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ブラック経営は御法度

顧みない者の末路

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03

 本来なら警察を呼んで逮捕させればすむ話だが、フリードリヒはあえてユスポフを会議室に通すことにした。
 「一方的な政策をしいて置いて、今度は話もしない」
 とゴネさせないためだ。
 ユスポフのような者の話など、傾聴する価値などみじんも感じていなかったが。
 「わけがわからない。なぜ私がブラックリストに指定されなければならないんです!?」
 「あなたは従業員に暴力を振るい、怪我までさせている。
 それ以上の理由がありますか?」
 フリードリヒは当たり前の答えを返すが、ユスポフはなにが悪いのか全く理解していなかった。
 (おそらく本当にわからないんだろうな)
 フリードリヒは思う。
 「大臣はおわかりになっていない!我々の業界では今までそうやってきたんです!」
 ユスポフは問題の所在を全く理解しようとしない。
 彼にとってそれは問題でさえないのだろう。
 彼の業界では体罰や暴力指導、そして根性論がまかり通ってきた。
 上司や先輩に自分がされたことだから、偉くなったいま、部下や後輩にして当然。そうしないのは損だと思っている。
 だが、今の王国の常識でそんな考えは通らない。
 「あなたが従業員に怪我をさせたことは事実です。
 そして、それは法律に定められたブラックリスト指定の要件となる」
 フリードリヒはにべもなく建前論に終始する。
 ユスポフのような男を理解できないし、理解しようとしてやる気も起きなかった。
 「私だってそうやって一人前になったんだ!」
 「だから?」
 フリードリヒは、自分の返答にユスポフの中で糸がぷつんと切れたのを読み取った。
 悪い意味での体育会系であるユスポフは、自分の人格と経験には無条件で経緯が払われて当然だと、なんの根拠もなく信じている。
 “それがどうした?”と言外にあしらわれて、いとも簡単に理性をなくしたらしい。
 「ふざけるな!若造が!」
 ユスポフは自分が持ってきた書類の束を、フリードリヒの足下に投げつける。
 (頃合いだな)
 フリードリヒは机の上の呼び鈴をならす。
 外に待機していた事務官たちが部屋に入ってくる。
 「警察を呼んで下さい」
 「は」
 事務官の一人が外に出て行く。
 この世界にまだ電話はないが、魔法で作動する通報装置のボタンを押せば、三分で警察が駆けつけてくる。
 「ふ…ふざけるな!被害者ぶるのか!?こんなことで逮捕されるかよ!」
 自分は正しい。正しくなくては困る。だから、警察に逮捕などされるわけがない。
 現実を受け入れず、そんな認知バイアスじみた考えをするユスポフは、駆けつけた警察官に公務執行妨害の容疑で連行されていくことになる。
 「だから、あいつは俺を侮辱したんだ。
 聞いて下さいよ。俺たちの業界の伝統を、あいつは馬鹿にしやがったんだ」
 ユスポフは取調べでも子供じみた言い訳を続ける。
 常日頃、部下に頭ごなしに“言い訳するな”と言い続けておきながら、自分はこれなのだから話にならない。
 先だっての従業員に対する傷害事件で罰金刑になったことに全く反省せず、今度は悪質な公務執行妨害。しかも全く反省していない。
 保釈は認められず長く勾留された挙げ句、今度は執行猶予突きの懲役刑を食らうこととなる。
 「労働大臣に暴行の建設会社役員に執行猶予付き判決。ブラックリスト指定を逆恨み」
 ユスポフは裁判の間中、そして執行猶予がついてからも新聞で叩かれ、世間からもパッシングの嵐に遭うことになる。
 彼の会社はいよいよ金融機関からも、取引先からさえ見限られ、倒産してしまうのであった。

 「大変でしたね。フリードリヒ」
 「いえ、この仕事をしていればよくあることです。
 それに、実家で商売をしていたころは、聞き分けのない客なんていくらでもいましたから」
 王宮のティールーム。
 新聞記事から目を上げたイレーヌの言葉に、フリードリヒはこともなげに応じる。
 記事にはこうあった。
 「元会社役員、労働省を脅迫で逮捕」
 ユスポフは法で裁かれ会社をつぶしても反省することはなかった。
 むしろ、労働省とフリードリヒを逆恨みし、脅迫状を送りつけるという暴挙に出たのだ。
 今度は実刑確定だろう。
 (どうして少しでも立ち止まって顧みようとしないのか)
 イレーヌはそれがわからなかった。
 どんなに伝統のある方法論で、自分もそのやり方に従って一人前になったといっても、法に触れるのはまずいとわかりそうなものだ。
 イレーヌは前世の記憶を少し思い出してみる。
 かつて最多勝利投手に輝き、日本シリーズでも活躍した名投手で、監督も務めたプロ野球選手がいた。彼は、ルーキー時代の自分の監督をこう評した。
 そのあまりにも厳しい管理体制に辟易して「監督になったら絶対管理はしないぞ」と誓ったという。
 一方で、「今思えばその経験が良かったと思う」とも語っていた。厳しい管理体制のお陰に忍耐と自制心が身についたというのだ。
 (難しい問題ね)
 イレーヌはそう思わずにはいられない。
 別のプロ野球選手は、かつて甲子園の常連で、プロ入り後も球団を支えた投手だったが、根性論や暴力指導に一貫して否定的だった。
 「監督が采配ミスをして選手に殴られますか?スポーツとしてもっとも恥ずかしい行為です」
 その言葉が彼の信条を表していた。
 彼の言葉を裏付けるように、相撲部屋や自衛隊、学校の部活など、体育会系の組織で、定期行事のようにいじめや傷害などの不祥事が起きていたからなおのこと。
 (もし、この子が暴力指導で障害を負ったり、命を落としたりしたら、わたくしは加害者を絶対にゆるせないだろう)
 大きくなったお腹をさすりながら、イレーヌはそう思う。
 「わたくしはいかなる場合でも暴力には反対ですけど。
 フリードリヒ、あなたはどう思って?」
 イレーヌの問いに、紅茶を飲み干したフリードリヒは少し考えて返答する。
 「例えば軍隊のように、どうしてもげんこつにものを言わせなければならない組織というのはあるのでしょう。
 しかし、それは特殊な組織の中での最後の手段です。
 いくら軍隊でも、意味もなく暴力を振るっていい道理がない」
 フリードリヒは一度言葉を句切って紅茶をおかわりする。
 「悲しいことに、暴力は最後の手段だとわかっていない経営者が多いのは事実です。
 頭の悪い彼らはこう言い訳します。“戦場でぼんやりしてたら死ぬ。それと同じで、殴るのもやむを得ない。本人のためだ”とね。
 くだらない。戦場と違って商売では失敗しても基本的には死なないでしょう。
 その程度のこともわからない連中でも、元手さえあれば経営者になれる。
 そして必ず不祥事を起こす。
 彼らの暴力を野放しにしておいてはならない。これだけは言えると思います」
 フリードリヒのよどみない言葉に、イレーヌは笑顔になる。
 「さすが労働大臣、そしてわが夫ね。
 胸の霧が晴れた気分よ。これからも期待しているわ」
 「おお、陛下、そしてわが妻。
 嬉しい限り。
 これからも励みます」
 フリードリヒも笑顔を返す。
 二人にとって、ブラック経営との戦いはまだ始まったばかりなのだ。
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