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イジワル悪役令嬢を演じます
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そして――――
「そこはセリフが違いますわ」
「奉書紙ばかり見ないでください」
「背中が丸まっています」
広い講堂の中に、少女の可愛い声が厳しく響く。
入学式の準備をしていた教職員は、先ほどから作業の手を止め壇上の少女と彼女の隣であたふたする少年をポカンと見上げていた。
同じ壇上にいるアウレリウスとテレジアなどは、呆気に取られて言葉もないほど。
少年と少女は、言わずと知れた、ハルトムートとミナだった。
「声が小さい!」
ミナに怒鳴られてついに我慢できなくなったハルトムートが、バン! と演台を手で叩く。
あんまり勢いよく叩くから、反動で乗っていた踏み台からステンと落ちるくらいの勢いだ。
ミナもハルトムートも演台に立つには背が低すぎるため、踏み台を用意してもらっている。
「何をなさっているのですか? 落ち着きのない。時間が迫っているのですよ」
呆れたように上から見下ろすミナを、尻もちをついたままハルトムートが下から睨んだ。
「お前は、いったいなんなんだ!?」
「あら? 先ほどご挨拶をさせていただいたはずですが、もうお忘れですか? エストマン伯爵の娘ヴィルヘルミナです」
「そんなことは知っている! 俺が聞いているのはそういうことじゃない!」
十歳の少年は癇癪を起して叫んだ。
対するミナは、年齢に見合わぬ大人びた仕草でため息をつく。そのセリフも何もかも、とても十歳とは思えぬものなのだが、今は緊急事態だ仕方ない。
「では、どういうことですか?」
「お前のそういうところだ! ただの伯爵令嬢のくせに偉そうに俺に指図して、上から目線で叱りつけ、おまけに呆れていることを隠しもしない! お前はいったい何さまのつもりだ!?」
予行演習をはじめてニ十分。
最初のうちこそハルトムートをおだて持ち上げていたミナは、今ではすっかり態度を豹変させていた。
小さな注意からはじまって徐々に指摘を厳しくし、その内はっきりとした命令に変わったミナの口調に、ハルトムートが苛立ちを覚えるのは無理のないこと。
しかし、全て的を得た言葉のため彼は反論もできずやられっぱなしだった。
「あら? だってハルトムートさまが挨拶を『全て覚えている』なんていう“嘘”を仰るのがいけないのですわ。全てどころかなんにも覚えていらっしゃらない方に指導するのなら、多少厳しくなるのは仕方ありませんわよね?」
正論に反論できないハルトムートだった。
「グゥッ」とカエルの潰れたような声が彼の方から聞こえてくる。
「……指導しろとは命じていない!」
それでもプルプルと震えながらそう叫んだ。
聞いたミナは鼻で笑い飛ばす。
「私だって、したくてしているわけではありませんわ。でも一緒に壇上に立つのですもの、多少はまともに挨拶してくださらなければ、私が困ります。……それとも全てのセリフを私が言ってハルトムートさまは最後の『誓います』だけ仰いますか?」
それはミナがテレジアに言われた言葉だった。
ハルトムートはギリギリと歯を食いしばる。
(……そうそう。イイ感じや。もっと怒るんやで)
そんな彼を見ながら、ミナは心の中でとんでもない声援をハルトムートに送っていた。
(あんたがこれから立ち向かうのは、何百人もの悪意と侮蔑や。そんなもん吹き飛ばすくらいに怒らなあかんで)
ミナは心からそう思っていたのだ。
――――先ほどのミナの態度で、ハルトムートは体の力を抜いた。
久しぶりに会った自分を蔑まない相手に対し心底安堵したのだろう。
しかし、その程度の安堵ではこの後浴びせられるはずの不特定多数からの悪意に立ち向かえるとは思えなかった。
(ゲームのヴィルヘルミナとハルトムートの間にあったような確固たる信頼と友情があれば違うんやろうけど――――)
残念なことに今のミナとハルトムートの間にあるのは、芽生えたばかりのほのかな好意らしきもの。
それでは到底この後の悪意には太刀打ちできないとミナは思った。
必要なのは強い信頼と同じくらい強い“何か”だ。
どうにかならないかと考えたミナが思いついたのが――――怒りだった。
怒りは人間の持つ感情の中でも強く激しいものだ。しかも短時間で大きく深く育てやすい。
(目も眩むような怒りに支配されていれば、他の人間の悪意なんか気にならへん)
そうミナは思う。
現にハルトムートは目をギラギラさせてミナを睨んでいた。
「……貴様も同じなんだな。……俺が闇属性だから……だから俺を軽んじバカにしているのだろう!」
ついにハルトムートはそう叫んだ。
ギュッと握りしめられた小さな拳は、あまりに力を入れ過ぎて血色を失い白くなるほど。
ミナは――――冷たい視線で睨み返した。
「バカだと思いましたら、本物のバカだったようですわね?」
「貴様!」
「甘えるのもいい加減になさいまし!」
ミナは、大声で怒鳴った。
「あなたがバカなのは、闇属性だからとかそんなことは全く関係ないことですわ!」
闇属性は関係ないと言われて、ハルトムートはピタリと動きを止める。
驚愕の表情に向かって、ミナは大きなため息をついた。
「あなたが、今私に言われたい放題に言われているのは、あなたが当然しなければならなかった努力を怠ったからです。……私、言いましたでしょう? あなたは王族なのですから新入生代表になるのは決まっていたことなのだと。代表挨拶の原稿だってずっと前からもらっていたはずです。――――なのに、あなたはそれを覚えるという努力をなさらなかった」
「……あ」
図星を指されたハルトムートは、小さな声をあげる。
入学前の検査で闇属性とわかったハルトムート。
今まで優しかった周囲に突如冷たくされて、きっと彼は挨拶の練習どころじゃなかったのだろう。
事情はよくわかる。
わかるが――――ミナは、大きく首を横に振った。
「挨拶をする練習だって、一度もなさっていなかったでしょう? 先ほどの様子を見ればそれくらいすぐにわかります。……ご自分の努力不足のミスを、闇属性だかなんだかわかりませんが他のせいにしないでください。そういうのを『逃げている』と言いますのよ」
あえて冷たい言い方をした。
ここで理解を示して同情しても、彼のおかれた立場は少しも変わらぬからだ。
ピシャリと言い切られて、ハルトムートは口をつぐんだ。
言い返したいのに言い返せず唇を噛む。
ミナはピョンと踏み台から降りた。小さな手をハルトムートに向けて伸ばす。
「で、どうされますか? このまま尻尾を巻いてお逃げになりますか? 私はそれでも大丈夫ですよ。新入生代表の挨拶くらい一人で立派に勤め上げて見せますわ」
バカにしたように言えば、ハルトムートはバッ! と立ち上がった。
差し伸べたミナの手をパンと払う。
「誰が逃げるか! そのくらい俺にだってできる!」
ミナは――――ニッと笑った。
「そうですか。それではお手並み拝見とまいりましょう。言っておきますが私の足を引っ張らないでくださいませね」
「誰が引っ張るか!」
怒鳴ったハルトムートは踏み台に上がってくる。
怒りに頬を赤くしながら、まだまばらな会場を睨みつけた。
「さっさとするぞ!」
「……はい」
言われたミナもまた踏み台に上がる。
ハルトムートの隣に立った。
先ほどより大きな声で真剣に練習をはじめたハルトムートに、心の底からホッとするミナだった。
「そこはセリフが違いますわ」
「奉書紙ばかり見ないでください」
「背中が丸まっています」
広い講堂の中に、少女の可愛い声が厳しく響く。
入学式の準備をしていた教職員は、先ほどから作業の手を止め壇上の少女と彼女の隣であたふたする少年をポカンと見上げていた。
同じ壇上にいるアウレリウスとテレジアなどは、呆気に取られて言葉もないほど。
少年と少女は、言わずと知れた、ハルトムートとミナだった。
「声が小さい!」
ミナに怒鳴られてついに我慢できなくなったハルトムートが、バン! と演台を手で叩く。
あんまり勢いよく叩くから、反動で乗っていた踏み台からステンと落ちるくらいの勢いだ。
ミナもハルトムートも演台に立つには背が低すぎるため、踏み台を用意してもらっている。
「何をなさっているのですか? 落ち着きのない。時間が迫っているのですよ」
呆れたように上から見下ろすミナを、尻もちをついたままハルトムートが下から睨んだ。
「お前は、いったいなんなんだ!?」
「あら? 先ほどご挨拶をさせていただいたはずですが、もうお忘れですか? エストマン伯爵の娘ヴィルヘルミナです」
「そんなことは知っている! 俺が聞いているのはそういうことじゃない!」
十歳の少年は癇癪を起して叫んだ。
対するミナは、年齢に見合わぬ大人びた仕草でため息をつく。そのセリフも何もかも、とても十歳とは思えぬものなのだが、今は緊急事態だ仕方ない。
「では、どういうことですか?」
「お前のそういうところだ! ただの伯爵令嬢のくせに偉そうに俺に指図して、上から目線で叱りつけ、おまけに呆れていることを隠しもしない! お前はいったい何さまのつもりだ!?」
予行演習をはじめてニ十分。
最初のうちこそハルトムートをおだて持ち上げていたミナは、今ではすっかり態度を豹変させていた。
小さな注意からはじまって徐々に指摘を厳しくし、その内はっきりとした命令に変わったミナの口調に、ハルトムートが苛立ちを覚えるのは無理のないこと。
しかし、全て的を得た言葉のため彼は反論もできずやられっぱなしだった。
「あら? だってハルトムートさまが挨拶を『全て覚えている』なんていう“嘘”を仰るのがいけないのですわ。全てどころかなんにも覚えていらっしゃらない方に指導するのなら、多少厳しくなるのは仕方ありませんわよね?」
正論に反論できないハルトムートだった。
「グゥッ」とカエルの潰れたような声が彼の方から聞こえてくる。
「……指導しろとは命じていない!」
それでもプルプルと震えながらそう叫んだ。
聞いたミナは鼻で笑い飛ばす。
「私だって、したくてしているわけではありませんわ。でも一緒に壇上に立つのですもの、多少はまともに挨拶してくださらなければ、私が困ります。……それとも全てのセリフを私が言ってハルトムートさまは最後の『誓います』だけ仰いますか?」
それはミナがテレジアに言われた言葉だった。
ハルトムートはギリギリと歯を食いしばる。
(……そうそう。イイ感じや。もっと怒るんやで)
そんな彼を見ながら、ミナは心の中でとんでもない声援をハルトムートに送っていた。
(あんたがこれから立ち向かうのは、何百人もの悪意と侮蔑や。そんなもん吹き飛ばすくらいに怒らなあかんで)
ミナは心からそう思っていたのだ。
――――先ほどのミナの態度で、ハルトムートは体の力を抜いた。
久しぶりに会った自分を蔑まない相手に対し心底安堵したのだろう。
しかし、その程度の安堵ではこの後浴びせられるはずの不特定多数からの悪意に立ち向かえるとは思えなかった。
(ゲームのヴィルヘルミナとハルトムートの間にあったような確固たる信頼と友情があれば違うんやろうけど――――)
残念なことに今のミナとハルトムートの間にあるのは、芽生えたばかりのほのかな好意らしきもの。
それでは到底この後の悪意には太刀打ちできないとミナは思った。
必要なのは強い信頼と同じくらい強い“何か”だ。
どうにかならないかと考えたミナが思いついたのが――――怒りだった。
怒りは人間の持つ感情の中でも強く激しいものだ。しかも短時間で大きく深く育てやすい。
(目も眩むような怒りに支配されていれば、他の人間の悪意なんか気にならへん)
そうミナは思う。
現にハルトムートは目をギラギラさせてミナを睨んでいた。
「……貴様も同じなんだな。……俺が闇属性だから……だから俺を軽んじバカにしているのだろう!」
ついにハルトムートはそう叫んだ。
ギュッと握りしめられた小さな拳は、あまりに力を入れ過ぎて血色を失い白くなるほど。
ミナは――――冷たい視線で睨み返した。
「バカだと思いましたら、本物のバカだったようですわね?」
「貴様!」
「甘えるのもいい加減になさいまし!」
ミナは、大声で怒鳴った。
「あなたがバカなのは、闇属性だからとかそんなことは全く関係ないことですわ!」
闇属性は関係ないと言われて、ハルトムートはピタリと動きを止める。
驚愕の表情に向かって、ミナは大きなため息をついた。
「あなたが、今私に言われたい放題に言われているのは、あなたが当然しなければならなかった努力を怠ったからです。……私、言いましたでしょう? あなたは王族なのですから新入生代表になるのは決まっていたことなのだと。代表挨拶の原稿だってずっと前からもらっていたはずです。――――なのに、あなたはそれを覚えるという努力をなさらなかった」
「……あ」
図星を指されたハルトムートは、小さな声をあげる。
入学前の検査で闇属性とわかったハルトムート。
今まで優しかった周囲に突如冷たくされて、きっと彼は挨拶の練習どころじゃなかったのだろう。
事情はよくわかる。
わかるが――――ミナは、大きく首を横に振った。
「挨拶をする練習だって、一度もなさっていなかったでしょう? 先ほどの様子を見ればそれくらいすぐにわかります。……ご自分の努力不足のミスを、闇属性だかなんだかわかりませんが他のせいにしないでください。そういうのを『逃げている』と言いますのよ」
あえて冷たい言い方をした。
ここで理解を示して同情しても、彼のおかれた立場は少しも変わらぬからだ。
ピシャリと言い切られて、ハルトムートは口をつぐんだ。
言い返したいのに言い返せず唇を噛む。
ミナはピョンと踏み台から降りた。小さな手をハルトムートに向けて伸ばす。
「で、どうされますか? このまま尻尾を巻いてお逃げになりますか? 私はそれでも大丈夫ですよ。新入生代表の挨拶くらい一人で立派に勤め上げて見せますわ」
バカにしたように言えば、ハルトムートはバッ! と立ち上がった。
差し伸べたミナの手をパンと払う。
「誰が逃げるか! そのくらい俺にだってできる!」
ミナは――――ニッと笑った。
「そうですか。それではお手並み拝見とまいりましょう。言っておきますが私の足を引っ張らないでくださいませね」
「誰が引っ張るか!」
怒鳴ったハルトムートは踏み台に上がってくる。
怒りに頬を赤くしながら、まだまばらな会場を睨みつけた。
「さっさとするぞ!」
「……はい」
言われたミナもまた踏み台に上がる。
ハルトムートの隣に立った。
先ほどより大きな声で真剣に練習をはじめたハルトムートに、心の底からホッとするミナだった。
応援ありがとうございます!
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