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第九章 それぞれの想い
夫として、『影』として
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「ところで、アメリアを実妹だと公表した後のことだが」
クラークの言葉に、頭を下げていたセドリックは弾かれるように顔を上げた。
「正直、先にも言ったように、このままここにアメリアを置いておきたくはない。私はあの子の幸せを願っていた。あの子を手放すのは嫌だったが、遠く王都から離れ、何より、そなたに嫁せば幸せになると信じていたんだ。今となっては、なんて愚かな考えだったのかと思う」
「何故…、私だったのでしょうか」
それは、ずっと不思議に思っていたことであった。
たしかにサラトガ騎士団は王国一強いだろう。
国境に接してはいるが、いざという時守ってもらえると判断したのも本音だと思う。
また、悪い噂から遠ざけるために王都から離れさせたかったというのも理解できる。
だが、わざわざ辺境に嫁がせずとも、他にいくらだって貴族家の子息はいたのではないだろうか。
中には、王の養女が降嫁してきたと有り難く思う者だっていたかもしれない。
しかしセドリックの問いを聞いたクラークは、僅かに眉を顰めた。
「…そうか。そなたはそれさえも知らなかったのか。そんな会話でさえ、アメリアとの間になかったのだな」
「…どういうことでしょうか?」
「…いや。これを私の口から話すのは憚られる。戦を終えて凱旋してきたら、本人の口から聞くといい」
「本人……?」
「ああ。もちろんアメリアのことだ」
何やらもったいぶった言い方に眉を上げたセドリックだったが、元よりこんなことで腹を立てる資格はない。
セドリックはこれまでアメリアに関するあらゆることを見過ごし、放置してきたのだから。
「しかしこのまま王宮に連れ帰ったとしても、あの子にとっては居心地が悪いだろう。どんなに真実を訴えても、アメリアを不義の子と見る輩は必ずいる。それなら、王家で持つ保養地の離宮でのんびり暮らすか、また、この国が生きづらければ、遠い国へ留学させるなど、あの子の望むようにしてやりたい。『影』によるとあの子は楽しそうに教師の職を務めていたようだから、市井で自由に暮らさせてやってもいい。ただ、それでもアメリアの所在を突き止め、利用しようとする輩はいる。だから、あの子がどの道を選んでも、私は全力で応援するつもりだ。今度こそ、アメリアを…、妹を、命をかけて守りたい。あの子を命がけで生んだ母の思いに報いるためにも、あの子には幸せになる義務がある」
ーー命をかけて守り抜くーー
その言葉は、本来ならセドリックの言葉であるはずだった。
しかし今のセドリックにその言葉を言う資格はない。
先程から義兄が離縁前提の話をしていても、それに反論する言葉さえ持ち合わせていないのだ。
セドリックは再び深々と頭を下げると、退出するため立ち上がった。
しかし部屋を出る前に、国王の後ろに控える『影』に目をやった。
「陛下。この後少し、彼と話す時間をいただいてもよろしいでしょうか」
◇◇◇
「…私に何かご用でしょうか」
貴賓室を退出したセドリックは、自分の執務室に『影』を誘った。
『影』は無表情のままセドリックと対峙し、そうたずねる。
アメリアの前で見せていた『シオンの笑顔』とは別人のようで、セドリックは苦笑した。
「そなた…、名をなんという?」
「…私に名はありません。今は『シオン』とお呼びください」
「ではシオン。此度は、我が妻を救ってくれたこと、感謝する」
突然深々と頭を下げるセドリックに、さすがにシオンも面食らった。
今は2人きりとはいえ、サラトガ公爵が一介の『影』に頭を下げたのだから。
しかし国王直属の『影』として生きてきた彼は、当然動揺を見せたりはしない。
「…頭をお上げください、閣下。あの方を救ったのは、結局閣下ではありませんか」
「いや。そなたがいなければ、私は全て後手後手にまわっていた。おそらく、あのままアメリアを賊に連れ去られていただろう」
賊は、騎士団の大半が戦に出て手薄になった領都の港を突破するつもりだったようだ。
海をまわって隣国にアメリアを連れ去る予定だったのだろう。
海に出られてしまえば、海賊の方がずっと有利である。
実際、アメリアを保護した直後、水平線に黒い影が見られたと報告が入っている。
おそらく、港の近くまで海賊の船団が来ていたのだろう。
もう少しアメリア救出が遅かったら、港を襲われ、彼女を連れ去られていたかもしれない。
「そなたがアメリアを連れて逃げてくれたのは、絶妙のタイミングだった。あのまま小屋の中に拘束されたままだったら、踏み込むのを躊躇しただろうしな」
「…あのタイミングだったのは偶然です。それに、私が連れて逃げたわけではありません。あの方は自分の意思で、自分の力であの小屋を逃げ出したのです」
「アメリアが…、自分で?」
「はい。見張りの女を倒し、服を取り替え、自分の足で逃げたのです。僕はそれをお助けしただけです」
セドリックは驚いて目を見開いた。
まさかアメリア自身が行動を起こしたのがきっかけだとは、今の今まで思っていなかったのだ。
「そうか…、アメリアは自分で…」
「あの方は、陛下や閣下が思っているよりずっとお強い方です。きっとこれからの道も、ご自分で切り開いていかれるでしょう」
シオンの強い眼差しを受け、セドリックは頷いた。
きっとシオンには、セドリック以上にアメリアを見続けてきたという自負があるのだろう。
もしかしたら護衛対象以上の気持ちもあるのかもしれない。
しかし所詮は『影』である自分の立場もよく理解しているのだ。
「とにかく。今まで見守ってくれていたことにも、今回助けてくれたことにも、心から礼を言う。これからも、どうかよろしく頼む」
再びセドリックが頭を下げた時、とうとう無表情なシオンの目が見開いた。
これまで散々『英雄』扱いされてきた公爵が、時には使い捨てでさえある『影』に真摯に礼を言うなど、信じられなかったのだ。
クラークの言葉に、頭を下げていたセドリックは弾かれるように顔を上げた。
「正直、先にも言ったように、このままここにアメリアを置いておきたくはない。私はあの子の幸せを願っていた。あの子を手放すのは嫌だったが、遠く王都から離れ、何より、そなたに嫁せば幸せになると信じていたんだ。今となっては、なんて愚かな考えだったのかと思う」
「何故…、私だったのでしょうか」
それは、ずっと不思議に思っていたことであった。
たしかにサラトガ騎士団は王国一強いだろう。
国境に接してはいるが、いざという時守ってもらえると判断したのも本音だと思う。
また、悪い噂から遠ざけるために王都から離れさせたかったというのも理解できる。
だが、わざわざ辺境に嫁がせずとも、他にいくらだって貴族家の子息はいたのではないだろうか。
中には、王の養女が降嫁してきたと有り難く思う者だっていたかもしれない。
しかしセドリックの問いを聞いたクラークは、僅かに眉を顰めた。
「…そうか。そなたはそれさえも知らなかったのか。そんな会話でさえ、アメリアとの間になかったのだな」
「…どういうことでしょうか?」
「…いや。これを私の口から話すのは憚られる。戦を終えて凱旋してきたら、本人の口から聞くといい」
「本人……?」
「ああ。もちろんアメリアのことだ」
何やらもったいぶった言い方に眉を上げたセドリックだったが、元よりこんなことで腹を立てる資格はない。
セドリックはこれまでアメリアに関するあらゆることを見過ごし、放置してきたのだから。
「しかしこのまま王宮に連れ帰ったとしても、あの子にとっては居心地が悪いだろう。どんなに真実を訴えても、アメリアを不義の子と見る輩は必ずいる。それなら、王家で持つ保養地の離宮でのんびり暮らすか、また、この国が生きづらければ、遠い国へ留学させるなど、あの子の望むようにしてやりたい。『影』によるとあの子は楽しそうに教師の職を務めていたようだから、市井で自由に暮らさせてやってもいい。ただ、それでもアメリアの所在を突き止め、利用しようとする輩はいる。だから、あの子がどの道を選んでも、私は全力で応援するつもりだ。今度こそ、アメリアを…、妹を、命をかけて守りたい。あの子を命がけで生んだ母の思いに報いるためにも、あの子には幸せになる義務がある」
ーー命をかけて守り抜くーー
その言葉は、本来ならセドリックの言葉であるはずだった。
しかし今のセドリックにその言葉を言う資格はない。
先程から義兄が離縁前提の話をしていても、それに反論する言葉さえ持ち合わせていないのだ。
セドリックは再び深々と頭を下げると、退出するため立ち上がった。
しかし部屋を出る前に、国王の後ろに控える『影』に目をやった。
「陛下。この後少し、彼と話す時間をいただいてもよろしいでしょうか」
◇◇◇
「…私に何かご用でしょうか」
貴賓室を退出したセドリックは、自分の執務室に『影』を誘った。
『影』は無表情のままセドリックと対峙し、そうたずねる。
アメリアの前で見せていた『シオンの笑顔』とは別人のようで、セドリックは苦笑した。
「そなた…、名をなんという?」
「…私に名はありません。今は『シオン』とお呼びください」
「ではシオン。此度は、我が妻を救ってくれたこと、感謝する」
突然深々と頭を下げるセドリックに、さすがにシオンも面食らった。
今は2人きりとはいえ、サラトガ公爵が一介の『影』に頭を下げたのだから。
しかし国王直属の『影』として生きてきた彼は、当然動揺を見せたりはしない。
「…頭をお上げください、閣下。あの方を救ったのは、結局閣下ではありませんか」
「いや。そなたがいなければ、私は全て後手後手にまわっていた。おそらく、あのままアメリアを賊に連れ去られていただろう」
賊は、騎士団の大半が戦に出て手薄になった領都の港を突破するつもりだったようだ。
海をまわって隣国にアメリアを連れ去る予定だったのだろう。
海に出られてしまえば、海賊の方がずっと有利である。
実際、アメリアを保護した直後、水平線に黒い影が見られたと報告が入っている。
おそらく、港の近くまで海賊の船団が来ていたのだろう。
もう少しアメリア救出が遅かったら、港を襲われ、彼女を連れ去られていたかもしれない。
「そなたがアメリアを連れて逃げてくれたのは、絶妙のタイミングだった。あのまま小屋の中に拘束されたままだったら、踏み込むのを躊躇しただろうしな」
「…あのタイミングだったのは偶然です。それに、私が連れて逃げたわけではありません。あの方は自分の意思で、自分の力であの小屋を逃げ出したのです」
「アメリアが…、自分で?」
「はい。見張りの女を倒し、服を取り替え、自分の足で逃げたのです。僕はそれをお助けしただけです」
セドリックは驚いて目を見開いた。
まさかアメリア自身が行動を起こしたのがきっかけだとは、今の今まで思っていなかったのだ。
「そうか…、アメリアは自分で…」
「あの方は、陛下や閣下が思っているよりずっとお強い方です。きっとこれからの道も、ご自分で切り開いていかれるでしょう」
シオンの強い眼差しを受け、セドリックは頷いた。
きっとシオンには、セドリック以上にアメリアを見続けてきたという自負があるのだろう。
もしかしたら護衛対象以上の気持ちもあるのかもしれない。
しかし所詮は『影』である自分の立場もよく理解しているのだ。
「とにかく。今まで見守ってくれていたことにも、今回助けてくれたことにも、心から礼を言う。これからも、どうかよろしく頼む」
再びセドリックが頭を下げた時、とうとう無表情なシオンの目が見開いた。
これまで散々『英雄』扱いされてきた公爵が、時には使い捨てでさえある『影』に真摯に礼を言うなど、信じられなかったのだ。
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