おじさんの恋

椎名サクラ

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本編1

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 最近の隆則は変だ。どこかぼんやりとしていていつも泣きそうな表情をしている。仕事で何かあったのかと訊ねても「なんでもない」というばかりのくせに時折眦に涙を溜めている。ずっと側にいて慰めて聞き出したいのに、夏季休暇は終わりを迎え、大学内はもうすぐ始まる学際の準備に追われてあまり彼に時間が取れなくなっていた。去年までは資格試験の準備でサークルにも入っていない遥人にとっては他人事だったが、今年度は違ってゼミで出す催しの企画やらに時間がかかり、しかも主要メンバーに加えられてしまった関係で隆則と一緒にいる時間すら減ってしまっている。

「あの人、何も言ってくれないからなぁ」

 そばに誰もいないのをいいことに、当日の配置を練りながらつい愚痴ってしまう。

 守秘義務があるから仕事の話の詳細を告げられないのは仕方ない。たとえ家族にだって放してはいけないことがあるというのは、まだ学生でも公認会計士を目指している遥人にだって理解できる。クライアントの情報をむやみやたらに漏らしては信用に関わるコンプライアンス違反だ。フリーランスで仕事を請け負っている隆則ならば余計にそのあたりは徹底しているだろう。

 けれど、一緒に暮らし始めてまもなく一年になろうというのに、どこか壁を作られているような気がする。あまり喋りたがらない隆則から引き出せる情報は僅かだ。仕事のことだけではない、何を思っているのか、なにに苦しんでいるのか、全く話してくれようとしない。自分の殻に閉じこもっているようで焦燥感が膨れ上がる。

 手ごたえのあった資格試験の結果があと一ヶ月で出る今、心に余裕があるからこそ、自分の時間全てを隆則のために費やしたい。少しでも心にわだかまりがあるなら話して欲しい。

 願っても何も話そうとはしてくれない年上の恋人に焦りを感じていた。

 もし年が近かったらあの人は話してくれただろうか。

 自分があまりにも子供過ぎて、未だ独り立ちしていない未熟な存在だから話せないと思われているのだろうか。

「水谷君、シフトできた?」

 ゼミでも親しくしている同級生の女子生徒が声をかけてくる。彼女の手にはゼミの出し物である露店の材料が抱えられていた。

「あ、持つよ」

「大丈夫大丈夫、そこまでひ弱じゃないって。それよりもシフト難航しているの?」

 動きやすさなど度外視の袖にボリュームのある服にデニム姿という定番の服装でありながら、ちゃきちゃきと動く。遥人が飲食店でバイトしていた経験があるというだけで、ゼミとしては異例の露店をやろうと盛り上がってはいるが、調理に関しては実家通いの者も多く不安しかないメンバーでシフトを組むとしたら自分がずっと張り付いていなければならないのが現状だ。

『簡単だから焼きそばで行こうぜ』

 無責任な先輩の一言で焼きそばを提供することになっているが、果たして大量の麺を野菜に効率よく混ぜ焦げる前に火を止める作業ができるのは何人なのだろうか。把握できないからこそシフトなどできるわけがない。

「難航もいいところ。俺以外に料理できるやつっているの?」

「あー、できるとしたら教授じゃない? 一人暮らしで炊事やってるって言ってたよ」

「教授に頼むのはさすがに無理だろ」

「えー、頼んじゃえばいいじゃん。むしろ堅物教授が実は料理好きなんていい客寄せになるって」

 カラカラと笑いながら当日必要なプラスチック容器を詰め込んだビニール袋を教授のデスクに置く。そんなことをされては教授が怒るだろうと思いながらも敢えて口にはしない。今の遥人は人数の割り振りと隆則のことで頭がいっぱい過ぎて、他人に親切にする余裕はなかった。

「後は当日の麺を調達して終わりっと」

「……ソース、忘れないでくれよ」

「あっ、すっかり忘れてた! オ〇フクソースでいいよね。スーパーに行ってくる!」

 こんなので本当に大丈夫なのだろうかと不安になりながらも、すぐに頭は隆則のことをへとスイッチしていく。

 変だと思うのは彼の表情ばかりではない。今までは遥人が求めなければ自分から欲しいと言い出さなかったのに、仕事の打ち合わせで外出した日から、時間があれば隆則の方から誘ってくれるようになった。抱き着くのでもなくキスをするのでもなく、ただ遥人の腕を掴んで「風呂に入ろう」と不器用な誘い方だが、それがまた可愛くて遥人を有頂天にさせる。今までに遥人にされるばかりだったセックスも急に積極的になって口を使ったり自分から乗ってきたりするのに、いつも悲しそうな顔をしている。

 始めはその積極さに興奮しすぎて余裕をなくしていたが、一ヶ月も続けば嫌でも気づく。

(そういや、あの日から俺、好きって言ってもらってない)

 積極的に愛情をアピールしている自分と違い、恥ずかしがり屋な隆則は出奔した日に詰め寄ったとき以来、遥人のことをどう思っているのかを口にしてくれたことがない。必死に声を堪えようとするし、いつまでも蕾の奥を洗われるのを恥ずかしがる。キスだって声を出したくない時にせがむ以外は自発的にしてくれることがない。

「……もしかして俺、嫌われた?」

 いや、それはない……多分。嫌っていたらあんなにしたがらないだろう。

 仕事が始まったらしないルールも、最近は少しでも余裕ができれば欲しがって求めてくる。軽く済ませる日もあれば以前のように抱き潰すこともあって自分の自制のなさに嫌悪しながらも彼の心を掴みかねていた。

 一体隆則に何があったのだろうか。

 不安で勉強にも集中できない。せめて体重を増やして少しは健康になってもらおうと夜の散歩に連れ出すが、暗闇で手を握ろうとしては避けられる。自分がゲイであることをことのほか恥ずかしがっているだけなのか、それとも性欲だけを満たしたいだけなのかがわからない。

 遥人としてはもっと恋人らしい時間を設けたいが、隆則が何を求めているのかわからなくてどうすることもできなかった。

 だが、心の奥底では自分の知らない時間などあっては欲しくない。隆則の全てを把握して出かけるにしても常に自分が傍に付き添っていたい。

(本音はあの部屋から一歩も出したくないんだけどな)

 閉じ込めて自分だけしか頼れない状況にして、ただひたすら囲い込みたいのだ。

 夜の散歩を提案したのだって引きこもらせて減った体力を取り戻すためと言いながら、どこに行こうとも自分が傍から離れないと示すためでもある。

(あの人を一人にしてまた他の誰かに抱かれたら嫌だ)

 全部を自分のものにしたい。一秒だって離れていたくない。だが物理的に無理なのであの部屋に押し込めることでどうにか妥協している。

 なぜ乞うまで隆則を閉じ込めてしまうのか分からない。

 もし他の誰かと恋愛したとしてここまでの感情が果たして芽生えるだろうか。

 例えばさっきやってきた同級生と恋人になったとしても、買い出し一つ一人ではさせたくないと思うだろうか。

 机上の空論だが簡単に否と答えられる。

 その子がどこで誰と会おうとも全く興味がない。むしろ一人でできないことに苛立ちすら感じてしまう。

 何もできない隆則が家事を始めたならばすぐにでも辞めさせるだろう。自分がするからやらないでくれと言いながら、何もできないままでいることを望み、面倒をすべて自分が見ているのだという満足感に浸ろうとするのに、なぜ他の相手ではそうならないのだろうか。

(あの人あんまりにも頼りないからな……)

 言い訳だ。

 いくら日常生活で頼りなくても、仕事の面ではひっきりなしに依頼が来ているほど多くの人から頼りにされている。どんな無茶な仕事でも実直に対応して日常生活すべてを投げうって完璧に納期内にこなす姿はきっと社会人の理想なのだろうが、側でみている遥人には危うげで心許なく映る。このまま消えてしまうのではないかと心配になって何度も何度もノックをせず彼の部屋を覗いてしまうくらい心配になる。

 そして自分の手でこの不器用な人を守りたいと強く願うのだ。

 すぐにでも崩れ落ちそうな細い身体をすぐ傍で支えたい。むしろ今の関係が逆転すればとすら考えてしまう。衣食住すべてを自分が与え籠の中の鳥にしてずっと愛でていたい。

 そんな自分の感情がもしかしたら嫌になったのだろうか。

 己の愛し方が狂っていると知ったのはゼミの女性陣に指摘されてからだ。

『年上の人でしょ? 自立した大人を囲い込みたいとか相手に失礼すぎる』

 そう笑われて初めて気が付いた。

『年下の女の子とかだったら嬉しいかもしれないけど、それだって重過ぎるよ』

(俺って重過ぎるのかな?)

 だが他のやり方がわからない。

 指一本動かすことなく、ただ遥人に溺れさせたいというのはそれほどおかしなことなのだろうか。

 今まで弟たちの面倒を見てきた遥人にとって、誰かに愛情を注ぐのは相手のすべてを賄ってやることのように思えるのだが、それではペットと変わらないと言われて壁にぶつかった。

 ではあの人とどんな距離感をもって接したらいいのだろうか。

 側にいれば触れたくなるし、何一つ不自由させたくないから欲しいものはすべて先回りして用意したくなる。セックスだってしたくなると思う前に存分に満足させれば他の男に抱かれようという気にならないはずだ。

(本当は毎日でもしたいくらいなんだけどな)

 泣きそうな顔をしながら快楽に身体を震わす姿は何度目にしても興奮するし、もっともっと甘い声をあげながら自分の名前を呼んで欲しくなる。双球が空っぽになってもまだ感じては翌朝ベッドから起きれなくなるほどして、水を飲むのも食事をするのも遥人に頼らなければならない姿になって初めて心が満たされる。

(俺ってヤバい性癖だったのかな……もしかして)

 それが嫌で隆則は自分がベッドの中で主導権を取ろうとしてフェラをしてきたり自分から挿れたりしているのだろうか。

(隆則さんも男だもんな……)

 けれどそんな姿を目の当たりにすればするほど興奮して自分の手で啼かせたくなるのだ。もうこれ以上無理だとしがみ付きながらそれでも感じる姿が可愛くて庇護欲を掻き立てるとともに支配欲が強くなる。こんなになるまで隆則を感じさせて悦ばせているのは自分なんだと嬉しくてしょうがなくなってしまう。

 だから自分の手ではないなにかで泣きそうな顔を見ると心配になり解決の手助けをしたくてしょうがなくなる。

「はぁ……」

 もっと自分に力があれば。

 社会人だったら仕事の悩みも話してくれるかもしれないが、遥人はまだ学生で、バイト経験しかない。

「早く大人になりたい」

 もっと大人になってあの人を支えたい。もっと頼られる人間になりたい。

 せめて試験の結果が出れば少しは遥人を認めてくれるだろうか。

 解決の糸口のない悩みを抱えながら、とにかく結果を待つしかない遥人は目の前のシフトを作り上げることに注力した。できれば自分がかかわる時間を減らして、その間少しでも隆則の傍にいたい。

 効率よく誰もが同じ味を出せ失敗させない方法を考えながら、二日目のシフトの全欄に教授の名前を記入し始めた。
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