美食耽溺人生快楽

如月緋衣名

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狂瀾怒涛

狂瀾怒涛 第三話

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 俺が気が付いた場所は、奏太の家のマンションの前だった。
 俺の携帯電話にはパティスリーショップの解雇の通知があり、貯金通帳には謎の金の振り込みがあった。
 口止め料、手切れ金、慰謝料。
 色々な言葉を思い浮かべながら、俺は唇を噛み締める。
 俺はゼノでも居られなくなり、璃生も失ってしまった。
 正直俺の大切にしていたものが全て、魔法の様に消えてしまったのだ。
 
 
 「………涼、車借りて来るからドライブとかいかねぇか?」
 
 
 奏太がそう言って俺の顔を覗き込み、俺は怪訝な顔を浮かべてみせる。
 使い慣れないPCの入力作業に手間取る俺にとっては、今の奏太の誘いは少しタイミングが良くない。
 
 
「それ、仕事命令ですか?……先輩」
 
 
 そう言って笑ってわざとらしく笑えば、面倒くさいお局が俺と奏太の方を睨む。
 俺と奏太は敢えてそれを見ないフリをしながら、こっそりと笑い合った。
 何もかも失って意気消沈している俺を、奏太が自分の働く会社に引き込む。
 何もすることが無かった俺にとっては、それは本当にいい助け舟になっていた。
 
 
 奏太と俺は今、昔よりも友達らしい関係性になった気がする。
 加藤涼介という普通の人間として生きてゆく。
 それはとても穏やかで、昔の激しさが夢の様に感じられた。
 普通の人間として生き始めるようになり、もう三か月という時が過ぎる。
 それでも今も璃生の事だけは、一日たりとも忘れた事は無かった。
 
 
 虚無感を感じていないといえば、間違いなく嘘になる。
 けれどこの日々はこの日々で満たされていた。
 
 
 金曜の夜の仕事終わりに、奏太と二人で車を借りる。
 奏太の運転は申し訳ないけれど下手くそで、俺は思わず笑ってしまった。
 
 
「………ウインカーとウォッシャー間違えるなんてさ、教習生じゃないんだから……!!!」
 
 
 俺がそう言いながらケラケラ笑っていれば、奏太が深く溜め息を吐く。
 そしてほんの少しイライラしながらも、教科書通りの正しい姿勢でシートに座っている。
 それもまた面白くなってしまい、俺はただただ笑っていた。
 
 
「うるせぇよ!!馬鹿!!どうせ免許証なんて身分証明位にしか使ってねぇよ!!!」
 
 
 そう言って怒鳴る奏太と二人で、夜の街並みを走っている。
 夜の街並みも光るネオンも、何もかもが懐かしくて遠く感じた。
 パティスリーショップで働いていた頃を思い返して胸が痛む。
 けれど奏太は上手く、それに気付いて目を逸らしてくれるのだ。
 
 
「ところで奏太、仕事慣れた?続けられそう?」
「ああ、今は大丈夫。皆優しいし結構慣れると楽しい」
 
 
 奏太に笑い返せば、奏太は少し安心したような表情を浮かべて笑う。
 正直俺が危険なことに巻き込まれなくなったことで、奏太は安心しているようだ。
 そして多分奏太は今、俺のことが好きだ。
 
 
 璃生と出掛けた海について、夜の海を眺めている。
 穏やかな波の音と、月の光。
 二人で座った堤防に腰かければ、俺の隣に奏太が腰かけた。
 何処に行きたいかと問いかけられて、海と答えてしまった。
 
 
 どうしても璃生と出掛けたこの海が良かった。
 俺は璃生をやっぱり、忘れられていないのだ。
 ぼんやりと水平線を眺めていれば、奏太が俺に問いかける。
 
 
「………なぁ、お前、前の恋人のことまだ好き?」
 
 
 奏太の質問に対して、俺は言葉に詰まって黙り込む。
 ただ遠くの方で、波の音が響いてゆく。
 俺の隣にいる奏太は正直複雑そうな表情を浮かべている。
 そしてふわふわした髪を掻いてから小さく囁いた。
 
 
「俺さぁ、今日お前に付き合ってくれって言おうと思ってた」
 
 
 正直俺もそれに関しては既に察しが付いていた。
 奏太と付き合って無理矢理にでも璃生を忘れて、普通の日々を過ごして普通に生きてゆくことも、人生の選択としては良いことだ。
 もし奏太がそう言いだすのなら、付き合った方が良いのだろうかと考えた。
 
 
 けれど、璃生を忘れる人生なんて俺には想像が付かなかった。
 
 
「俺さ、今の涼は健康的だし、それなりに幸せそうなんだけど、心から幸せじゃないの解るんだ。
多分俺じゃ、涼は心から幸せになんないんだろうな」
 
 
 奏太から出た意外な言葉に、思わず奏太の方を見る。
 すると奏太は諦めたような表情を浮かべて、まるで俺の背中を押すかのようにこういった。
 
 
「………今俺はさ、お前が忽然と消えてもびっくりしないんだ。
お前は多分何時か、その人に逢いに行くよ。
雪の日の俺の時みたいに。
もしお前が俺の目の前から、忽然と消えていなくなっても、それでお前が幸せならいいと思った……」
 
 
 奏太がそう言って笑った瞬間に、涙が流れて止まらなくなる。
 逢いたいと思った。心の底から。璃生に逢いたいと感じていた。
 
 
「………ありがとう」
 
 
 奏太にそう告げれば、目から一筋涙が落ちる。
 そして俺はこの時に、命を失ってでも璃生に逢いに行く覚悟を決めた。
 
 
***
 
 
 愛とはまさに狂気である。
 
 
 その言葉を言い出した人はきっと、俺みたいに愛に狂ってしまっているに違いない。
 色々な事を考えた。どうやったら璃生に逢いに行けるのかと。
 そして一緒に生きてゆけるのかと。
 その結果俺は俺が考えられる範囲では、最も最善の方法を編み出したのだ。
 
 
 ケーキの肉の密売組織の場所は変わり、少しだけ探すのには手こずった。
 けれど今やっと俺は、その尻尾を掴んだのだ。
 
 
「まさか君がこんな風に俺を訪ねるとは思わなかったよ、ゼノちゃん、いや、加藤涼介君、だったっけ?」
 
 
 そう言って悪意をむき出しにした笑みを浮かべて、京條さんが笑う。
 何もかももう自分の手のうちにあるとでも言いたげな表情を鼻で笑い、俺は煙草を取り出した。
 
 
「………やだなぁ京條さん。俺その自分なんて捨ててきましたよ。でなきゃ今、此処にいないでしょ?」
 
 
 歌舞くかのように京條さんの目の前で煙草を口に咥える。
 慣れない煙を口から吐いて、俺は静かに目を閉じた。
 死ぬ覚悟なんてとうに出来ている。
 すると京條さんは呆れたようにため息を吐き、俺の目の前で足を組んでみせた。
 
 
「まぁ、そうだね………今日君が俺との約束通りにそれが出来なかったなら、君は解体される。
それでいいよ。
…………やっぱりお前は案外、俺を解ってるのかもしれないな。
俺が面白そうだと思う事を提示してくる」
 
 
 そう言って京條さんは立ち上がり、俺の目の前に手を差し出す。
 そして俺はそれに自分の手を重ねた。
 真っ黒い作業着に身を包み、マズルガードを付ける。
 そして京條さんにエスコートされるように、静かに幕の前に立った。
 
 
「チェーンソー、使い方解るね?」
 
 
 京條さんからチェーンソーを手渡されながら、俺は静かに頷く。
 すると京條さんが囁いた。
 
 
「君の愛が何処まで君を焦がすのかを、俺に見せて御覧………楽しみにしているよ。
その、狂気のような愛の末路を」
 
 
 幕から出れば沢山の目が此方を見る。
 そして俺はそれに笑い、静かにステージの上を歩む。
 舞台の真ん中では少女が怯えていた。
 その匂いが一体なんなのかなんて、正直俺には解らない。
 顔が包帯でぐるぐると巻かれて隠されている。
 これなら首の位置が何処にあるのかすぐわかるだろう。
 チェーンソーのブレーキレバーを前に倒し、スイッチを入れる。
 機械音が鳴り響いた瞬間に少女が悲鳴を上げた。
 
 
「きゃあああああああああああ!!!!!!!!!」
 
 
 少女の悲鳴を聞きながら、その首目掛けてチェーンソーを降ろす。
 噴き出した血からは鉄の臭いがしていた。
 その鉄の臭いの液体を身体に浴びながら、その首を落としてゆく。
 少女の悲鳴は血の中に溺れてゆくその音は、まるで特殊効果が掛かっているようだった。
 
 
 ぼとりと首が落ちる感覚がするのと同時に、俺の心に罪悪感が襲ってくる。
 けれど良く解らない高揚感のようなものを俺は一緒に感じていたのだ。
 
 
 血に塗れた姿でゆっくりと顔を上げれば、一番後ろに自棄に目立つ男が立っている。
 俺はそれが璃生であることに直ぐに気付いた。
 
 
 俺と堕ちよう。地獄に堕ちよう。
 同じ地獄で一緒に堕ちることが出来るなら、一緒に生きていけるから。
 
 
 マズルガード越しに璃生に微笑み、俺は解体を進めてゆく。
 俺はこの日、悪魔に魂を売り渡した。
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