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第6章 サトル、始まり

6-4-6 恋の炎

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 何事かと思ったら、マリーベルの華奢な身体から炎のマナが立ち上って、蝶が舞い始めてる! っていうか、鱗粉が花びらっぽい形になって燃えながら落ちてるんだけど!?

「ちょ、マリーベ……」

 ル、まで言えなかった。

「怒りなさいよ!!」

 ニケの前に立ったマリーベルが、きっと長身を見上げて怒鳴った。

「なんでそんな、諦めた顔してんのよ! 命はあるがまま? そんなの知らないわよ! あんたが怒らなかったら、リーリエが可哀想過ぎるでしょ!? 好きでもない相手の子どもなんか、生みたかったはずないじゃない!!」
「怒っているとも。リーリエを辱めた者が今目の前にいるならば、我は八つ裂きにする」
「あの里には! その一族がまだ生きてるじゃないの!!」

 とうとう泣き声で怒ったマリーベルの華奢な身体が、奪われた。
 ニケが引き寄せて、ぎゅっとその胸に抱きしめたからだ。

「な、なに……?」
「マリーベル……。リーリエは、あの娘は、我の宝だった」

 それは、火を吐くような慟哭だった。

「我は、あれを愛している。だから今は、ただあの娘がその命を繋いでくれたことが、こうしてあの娘の証を継がせてくれたことがうれしい」

 ピルピルさんがブルーの目を伏せる。

「できれば、せめてあの娘が我のほかに誰かを愛しておぬしの祖母か……曾祖母か。わからんが、その子を遺してくれていたらいいと思っていたのだが……」

 そこで深く、まるで自分の中に残る炎を吐き出すように長い息をついたニケが、小柄なマリーベルをひょいと片腕で抱き上げることで視線を合わせた。

「あんまりだわ…!」
「ふふ……」

 スミレ色の大きな目から落ちる涙を愛おしそうに見て、そっと、まるで口づけるように唇で拭いながら囁く。

「マリーベル……花の如きその髪の色も、その目と激しさも。色濃くリーリエの血を継ぐ火の女神フィオレの娘よ。どうか忘れないでおくれ」

 マリーベルの涙を拭ったニケは、そのまま顔を伏せて、服越しに薄い胸に残る火の女神フィオレの加護に、そっと口づけて告げた。

「竜の愛は重く、永遠のものだ。けれどそれを人の子に強いたりはしない。あの娘と同じように、我にとってはおぬしも愛しい。だからそれは呪いではなく祝福だと、リーリエが我に遺したたった一つのものだと、どうか今ここでわかってくれぬか」
「わからないわ……」
「マリーベル」
「わからないわ!」

 ぽたぽたと自分の上に落ちる涙を受けとめて、ニケが獰猛に笑う。

「おぬしを虐げた者が里におるのだな?」

 マリーベルの唇が震えて、潤んだままのスミレ色の目が揺れる。
 それを見たニケからざわっと火の鳥が這い出てきた。

「いいだろう。ならば、ここを出てすぐにでも我がセリカを滅ぼしてやろう」

 ちょ、それはダメ!!

「なに、すぐだ。待っていろ。一人残らず消し炭にしてくれる」

 物騒なことを言うニケに焦ったけど、ピルピルさんは腹を抱えて笑うし、リチャードはため息をつくし!
 どうしようかと思ったけど、それはきっとニケを睨みつけたマリーベルが止めてくれた。

「余計なお世話よ! 燃やしたかったらあたしが自分で燃やすわ!!」
「そうか?」
「当たり前でしょ!? あたしが怒ってるのは、なんでもっとわかりやすく、『これは祝福だ』ってわかるようにしてくれなかったのかってことよ!!」
「いや、わかりやすいだろう? 我のころは確かにそう伝わっていてだな」
「今は『呪い』って言われてるから、あたしもお母さんもおばあちゃんもいじめられたし追い出されたんでしょ!? まあ、母さんは父さんについて行くのを理由にして逃げたんだけど!!」

 うわあ、マリーベル強い……。ニケがたじたじになってるよ! 慌てて、でもそっとマリーベルを下ろして、「どうどう」ってなだめ始めた。
 もしかしてリーリエさんもこんな人だったのかな……?

「よし、わかった。我もおぬしとともにセリカに行こう。そしてこれが祝福の証だと直接説明しようではないか」
「今さら言われたって、きっと信用しないわ!」
「するかしないかではない。そもそも火に愛された魔女が呪われているなどという妄言、魔法スペルを扱う者が信じる方がおかしいのだ」
「うん、それはそうだよね」
「はい。そうですよね」
「まったくもってその通りですねえ」

 うんうん、俺もエルフィーネとリチャードの三人で頷き合う。

「まあ、ボクから伝えられることはこれだけだな。昨夜はおまえの一族のことを伝えたあたりでエルフの宴に巻き込まれちまったし」
「懐かしい顔にも会えた。悪いことばかりではなかったさ。………元より、我ら竜族は滅びに向かっていた種族だからな」
「そりゃ、魔人たちといっしょさ。それより、とっととここを開けて始末しよう」
「よかろう」

 滅びに向かっていた種族って、どういうこと……? 不安になってリチャードの肉球を握って見上げたけど、俺を見下ろした美しい黄緑の目からはなにも読み取れなかった。

「リチャード……」
わたくしどもハトゥール族は、まだまだ大丈夫ですよ。ただ、そうですね。人の形に近ければ近いほど、長すぎる生に疲れるのです。だからあなたたち人族が、特に人間ヒューマンたちの輝きがうらやましいのでしょうねえ」

 俺としては、少しでも長く、健康に生きられたらいいなって思うし、寿命が長いのってうらやましいけどな……。
 だってやれることが増えるじゃないか。もったいない話だよね。

「ほい、開けるぞー」
「構いませんよ」

 俺とエルフィーネを、リチャードが腕の中に囲ってくれる。マリーベルはニケのマントの中だ。

「サトル君」
「大丈夫」

 俺はリチャードの腕から出て、銀の笛を咥えたピルピルさんといっしょに「浄化の唄」を奏でた。
 ニケが壁に触れて、岩と同化してぼんやり見えてた扉がはっきりと現れる。そこにかけられた花の蕾の形をした封印ケーラが、まるで炎の花が咲いたように散った。

「う…っ」

 そして、扉が開いた瞬間! 瘴気が得体の知れない魔物の形になって這い出て来て、思わず指が止まりかける。
 ピルピルさんが励ますように旋律を強くしてくれたから、俺は慌ててそれを追った。
 瘴気が影の形になった魔物……イヴィル・シャドウだ。

「目を合わせるな!」

 そうだ、確かこいつは――!

「きゃ…!」

 ピルピルさんの注意が間に合わず、マリーベルが視線を合わせちゃったらしい。
 魔力を吸われたマリーベルがとっさに火魔法ファイアスペルを放つけど、相殺された!

「くそ! できりゃ少年にして欲しかったな!」
「ひどい!」
「この中で能力を真似っこされるなら、おまえが一番ましだろ!」

 ……確かに、大人組だったら怖かったな!!

「来るぞ!」

 イヴィル・シャドウの全身が火のマナに包まれる。一瞬も置かずに「エンス・ファイア」が俺たちを包んだけど、あれ…痛くない?

「エルフィーネ!」
「マリーベルの炎の方が、ずっと熱いです!」

 エルフィーネがメイスを掲げて俺たちの前に立って、庇ってくれてた!!

「ピルパッシェピシェール!」
「はいよっと。『アクア・スピア』!」

 リチャードの呼びかけと同時にズドンっと音がして、太い氷の槍に串刺しにされたイヴィル・シャドウが霧散した。
 うわぁ…さすが水の名手の水魔法アクアスペルだ。初級の攻撃魔法スペルであの威力だもんなあ。

「エルフィーネ、ありがとう!」
「いいえ。サトルも、リチャードも無事でよかった」
「エルフィーネ嬢に庇わせてしまうとはお恥ずかしい。ですが、助かりました。ありがとうございます」

 エルフィーネこそ火傷は……なさそうだ。ほっとしてリチャードと胸をなで下ろしたよ。

「マリーベル!」

 あとは、魔力を吸われたマリーベルだ! 心配で慌てて様子を見たら、ニケがぐったりしたマリーベルに顔を寄せて、口を開けさせてた。

「な、なに……?」
「我のマナを飲め」

 ニケが噛み切った自分の指先から出た血が、羽根の形をした火のマナになってとろりと溶けて滴る。

「は、あ……っ」
「すまぬ、少し熱かったか」
「はあ、はぁ……っ」
「ゆっくりでいい」

 エリクシールとかエルフの里の果物は……いらなさそう、かな? でもなんか、あれ?
 涙目で赤くなって震えてるマリーベルの横顔と、心配そうなニケを見てたらなんかこう……。見ちゃいけないものを見ちゃったような気がするんだけど。
 こてんと首をかしげたら、ぽにっと肉球で目を塞がれた。

「見えないよ!」
「すみませんねえ、つい」
「……気持ちはわかりますが」

 あれ、エルフィーネまで!?

「ニケ! あんた、あたしだけじゃなくてみんなを庇いなさいよ!」

 今ので演奏が止まってたから、リチャードの肉球をどけて慌てて再開したら、今度はマリーベルが怒ってた。早くも元気になったらしい。
 火のマナを飲んで元気になれるって、いいなあ。加護持ちじゃないとできなさそうだけど。

「マリーベル、少し待ってください。ニケさん、瘴気がある中で血を流したままの傷はよくありません。指を治します。手をこちらへ」
「感謝するぞ。回復術士ヒーラーの娘よ」
「まだ資格を持っておりません。エルフィーネとお呼びください」

 ニケの指先がエルフィーネの治癒ヒールですぐに治った。
 それを待って、ピルピルさんが笛を吹きながら、短い足でニケを蹴って「早く中に入れ」って催促する。

「ちょっと、聞いてるの!?」

 腹は立っても、待ってくださいと言われてちゃんと待つあたり、マリーベルは素直だ。

「うん? 庇わずとも無事だっただろう?」
「そういう問題じゃないわ! みんなを庇わないなら、あたしも庇わないで!!」

 お、俺たちみんな無事だったし、そこは気にしなくてもいいんじゃない?
 あわあわしたけど、エルフィーネとリチャードは止めずに苦笑してる。

「リーリエと同じようなことを言うのだな」

 ニケが笑った。さっきまでとちがって、本当に楽しそうに。
 うわぁ……ニケって美人だ。
 なんか、かっこいいってばっかり思ってたけど、そういえば女の人だもんなあ。
 思わず見とれちゃったんだけど、さすがというかなんというか、マリーベルはひと味違った。

「あんた、二百年も経ってまだ同じこと言われてるの!? ちょっとは成長しなさいよ!」
「ふふ、そうだな。気をつけよう」
「あの、マリーベル……ニケは二百年寝てたんだし……」

 さすがに気の毒になって助け船を出したんだけど、マリーベルは聞いちゃいない。

「寝てたって時間は経ってるでしょ!? ほら、さっさと行くの! あんたの武器のために寄り道してるんだからね!!」
「うむ、そうであったな」
「あ、あのさ」
「サトル」

 あんまり一方的にぷりぷりしたら、ニケが気の毒だ。そう思ったんだけど、エルフィーネに俺が止められてしまった。

「サトル君、大丈夫ですよ」
「でも……」
「ニケ殿には、なによりの慰めになるでしょう」

 慰め……怒られることが? よくわからないけど、リチャードにまでそう言われたら、まあそうなのかな。
 浄化の唄を演奏してても、まだ瘴気が漏れてくる。中に入るのは不安だな……。俺とニケだけ入ろうかと思ったんだけど、ピルピルさんが笛を吹くのをやめて先に入った。

「ピルピルさん!」

 危ないと思って止めようとしたけど、小さな手がぱっと俺を止めて、そのまま手でくいくいって。
 え? 弾いてろってこと?
 不思議に思ったけど、ピルピルさんが謡い始めてすぐわかった。
 俺の演奏と、ピルピルさんの呪歌バルドで一気に浄化する気だ!


 光が照らす
 あなたの中に落ちた穢れを
 光が照らす
 あなたの中に刺さる棘の色を


 すごい……。
 ピルピルさんの呪歌バルドに引きずられて、俺の小さな光魔法リントスペルの光が大きく、強くなる。
 俺もさっき同じ呪歌バルドを謡ったのに、効力がぜんぜんちがう……!
 声の深みも、呪歌バルドに込められた魔力の強さも。ピルピルさんと比べたら、俺の呪歌バルドなんか、吟遊詩人バルドラーごっこだ。


 光が満ちる
 あなたの虚ろな魂に
 呼びかける深き眠りの蔦が伸びる
 光が満ちる
 目覚めぬ深き眠り
 光が照らす清らかな棺に
 今、わたしはあなたの名を刻む


 深い余韻を残して呪歌バルドが終わったあとは、もう瘴気はかけらも残ってなかった。
 それどころか、これだけ清らかになった場所には当分魔物なんて近づけなさそうだ。

「ま、ボクが謡えば早いよな」
「最初から謡ってよ!」
「それじゃおまえの訓練にならないだろー?」

 呆れ顔になったピルピルさんが、もう扉が消えてただの行き止まりになった場所を見回す。

「……うん。やっぱりないな」
「還ったか」
「また魔界の暴れ竜の腹の中だろー? 案外ルーのドラゴンスレイヤーもそうかもな。あれはどこの迷宮ダンジョンで見つけたのかは知らないけど」
「まあ、仕方があるまい。魔王の残滓を祓えただけで十分だ」

 あたりを見回した二人がこれで用は済んだとばかり踵を返したけど、見ていた俺たちにはさっぱり意味がわからないよ!

「ねえ、武器が還ったってどういう意味なの?」
「そうよ! わけがわかんないわ!」

 エルフィーネはなにも言わないけど、同じ気持ちなんだろうな。もの言いたげに二人を見る。

「言葉通りですよ」
「……どういう意味?」

 でも、俺たちの疑問に答えてくれたのはリチャードだった。

「ニケ殿の持っていた戦斧は、魔界の邪竜が持っていた強力なハルバードでした。元は魔界のものですからね。持ち主から離れた上、魔王の血が付いていては、長くこちらにとどまれなかったのでしょう」
「えっと……武器なのに?」
「ええ。空間の歪みが現れて、そこから還ったのだと思います。ただ、その時に魔王の血に呼ばれた瘴気が入り込んで残ったのでしょうねえ」

 そ、そんなことってあるのか! もしかしたらルーファスネイトもどこかでそんな危険な目に遭って、それでドラゴンスレイヤーをなくしたとか……。
 すごく心配になったけど、今はいないし、今度会えたら聞いてみないと。
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