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7. 鳥の名前の少女
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ほぼ脊髄反射的に振り返ると、そこには、車椅子の少女がいた。
グラビア誌もびっくりの美少女だ。
聞いた年齢は、たしか十七歳。
一見、年相応に見えるが、目つきがなんとなく大人びている。
手にはガラスのベルを持っていた。よく外国の時代物映画なんかで、人を呼ぶときに使うようなベルだ。今鳴らしたのはこれだろう。
「ああ、雲雀ちゃん、降りてきてたのね。お茶の時間に紹介しようと思ってたんだけど。こちらが新しくいらした、沖津棗さん」
土谷さんが明るい声で言った。
あたしは頭を下げる。
「初めまして」
しかし、返事はなかった。
顔を上げると、思ってもみなかったことに、少女はあたしを睨んでいる。
綺麗な顔が台無しだ。
「兄さんに、あたしの子守はもういらないって言ったのに」
そして不満の声を、土谷さんにぶつけた。
あたしのことは、完全無視。いないものと見なしたいんだろう。
(まあ、常識的に言って、いらない歳だよね)
あたしは心の中で賛同した。
ただまあ、口にはしない。職がなくなってしまうので。
(でも今たしか、『もう』って言ったな。あたしの前任がいたってことか)
きっと、同じような態度を取ったんだろう。
なるほど、爽希さんや土谷さんの言ってた『気難しい』とは、こういう意味か。
(さて、どうしたものかなあ)
あたしの経験上、こういう態度の人にこちらから働きかけても、ろくな反応は返ってこない。
困っていると、土谷さんが助け船を出してくれた。
「せっかく降りてきたのなら、お茶淹れましょうか。ああそう、出そうと思ってたお菓子、キッチンに置いたままだった。一緒に取りに戻ってくれる?」
「はい!」
あたしは思わず元気いっぱいに返事してしまった。
睨む視線がさらに強くなったような気もするが、気づかないフリをして、さっさと背を向ける。
本邸を出て通路を早足で戻り、キッチンに入ると、ようやく土谷さんが口を開いた。
「ご機嫌ななめだったけど、ここのところずっと、あの調子なのよね。悪い子じゃないんだけど」
わざわざフォローするということは、実際、そうなのかもしれない。
あの態度を見たら、とてもそうは思えないけど。
「先月まで雇われてたのが、家庭教師も兼ねてた人なんだけどね。なんとか高校に復学させようと必死でプレッシャー与え過ぎたのか、雲雀ちゃんがヒステリー起こして部屋から出て来なくなっちゃったのよ。だから、あなたのことも警戒してるんだと思う」
「そうだったんですか……」
「雲雀ちゃんは優秀だから、高卒認定をもう取ってるのよ。だから無理してまで通いたくはないみたい」
(そこを無理強いしたってわけか。まあ、通ったほうが良い、って考えの人はいるだろうしなあ)
そんな事情を説明しながら、土谷さんは冷蔵庫からお菓子を取り出した。
手元を覗き込むと、クリームブリュレだ。
「もしかして、手作りですか」
「そうよ。あなたのぶんもあるから、あとでこっちで一緒に食べましょう。雲雀ちゃんは今日のところ、あなたと一緒にお茶を飲もうなんて言い出さなそうだから」
(たしかに)
土谷さんは、冷蔵庫からさらにミルクを出して、トレイに載せた。
それに蓋代わりに、全体にゆるく布をかぶせる。それも綺麗なキルトでできていた。
「さ、戻りましょうか。お茶はあっちのキッチンに道具が揃ってるから。あなたもできるように、淹れ方、教えておくわ」
「ありがとうございます」
あの機嫌の悪い少女と自分だけで相対するのは気が重かったので、こうやって土谷さんが介入してくれるのは、本当にありがたい。
本邸に戻ると、広い部屋の中、ガラス戸のそばにぽつりとひとり、雲雀さんが外を眺めていた。
(なんだかなあ)
広い部屋はいいことだ。
インテリアもデザインも内装も無駄がなく洒落ていて、色んな人がきっと憧れるような家だろう。雑誌にだって載るかもしれない。
でもなんだか、そこにひとりでいたって、ちょっと空虚なようにも見える。
まあこれは、あたしが施設で育ったからこその感覚なのかもしれないけど。
だって、常に自分以外の子供がいて、泣き叫んだり笑ったり、たまにはケンカなんかもしてたりして、騒がしいのがあたりまえの生活だったもん。
そう思うと、金を使ってまで、妹の傍にいてくれる人間を作ろうとしたお兄さんの気持ちが、ちょっとだけわかるような気がした。
あたしが土谷さんにミルクティーの淹れ方を伝授されているあいだも微動だにせず、これじゃまるで、あっちのほうが訪問者のようだ。
ひと通り準備が済むと、土谷さんに促されてあたしはテーブルのうえにお茶とお菓子をセットした。
「どうぞ」
声をかけると返事はなかったが、車椅子の向きを変えて、雲雀さんはスゥーッとテーブルまで来た。電動らしく、スイッチひとつで自分の思う通りに動けるらしい。誰かに引いてもらったりする必要はなさそうだった。
茶器も片づけなきゃいけないだろうし、かと言って隣に立たれても不快だろうから、あたしは土谷さんのいる簡易キッチンで待機していようと、テーブルを離れようと背を向けた。
すると、突然言われた。
「兄さんに、なにを頼まれたの」
あたしは立ち止まり、振り返る。
「あなたの身の回りの世話と、できれば話し相手を、と言われました」
「嘘でしょ」
(は?)
あたしは面食らった。
だって、そんなことで嘘ついたってしかたない。
「隠したって、無駄よ」
(なにが?)
(なにが無駄?)
なんでそんなことを言うのか、さっぱりわからない。
(そもそも、なにを隠してるって?)
一瞬、潜入ルポのことかと思ったけど、それなら爽希さんを引き合いに出してくるのはおかしい。
ということはつまり、あたしがどうのというよりは、お兄さんになにか思うところがあるのだろうか。
「それ以外のことは、なにも聞いていませんけど」
そう答えたんだけど、ちょっと、怒ってるような調子になってしまった。
だって、それに関しては完全に濡れ衣だし。
「どういうことですか」
たたみかけると、雲雀さんは急にばつの悪そうな表情になった。
たぶん、言い返されるとは予想していなかったのだろう。
あたしからしても、言ったあとからしまった、と思った。
こんなにずけずけ言ってたら、失礼な奴だと判断されてもしかたない。
(あーあ、さっそくクビかも)
絶望的な気持ちになってきた。
なにか問題でも起きたのかと、土谷さんが寄ってくるのが、視界の端に見える。
せっかくよくしてくれたのに、さっそくお払い箱になるなんて、本当に申し訳ない。
「なんでもない。忘れて」
でも、雲雀さんは急にそう言った。
怒ってる口調ではない。どちらかというと、困惑しているのを取り繕うとしているように聞こえた。
「あっち行ってて」
そんなすげないことを言われたが、とりあえず、クビとは言われなかった。
あたしは安心していいのか、後からなにか言われることを覚悟しておいたほうがいいのかわからなかったが、今ここでゴネてもしかたないと。引き下がるしかない。
心配そうな土谷さんを押しとどめ、あたしは簡易キッチンに一緒に戻る。
「お茶、いらない。片づけといて」
雲雀さんはこっちを見もしないでそう言うと、エレベーターに乗って、さっさと部屋に戻ってしまった。
「もったいない……」
思わず口走ると、土谷さんがあきれ顔をした。
「なに言ってんの。もっと大事なことが起きたんじゃないの?」
こうなってはしかたないので、お茶一式を一緒に下げ、それをメインのキッチンまで持って戻ることにした。
あたしが『もったいない』と何度も繰り返すので、結局、あたしたちで頂こう、ということになったのだ。
土谷さんも口では反対してたけど、ちょっとだけ嬉しそうだった。
(だって)
とあたしなんかは思う。
腕によりをかけて作った食べ物を、気分ひとつで『いらない物』扱いされてあっけなく捨てられるのは、なんだかやるせない。
自分たちの建物に戻ると、あたしはようやく安心して、土谷さんに経緯を説明した。
お兄さんが云々、は土谷さんにも心当たりがないらしく、首を傾げている。
ちなみにそのあいだご馳走になった、ミルクティーとクリームブリュレはやっぱり絶品だった。
「こう言っちゃなんだけど」
土谷さんは声を潜める。
「なんだか、うまくいってないみたいなのよね。爽希さんと雲雀ちゃん」
「そうなんですか」
「別に憎み合ってるとか、そういうんじゃないのよ。なんていうのかな、ことごとく噛み合ってない感じっていうか……」
(そういえば、堀田さんが『お家騒動』とかなんとか言ってたっけ?)
(それかな?)
(でも、『お家騒動』って、一般的に、後継ぎがどうのこうの、って問題だよね?)
(なら、違うか……)
あたしは、頭のなかで自問自答した。
でも当然、答なんて出なかった。
グラビア誌もびっくりの美少女だ。
聞いた年齢は、たしか十七歳。
一見、年相応に見えるが、目つきがなんとなく大人びている。
手にはガラスのベルを持っていた。よく外国の時代物映画なんかで、人を呼ぶときに使うようなベルだ。今鳴らしたのはこれだろう。
「ああ、雲雀ちゃん、降りてきてたのね。お茶の時間に紹介しようと思ってたんだけど。こちらが新しくいらした、沖津棗さん」
土谷さんが明るい声で言った。
あたしは頭を下げる。
「初めまして」
しかし、返事はなかった。
顔を上げると、思ってもみなかったことに、少女はあたしを睨んでいる。
綺麗な顔が台無しだ。
「兄さんに、あたしの子守はもういらないって言ったのに」
そして不満の声を、土谷さんにぶつけた。
あたしのことは、完全無視。いないものと見なしたいんだろう。
(まあ、常識的に言って、いらない歳だよね)
あたしは心の中で賛同した。
ただまあ、口にはしない。職がなくなってしまうので。
(でも今たしか、『もう』って言ったな。あたしの前任がいたってことか)
きっと、同じような態度を取ったんだろう。
なるほど、爽希さんや土谷さんの言ってた『気難しい』とは、こういう意味か。
(さて、どうしたものかなあ)
あたしの経験上、こういう態度の人にこちらから働きかけても、ろくな反応は返ってこない。
困っていると、土谷さんが助け船を出してくれた。
「せっかく降りてきたのなら、お茶淹れましょうか。ああそう、出そうと思ってたお菓子、キッチンに置いたままだった。一緒に取りに戻ってくれる?」
「はい!」
あたしは思わず元気いっぱいに返事してしまった。
睨む視線がさらに強くなったような気もするが、気づかないフリをして、さっさと背を向ける。
本邸を出て通路を早足で戻り、キッチンに入ると、ようやく土谷さんが口を開いた。
「ご機嫌ななめだったけど、ここのところずっと、あの調子なのよね。悪い子じゃないんだけど」
わざわざフォローするということは、実際、そうなのかもしれない。
あの態度を見たら、とてもそうは思えないけど。
「先月まで雇われてたのが、家庭教師も兼ねてた人なんだけどね。なんとか高校に復学させようと必死でプレッシャー与え過ぎたのか、雲雀ちゃんがヒステリー起こして部屋から出て来なくなっちゃったのよ。だから、あなたのことも警戒してるんだと思う」
「そうだったんですか……」
「雲雀ちゃんは優秀だから、高卒認定をもう取ってるのよ。だから無理してまで通いたくはないみたい」
(そこを無理強いしたってわけか。まあ、通ったほうが良い、って考えの人はいるだろうしなあ)
そんな事情を説明しながら、土谷さんは冷蔵庫からお菓子を取り出した。
手元を覗き込むと、クリームブリュレだ。
「もしかして、手作りですか」
「そうよ。あなたのぶんもあるから、あとでこっちで一緒に食べましょう。雲雀ちゃんは今日のところ、あなたと一緒にお茶を飲もうなんて言い出さなそうだから」
(たしかに)
土谷さんは、冷蔵庫からさらにミルクを出して、トレイに載せた。
それに蓋代わりに、全体にゆるく布をかぶせる。それも綺麗なキルトでできていた。
「さ、戻りましょうか。お茶はあっちのキッチンに道具が揃ってるから。あなたもできるように、淹れ方、教えておくわ」
「ありがとうございます」
あの機嫌の悪い少女と自分だけで相対するのは気が重かったので、こうやって土谷さんが介入してくれるのは、本当にありがたい。
本邸に戻ると、広い部屋の中、ガラス戸のそばにぽつりとひとり、雲雀さんが外を眺めていた。
(なんだかなあ)
広い部屋はいいことだ。
インテリアもデザインも内装も無駄がなく洒落ていて、色んな人がきっと憧れるような家だろう。雑誌にだって載るかもしれない。
でもなんだか、そこにひとりでいたって、ちょっと空虚なようにも見える。
まあこれは、あたしが施設で育ったからこその感覚なのかもしれないけど。
だって、常に自分以外の子供がいて、泣き叫んだり笑ったり、たまにはケンカなんかもしてたりして、騒がしいのがあたりまえの生活だったもん。
そう思うと、金を使ってまで、妹の傍にいてくれる人間を作ろうとしたお兄さんの気持ちが、ちょっとだけわかるような気がした。
あたしが土谷さんにミルクティーの淹れ方を伝授されているあいだも微動だにせず、これじゃまるで、あっちのほうが訪問者のようだ。
ひと通り準備が済むと、土谷さんに促されてあたしはテーブルのうえにお茶とお菓子をセットした。
「どうぞ」
声をかけると返事はなかったが、車椅子の向きを変えて、雲雀さんはスゥーッとテーブルまで来た。電動らしく、スイッチひとつで自分の思う通りに動けるらしい。誰かに引いてもらったりする必要はなさそうだった。
茶器も片づけなきゃいけないだろうし、かと言って隣に立たれても不快だろうから、あたしは土谷さんのいる簡易キッチンで待機していようと、テーブルを離れようと背を向けた。
すると、突然言われた。
「兄さんに、なにを頼まれたの」
あたしは立ち止まり、振り返る。
「あなたの身の回りの世話と、できれば話し相手を、と言われました」
「嘘でしょ」
(は?)
あたしは面食らった。
だって、そんなことで嘘ついたってしかたない。
「隠したって、無駄よ」
(なにが?)
(なにが無駄?)
なんでそんなことを言うのか、さっぱりわからない。
(そもそも、なにを隠してるって?)
一瞬、潜入ルポのことかと思ったけど、それなら爽希さんを引き合いに出してくるのはおかしい。
ということはつまり、あたしがどうのというよりは、お兄さんになにか思うところがあるのだろうか。
「それ以外のことは、なにも聞いていませんけど」
そう答えたんだけど、ちょっと、怒ってるような調子になってしまった。
だって、それに関しては完全に濡れ衣だし。
「どういうことですか」
たたみかけると、雲雀さんは急にばつの悪そうな表情になった。
たぶん、言い返されるとは予想していなかったのだろう。
あたしからしても、言ったあとからしまった、と思った。
こんなにずけずけ言ってたら、失礼な奴だと判断されてもしかたない。
(あーあ、さっそくクビかも)
絶望的な気持ちになってきた。
なにか問題でも起きたのかと、土谷さんが寄ってくるのが、視界の端に見える。
せっかくよくしてくれたのに、さっそくお払い箱になるなんて、本当に申し訳ない。
「なんでもない。忘れて」
でも、雲雀さんは急にそう言った。
怒ってる口調ではない。どちらかというと、困惑しているのを取り繕うとしているように聞こえた。
「あっち行ってて」
そんなすげないことを言われたが、とりあえず、クビとは言われなかった。
あたしは安心していいのか、後からなにか言われることを覚悟しておいたほうがいいのかわからなかったが、今ここでゴネてもしかたないと。引き下がるしかない。
心配そうな土谷さんを押しとどめ、あたしは簡易キッチンに一緒に戻る。
「お茶、いらない。片づけといて」
雲雀さんはこっちを見もしないでそう言うと、エレベーターに乗って、さっさと部屋に戻ってしまった。
「もったいない……」
思わず口走ると、土谷さんがあきれ顔をした。
「なに言ってんの。もっと大事なことが起きたんじゃないの?」
こうなってはしかたないので、お茶一式を一緒に下げ、それをメインのキッチンまで持って戻ることにした。
あたしが『もったいない』と何度も繰り返すので、結局、あたしたちで頂こう、ということになったのだ。
土谷さんも口では反対してたけど、ちょっとだけ嬉しそうだった。
(だって)
とあたしなんかは思う。
腕によりをかけて作った食べ物を、気分ひとつで『いらない物』扱いされてあっけなく捨てられるのは、なんだかやるせない。
自分たちの建物に戻ると、あたしはようやく安心して、土谷さんに経緯を説明した。
お兄さんが云々、は土谷さんにも心当たりがないらしく、首を傾げている。
ちなみにそのあいだご馳走になった、ミルクティーとクリームブリュレはやっぱり絶品だった。
「こう言っちゃなんだけど」
土谷さんは声を潜める。
「なんだか、うまくいってないみたいなのよね。爽希さんと雲雀ちゃん」
「そうなんですか」
「別に憎み合ってるとか、そういうんじゃないのよ。なんていうのかな、ことごとく噛み合ってない感じっていうか……」
(そういえば、堀田さんが『お家騒動』とかなんとか言ってたっけ?)
(それかな?)
(でも、『お家騒動』って、一般的に、後継ぎがどうのこうの、って問題だよね?)
(なら、違うか……)
あたしは、頭のなかで自問自答した。
でも当然、答なんて出なかった。
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