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第3章

33.魔術師

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 以前リタにフローラが聞いていた話では、魔術師ツァウバラーの一味に捕らえられはしたが、魔術師本人に会うことはなかったそうだ。そのためすぐに殺されなかったのだろうと。

 フローラは、夕方の5時には公演に向けての練習を終え、部屋に戻り、リタになるための変装を始める。
 こげ茶色の髪のウィッグをつけ、髪を緩く編み上げる。そして緋色のコンタクトレンズをつけ、少し釣り目にアイラインを引き、左の眼もとに黒子ほくろを描く。
 そしてユリアンには事情を話して、毎日馬車を貸してもらえることになった。

 フローラはユリアン邸の馬車をカフェの前までつけると、馬車を降りてカフェに入る。視界の端にレオが映る。
 フローラはレオを見ないように、窓際の席に座る。正直これからのことを想像すると怖い。前の自動人形オートマタの時とは違う。敵を探るとかじゃなく、明らかに標的を殺しにきている敵の前に身を晒すのだ。
 カフェの窓際でコーヒーを注文し、これからどこに行こうかしら、などと考えながらカップに口をつける。

 レオは昨日、なるべくひと気のない所へと言っていた。どこがいいだろう。どこだったら狙いやすい? できることなら早く魔術師を捕まえたい。図書館は閉まっているし……。そうだわ。路地裏でも通ってみようかしら。

 フローラはコーヒーの勘定を済ませると、カフェを出て街の雑踏を抜け路地裏に入る。レオはきっとついてきてくれているだろう。……多分。
 路地裏を縫うように歩いてみたが、結局初日は何事も起こらず、レオに帰宅の合図をした後、馬車でユリアン邸に戻ることにした。



 そんな日課を3日ほど繰り返したところだった。
 路地裏を歩いていたフローラの後ろを、ひたひたとついてくる者がいる。レオではない。レオは気配を感じさせない。別の誰かが尾行をしているのではないか。
 フローラは速度を速めたり緩めたりして、後ろの人物が自分への尾行だと確信する。

 もし、尾行が魔術師本人ではなく、一味の誰かだったら、恐らくレオはフローラを敢えて捕まえさせ、その後フローラが連れ去られるであろう隠れ家へ尾行を開始するだろう。……また捕まるの嫌だなあ。さすがに自分は3階の窓からは飛び降りられないし……。

 などと考えてながら、今通ってきた路地を出ようとしたところで、路地の出口を突然馬車が塞ぐ。なんだろう?と思っていると、中から出てきた男達に口を塞がれ、無理矢理馬車に乗せられる。

「んむーー! んーー!」

「大人しくしろ! 痛い目にあいたいのか!」

 フローラは男達を凝視する。男達は2人。顔には覆面をし、帽子を目深に被っている。人相までは分からない。フローラは顔を殴られては堪らないと思い、男達に大人しく従う。
 勘だが、この中には魔術師はいないように感じる。今はこのまま運ばれるしかないようだ。
 この男達は二人とも馬車から出てきた。後ろをつけていた人物は乗り込んでいない。あれはいったい誰だったのだろうか……。



 馬車はしばらく走り、郊外の2階建ての民家に到着した。辺りは広い畑で、隣家などはなさそうだ。レオはちゃんとついてきてくれているだろうか。

 フローラはそのまま馬車から降ろされ、民家の中へ歩かされる。最近まで空き家だったのだろう、民家の中は、ところどころ埃をかぶっている。家具も長年使われた形跡がない。
 フローラは2階へ連れていかれる。奥の部屋の扉が開けられ、連れてきた男達に中に放り込まれた。そして目の前には……。

「初めまして、リタ。」

 背中までの灰色の長髪を後ろでくくり、同色の瞳が妖しく輝いている。顔立ちは恐らく整っているのだろう。なぜ恐らくなのかというと、その男は目元を隠す仮面をつけているからだ。

(この男が魔術師ツァウバラーだ……。)

 フローラは直感的にそう考える。そして、彼はフローラがリタであることに疑いを持っていないようだ。怯え、震えながら、リタのつもりで話しかけてみる。

「貴方が魔術師なの……?」

「ええ、リタ。僕と落ち合う前にやらかしたねえ、君。リンデンベルク家なんて全然関係ない家じゃあないの。おまけに駆け落ちまでしようとするなんてねえ。」

「ごめんなさい……。」

 男の喋り方はかなり陽気だが、声は氷のように冷えびえとしている。

「いやあ、いいんだよ。恋心なんて誰にも止められないもんねえ。でも僕はねえ……。」

 魔術師はフローラに近づき、指でぐっと彼女の顎を掬う。

「未だかつて一度も任務に失敗したことはないんだよねえ。君のせいで僕の経歴に傷がつきそうなんだよ。皇帝陛下からの信頼の厚いこの僕が!」

 笑顔なのにもかかわらず、仮面の奥から覗く男の灰色の瞳には、怒りの炎がめらめらと燃えているのが窺える。

自動人形オートマタはこっちで始末をつけるよ。本当に役に立たない女だったねえ、君は。」

 そう言って男は持っていた杖をくるりと回し、レイピアに変えた。なんだか変な技術を持っている。これが魔術師の所以ゆえんなのかしら。などと冷静に観察している場合じゃない、逃げないと。
 フローラは懐に忍ばせていた短剣を取り出し構える。こんなことならいっそ帯剣でもしておくんだった。

「あれえ、君そんな勇ましい子だったっけ? まあいいや、死んでねえ。」

 レオ、来ないじゃない、嘘つき!
 フローラはレイピアの突きを相手の右側に躱し、振り向きざまに短剣を男の腕に振る。だが、相手のスピードのほうが上だった。突き攻撃から流れるように下から上に振り上げたレイピアに短剣を弾き飛ばされる。

「つっ!」

 魔術師のレイピアが掠り、フローラは右手を斬られてしまう。痛っ! 思わず右手を押さえて後ずさる。
 フローラは演技でなく本気で恐怖する。

「ごめん、少し遅くなった。」

 聞き慣れた声がしたかと思ったら、金属のぶつかる音とともに、一瞬で魔術師のレイピアは天井に突き刺さっていた。背後から近づいたレオの長剣によって弾き飛ばされたのだ。そして魔術師は喉元に剣を当てられ、拘束される。

「くっ……!」

「動かないでね。魔術師ツァウバラーくん。」

 魔術師はレオによってあっけなく縄で縛りあげられる。フローラは魔術師が縄抜けの技術なんて持っていないことを願う。

 レオの姿を見て急に安心したからか、フローラはふらりとよろめく。

「おっと、大丈夫?」

 レオが倒れそうになったフローラを片手で支える。

「来ないかと思ったわ……。」

 フローラが恨みがましくレオを睨み非難すると、レオが本当にすまなそうにフローラの傷ついた右手をじっと見つめる。

「下の階の手下どもがけっこうしぶとくて……。ごめん、右手に怪我をさせてしまったね……。」

 レオはフローラを片手を彼女の背中に回しながら、もう片方の手で彼女の右手を握ったかと思うと、血だらけの右手にゆっくりと唇を寄せる。
 はあ!? 何やってるの?

「ちょっと、待って! 何するの?」

「何って、可哀想な君の右手に敬意を表してキスを……。」

 レオはフローラの背中に回していた手を腰に回し、ぐっと抱き寄せる。

「俺は君が殺されるかもしれないと思った時、心臓が止まるかと思った。そして君を巻き込むんじゃなかったと、ひどく後悔した。本当にごめん。」

「何よ今さら。もういいから離して。」

「嫌だ。」

 嫌だって何よ、駄々っ子か! レオはいったいどういうつもりなのだろう。
 レオの瞳がじっとフローラの瞳を覗き込む。レオの紫色がまた揺れている。

「少し遅くなって怪我させてしまったけど、君を助けたのは俺だ。……だから、このくらいいいよね。」

 フローラが揺れる紫に見惚れている隙に、レオの顔が近づいてくる。

(え、なになに、ちょっと待って! だめーーー!)

 まさにレオの唇が、フローラのそれに触れようとした瞬間、フローラは寸でのところで己の手を挟む。

「……なに?」

 思わぬところでフローラの左手にキスをしてしまったレオが非難の声をあげる。

「なにじゃないでしょう!? なんでこんなことするの?」

 フローラは揶揄われたのだろうと思い、憤慨して抗議する。

「なんでって……。キスしたかったから?」

 そんな本能のまま行動されては堪ったものじゃない。

「いいから離して!」

「嫌だ。」

「離してったら!」

 ぐっと力を入れてフローラを抱きしめようとするレオの胸を必死で離そうと腕に力を入れる。びくともしないが、それでも諦めず体を離そうとするフローラ。
 そのとき。

「フローラ……?」

 部屋の入口にはフローラが会いたくても会えなかった人、ジークハルトが立っていた。



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