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5章【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】
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しおりを挟む鞄の中からゴソゴソとなにかを探す山吹を見つつ、桃枝は眉を顰めた。
「俺に、渡したいもの? そんなモン、日中にでも渡してくれれば──……いや、なに言ってんだ。俺、会議でずっといなかったよな。それでずっとここで、俺を待ってたのか。悪かったな」
「こちらこそ、すみません。先に、連絡くらいしておけば良かったですね」
「いや、お前に落ち度はねぇよ」
相変わらず、優しい。スケジュールを確認せず、ましてや『いつ戻ってきますか』というメッセージすら送らなかった山吹の自業自得だというのに、桃枝は気分を害さなかった。
今日、桃枝がここに戻ってくる保証なんて無かったというのに。勝手に待ち、挙句の果てには勝手に時間を奪っている山吹を、桃枝は責めなかった。
急いで鞄の中から目当ての物を取り出した山吹は、申し訳なさそうにしている桃枝へ、手にした物を突き出す。
「これ、受け取ってください」
「あぁ。……で? これ、なんだ?」
おそらく、渡されるものは書類かなにかだと思っていたのだろう。桃枝の表情と声には『拍子抜け』という色が滲んでいる。
渡して、受け取ってもらえた。目的を達成した山吹は、すぐに身を引いて……。
「──バレンタインチョコ、です」
桃枝に会いたがっていた本当の理由を、口にした。
言われている意味が、桃枝には伝わっていないのだろうか。おかしな間が、事務所を奔った。
「……んっ? 今お前、なんつった? ……バレンタイン、チョコ? お前が、俺に?」
「はい。どうしても今日、課長に直接手渡ししたくて……」
頷いた後、すぐに山吹は俯く。
「自炊はしていますが、お菓子作りはしたことがないので。味は、イマイチかもしれないですけど……」
「はっ? なんだ、それ。じゃあコレ、お前の手作りなのか?」
「そうです、けど……」
確認されてから、山吹は内心で焦り始めた。
まさか桃枝は、手作りの菓子が苦手なのか。手料理と弁当は喜んでいたので、その可能性は全くの盲点だった。
焦燥感のようなものが、山吹の胸を埋め始める。こんなことなら『今週はバレンタインだ』と気付いたあの日の夜に、メッセージでリサーチをしておくべきだった。
後悔先に立たず。覆水盆に返らずとは、よく言ったものだ。
「ご、ごめんなさいっ。ボク、こういうイベントは不慣れで──あっ、言い訳じみていますね、すみませんっ。そうじゃなくて、言い訳じゃなくて、あの……っ!」
慌てて頭を下げ、まとまらない謝罪を口にする。
先ずは、チョコの回収を。そう思った山吹はすぐに顔を上げて──。
「えっ、ちょっと、課長っ?」
──桃枝の手によって即座に開封されようとしている包装紙に、驚いてしまった。
なぜ、桃枝は包装紙を破いているのか。苦手なら、そのまま突き返せばいいだけなのに。山吹が戸惑っていることも気にせず、桃枝はチョコを一粒、指でつまんだ。
普段は業務中、黒い手袋をはめているのだが。今日は会議に出ていたからか、素手だ。そうした事情もあり、桃枝の手に迷いはなかった。
そのまま、おもむろに……。
「課長っ? 待って、これから飲み会なんじゃ──」
「──ウマい」
山吹が作ったチョコを、桃枝は躊躇いなく口に放り込んだ。
「すげぇウマい。メチャクチャにウマい。猛烈にウマい。ウマいぞ、コレ」
山吹を相手にした際に発動する、桃枝の残念な語彙力。本人曰く『それしか言葉が出なくなる』という現象らしいが……。
「つまり……とにかく、ウマい」
言い換えると『それしか言葉が出なくなるほど、思考がひとつの言葉で埋め尽くされている』ということだった。
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