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独占欲

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 楽屋へ戻り貰った清涼飲料水の入ったペットボトルをリュックに詰めていると、ノック音と共に扉が開いた。今日も黒いストライプスーツをビシッと決めて、その癖に開襟して首筋を見せつけていやがる。和人さんを見ているとあんたが芸能界に入ればって心底思う。
「お疲れ様。初めてのCM撮影どうだった?」
「なんつーか……結構面倒臭いですね。商品はこの角度でここを持ってとか、あんな言われると思いませんでした」
「商品をよく見せなきゃいけないからね。俺にとっては隼人くんが商品なんだけど」
 そう言ってまだ閉めていなかった人のリュックから今さっき撮影してきた商品である清涼飲料水を取り出す。新商品の炭酸飲料だ。和人さんは蓋を開けてぐいっとそれを煽ると、顔の横に持ちキリッとした表情を作る。
「この渇きを潤さないと、はじまらない」
 そんでもってついさっきまで死ぬほど言わされたフレーズを言うもんだから腹が立つ。なんだよそのドヤ顔(俺はそんな顔してないはず)、美人じゃなかったらとっくにぶん殴ってる。
「これ美味しいねー!」
「あーはいはい、うまいですね」
 和人さんからペットボトルを奪い、 喉を潤す。確かに甘過ぎなくて美味い。でもこの商品と一緒に自分がお茶の間に流れるのかと思うと憂鬱だった。しかし仕方ない、借りは返さないともっと面倒くさいことになる。
 そんな不満面を見て和人さんは察したのか、その話題を出してきた。
「絶対嫌だって言ってたのに、玲児くんのおかげで撮影に漕ぎ着けて良かったよ」
「いや、急だったのにありがとうございました」
「俺さー、浅人から色々聞いてるんだけど。変なこと聞いていい?」
「なんですか」
 ふっくらした柔らかそうな唇を歪め、俺の肩に手をかけ背伸びした和人さんは、人差し指で俺の下唇をつついた。
「隼人くんの忘れられない人って玲児くん?」
 心臓が止まるかと思った。
 そしてこの人に玲児を家まで送ってくれと頼んだことを後悔する。
「何言ってんですか。違いますよ」
 できるだけ平静を装って答えたが、今更遅いだろう。不意打ちでかなり驚いてしまった。表情に出ていたに決まってる。
 和人さんはやっぱり綺麗に微笑んでいて。
「本当かなぁ? それなら送り狼しちゃえば良かった。玲児くん、俺の車で寝ちゃってたから」
「はぁ?! ふざけんな、玲児は……っ!」
 言いかけてハッとする。苦し紛れに和人さんの細い身体押し退けようとしたが、その前に軽々と後ろへ下がって避けられてしまった。
「玲児くんいいよねー? 俺もそろそろ固定の恋人作ろうかな?」
「はっ。和人さんネコだろ。あんたは知らないだろうけどああ見えて玲児は……」
「玲児くんの可愛さならわかってるよ。和人さんはオールマイティだから大丈夫」
「ふざけんなよ、マジで」
 一歩前に出て和人さんに迫る。俺より二十センチ近く小さい癖に、睨まれても怯むことなんかなく相変わらず笑みを絶やさない。
 本当になんなんだよこの人は。なんでもわかったような顔をして。玲児に手を出すどころか玲児を可愛いと言うだけで腹が立つ。許せない。
「そんな怖い顔しないでよ。ま、とりあえず玲児くんのお父さんには兄がお世話になってるから、なんもしないよ」
「だったら言うなよ。不愉快だっつーの」
「ねぇ? 玲児くんのこと忘れるんだよねぇ?」
 そう話す唇は笑っていたが、瞳はこちらを睨みつけて全く笑っていなかった。青い瞳が冷たく感じる。
「浅人と付き合ってるんでしょ? あんなんでも可愛い弟だからさ。あんまり傷つけないでね?」
 イライラする。イライラする……が、浅人の名前を出されると何も言えなかった。あいつには後ろめたさしかない。こんな風に思っていること自体が最低だが。
「わかってますよ」
 この人には勝てねぇやと、身体の向きを変えて机に置いてあったリュックのチャックを閉めた。背負うとずっしりと重く、貰いすぎたなと少し後悔する。そのまま帰ろうと思ったが、呼び止められた。
「家まで送ろうか?」
「いや、いいです」
「俺は隼人くんも可愛がってるつもりだよ。あんまり怒らないでね?」
 ドアノブに手を掛けたまま、顔だけ後ろに向ける。先程よりも随分優しげに笑って小首を傾げる姿はやはり綺麗で、その綺麗さは有無を言わせない迫力でもあった。
「そりゃどうも。あと、怒ってないです」
 お疲れ様でした、と続けて扉の外へ出る。疲れた。頭痛い。改めて考えても、本気でややこしい相手と付き合うことになってしまったと思う。浅人を傷つけないなんてできるのだろうか。
 はあぁっと大袈裟にため息を吐いて、どうしようもない俺はスタジオを後にした。




「結局用事って何なのですか?」
「出雲の顔が……見たくて……」
「頭おかしいんじゃないですか?」
「出雲、可愛い……ベットあるよ……」
 扉を開けた瞬間、およそ教師と生徒がしているとは思えない会話が繰り広げられていることに呆然としてしまった。少し休みたかっただけだと言うのに変なものを見てしまったと帰ろうかと思ったが、扉の前で突っ立っている俺に出雲が気付く。
「おや、玲児くんじゃないですか。どうされました?」
「いや……邪魔をしたようだ」
「喜ばしい限りです。それよりどこか悪いのですか?」
 出雲は助かったとでも言わんばかりに嬉嬉としてこちらに近づいてきたが、背後にいる加賀見はソファに座ったまま明らかに残念そうな顔をしていた。けれども俺の顔を見るとすくっと立ち上がり、こちらに近づいてきたと思ったらいきなり両手で腰を掴まれた。
「いきなり何をする?!」
 思わず怒鳴り声が出たが、加賀見は脇腹や腰を何度も触って首を傾げるだけだった。がしっがしっと強く掴んでくるので驚いてビクついてしまう。
「君……元々細いのに、痩せたね……食べてる……?」
 その言葉にギクリとする。
 ここのところ、睡眠も食事もしっかりとれていなかった。痩せたのも自覚しているので怖くて体重計には乗っていない。
 腰から手は離れたが、今度は額に触れられた。手が大きいせいで目も半分くらい隠されてしまい落ち着かない。加賀見の顔などよく見たことがなかったが、近くで見ると眠たそうな目はしているが黒目が大きく、鼻筋も通っていてなかなか美形なのだなと思った。真ん中で分けた長い前髪が顔にかかると、少し隼人を思い出してしまい辛かった。
「体温低い……頭痛とかはない……?」
 話し出すと息がかかるほど顔が近いのに気づき、急いで顔を逸らした。
「大丈夫だ、昼休みの間だけ横になろうと思って来ただけだ」
「うん……休んだ方が、いい」
 ベットを指さされ、軽く会釈して奥のベットへ向かった。無遠慮で心臓に悪いやつだ。仕切ってあるカーテンを閉め、ベットに転がるとやっと安心できた。
 安心できた、筈だったのだが。
 すぐに出雲が無断でカーテンを開けて、中へ入ってきた。この男とはあまり話はしたくないのに。
「何の用だ……」
「いえ、顔色が悪いので心配で。先日もここでお会いしましたし、ずっと体調が優れないのですか?」
「放っておいてくれ」
  寝返りを打って背を向ける。こいつの顔はできるだけ見たくなかった。見ているとどうしても隼人と一緒にいるところを想像してしまう。もう終わった関係だと聞いているのにこんなに妬いてしまうなんて。これからは浅人を見てもこんなに辛くなるのだろうか。
「隼人はどうしてます? 元気ですか?」
 嫌な問だ。返事はしなかった。
 浅人と付き合ったと聞いてから教室で毎日顔を合わせてはいても、会話をする事は無かった。隼人の傍にはいつも浅人がいて、浅人が人目も憚らず奴に抱きつく姿はよく見かけたので元気にやっているのだろう。
「毎日のように一緒にいたのに、関係を終えてから会ってないんです」
「貴様の話など聞きたくない」
「確かに……そうですよね」
 シャッとカーテンを開ける音がした。去ってくれるのかと思ったが、まだそいつは話を続けた。
「俺との関係を切ったのは……貴方とやり直すためだと思ってます。隼人と貴方が上手くいくならば、俺はそれで……」
「上手くいくわけないだろう」
「え……?」
 無視しても良かったのに、思わず口から出てしまった。けれども本当のことを教えてやらなければこいつも不幸だと思った。俺自身またこんな風に言われることも避けたい。
 けれどもその続きを言葉にするのは、口に出すのは、とても勇気のいることだった。自分でもまだ認めたくないことだから。
「隼人は浅人と付き合っているんだ。俺とは関係ない」
 背を向けたまま話したので出雲の顔は見えなかったが、その方がいいと思った。いくらいけ好かない奴だとしても悲しむ顔は見たくない。
「待ってください……嘘でしょう? なんでそんな……」
「はっ」
 驚くほど意地の悪い声が出た。
「貴様が浅人を傷つけたのだろう。隼人はそのことに責任を感じたのだ。馬鹿な男だな。自分が原因になるとも知らずあんなことをして」
 相手を攻撃する言葉がすらすらと出てきた。馬鹿な男は俺だ、こんなことを傷ついている相手に言うなんて。
 出雲には勿論非がある。こいつのせいで隼人は浅人と付き合ったというのは事実だが、実際にはそのせいだけではないのも分かっていた。あの電話の時に俺がもう少し隼人の話を聞いていれば違う結果があったかもしれない。
「そんな、俺のせいでそんなことに……?」
 出雲の声は微かに震えていた。
「襲ってはいないのに……」
「そういう問題ではないのだろう。浅人は傷ついたのだ」
「でも貴方は?」
 肩を掴まれ、無理矢理に身体を仰向けにされてしまった。力があまり入らない。思ったよりも体力が落ちているようだ。
「貴方だって、傷ついたでしょう? こんなことになって。貴方だって、隼人が好きなのでしょう?!」
「知らん! 俺には関係の無いことだ。巻き込むな!」
「嘘でしょう?! 貴方が好きだと言えば隼人はすぐに浅人くんと別れますよ? 放っておいていいんですか?!」
「知らんと言っているだろう?!」
 肩を振り上げ掴まれていた手を払い、また出雲に背中を向けて寝転んだ。もう勘弁して欲しい。ますます体調が悪くなる。
 姿は見えないが、出雲は暫くその場に突っ立ったままだった。早く行けと念じていると、カーテンの閉まる音がする。けれども出ていった気配はない。姿を確認しようと寝返りを打つと、出雲はベットに乗り、俺に覆い被さってきた。
「加賀見先生はまた煙草ですかね、いつの間にか消えてましたよ」
「な……貴様、何を考えているんだ」
「俺が襲いかけたから、隼人は浅人くんと付き合うのでしょう? ならば責任を取って、また俺が悪者になるしかないじゃないですか」
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