97 / 104
〈最終章・聖声編〉
80. グリーンドラゴン
しおりを挟む
書斎の窓から、聖堂騎士団が到着するのが見えた。
全身を甲冑で覆った物々しい雰囲気。
そんな彼らを、エステル様を始めエルメシア教徒の面々が出迎えている。
「装備だけなら親衛隊以上だな」
「人数も多いし、お強いのでしょうか」
「銀をいくら揃えようとも、金の価値には及ばんよ」
旦那様はカーテンを閉めて執務机へと戻った。
そして、机の前に立つ私を見入る。
「その男の情報、どうも怪しいな」
「でも、マンティコアの例もあります。グリーンドラゴンが本当にザターナ様の近くに潜んでいるとしたら……」
「無視はできんか」
私は商店街から戻って早々、旦那様にシルクハットの男性のことをお話しした。
旦那様は訝しんでいたけど、念のためヴァナディスさんも呼んで、対策を立てておくことに。
「旦那様。そのグリーンドラゴンという輩が実在するのなら、エルメシア教にも知らせておくべきでは」
「うむ。しかし、エステルは我々に何もさせたがらないだろうな」
「せめて親衛隊を護衛に戻すよう提言なされては?」
「アルウェンを除いて、親衛隊はすでに聖塔に送り出されてしまった。今さら護衛力の増加は見込めんよ」
ヴァナディスさんが肩を落とした。
今気づいたけど、彼女の足元ではカーバンクルちゃんがうろうろしている。
「……カーバンクルちゃん、何しているの?」
「お昼だし、飴玉を出せと訴えているのよ」
「ああ。いつもお昼ご飯はヴァナディスさんが出してあげてましたもんね」
「飴玉をいくつかお皿によそうだけだけどね」
私以外に、カーバンクルちゃんがこれほど懐くのはヴァナディスさんだけ。
毎日のご飯の世話って、こんな効果があるのね。
「ヴァナディス。食堂に連れて行って飴玉をくれてやれ。気になってかなわん」
「それがよろしいですね」
「それと、銀行で10万エル分の宝石と金塊を引き出してきてほしい」
「それだけの量となりますと、少々お時間が」
「できるだけ急いでくれ。私はグリーンドラゴンの件をエステルに伝えてくる」
ヴァナディスさんは、カーバンクルちゃんを連れて食堂へ。
旦那様は、エステル様を追いかけて庭へ。
……私は何をすればいいのかしら。
「あの。私は――」
「ダイアナはザターナの緊張をほぐしてやってくれ。応接間に残っているはずだ」
緊張するようなお方かなぁと思いながらも、私は応接間へ向かった。
◇
応接間のドアはわずかに開いていた。
私は盗み聞きをするつもりはなかったのだけど、ドアノブを掴んだ時に中からザターナ様の話し声が聞こえてきたので、つい聞き耳を立ててしまった。
話し相手は、アルウェン様だわ。
「――の気持ちは嬉しいわ。子供の頃の約束、ずっと覚えていてくれたのね」
「忘れないさ。あのエル銅貨に懸けた気持ちは今も色褪せていない」
あら。なんだか良い雰囲気だわ。
これは邪魔したら悪そうね。
「でも、あなたの気持ちに答えてあげることはできないわ」
「それは……私が女だからかい?」
「馬鹿ね。何を今さら! 〈聖声の儀〉が終われば、あたしはバトラックスに戻るのよ。恋なんてしてる暇ないわ」
「やっぱり戻るのか……」
……前言撤回。
あまり良くなさそうな雰囲気だわ。
私はそっとドアを閉めて、応接間の前を離れた。
◇
お屋敷はいつの間にか静かになっていた。
使用人はみんな、仕事を終えて聖塔へ向かってしまったから。
その一方、私は行く当てもなく中庭の花壇をぼーっと眺めていた。
そんな時――
「あんたは行かないの、ダイアナ?」
――ザターナ様に話しかけられた。
「私は毎年お留守番をしていましたから」
「今日は年に一度の盛大なお祭りなんだから、あんたも楽しめばいいじゃない」
そう言って、ザターナ様が私の隣に並んだ。
「〈聖声の儀〉が終わり次第、あたしはバトラックスへ戻る」
「その後のことは、私にお任せください。ザターナ様のお名前を汚すようなことは絶対にしません」
「その必要はないわ」
「え?」
「あんたが聖女の真似事をする必要はもうないの」
そのお言葉を受けて、私は目を丸くしてしまった。
「どういうことですか?」
「あんたはこの三ヵ月、あたしの尻拭いをがんばってくれた。何度も危険な目に遭いながら、それでも折れず諦めず」
「尻拭いだなんて、そんな……」
「お父様と話し合って決めたの。あんたの今後の処遇――」
ザターナ様が私の頭を撫でながら続ける。
「――再び聖女を演じるも良し。メイドに戻って普通の女の子として過ごすも良し。他にやりたいことがあればその道を歩むも良し。すべてあんたの自由」
「自由……」
「そうそう。玉の輿っていう選択もあるわね」
「へ?」
「ルーク様にプロポーズされていたじゃない。まだ答えてないんでしょ」
「あっ」
そうだった……。
セントレイピアに戻ってからもドタバタしていたし、あの方も特に何も言ってこないし、すっかり忘れていたわ。
「田舎町で拾われた身分不詳の女の子が、侯爵家の嫡男と結婚とか。小説の中でしかあり得なさそうなすっごい展開じゃないの。乗っちゃえ乗っちゃえ、玉の輿♪」
嬉しそうに笑いながら、ザターナ様が私の髪をくしゃくしゃにしてくる。
私のことでこんなに喜んでくれるなんて、感激だわ。
「ああ。でも、そうなったらきっと他の殿方も黙ってないか。アトレイユ様もハリー様も、ついでにアスラン様も名乗りを上げてくるわね」
「でしょうね、きっと」
「三人とも伯爵家のご令息だし、いずれも捨てがたいわね。でも、一人の女が四人の男を独占するわけにも……」
「えぇと。別に、私はそういうつもりで彼らを……」
「まぁ、誰かと寄り添って暮らしていくのも、きっと楽しいわよ」
そう言うや、ザターナ様に抱きしめられた。
「ごめんね、ダイアナ」
「と、突然どうしたんです、ザターナ様?」
「あたしはずっと前から、バトラックスへ行ったきり帰ってこないつもりだった。だから別れが辛くならないように、私の傍にいる人達にいっぱい意地悪く接してきたわ」
……ああ、そうか。
使用人から怖がられるようになったのも。
世間で鉄の聖女と呼ばれていたのも。
彼女なりの配慮だったのね。
「それなのに、最後まであたしの傍にいようとしてくれたのは、あんたとヴァナディスだけだった。本当は嬉しくてたまらなかったよ」
不器用な人だなぁ。
私はそう思いながら、ザターナ様を抱きしめ返した。
「だから、ありがとう」
ザターナ様は最後にそう告げて、中庭を門扉まで駆けて行ってしまった。
門扉の前にはエステル様と、聖堂騎士団の面々が並んでいる。
いよいよ、ザターナ様が聖塔へ向かわれるんだ。
「さよならなんて言いませんよ。ザターナ様」
私はそうつぶやいて、彼らを乗せて走り去る馬車を見送った。
◇
それからすぐ、私はアルウェン様の操る馬車に乗せられた。
行き先は聞いていないけど、一緒に乗車しているのは、旦那様と日の下自警団の殿方達。
旦那様が重そうなバッグを抱えているので、行き先は取引の場所かしら。
「旦那様。例の男性と会う際にはお気をつけください」
「心配するな。彼らが隠れて護衛をしてくれるんだ、何も悪いことは起こらんよ」
「皆さん、旦那様をよろしくお願いします」
私が頭を下げるや、彼らは照れたように笑い返してくれた。
「……そういえば、ヴァナディスさんは?」
「屋敷の留守を任せた」
「留守番なら、いつも通り私がお受けしましたのに」
「いいんだ。今年は、おまえに〈聖声の儀〉の特等席を案内したくてな」
「特等席?」
「ある場所に、聖塔がよく見えるバルコニーがあるのだ。ルークの厚意でそこを解放してもらっている」
そう言われて、私は自分がどこに向かっているのかを察した。
いつぞや、ルーク様のご厚意で入れていただいたバルコニーのある図書館だわ。
「ザターナから今後の話は聞いたな?」
「はい」
「急いで答えを出す必要はない。初めての〈聖声の儀〉を楽しみながら、ゆっくり考えてくれ」
「……わかりました。ありがとうございます」
日の下自警団の皆さんがいるので、多くは口にできない。
けれど、やっぱり今後の聖女様のことが不安だわ。
仮に私が替え玉を選ばなかったら、誰が代わりを務めるのかしら……。
そう考え始めた矢先、馬車が道端へと停車した。
ここは、例の男性が手渡してきたメモにある区画のすぐ近く。
「旦那様」
「心配するな。図書館で会おう」
そう言って、旦那様は日の下自警団の皆さんともども馬車から降りて行った。
彼らを見送るや、馬車は再び動きだす。
「国会図書館へ向かうよ、ダイアナ」
「……はい」
客車に一人きりとなった私は、膝の上に丸まっているカーバンクルちゃんを撫でながら、今後の自分について考えるように努めた。
◇
図書館に着いて早々、私はアルウェン様を伴ってバルコニーに足を踏み入れた。
この場所からは、本当に聖塔がよく見える。
しかも、私達の他には誰もいない貸し切り状態。
途中、聖塔に通じている街路が馬車や人で混雑しているのを見てきただけに、私だけこんな好待遇で申し訳ない気持ちになってくるわ。
「正午だ」
「いよいよ始まるのですね。〈聖声の儀〉が……!」
ドキドキしながら聖塔を見つめていると、聖都中の教会という教会から一斉に鐘の音が聞こえてきた。
さらに私を驚かせたのは、突如として街中に響き渡る声。
【いよいよ今年も約束の日が訪れました。〈聖声の儀〉を我らはどれほど待ち焦がれたことか。すべてはセントレイピアの輝かしき未来のために――】
エノク主教様の声だわ。
拡声石を使ったとしても、聖塔の声がここまで聞こえてくるはずはないのに、どうなっているのかしら。
「拡声石と通魔石を組み合わせて、聖都中に声を届けているんだよ」
「そんなことができるのですか」
「聖都市民七万人がすべて聖塔に集まれるわけじゃない。大半の者達は、聖都のあちこちに散らばるエルメシア教の施設に届けられた音声を聞くことになる」
「知りませんでした」
「図書館の近くにも教会がある。この声は、そこから聞こえているんだと思う」
アルウェン様から種明かしをされて、私は感心した。
バトラックスの鉄道もそうだけど、人の造りだす技術ってすごい。
そのうち、大陸のどこに居たって顔を合わせて会話できるような技術も出てきちゃいそう。
「……でも、お話が長いですね」
「〈聖声の儀〉の序盤は、為政者達のスピーチだから」
「ザターナ様の出番はまだ先なのですか?」
「国王陛下やエルメシア教の偉い人達の話が終われば、聖歌合唱。その後でようやく〈聖声〉に入る。あと一時間くらいかな」
「……本を借りてきます」
私が楽しみにしていたのは、ザターナ様の〈聖声〉!
偉い人達のお話なんて、別にどうでもいいの。
◇
〈聖声の儀〉が始まってしばらく。
私は図書館で借りてきた本を読みながら、偉い人達のお話を聞き流していた。
リラックスし始めた頃、突然バルコニーの扉が開かれて私はびっくり。
危うく本を取り落しそうになった。
入ってきたのは――
「思った通り退屈しているようだな、ダイアナ」
――旦那様と日の下自警団の皆さんだった。
「旦那様! ご無事で何よりです」
「無事も何も、指定の場所には誰も来なかったぞ」
「えっ。そうなのですか?」
「ただの悪戯だな。グリーンドラゴンの存在も眉唾物だし、実在していたとしても十年前の任務を律儀にこなそうとする者などそうはいまい」
悪戯……。
あのシルクハットの男性は、旦那様に嫌がらせをしたいだけだったの?
その時、私の耳に聞き覚えのある声が届いた。
エステル様の声だわ。
【――のような記念すべき日が快晴に恵まれたことも、女神エルメシア様の愛のなせる業です。その声をお届けくださる聖女様こそ、女神の巫女に相応しき――】
これまた長くなりそうな熱いスピーチ。
早く〈聖声〉を始めてくれないと、眠くなってしまうわ。
「ダイアナ。何の本を読んでいるんだい」
「悪竜退治の物語です。アルウェン様もご興味が?」
「英雄譚か。私も騎士の端くれだから興味はあるよ」
「この本、主に聖騎士様の活躍を取り上げていて――」
何気なしに本をめくっていくと、挿絵にインクが使われているページが現れた。
それは、聖騎士に赤い火を吹く緑色のドラゴンの挿絵。
細部まで描き込まれた竜は、その目までも緑色に染められている。
「――挿絵で……状況もわかりやすく……」
挿絵を見て、私の脳裏にある人物が浮かび上がった。
「アルウェン様。コードネームって、どういう条件で決められるのでしょう」
「え? それは場合によって様々だと思うけど」
「マンティコアは人面獣のモンスターだったそうです。だから、人の皮をかぶって他人に成りすます彼女がマンティコアと呼ばれるのはしっくりきます」
「ライラのことかい? たしかに物騒な女だったが……」
「ヘイムダル将軍が、その人物の特徴をコードネームに表す癖があったとしたら」
彼女の目、美しい緑色だと思った。
強引にザターナ様を監視下に置こうとするのが不思議だった。
すでに私達のそばに潜み、私も顔を合わせているかもと言った情報屋の真意は?
……グリーンドラゴンは、エステル司祭長では……?
そう考え至った時、私は全身総毛立った。
「ザターナ様が危ないっ!!」
全身を甲冑で覆った物々しい雰囲気。
そんな彼らを、エステル様を始めエルメシア教徒の面々が出迎えている。
「装備だけなら親衛隊以上だな」
「人数も多いし、お強いのでしょうか」
「銀をいくら揃えようとも、金の価値には及ばんよ」
旦那様はカーテンを閉めて執務机へと戻った。
そして、机の前に立つ私を見入る。
「その男の情報、どうも怪しいな」
「でも、マンティコアの例もあります。グリーンドラゴンが本当にザターナ様の近くに潜んでいるとしたら……」
「無視はできんか」
私は商店街から戻って早々、旦那様にシルクハットの男性のことをお話しした。
旦那様は訝しんでいたけど、念のためヴァナディスさんも呼んで、対策を立てておくことに。
「旦那様。そのグリーンドラゴンという輩が実在するのなら、エルメシア教にも知らせておくべきでは」
「うむ。しかし、エステルは我々に何もさせたがらないだろうな」
「せめて親衛隊を護衛に戻すよう提言なされては?」
「アルウェンを除いて、親衛隊はすでに聖塔に送り出されてしまった。今さら護衛力の増加は見込めんよ」
ヴァナディスさんが肩を落とした。
今気づいたけど、彼女の足元ではカーバンクルちゃんがうろうろしている。
「……カーバンクルちゃん、何しているの?」
「お昼だし、飴玉を出せと訴えているのよ」
「ああ。いつもお昼ご飯はヴァナディスさんが出してあげてましたもんね」
「飴玉をいくつかお皿によそうだけだけどね」
私以外に、カーバンクルちゃんがこれほど懐くのはヴァナディスさんだけ。
毎日のご飯の世話って、こんな効果があるのね。
「ヴァナディス。食堂に連れて行って飴玉をくれてやれ。気になってかなわん」
「それがよろしいですね」
「それと、銀行で10万エル分の宝石と金塊を引き出してきてほしい」
「それだけの量となりますと、少々お時間が」
「できるだけ急いでくれ。私はグリーンドラゴンの件をエステルに伝えてくる」
ヴァナディスさんは、カーバンクルちゃんを連れて食堂へ。
旦那様は、エステル様を追いかけて庭へ。
……私は何をすればいいのかしら。
「あの。私は――」
「ダイアナはザターナの緊張をほぐしてやってくれ。応接間に残っているはずだ」
緊張するようなお方かなぁと思いながらも、私は応接間へ向かった。
◇
応接間のドアはわずかに開いていた。
私は盗み聞きをするつもりはなかったのだけど、ドアノブを掴んだ時に中からザターナ様の話し声が聞こえてきたので、つい聞き耳を立ててしまった。
話し相手は、アルウェン様だわ。
「――の気持ちは嬉しいわ。子供の頃の約束、ずっと覚えていてくれたのね」
「忘れないさ。あのエル銅貨に懸けた気持ちは今も色褪せていない」
あら。なんだか良い雰囲気だわ。
これは邪魔したら悪そうね。
「でも、あなたの気持ちに答えてあげることはできないわ」
「それは……私が女だからかい?」
「馬鹿ね。何を今さら! 〈聖声の儀〉が終われば、あたしはバトラックスに戻るのよ。恋なんてしてる暇ないわ」
「やっぱり戻るのか……」
……前言撤回。
あまり良くなさそうな雰囲気だわ。
私はそっとドアを閉めて、応接間の前を離れた。
◇
お屋敷はいつの間にか静かになっていた。
使用人はみんな、仕事を終えて聖塔へ向かってしまったから。
その一方、私は行く当てもなく中庭の花壇をぼーっと眺めていた。
そんな時――
「あんたは行かないの、ダイアナ?」
――ザターナ様に話しかけられた。
「私は毎年お留守番をしていましたから」
「今日は年に一度の盛大なお祭りなんだから、あんたも楽しめばいいじゃない」
そう言って、ザターナ様が私の隣に並んだ。
「〈聖声の儀〉が終わり次第、あたしはバトラックスへ戻る」
「その後のことは、私にお任せください。ザターナ様のお名前を汚すようなことは絶対にしません」
「その必要はないわ」
「え?」
「あんたが聖女の真似事をする必要はもうないの」
そのお言葉を受けて、私は目を丸くしてしまった。
「どういうことですか?」
「あんたはこの三ヵ月、あたしの尻拭いをがんばってくれた。何度も危険な目に遭いながら、それでも折れず諦めず」
「尻拭いだなんて、そんな……」
「お父様と話し合って決めたの。あんたの今後の処遇――」
ザターナ様が私の頭を撫でながら続ける。
「――再び聖女を演じるも良し。メイドに戻って普通の女の子として過ごすも良し。他にやりたいことがあればその道を歩むも良し。すべてあんたの自由」
「自由……」
「そうそう。玉の輿っていう選択もあるわね」
「へ?」
「ルーク様にプロポーズされていたじゃない。まだ答えてないんでしょ」
「あっ」
そうだった……。
セントレイピアに戻ってからもドタバタしていたし、あの方も特に何も言ってこないし、すっかり忘れていたわ。
「田舎町で拾われた身分不詳の女の子が、侯爵家の嫡男と結婚とか。小説の中でしかあり得なさそうなすっごい展開じゃないの。乗っちゃえ乗っちゃえ、玉の輿♪」
嬉しそうに笑いながら、ザターナ様が私の髪をくしゃくしゃにしてくる。
私のことでこんなに喜んでくれるなんて、感激だわ。
「ああ。でも、そうなったらきっと他の殿方も黙ってないか。アトレイユ様もハリー様も、ついでにアスラン様も名乗りを上げてくるわね」
「でしょうね、きっと」
「三人とも伯爵家のご令息だし、いずれも捨てがたいわね。でも、一人の女が四人の男を独占するわけにも……」
「えぇと。別に、私はそういうつもりで彼らを……」
「まぁ、誰かと寄り添って暮らしていくのも、きっと楽しいわよ」
そう言うや、ザターナ様に抱きしめられた。
「ごめんね、ダイアナ」
「と、突然どうしたんです、ザターナ様?」
「あたしはずっと前から、バトラックスへ行ったきり帰ってこないつもりだった。だから別れが辛くならないように、私の傍にいる人達にいっぱい意地悪く接してきたわ」
……ああ、そうか。
使用人から怖がられるようになったのも。
世間で鉄の聖女と呼ばれていたのも。
彼女なりの配慮だったのね。
「それなのに、最後まであたしの傍にいようとしてくれたのは、あんたとヴァナディスだけだった。本当は嬉しくてたまらなかったよ」
不器用な人だなぁ。
私はそう思いながら、ザターナ様を抱きしめ返した。
「だから、ありがとう」
ザターナ様は最後にそう告げて、中庭を門扉まで駆けて行ってしまった。
門扉の前にはエステル様と、聖堂騎士団の面々が並んでいる。
いよいよ、ザターナ様が聖塔へ向かわれるんだ。
「さよならなんて言いませんよ。ザターナ様」
私はそうつぶやいて、彼らを乗せて走り去る馬車を見送った。
◇
それからすぐ、私はアルウェン様の操る馬車に乗せられた。
行き先は聞いていないけど、一緒に乗車しているのは、旦那様と日の下自警団の殿方達。
旦那様が重そうなバッグを抱えているので、行き先は取引の場所かしら。
「旦那様。例の男性と会う際にはお気をつけください」
「心配するな。彼らが隠れて護衛をしてくれるんだ、何も悪いことは起こらんよ」
「皆さん、旦那様をよろしくお願いします」
私が頭を下げるや、彼らは照れたように笑い返してくれた。
「……そういえば、ヴァナディスさんは?」
「屋敷の留守を任せた」
「留守番なら、いつも通り私がお受けしましたのに」
「いいんだ。今年は、おまえに〈聖声の儀〉の特等席を案内したくてな」
「特等席?」
「ある場所に、聖塔がよく見えるバルコニーがあるのだ。ルークの厚意でそこを解放してもらっている」
そう言われて、私は自分がどこに向かっているのかを察した。
いつぞや、ルーク様のご厚意で入れていただいたバルコニーのある図書館だわ。
「ザターナから今後の話は聞いたな?」
「はい」
「急いで答えを出す必要はない。初めての〈聖声の儀〉を楽しみながら、ゆっくり考えてくれ」
「……わかりました。ありがとうございます」
日の下自警団の皆さんがいるので、多くは口にできない。
けれど、やっぱり今後の聖女様のことが不安だわ。
仮に私が替え玉を選ばなかったら、誰が代わりを務めるのかしら……。
そう考え始めた矢先、馬車が道端へと停車した。
ここは、例の男性が手渡してきたメモにある区画のすぐ近く。
「旦那様」
「心配するな。図書館で会おう」
そう言って、旦那様は日の下自警団の皆さんともども馬車から降りて行った。
彼らを見送るや、馬車は再び動きだす。
「国会図書館へ向かうよ、ダイアナ」
「……はい」
客車に一人きりとなった私は、膝の上に丸まっているカーバンクルちゃんを撫でながら、今後の自分について考えるように努めた。
◇
図書館に着いて早々、私はアルウェン様を伴ってバルコニーに足を踏み入れた。
この場所からは、本当に聖塔がよく見える。
しかも、私達の他には誰もいない貸し切り状態。
途中、聖塔に通じている街路が馬車や人で混雑しているのを見てきただけに、私だけこんな好待遇で申し訳ない気持ちになってくるわ。
「正午だ」
「いよいよ始まるのですね。〈聖声の儀〉が……!」
ドキドキしながら聖塔を見つめていると、聖都中の教会という教会から一斉に鐘の音が聞こえてきた。
さらに私を驚かせたのは、突如として街中に響き渡る声。
【いよいよ今年も約束の日が訪れました。〈聖声の儀〉を我らはどれほど待ち焦がれたことか。すべてはセントレイピアの輝かしき未来のために――】
エノク主教様の声だわ。
拡声石を使ったとしても、聖塔の声がここまで聞こえてくるはずはないのに、どうなっているのかしら。
「拡声石と通魔石を組み合わせて、聖都中に声を届けているんだよ」
「そんなことができるのですか」
「聖都市民七万人がすべて聖塔に集まれるわけじゃない。大半の者達は、聖都のあちこちに散らばるエルメシア教の施設に届けられた音声を聞くことになる」
「知りませんでした」
「図書館の近くにも教会がある。この声は、そこから聞こえているんだと思う」
アルウェン様から種明かしをされて、私は感心した。
バトラックスの鉄道もそうだけど、人の造りだす技術ってすごい。
そのうち、大陸のどこに居たって顔を合わせて会話できるような技術も出てきちゃいそう。
「……でも、お話が長いですね」
「〈聖声の儀〉の序盤は、為政者達のスピーチだから」
「ザターナ様の出番はまだ先なのですか?」
「国王陛下やエルメシア教の偉い人達の話が終われば、聖歌合唱。その後でようやく〈聖声〉に入る。あと一時間くらいかな」
「……本を借りてきます」
私が楽しみにしていたのは、ザターナ様の〈聖声〉!
偉い人達のお話なんて、別にどうでもいいの。
◇
〈聖声の儀〉が始まってしばらく。
私は図書館で借りてきた本を読みながら、偉い人達のお話を聞き流していた。
リラックスし始めた頃、突然バルコニーの扉が開かれて私はびっくり。
危うく本を取り落しそうになった。
入ってきたのは――
「思った通り退屈しているようだな、ダイアナ」
――旦那様と日の下自警団の皆さんだった。
「旦那様! ご無事で何よりです」
「無事も何も、指定の場所には誰も来なかったぞ」
「えっ。そうなのですか?」
「ただの悪戯だな。グリーンドラゴンの存在も眉唾物だし、実在していたとしても十年前の任務を律儀にこなそうとする者などそうはいまい」
悪戯……。
あのシルクハットの男性は、旦那様に嫌がらせをしたいだけだったの?
その時、私の耳に聞き覚えのある声が届いた。
エステル様の声だわ。
【――のような記念すべき日が快晴に恵まれたことも、女神エルメシア様の愛のなせる業です。その声をお届けくださる聖女様こそ、女神の巫女に相応しき――】
これまた長くなりそうな熱いスピーチ。
早く〈聖声〉を始めてくれないと、眠くなってしまうわ。
「ダイアナ。何の本を読んでいるんだい」
「悪竜退治の物語です。アルウェン様もご興味が?」
「英雄譚か。私も騎士の端くれだから興味はあるよ」
「この本、主に聖騎士様の活躍を取り上げていて――」
何気なしに本をめくっていくと、挿絵にインクが使われているページが現れた。
それは、聖騎士に赤い火を吹く緑色のドラゴンの挿絵。
細部まで描き込まれた竜は、その目までも緑色に染められている。
「――挿絵で……状況もわかりやすく……」
挿絵を見て、私の脳裏にある人物が浮かび上がった。
「アルウェン様。コードネームって、どういう条件で決められるのでしょう」
「え? それは場合によって様々だと思うけど」
「マンティコアは人面獣のモンスターだったそうです。だから、人の皮をかぶって他人に成りすます彼女がマンティコアと呼ばれるのはしっくりきます」
「ライラのことかい? たしかに物騒な女だったが……」
「ヘイムダル将軍が、その人物の特徴をコードネームに表す癖があったとしたら」
彼女の目、美しい緑色だと思った。
強引にザターナ様を監視下に置こうとするのが不思議だった。
すでに私達のそばに潜み、私も顔を合わせているかもと言った情報屋の真意は?
……グリーンドラゴンは、エステル司祭長では……?
そう考え至った時、私は全身総毛立った。
「ザターナ様が危ないっ!!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
534
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる