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05 異世界で婚約者ができました

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 ロシュバルト様の婚約者になることになって、生活は大分変わった。

 居住域二階のロシュバルト様の部屋と中で扉続きになっている婚約者用の部屋に引っ越して、アスランさんが専属侍女の役目を正式に拝命した。そして平日の午前・午後が勉強の時間になった。

 一週間は6日間で、5週で一ヶ月。第一週、第三週、第五週の奇数週が2日休みで、それ以外は1日休み。ロシュバルト様の館ではさらに月に1日、好きなタイミングでお休みを取っていいらしい。

 俺に教えてくれるのはシランさんと新しく家庭教師が1人。文字の読み書きの他、社会系(歴史や社会制度など)を含めた子供も知っているようなこの世界の常識、一般教養といったところがシランさん。

 辺境伯の婚約者として相応しい振る舞いとして、マナー的な部分を家庭教師が担当している。俺の顔がネックになるが、ゆくゆくはダンスレッスンも行いたい、ということだった。

 最初に色々とテストされて理数系は問題ないらしく、対象外。魔法も俺に魔力があるか不明なことと、平民はほとんど使わないということでひとまず保留になった。

 ひそかに習ってみたいと思っている馬の乗り方も、教えてもらえるかは今のところ不明。この世界で生きていくのに必要な技術か情報収集して、どこかのタイミングで習えるか聞いてみたいと思っている。

 偽りの婚約者という立場は周りを騙しているようだし、ロシュバルト様に悪いとも感じるが、教えてもらえることは有難い。
 全く畑違いの分野に異動した時、すぐ活躍できるか否かはその分野のベースとなっている思想や慣習、ルールなんかを最初に知れるかどうかで変わってくる。
 仕事ではないが、その部分を教えてくれる人がいるというのはゼロから放り出されるのとまるで違う。人手もお金も掛けてもらっているので、必ず身の肥やしにしなければ、と真剣に学んでいる。

 それと部屋から出るときには顔隠しを使うようになった。もっぱらよく使っているのは、顔が隠れるよう薄い布を垂らした帽子。

 軽く通気性のよい素材で編まれていて、つば部分に長さがあり、つば先から垂れている布は顔からある程度離れている。布自体は透けて見えるぐらい(だけど魔法ではっきり見えないように加工されている)だし、布も開けようと思えば紐で結わえて前を開けられるので、圧迫感はそんなに感じない。帽子というより、笠に近いか。

 他にもレース編みで目を含めた顔の上半分を覆うものや、ベールを被って見えにくくするもの、耳から隠し布をかけて目から下を隠すものなど、試行錯誤を兼ねていろいろ作られた。

 アスランさんが相談して、メイド頭のウルミさんが色々手配してくれたらしい。

 どれもびっくりするぐらい花とかの華麗な装飾がついていて、最初は抵抗してみたけど『ロシュバルト様の婚約者に相応しく』という理由を覆せず、今は諦めた。衣装に合わせて変えるらしい。その中ではこの花笠が一番簡単で、手軽だ。

 実際効果はあるようで、周りの使用人の人達からは拝まれるのではなく、普通のお辞儀になった。もちろん婚約者と周知されたから気軽に交流、という訳にはいかない。でも僅かでも働きに出て交流を持った甲斐があったのか、好意的な人が多いように感じる。――一人を除いて。

 最初に俺の部屋に入ってきた四人の男性のうち、迫力美人のフィルツランドさんだけはいまだに怒ったような眼差しを向けられる。もう一人の大柄な男性、ユーリカさんは大らかな雰囲気の通り柔和な表情なので、落差が激しい。

 二人とも王都からロシュバルト様についてきた騎士で、今は辺境伯領の兵達をまとめ鍛える立場だという。戦いにおいては腹心の部下、と言う存在らしい。

 まだ顔隠しの笠ができていない頃に練兵場を見に行って、『兵達の気が散るので出て行って下さい』と怒られた。言葉は丁寧だったけど、語調と言い表情と言い、怒気を放っていて早々に退散した。

「祈りが結界を作る?」

 そんな日々の中、授業の一環としてシランさんと共にやってきた礼拝堂で、俺は聞き返した。平日の午前、人はほとんどいない。
 大抵は朝、朝に来れなかった者が昼や夕方にぽつぽつとやって来るものだという。基本的には毎日祈りに来るし、何もなくても立ち寄ったり待ち合わせに使ったりと生活に溶け込んでいるようだ。
 奇数週の休みは朝にシランさんが執り行う祈りの礼拝があるので、領民の全員が二日の休みのうちどちらかに必ず参加するという。

「さようでございます。タスク様は、魔法を使う際の大きな二要素を覚えてらっしゃいますか?」

 歩きながらシランさんの問い掛けに頷く。一般教養としての『魔法とは』というものは先日習った。向かっているのは前方の講壇こうだんらしい。

「魔力の量と、固有ギフトです。魔力が多いほど、大気中の魔素を魔力に変換する量も増えて、発現できる魔法の威力が高まる、だったかと」

 固有ギフトは人それぞれが生まれながらに持っているもので、内容も所有数も様々。癒しの力であったり、炎の加護であったり。何が使えるかに関わってくる。

 平民は魔力量があまり多くなく、ギフトも殆ど持っていない。稀に持っていても魔力量が少ないので大した事はできないそうだ。自らの身体を使う『身体強化』はある程度の魔力があればできるので、平民の中で魔力量が多めの者はよく兵や自警団、荷運びなどの力自慢の仕事に就いたりする。

 貴族は平民と比較して魔力が多く、大抵一つ以上はギフトを持っていることが多いそうだ。
 地球では存在しなかったこの『魔法』というものが、この世界ではごく当たり前に存在するものだった。

 五段の階段を上り、礼拝堂一番前、教会で言うなら司祭が立って説教をする場所に辿り着く。講壇後ろに回り込み、下に広がる領民達の座席には背を向けた。講壇背後は不思議な光を放つ布が緩いドレープを付けて天井から垂れ下がっていた。

「そうです。しかしここ、辺境の地アルバランの結界はもう一つ大きな要素があるのです」

 ――魔力磁場が安定せず、常に表れる強い魔獣や魔物の脅威に人々は怯えていた。容易く死んでしまう儚い人、それを嘆き悲しむ遺された人々。その声を憐れに感じたクレアシオン様が、魔法陣を土地の賢き者に与えた。クレアシオン様に感謝し、魔方陣に祈ることで人の住まう地に結界が張られ、栄えるようになった。
 
 朗々と語られる言葉はまるでうたのようだ。これも魔法というものの影響なのか、時折不可思議な力を持って耳朶に響く。

「こちらがその陣になります」

 シランさんが目の前の布を掴み、カーテンのように左右に開いた。

「…え?」

 直径8メートルはあるだろうかという巨大な魔法陣が宙に浮いていた・・・・・

 薄布の後ろ、建物の白い壁に描いてあるのではない。壁からは一メートルほど離れている。
 魔法陣を構成する流麗な文字や線の色は薄く青かったり透明だったり緑がかっていたり、一度行った沖縄の海のような色彩だ。流れる水のように緩やかに場所場所で色を変えていく。

「きれいだ」

 存在に圧倒された後、ポロリと口から溢れる。鳥肌が立っていた腕を思わずさすった。人智を超えた神の御業。そう言うしかないものが宿っている。

「今は日の加減と区別が付きませんが、礼拝の時はもっと明るく光ります。祈りによって変換された魔力が満ちるためです」
「ということは、祈りがもう一つの要素なんですね。 …触っても?」

 魅せられたまま受け答えし、どうぞと言われたので文字の部分に触れてみる。温度はなくて、素通りもしないのに触れた感覚も持てない。触れた手がほんのりと明るく光る。

「そう言われておりますが、私は祈りに込められた『思いの強さ』だと考えているのです」
「思いの強さ?」
「ええ。昔、この土地に凶暴で巨大な悪しき落ちモノが表れた時の記録が残っていたのです。落ちモノが巨大であったため魔素の濃度が変わったのか、天候さえ不安定になりました。土地も荒れてしまい、領民は不安な気持ちで過ごしていた所、頼みの綱の結界まで縮小してしまったのです。領主館に避難し過ごしている最中も、結界に穴が開いたりと脆弱になってしまったと書かれていました」

 初めて聞く話に思わずシランさんを振り仰ぐ。昔のこととはいえ、随分と大変な事態だっただろう。

「その窮地に神官でもあった領主の奥方が礼拝堂に皆を集め、鼓舞する演説を致しました。一心に祈りを捧げたところ結界は力を取り戻し、その間に領主が落ちモノを討伐したのです」

 耳を傾けていた逸話に納得して頷く。触れていた陣にもう一度目を戻した。確かに『思いの強さ』と言われても納得できるような話しで――この陣から感じる清らかさに、そういうことも起こりえる気がした。

「魔力の少ない平民達でも『思いの強さ』が何らかのエネルギーとして魔素に影響し、大きな魔力に変換される仕組みなのだと思います。私はギフトで礼拝時の領民の様子を観ておりますが、ロシュバルト様の感じる結界の強度と比例しているのです」
「え、結界の強度ってそんなに変わってるんですか?」
「僅かな差分のようですが、ロシュバルト様にはお分かりになるようですな」

 普通はわかりません、という言葉に思わずため息が出た。しまった。案の定どうしました?と聞かれるのに困りながら、答える。

「ロシュバルト様が完璧すぎるなぁと思いまして」

 そう、ロシュバルト様は御年二十七歳だった。若い。俺より十五も若い。干支一回りどころじゃない。
 その年に対してびっくりするほど完璧超人――聞けば聞くほどそんな逸話が出てくる。国主を務めるぐらいだから、そこらの人と同じな訳ないんだけど。

 そっと陣から手を離す。触れていた手のひらはまだ淡く輝いている気がした。

「いつも冷静で落ち着いてるし、隙が無いというか。俺が婚約者役で、本当に申し訳なくなります」

 この国、この世界について少し学んだだけで分るほどの釣り合わなさだった。

 父親は前々国主で母親は隣国の王族。この国で一番高貴な血筋の直系で、二十歳の時に両親が事故死したことで7年間国主の座に着いている。この国で最高と言っていいほどの血筋、家柄、身分。

 さらに個人の資質として潤沢な魔力量に固有ギフトを3つも所有している。3つも持つのは貴族でも珍しい上に、どれも実用性があり有益。アスランさんの言っていたことは誇張でもなんでもなく、雑兵が百人たばでかかってもロシュバルト様一人には敵わないらしい。
 ギフト持ちのユーリカさんやフィルツランドさん二人がかりでも勝つことは難しいという。ロシュバルト様一人で戦争の抑止力になるレベルらしい。

 ロシュバルト様の婚約者はこんな身元も知れぬ人間が務めていいものでは全くなかった。それこそどこぞの王族や、高位貴族たちから選ぶ者で、望む者も吐いて捨てるほどいるはずだ。

 しかも自ら国主や領主という立場に相応しく、と努めている部分もあるのだろう。
 自らに拠って立つ人間の強さを感じさせられる。恵まれた環境の中でさらに努力で磨いてきたとでも言うように、年齢に対して色んなものの完成度が高すぎるのだ。

「俺のいた世界では、二十代はもうちょっと幼かったんです。何でもやってみて、失敗しても大目に見られる時期というか。向こう見ずなところがあっても周りも仕方ないと思って見てるところがありました」

 勿論卒がないタイプや賢いだけでなく器用で要領のいいタイプもいた。それでもプライベートでは羽目を外したり、どこかしら浮き足立ってしまうところがあった。中には派手にやらかしてくれる者もいて、尻ぬぐいしつつも『そういうものだ』と受け入れてきた。
 
 なのだが、ロシュバルト様にはそういうところが見えない。

 婚約者として接する時間が増えたとはいえ、短い期間だ。見えていないだけかもしれないが、想像がつかない。自分の二十代や日本にいた後輩達とはかけ離れ過ぎている。

 最近は申し訳ないを通り越して、気後れまでしそうな気分だ。

「ロシュバルト様がそのように見えるのであれば、もう一歩タスク様には頑張って頂かなくてはなりませんね。午後はロシュバルト様にまつわる話しでも致しましょう。案外、違う顔が見えて参りますよ」

 そう朗らかに笑うシランさんと共に礼拝堂を後にしたのだった。





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