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愛玩3
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沙耶はしばらく犬の頭を撫でていたが、ふと、喉の渇きを覚えて椅子から立ち上がった。
「ハーブティー貰ったの頂こうかな……」
昼間、管理人の老婦人に自家製のハーブティーを貰った事を思い出し、キッチンに向かおうと部屋を出る。そして廊下に出たところで義総の部屋の扉に目を向けると、扉の隙間から明かりが漏れているのに気付いた。
「まだお仕事されているのね……」
今、義総が手掛けている仕事で緊急を要するものは沙耶の件だけだと聞いていた。そして昼間からかかりきりになっているのも自分の事だと思うと、なんだか申し訳なかった。
義総の事を考えていると、彼の端正な顔を思い出す。特に今朝、押し倒された時に間近で見た顔と鍛えられた上半身を思い出すと顔が火照ってくる。
更には胸を触られた感触が蘇ってくるようで、体の奥がなんだか熱くなってくる。まだ具合が悪かった頃、初めて義総に触られた時には感じなかった不思議な甘い感覚だった。
「でも、結局はあなたと同じ扱いなのよね」
付き従っているアレクサンダーの頭を撫でて沙耶は呟く。学校で一番地味な娘と言われたことがあり、沙耶は自分の容姿に自信がなかった。義総が昼間のように迫ってくるのも、未経験という物珍しさと愛玩になるという契約があるからなのだろう。自分はただの愛玩に過ぎない……沙耶はそう思い込むようにして義総に対する淡い思いを急いで振り払った。
キッチンでお湯を沸かし、気持ちを切り替えるためにハーブティーを取り出した。漂う香りに気分が晴れてくる。教えてもらった方法でお茶を淹れ、カウンターの高いスツールに腰かけてお茶を啜る。
「いい香り」
厳しく訓練されているアレクサンダーはキッチンに入ろうとはせずに、リビングで寝そべって沙耶を待っていた。しかし、急にムクリと起き上がると、パサリパサリと尾を振り始める。
「沙耶様、まだ起きておられましたか?」
キッチンの戸口に青柳が立っていた。朝に見かけた姿と全く変わらず、一分の隙も無くスーツを着こなした彼がキッチンに立っていると、何となく違和感がある。
「青柳さんも遅くまでお疲れ様です」
「取引先が海外だと、こんな時間になるのも珍しくありませんよ。ところでどうされましたか?」
最初の頃こそ会う度に緊張していたが、青柳の柔らかい物腰に沙耶はすっかり慣れて、普通に話が出来るようになっていた。もしかしたら今では、義総と会話をする方が緊張しているかもしれない。
「色々ありすぎて考え事していたら眠れなくなってしまって……。喉が渇いたからハーブティを飲んで気分を落ち着けようと思ったのです」
心配してくれるのが分かったので、沙耶は首を振って恥ずかしげに答える。
「そうでしたか。しかし、それも無理ありませんね」
青柳は得心したように頷くと、慣れた手つきで銀のトレイにグラスや氷を用意する。そして冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
「青柳さんも何か飲まれるのですか?」
「義総様が寝酒をご所望されたので、その準備です。私はこの後お屋敷に戻って仕事の続きがあります」
最後にリビングの一角にあるバーカウンターに行き、義総の好みらしいブランデーのボトルを1本持って来る。
「まだお仕事があるのですか?」
「ええ。今夜はきっと徹夜ですね」
さらりと笑顔で答えるが、夜通し仕事をするなんて沙耶にはとても真似出来ない。きっと珍しい事では無いのだろう。
「私がそれをお部屋に届けましょうか?」
仕事が残っているという青柳の負担が軽くなるならと、沙耶はそう申し出た。
「それはとても助かりますが……」
青柳は躊躇していたが、少し考えてから沙耶の前にトレイを差し出す。
「それではお願い致します。おそらく今はシャワーを浴びておられると思います。部屋にこれを置いてきて下さればいいですから」
「はい、わかりました。青柳さんもお気を付けて」
沙耶は使っていたカップを手早く片づけると、トレイをそっと持ち上げる。
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
青柳は沙耶に頭を下げると、本当に時間が惜しいらしく、すぐにキッチンを後にする。
沙耶もその姿を見送ると、トレイを手に義総の寝室に向かう。後ろからはアレクサンダーが音も立てずに静かに従っている。
軽くノックして寝室に入ってみると、青柳が言った通り義総はシャワーを浴びているらしく、奥のバスルームから水音が聞こえている。
だが、脱ぎ捨てた服がワザとだろうかと疑いたくなるほど、方々に散乱していた。昼間来ていたジャケットはソファにかけているからまだいいとしても、ズボンは床に叩きつけたかのようにローテーブルの側に落ち、シャツはグチャグチャに丸まって観葉植物の鉢に引っ掛かっている。高級ブランドの革靴は蹴り上げたのか、両方ともひっくり返って壁際に転がっているし、靴下は左右バラバラになって丸まっていた。
すぐに部屋を出ようと思ったが、沙耶はそれらを放置できず、トレイをローテーブルに置くと、ジャケットとズボンを手近にあったハンガーにかけた。そして靴を拾い集めるとベッドの脇に揃えて置き、シャツと靴下をまとめておいた。後で洗濯籠に入れておけば、綾乃がクリーニングに出してくれるだろう。
「青柳、ハワードから……」
片付けに満足して沙耶が部屋から出ようとしたところで、急にバスルームの戸が開き、裸の義総が出てきた。沙耶は慌てて顔を隠す。
「キャッ」
「沙耶?……ちょっと待っていろ」
義総も慌てた様子だったが、バスルームに戻るとバスローブを羽織って出てきた。髪はまだ濡れているらしく、タオルで拭きながら沙耶の側に近づいてくる。
「まだ寝てなかったのか? 青柳は?」
「あの……その……」
義総の全裸を見てしまい、まだ心臓がドキドキしている。今朝起こした時も彼は裸だったが、特に下半身は夜具で隠してくれていた。彫像のように均整のとれた体は美しいが、初心な沙耶には刺激が強すぎる。
「落ち着いてからでいい。青柳は帰ったのか?」
「は…はい」
義総はソファに座るとトレイに乗っていたミネラルウォーターの蓋を開け、半分くらいを一気に飲む。そして用意されていたグラスに氷を入れてブランデーを注いだ。
「何故、お前が持ってきた?」
自分が勝手をした事で、青柳が咎められては気の毒に思い、沙耶は必死で経緯を説明して弁明をする。義総はそれを聞きながらグラスの中身を飲み干した。
「義総様には良くして頂いているので、何かお役に立ちたいと思ったのです」
「そうか……そう思うなら酌をしてくれ」
義総が空のグラスを差し出す。沙耶は戸惑ったものの、ブランデーの瓶を手に取った。差し出されたグラスに注意深く注ぐと、彼はそれを一気に飲み干した。
「ハーブティー貰ったの頂こうかな……」
昼間、管理人の老婦人に自家製のハーブティーを貰った事を思い出し、キッチンに向かおうと部屋を出る。そして廊下に出たところで義総の部屋の扉に目を向けると、扉の隙間から明かりが漏れているのに気付いた。
「まだお仕事されているのね……」
今、義総が手掛けている仕事で緊急を要するものは沙耶の件だけだと聞いていた。そして昼間からかかりきりになっているのも自分の事だと思うと、なんだか申し訳なかった。
義総の事を考えていると、彼の端正な顔を思い出す。特に今朝、押し倒された時に間近で見た顔と鍛えられた上半身を思い出すと顔が火照ってくる。
更には胸を触られた感触が蘇ってくるようで、体の奥がなんだか熱くなってくる。まだ具合が悪かった頃、初めて義総に触られた時には感じなかった不思議な甘い感覚だった。
「でも、結局はあなたと同じ扱いなのよね」
付き従っているアレクサンダーの頭を撫でて沙耶は呟く。学校で一番地味な娘と言われたことがあり、沙耶は自分の容姿に自信がなかった。義総が昼間のように迫ってくるのも、未経験という物珍しさと愛玩になるという契約があるからなのだろう。自分はただの愛玩に過ぎない……沙耶はそう思い込むようにして義総に対する淡い思いを急いで振り払った。
キッチンでお湯を沸かし、気持ちを切り替えるためにハーブティーを取り出した。漂う香りに気分が晴れてくる。教えてもらった方法でお茶を淹れ、カウンターの高いスツールに腰かけてお茶を啜る。
「いい香り」
厳しく訓練されているアレクサンダーはキッチンに入ろうとはせずに、リビングで寝そべって沙耶を待っていた。しかし、急にムクリと起き上がると、パサリパサリと尾を振り始める。
「沙耶様、まだ起きておられましたか?」
キッチンの戸口に青柳が立っていた。朝に見かけた姿と全く変わらず、一分の隙も無くスーツを着こなした彼がキッチンに立っていると、何となく違和感がある。
「青柳さんも遅くまでお疲れ様です」
「取引先が海外だと、こんな時間になるのも珍しくありませんよ。ところでどうされましたか?」
最初の頃こそ会う度に緊張していたが、青柳の柔らかい物腰に沙耶はすっかり慣れて、普通に話が出来るようになっていた。もしかしたら今では、義総と会話をする方が緊張しているかもしれない。
「色々ありすぎて考え事していたら眠れなくなってしまって……。喉が渇いたからハーブティを飲んで気分を落ち着けようと思ったのです」
心配してくれるのが分かったので、沙耶は首を振って恥ずかしげに答える。
「そうでしたか。しかし、それも無理ありませんね」
青柳は得心したように頷くと、慣れた手つきで銀のトレイにグラスや氷を用意する。そして冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
「青柳さんも何か飲まれるのですか?」
「義総様が寝酒をご所望されたので、その準備です。私はこの後お屋敷に戻って仕事の続きがあります」
最後にリビングの一角にあるバーカウンターに行き、義総の好みらしいブランデーのボトルを1本持って来る。
「まだお仕事があるのですか?」
「ええ。今夜はきっと徹夜ですね」
さらりと笑顔で答えるが、夜通し仕事をするなんて沙耶にはとても真似出来ない。きっと珍しい事では無いのだろう。
「私がそれをお部屋に届けましょうか?」
仕事が残っているという青柳の負担が軽くなるならと、沙耶はそう申し出た。
「それはとても助かりますが……」
青柳は躊躇していたが、少し考えてから沙耶の前にトレイを差し出す。
「それではお願い致します。おそらく今はシャワーを浴びておられると思います。部屋にこれを置いてきて下さればいいですから」
「はい、わかりました。青柳さんもお気を付けて」
沙耶は使っていたカップを手早く片づけると、トレイをそっと持ち上げる。
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
青柳は沙耶に頭を下げると、本当に時間が惜しいらしく、すぐにキッチンを後にする。
沙耶もその姿を見送ると、トレイを手に義総の寝室に向かう。後ろからはアレクサンダーが音も立てずに静かに従っている。
軽くノックして寝室に入ってみると、青柳が言った通り義総はシャワーを浴びているらしく、奥のバスルームから水音が聞こえている。
だが、脱ぎ捨てた服がワザとだろうかと疑いたくなるほど、方々に散乱していた。昼間来ていたジャケットはソファにかけているからまだいいとしても、ズボンは床に叩きつけたかのようにローテーブルの側に落ち、シャツはグチャグチャに丸まって観葉植物の鉢に引っ掛かっている。高級ブランドの革靴は蹴り上げたのか、両方ともひっくり返って壁際に転がっているし、靴下は左右バラバラになって丸まっていた。
すぐに部屋を出ようと思ったが、沙耶はそれらを放置できず、トレイをローテーブルに置くと、ジャケットとズボンを手近にあったハンガーにかけた。そして靴を拾い集めるとベッドの脇に揃えて置き、シャツと靴下をまとめておいた。後で洗濯籠に入れておけば、綾乃がクリーニングに出してくれるだろう。
「青柳、ハワードから……」
片付けに満足して沙耶が部屋から出ようとしたところで、急にバスルームの戸が開き、裸の義総が出てきた。沙耶は慌てて顔を隠す。
「キャッ」
「沙耶?……ちょっと待っていろ」
義総も慌てた様子だったが、バスルームに戻るとバスローブを羽織って出てきた。髪はまだ濡れているらしく、タオルで拭きながら沙耶の側に近づいてくる。
「まだ寝てなかったのか? 青柳は?」
「あの……その……」
義総の全裸を見てしまい、まだ心臓がドキドキしている。今朝起こした時も彼は裸だったが、特に下半身は夜具で隠してくれていた。彫像のように均整のとれた体は美しいが、初心な沙耶には刺激が強すぎる。
「落ち着いてからでいい。青柳は帰ったのか?」
「は…はい」
義総はソファに座るとトレイに乗っていたミネラルウォーターの蓋を開け、半分くらいを一気に飲む。そして用意されていたグラスに氷を入れてブランデーを注いだ。
「何故、お前が持ってきた?」
自分が勝手をした事で、青柳が咎められては気の毒に思い、沙耶は必死で経緯を説明して弁明をする。義総はそれを聞きながらグラスの中身を飲み干した。
「義総様には良くして頂いているので、何かお役に立ちたいと思ったのです」
「そうか……そう思うなら酌をしてくれ」
義総が空のグラスを差し出す。沙耶は戸惑ったものの、ブランデーの瓶を手に取った。差し出されたグラスに注意深く注ぐと、彼はそれを一気に飲み干した。
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