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10. 散歩という口実
しおりを挟むその後、一応最後の片づけまで一緒にいて、志麻さんを手伝った。
ちなみに、雲雀さんは食事を半分以上残した。
志麻さんが手間暇かけた、おいしい食べ物を無下にするなんて、本当にもったいない。
(食欲がないっていうのは損だなあ)
なんて、食い意地の張ってるあたしは、勝手なことを考えた。
となると、散歩はいいかもしれない。
(すこしは気分転換になって、お昼は朝よりは進むようになるかもしれないし)
エレベーターを使ってガレージまで降りると、井沢さんがちょうど車の準備をしていて、気持ちのいい挨拶をしてくれた。
爽希さんは今日は少しゆっくりめの出勤らしい。
いつ見ても好青年だ。
なのに、雲雀さんは不愛想に肩をわずかに竦めただけで、黙ったままだった。
(なんだかなあ)
せっかくの美少女なのに、あまりに愛想がなさすぎて残念な気持ちになる。
でもすぐに思い直した。
あまりに美形だと、べつに愛想なんて必要なく生きていけるんだろう。
あたしみたいな、凡百の人間には想像つかないだけで。
たぶん、爽希さんの表情筋が退化してるっぽいのも、同じ理由に違いない。
これ以上このことについて考えていると卑屈な気持ちになりそうなので、あたしはさっさと気持ちを切り替え、車椅子を押して颯爽と外に出た。
もうずいぶん日が出てきていたから、さっきよりはかなり暖かい。
なかなかの散歩日和だ。
車椅子はたぶん、あたしが押してなくても動かせるんだと思う。
でも、雲雀さんはなにも言わないので、あたしはそのまま押し続けた。
路面はよく舗装されているし、道幅も広い。
車も通らないし、住宅街の道だから、歩道と車道も分かれてなくて、道路幅いっぱいに使える。
となると、車輪のついたもので進むのが、なんだかちょっと小気味いいのだ。
自転車に初めて乗った、子供の頃を思い出す。
そんな些細なことでご機嫌なあたしに対して、雲雀さんといえば、終始無言のままだった。
十字路やT字路になると行先を指さすが、反応するのはそれだけ。
まあ、あたしの気分なんて、知る由もないのだろう。
やがて、最後の角を曲がると、急に、視界が塞がった。
背の高い堤防が、眼前に巨大な壁となって、広がっていたからだ。
雲雀さんが指さすまま、それに沿ってしばらく行くと、スロープになっている場所があった。
さすがにきつくなっていると、雲雀さんが電動のスイッチを入れた。
それでゆっくりと昇りきると、一気に視界が開ける。
眼下には、大きな河川敷が広がっていた。
サッカー場や野球場、大きな花壇なんかも作られていたけど、なにせ平日昼間で利用者はひとんどいない。なんとなく見捨てられた場所みたいで、ちょっと寂しい。
土手に生える草も、芽吹きにはまだちょっと早いみたいで、茶色く枯れた色のものがほとんど。
もう少し経てばきっときれいな景色になるんだろうけど、今のところは、自然の恵みを楽しむという眺めにはほど遠かった。
「寒くないですか」
あたしはまず、それを確認した。
見渡す限り、これといった施設もないので、万が一トイレにでも行きたくなったら大変だ。
「大丈夫」
雲雀さんはぶっきらぼうに言うと、ふいに対岸を指さした。
「あのあたり、菜の花の群生地になってて」
そう言われて目をこらすと、たしかに、すでにもうちらほらと黄色い花が咲き始めている。
「すごく小さいころ、あたしはそこに行きたくて、ここを泳いで渡るんだって言って、飛び込みかけたの。懐かしいなあ」
へえ。
けっこう、やんちゃだったんだな。
(……ん? あれ?)
あたしの疑問の声がまるで聞こえたように、雲雀さんが悪戯っぽい視線で見上げてくる。
「小さい頃から、車椅子だったわけじゃないの」
「そうなんですか」
「笑っちゃったなあ。兄さんが一緒にいて、あわてて羽交い絞めにして止めてくれたんだけど、そのあと、大泣きしちゃって」
「雲雀さんが?」
「ううん。兄さんが」
(おっと、意外)
あのムッツリした人が……かぁ。
「兄さんはその頃アメリカに長期留学してたんだけど、その時はなにかの手続きが必要だとかで、珍しく帰ってきてたのよね。あんまり小さい女の子の相手なんて慣れてないから、四苦八苦してたのがおかしかった」
(ああ、そうなんだ)
(歳もかなり離れてるうえに、小さい頃はあんまり一緒にいなかったのかあ)
だから、血のつながった兄妹でも、どこか他人行儀な態度になっちゃうんだろうか。
「お花が好きなんですね」
「どうかなあ。子供のころの話だし。あなたは?」
「私ですか? お花、うーん……」
正直、あまり詳しくはない。
(あ、でも)
思い出したことがあった。
「施設の裏手に崖があって、よくそこをみんなでよじ登ったりしてたんですけど……。そこにある時、一輪だけ藤の花が咲いてて。みんな見とれて、挙げ句、誰も採っちゃいけない、って協定を結びましたね。普段は暴れん坊な連中だったんで、妙に微笑ましかったの覚えてます」
懐かしいなあ。
おもちゃを買う予算なんてほとんどまともになかったから、あたしたちはいつも外で遊んでた。
あの連中も十八歳を迎えると次々に施設を出ていって、今でも連絡先がわかってる相手なんて、数える程度しかいない。
「施設?」
雲雀さんは怪訝そうだ。
「あれ? ご存じじゃなかったですか? 私、施設で育ったんです。天涯孤独の身なんで」
「そうなんだ……」
「だから、羨ましいですよ。あんな立派なお兄さんがいるなんて」
「ふん」
雲雀さんは鼻先で笑う。
「どうしたんですか」
「その立派な兄さんはね、あたしの扱いに困ってるの」
あれ?
なんだか色々と、溜まってるみたい?
(ああ、そうか)
こんなふうに、なんだか色々ぶちまけたいことがあって、わざわざ散歩を口実に家から出ることにしたんだ。
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