからな、多少なりとも人を見る目はあるつもりでおります。
一昨夜からのあなた方の行動を見ておりますと、仲間内だけでなく、我々にも気遣っておるのが良く分かります。例え娘からの手紙での先入観が無くとも、役人達の話を到底信じることは出来ません。もし、彼等の言う事が真であれば、あなた方は我々を利用しようとした筈です」
「私どもが見る限り、フロリエ様が姫様を慈しみ、姫様がフロリエ様を慕う様は実の親子のようであります。これだけをとっても、あの話は真とは思えません。
我らペラルゴ村の者達は貴女様の無実を信じ、フォルビアの真の主として遇し奉る所存であります。どうぞ明日の出立は見合わせ、お味方が到着なさるまでこの村にてお待ち頂きたく存じます。」
村長の夫婦は椅子から立ち上がると、フロリエの前に跪いた。彼女は驚き、困ったような表情を浮かべたが、やがてゆっくりと首を横に振ると2人に静かに答える。
「せっかくのお申し出ですが、お受けするわけにはいきません」
「フロリエ様」
何か返そうとする村長の夫婦を制し、彼女は何かを決意したような表情で言葉を続ける。
「小竜を連れ歩く私とこの子の髪の色はごまかしようが無く、目立ってしまいます。ましてやあのように役人が触れ回っていれば、いくら村の方々がかくまって下さっても遠からず私達のことは外に漏れることになりましょう。もし、迎えが来る前に知られればこの村もあなた方もただでは済みません」
「そうなるとは限りません。それに、万が一の覚悟は出来ております」
フロリエは寂しそうに首を振り、手首の組み紐にそっと触れる。
「このリラ湖の北では、おそらく私達の逃げ場を封じる為だけに村が一つ犠牲になりました。あなた方はこのフォルビアの……タランテラの財産です。もうこれ以上、私達のためにもう誰かが犠牲になるのを見たくは無いのです」
フロリエが膝の上で握り締めている手は小刻みに震えている。
「母様……」
その手にそっとコリンシアが触れると、彼女は娘を抱きしめた。
「ずっと付き従ってくれるオルガとティムの2人には申し訳なく思っています。ここにいれば楽なのでしょうが、それでも明朝、この村を発とうと思います」
フロリエの決意にオリガもティムも静かに頭を下げる。
「フロリエ様、我々は貴女様と姫様にどこまでもお供させていただきます」
「自分にはお2人を安全な場所までお連れする義務があります。お供させてください」
そう申し出る姉弟に彼女は静かに頭を下げた。
「ありがとう」
彼等の決意を目の当たりにした村長夫婦は一行を引き止めておくことを断念せざるを得なかった。
「ご決意は変えられぬようでございますね」
「はい。お心はありがたく思いますが、行かねばなりません」
「そうですか……では、出来うる限りの事をさせてくださいませ」
「もう充分にしていただいております。これ以上は村に負担となりましょう。お気持ちだけ頂戴いたします」
フロリエがそう言って頭を下げると、村長の夫婦はもうそれ以上言う事が出来なかった。
翌日、4人は夜明け前に起きて出立の準備を整えた。これから先の事を考え、オリガはその豊かな黒髪をバッサリと切り落として男装する。コリンシアもその目立つ髪を短く切り、手に入った渋草の染料で黒く染め上げた。そして姫君も念のために男の子の服装に着替える。もちろんフロリエも腰のあたりまで伸びていた髪を背中の辺りまでで切り落とした。
決意を新たにした4人が階下に降りると、村長夫婦も既に起きていて、居間で彼らを待っていた。
「お世話になりました」
フロリエが彼らに頭を下げると、村長はそっと何かの包みを取り出した。
「どれだけ役に立つか分かりませんが、これをお持ちになってください」
代表してオリガがそれを受け取り、中を見てみると4人分の通行手形が入っていた。
「村長様……」
「村や町を出入りする際にもしかしたら必要になるでしょう。どこまで通用するかわかりませんが、お役立て下さい」
「何から何まで本当にありがとうございます」
村長の心遣いにフロリエは深々と頭を下げた。そして懐からハンカチに包んだものを取り出すと、夫妻の前にそっと置く。
「気持ちばかりですが、宿代として受け取って下さい」
2人が包みを開けると、数枚の金貨が入っている。これはエドワルドから別れ際に渡された巾着に入っていた金の一部だった。これからの旅にも金は必要であるが、世話になったこの村の人達へ出し惜しむ理由は無かった。
「こんなに……いただけません、フロリエ様」
驚いた2人は金を返そうとするが、フロリエはそれを押し留めた。
「私達は命を助けられました。そのお礼に比べると本当に僅かではありますが、お受け取り下さい。それに……畑があのような惨状では冬を越せるだけの収穫が望めるとは思えません。どうか村のためにお使い下さい」
「お爺、お婆、ありがとうね」
コリンシアが2人に抱きつくと、感無量の2人は声も出せず、金を返せなくなった。
「もし……もし、私たちの行方を尋ねて竜騎士のルーク卿が来られたらこれを渡してもらえますか?」
オリガは手にしていた包みを差し出す。中には切り落としたフロリエとオリガ、コリンシアの髪が入っている。オリガの髪は昨年皇都のお土産としてもらったレースのリボンで束ね、コリンシアの髪はフロリエのものと一緒に姫君のお気に入りの青いリボンで束ねてある。彼が見れば誰の髪かは一目瞭然だろう。ちなみに余った青いリボンはルルーの首に巻きつけてある。
「分かりました。お預かり致します」
村長は恭しくそれを受け取った。
「村長様、準備が整ってございます」
そこへ中年の男が遠慮がちに声をかけてきた。村でも体格のいいこの男は、近くの町まで村での必需品を買いに行く事になっていた。フロリエ達は村長の計らいでそれに途中まで同道させてもらう事になったのだ。男に従って表に出ると、2台の荷車が用意されていた。
1台は買い出し用に用意されていた物。もう1台は子供を連れていては旅がはかどらないだろうからと、村長が彼らに譲ってくれたものだった。古びた荷車には年老いた驢馬が繋がれている。歳はとっているが、フロリエとコリンシア、そしていくらかの荷物は充分運んでくれるだろう。このこともあってフロリエは大金を2人に手渡したのだ。
「それでは村長様、奥方様、本当にありがとうございました」
最後にもう一度フロリエはそう言って2人に頭を下げると、他の3人もそれに習って深々と頭をさげた。
「道中のご無事をお祈りいたしております」
村長の夫婦も頭を下げる。名残惜しいが、譲ってもらった荷車にコリンシアとフロリエが乗り込み、オリガとティムはもう一台に乗せてもらう。途中まではどちらの驢馬もティムが操る事になっていた。
気付くと白々と夜が明け始めている。村長夫婦だけでなく、他の村人達にも見送られながら荷車はゆっくりと村の門をくぐり、登り始めた太陽に向かって街道を歩み始めた。
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