堕ちる犬

四ノ瀬 了

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今の屑のようなお前に加点すべき点など一つたりとも無いから、減点法で評価してやる。

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報告書をまとめてPCの電源を落とした。送るのは明日の朝起きて、もう一度目を通してからがいい。霧野は椅子から立ち上がり軽く伸びをした。ぎりぎりと広背筋を伸ばしていくと気持ちが良い。明日の午前中はジムに行ってもいいな、と思った。

傍らの置き時計が午前1時を指していた。明日は午後からの仕事しかないから時間に余裕はある。湯船にゆっくり浸かろう。他に何かすべきことがあるかと考えたが、何も浮かばなかった。霧野には時間を作ってまでやるような大した趣味は無かった。何か無駄な、無意味なことのように感じられた。

シャワーを浴びるだけですべてリセットされ、生き返った感じがする。霧野は湯を沸かしながら、趣味は無いかもしれないが風呂は好きだな、と思った。むさい空間、むさい仕事であることは、以前も今も変わらない。たまに広い銭湯に行くのも好きだった。組の人間が懇意にしている銭湯、刺青があっても入れる銭湯に連れられていったこともあるが、どうも落ち着かなかった。慣れてしまえばどうということもないのだろうが。同業者以外の人間もいるのだが、顔の知れた人間も多いため、刺青の一つも入っていない身体で行く方が浮いてしまう。

たっぷりと張った熱い湯に入浴剤を流し入れた。こぽこぽと音を立てて白くとろみのついたお湯ができる。身体に吸い付くようなとろとろした湯の感覚が気持ちよく、和調の見た目に似合わずほのかなシナモンのような香りも良い。あまりの気持ちよさに、湯に抱かれたまま寝てしまいそうになる。

足を十分に延ばせる湯船があることは、仮初の宿とはいえ、このマンションに愛着を沸かせた。以前住んでいた場所の倍はあるだろう。大人ふたりで入っても余裕が十分にある。金に執着するタイプではないと思っていたがこの部屋から元の部屋に戻って暮らすことを考えると、一瞬だけもどかしい気持ちになるのだった。金に物を言わせて大きな家に住んでみたい。足で軽く水面を蹴り上げて音を鳴らした。風呂のヘリに足をかけて組み、背をもたれさせ、身体を伸ばした。足の指を開いたり閉じたりして、筋を伸ばす。焼けていない筋ばった足の甲がてらてら濡れて光っていた。ぼんやりと天井に上っていく湯けむりを眺めていると、思考は仕事の方へ傾いていった。

今朝、土地ころがし、不動産ブローカーの男が事務所に来ていた。男は本郷といい、詐欺師、ヤクザまがいの非情なやり口で土地を転がしている人物だ。不動産業界では悪名高い男として知られていた。経営の傾いた業者をだまくらかして二束三文で転売する、管理者の老人や手続きを理解していない相続人をだまして安く買い上げる、土地の管理者を事故らせる、殺す、その道の外道。土地を手に入れるために殺人を犯すなど、この世から消えるべき人種だろう。

不動産ブローカーとヤクザの癒着は珍しいことではない。不動産ブローカーは資格はあっても金は無い。ヤクザは資格は無くても金はある。川名のような男が下劣な不動産ブローカーなどとつるんでいるのは少し意外だったが、組むことで金になるのは確かだ。

「誰だよ、あのオヤジは。」
去っていく本郷を窓から見下げながら、霧野は美里に話しかけていた。誰なのかは十分知っていたが、知らない情報が欲しい。さっきまで川名と一緒にあの男と同じ部屋にいて、戻ってきたのだ。霧野は窓から部屋の中に向き直った。美里がソファに座り込んで爪を切っていた。

「本郷?何してるかよく知らない。」
彼は霧野の方を見ずに爪を磨き、ふっと爪の先を吹いた。
「知らないわけないだろう、さっきまで一緒にいたくせに。」
「居ろと言われたから一緒の部屋にいただけで直接会話しても無い。」
「もったいない、何故、」
つい、そう口に出してしまったところでようやく美里の猫のような目が霧野の方を向いた。
「じゃあ次からあいつが来たらお前も一緒に来れば?出てけと言われたら大人しく出ていけばいい。」
「いいのか。」
「うまくいけば、俺が付き添う必要もなくなって仕事が一つなくなるわけだし。」
美里は再び爪切りに精を出し始めた。時折彼が何のために何故ここで働いているのかわからなくなる。金のためといってしまえば終わりだが、金のためだけにやる仕事としてはリスキーだ。

「お前は自分の仕事に興味が無いのか?」
パチンと爪が跳ねて床に飛んでいった。
「痛っ、ああ……お前がうるせぇから深爪したじゃねぇか。」

彼は雰囲気こそ全くカタギではないが、薬指を咥えて苦痛に眉を顰める彼の顔だけを見ているとまだ学生にさえ見え、どこか幼さが残っていた。彼は指をくわえながら怒りっぽい口調で続けた。

「興味?ねぇよ、そんなの。仕事に興味があんのなんておかしいよ。金のための手段さ。」
「その理屈でいくと別にお前はこの仕事じゃなくて別の仕事について金を稼いだっていいわけだろ。じゃあなんでわざわざこんな馬鹿みたいな仕事してるんだ。」
美里は少しだけ目を見開いて霧野を見、口から指を外した。指の先端に粘液で薄まった血がついていた。
「馬鹿みたい?ああ、そうだな。馬鹿しかいねぇ、お前も含めて。前から思っていたが、お前はデリカシーが無いよ。」
「デリカシー?よくそんな難しい言葉知ってたな。」
「……面倒くさいよ。何故俺がこの仕事をしてるかだったな?適当に答えたっていいが、お前はしつこいから答えてやる。簡単だよ、他に働けるところが無いから、それだけだな。」
「他の場所で働いたことが?」
「……、馬鹿な親族や自分自身に前科があると厳しいんだぜ。何かと。」
彼ははぐらかすように言って視線を外した。
「へぇ、それであの組長様に奴隷みたくこき使われてるわけか。」
「奴隷?どこが?どちらかといえば、あくせく馬鹿のように働いてるお前の方が奴隷じゃないか。何でも首を突っ込んでよくそれで回るよな。」
「本郷のような男の方がよほどお前より黒い、前科だってあるだろ。それでもああやって一人で稼いで生きてるんだぜ。お前は組長に呼ばれたからというだけでその場にいたようだが、本郷のような男からでも生きる術を学べることはある。」
霧野は言いながらも、何でこんな奴に親身になっているのかと自嘲した。
「なんだお前。さっきから怠い説教ばかり繰り返しやがって、いつからそんなに偉くなったんだよ。そんなに偉そうな口きくなら、本郷に紹介してやらねぇ。絶対。」
「あ……悪かったよ、そんなに怒るなよ。」
霧野は美里を宥めながら、頭の中では美里に対する興味など失い、本郷のことを報告にどう混ぜようか、本郷に会ったらどうしてやろうかとばかり考えていた。



「食えないか?」

霧野のすぐ目の前に川名と美里が立っていた。躊躇っていても無理に口をつけさせられるか、また脅される。
空腹なのは事実だ。目の前のゴミを視界にいれずに摂取していけば、まともな食べ物と錯覚できるかもしれない。霧野は何度か躊躇いがちに口を開き、舌をあて、歯の先で汚物をくわえ、口の中にいれた。器用に一時的にコンドームを隅の方に退けながら。
「ん……、」
そのまま飲み込んでしまおうと思っていた物が舌の上で味わい深い味を染み出させて、口内に唾液が溢れ出た。霧野のその様子を悟ったのか美里が馬鹿にしたように鼻で笑っていた。彼の唾液がぬるぬると舌に触れると気持ちが悪いのに、何かぞわぞわした、神経を犯されるような感覚に満たされ、身体が脈打った。良くない感じだと彼の唾液の部分をさけて舌を這わせた。

「泣くほど美味しいのか~?そう、良かったな~。よく味わって食えよ。」

じゃあお前も食えよという言葉を飲み込んで、掬い取り舐めとるようにして機械的に「食事」をした。嫌という気持ちと裏腹にソレに美味しさを感じてしまう。視線をあげた時、川名からはやはり何の感情も読み取れなかったが、美里からは悦びと慈しみのようなものが混ざった視線を感じた。どこかで見た表情だったが、思い出せない。

「あんな生ゴミを嬉々として食うとは……」

背後から誰かの声が聞こえるまで、嬉々として食っている自分自身が少しの間存在したのだった。急に川名と美里以外の人間の存在が意識され始め、息が上がった。下半身までもむずむずと意識され始め、外気が裸体をくすぐった。集中力がそがれると、とたんに身体の痛みと疼きが意識させられる。何をしているわけでもないのに、尻穴から鉄の棒を突っ込まれたように身体が痛く、熱いのだ。自分の身体を自分の身体と思いたくないほどに、それは主張する。

「はぁ……はぁ……」
「なんだ?飯食いながら発情してんのか?あれだけ人様にさせたくせに。この淫売犬。」
美里が嘲るように言い、背後に回ったかと思うと、靴を脱ぎ、靴下を履いた脚で霧野の陰部を器用にまさぐりはじめた。身体の中に渦巻いていた柔らかな熱がぱちぱちと音を立て、求め始めた。
「ん……っ、んぁ」
口からぼろぼろと口の中に入れていた何かが喘ぎ徒と共にこぼれ出た。
「あはは、おい、見ろよ、ケツ穴をこうやって軽く擦り上げられるだけでこれだぜ。」
美里だけでなく、その場にいる人間すべてに注目されていた。

敏感に仕上がり紅く熟れた肉門の周囲を、執拗に脚の指で拡げられたり、こすられたり、観察されることを繰り返す。いっそそのままその先端を、と思ってしまうことを見越して入れずにまた、強くこすり上げることもしないのだろう。ほのかな刺激が大きな波となって身体の中に溜まりうずまき、咀嚼のために出しっぱなしの舌からダラダラと自分自身の涎が垂れて目の前のゴミと混ざり合っていった。
今の自分がどれほど馬鹿な顔をしているのか、想像できない霧野ではなかった。そうして食に口をつけるのも忘れて、集中して感じ入っている時、強烈な川名の視線を感じ、背筋にぞわぞわとした感覚が走った。馬鹿なりにやるべきことを思い出して、口の中に目の前の物を含む作業を繰り返すが、精液と唾液の混ざった物がついに口の中に混ざりだすと、不快感と裏腹に腰が揺れるのであった。最後に残すのではなかった。ゆがんだ熱い視線を受けながら、残った美里の唾液と精液まで丹念に舐めとった。美里の舌が思い出された。

厭な、身体が勝手に感じる気持ちよさ、それから嫌悪感が身体に満ちたが、それらを掻き消すように再び腹なりが起こった。何も食べていなかった消化器に急に物が送り込まれたこと、肛門から直腸をやたらめったらに責められたことで、空腹でなくともくるくると消化器官がなってしまうのだった。

「なんだ、これだけ喰わせてもまだ腹が減っているのか。しょうがない奴だな。」

川名は霧野にリードをつけさせるとノアの方へと引っ張っていった。何故か立ち上がることができない。歩くたびに、また外の土、砂利の感触が掌に拡がって、汚れた指先が目についた。肘をついたり、寝転がされたりしたおかげで、鏡で見なくとも汚れた身体が想像でき、目のやり場を失った。幸い、口の中に頬張ったもののせいで嗅覚が馬鹿になり、漂わせる臭いについては鈍感になれた。川名は人の群れから離れて、ノアを繋いでいるのと同じポールに霧野のリードをくくりつけた。

「もうしばらくここでお前を晒しておいてやる。空腹らしいからな、皆から餌を貰うと良い。」
川名は微かに微笑んで霧野を見降ろしていた。その視線から、言葉の意味を悟るのは容易だった。
「……、餌?……ああ、また、っ、」
霧野の口内に川名の親指が突っ込まれ、舌が引っ張り出された。
「あ゛……」
川名の表情は怒るでもなくそのままで、声も淡々とした調子で続いた。
「誰が人並みに口をきいて良いと言った。さっきまで珍しく大人しくしていると思って見てたが、俺と二人きりなら良いとでも思ったか。」

霧野の精に濡れた熱い息が川名の指に絡みついて蒸らしていった。川名の親指の先がピアスをいじるようにしながらさらに霧野の舌をギリギリと引き出していった。舌の根元が痛く、声が漏れた。

「そんなに口をききたいなら、きいていいぞ。ここにお前に精液やら尿やらを恵んでくれる人間、もっとよい趣味な奴なら糞便でも恵んでくれるかもしれないが、奴らに対して恵んでもらう前でも後でも一回一回礼を言え。わかったな。それ以外はダメだ。」

コリコリと舌をいじっていた指が爪を立てて霧野の舌を引っ掻き、離れていった。舌の付け根、ピアス、引っ掻かれた箇所がじんじんと熱を持って痛んだ。舌をゆっくりと口内に戻すとじわじわと唾液と共に血生臭い香りが漂った。
「……、……」
「なんだ、生意気な顔だ。」
川名の濡れた手が霧野の顔を掴み上げ、まじまじと見据えた。

「素がこれなのだから仕方ないか。こんなしけた面で礼を言われても誰も気持ちよくない。できるだけしっかり頭を下げて顔を隠して言ったほうがいいな。誰かに見張らせておくから、言われた通りやれよ。今の屑のようなお前に加点すべき点など一つたりとも無いから、減点法で評価してやる。」

彼は人の集まるの方に戻っていった。これから指示をするのだろう。現実感の無さ、まだ夢を見ているようで頭がぼんやりとしてくる。ノアは午後の日差しが気持ちよく眠いのか丸くなっていた。薄目を開けて霧野の方をちらと見たが、眠気が勝るようで大きく欠伸をした。
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