おじさんの恋

椎名サクラ

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本編2

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 正月が明けて、けれどそれほど忙しくない中に二人はようやく初詣に出かけた。いつもなら除夜の鐘を聞きながら人混みを良いことに手を繋いで参道を歩くが、今年は遙人の両親に逢うために緊張しすぎて無理矢理布団に潜ったのだ。それだってあまり寝られずその後半日も抱かれてまともに起き上がることができなかった隆則は、とてもじゃないが三が日はベッドの上で過ごすしかなかった。

 いつも遙人と来る神社に昼間来るのは初めてだ。

 そこにある、という認識しかなかった会社員時代。辞めてからは遙人と夜の散歩で来るのがやっとで、日中の姿は全く別の顔をしていた。赤い鳥居をくぐって階段を上がって途中に様々な出店が並んでおり、子供の頃を思い出させる。

 夏祭りや縁日、秋の収穫祭に初詣。子供の頃はなにも怯えずに店の前まで行っては、親にあれこれとねだったものだが、自分が「他とは違う」と知ってからは自然の摂理に反した自分は罰せられそうで怖くて鳥居を跨ぐことすらできなかった。

 なのに、何の衒いもなく遙人は進んでいき、自分の姿を恥じることなく晒しているのに勇気づけられて、ようやくここへ入ることができたのだ。

 いつもと違って離れた掌が、ほんの少し寂しい。

 隆則はダウンジャケットのポケットに突っ込んだままの手をきついくらいに握りしめ、その寂しさを紛らわせた。

 午後を過ぎたばかりの神社は三が日に比べれば少ないが、それでも賑やかな声はそこかしこから上がるほどには人がいた。

 思ったよりも人がいたことに驚き、遙人の誘いを断って正解だと思いながらも、いつも指を絡めて貰っている手が少し寂しい。

 遙人の腕が少しだけ隆則の肩に当たっているだけで満足しようと二人並んで境内まで進めば、長身で目立つ遙人は女性達の注目の的だ。私服でこれなら、スーツに身を包み公認会計士バッジを付けた数ヶ月後の彼はもっと魅力的に彼女たちに映ることだろう。

 その時、遙人はまだ自分を好きだと言ってくれるだろうか。

 こんな風に隣にいてくれるだろうか。

(あー、早く仕事を始めよう)

 仕事をしている間なら邪念を吹っ切ることができる。むしろこうして何もしないときの方が変なことを考えすぎて不安が募っていく。

「隆則さん、こっちですよ」

 少しだけ列になっている境内前へと導かれ最後尾に並ぶ。少し待てば自分達の後ろにも人がつき、まだまだ人が絶える気配はない。

「思ったよりも人が多いんだな」

 三が日だけ混むんだと思っていた場所の想像と違う様子に、なぜか落ち着きがなくなる。思い切り混んでいれば遙人に手を握ってもらい安心できるが、こんな中途半端に人が多いと人間恐怖症気味の隆則は居心地の悪さが増してしまう。

 なんせ会社員時代ですらコーヒースタンドに並ぶことができず、自動販売機のコーヒーで我慢していたくらいだ。フリーになってからは一層知らない人がいるところが苦手になっているような気がする。体力作りと称して夜出かけるのも遙人と一緒で、ここ最近は一人で出かけることもなければ人混みに入ることすらなかった。

 じっとしているのは慣れてても人の気配に慣れない隆則は、居心地の悪さで周囲を見渡してどうにか落ち着こうとした。

「あ……」

 おみくじをしている後ろ姿にどこか見覚えがある。

(いや、そんなはずはない……そうだよ、こんな偶然あるはずがない)

 見なかったことにしてようやく順番がやってきた最前列に一歩進み、賽銭を投げる。

(どうか、今年も遙人と一緒にいられますように)

 去年と変わらない願い事を心に唱えながら両手を合わせる。

 いや、遙人に会ってから毎年こうして願ってしまう。今年もずっと側にいてくれたら、好きなままでいてくれたらそれだけで満足だと思いながら、それだけで良いのかと自分に疑問を投げかける。何もしてやれてない。恋愛ベタで自分の感情を伝えるのが不得手で、彼がいつこんな隆則に飽きるのだろうと考えずにはいられない。

 家族に会わせて貰って、少しだけ愛されているんだと、これからも一緒にいてくれるんだと思っているのは伝わったし、そう思ってくれるのが嬉しいが、やはり自分に自信はない。こんなに大事にされて良いのかとむしろ不安が募ってしまう。

(俺……あと何すれば良いんですか?)

 どうすれば自信を持ってずっと遙人の隣にいられるのだろうか。

 当然神からの言葉は何もない。

 いつまでも手を合わせている隆則の肩を遙人が叩く。

「隆則さん、そろそろ交代しないと、ね」

「あっ……そうだな」

 訊ねたいこと祈りたいことはまだたくさんあるが、後ろに並ぶ人たちが射たいほどの視線を向けているのに気付いて慌てて遙人の元へと近づく。

「随分と熱心にお祈りしてましたが、何か困ってることがあるんですか?」

 お前のことだと言えず笑って誤魔化す。それだけで遙人は仕事のことだと勘違いしてくれるはずだ。

「おみくじ、引きに行きましょう。それから破魔矢に商売繁盛のお守りも買いましょうね」

 優しい遙人は必ずこうして隆則のことを考えて何かをしようとしてくれる。セックスでは苦しいぐらいに求めてはおかしくなるまでし続けるのに。

 おみくじを引いて互いに何が出たのか見せ合って、それから人でごった返す社務所に向かう遙人を見送った。人混みが苦手なのを理解してくれている彼は、こういうときに隆則を無理強いすることはない。少し離れた自分の目の届くところに置いて行くのだ。

「あー、やっぱり五十嵐さんだ」

 遙人の背中ばかりを見つめていた隆則に声をかける者がいた。その声にビクリと肩が跳ね一気に冷たい汗が流れ落ちる。

(やっぱりあれ……見間違いじゃなかったんだ)

 振り返ればもう随分と合ってない顔がそこにあった。

「ぁっ……」

「ご無沙汰してます。あれから連絡がなかったからどうしたのかと思ってましたけど、幸せそうで安心しました」

「あ、うん。お久しぶりです」

 まさかこんなところで懇意にしていたデリヘルボーイに会うなんて、誰が思うだろう。最後に会ったとき、隆則が辛い恋をしているに気づき、優しい言葉をかけてくれた彼は、ちらりとさっきまで一緒にいた遙人の背中をチラリと見て耳元に唇を寄せてきた。

「もしかして、あの人が最後に会ったと気に入ってたノンケの人ですか?」

「……うん」

「あーよかった。気になってたんですよ、辛い思いをしているんじゃないかって。でもあれ以来連絡ないんでもしかしたらって思ってたんですよ」

「その節は……ご面倒をおかけしました」

 すっと離れたデリヘルボーイは、まるで会社関係の人間と話すように際どい言葉のすべてを省いて心情を伝えてきた。そのプロとしての気遣いが有り難い。

「けれど、随分と浮かない顔をしてますね……ああそうだ。実は俺、あそこを辞めて店を立ち上げたんですよ。今度よかったらご一緒の方と遊びに来てください」

 慣れた手つきで渡されたのは神社からそう離れてはいない住所が記載されたショップカードだ。昼はカフェで夜はバーになる、らしい。

「それはおめでとう、今度是非行かせて貰うよ」

「お待ちしてます。夜はお酒を出しますがきっとあの彼、嫉妬深そうなのでカフェタイムに是非」

 こういう場合、世間一般には社交辞令で流すが、そんな高度テクニックを持ち合わせていない隆則は、一度約束してしまったなら行かなければとある意味強迫観念に駆られた。

 またデリヘルボーイがそっと顔を寄せてきた。

「パートナーと一緒の店なんで気負わずに来てください」

 隆則の困惑を瞬時に感じ取っての言葉にホッとした表情を隠せなかった。

「あれ? 隆則さん、そちらの方は?」

 破魔矢を持った遙人がすぐに側に寄ってきた。

「あっ」

 なんて説明したら良いか分からない。一時お世話になったデリヘルボーイだと言ったらどんな顔をするだろうか。いや、想像すらしたくない。

「以前五十嵐さんにとてもお世話になりました矢野です。実は独立したんですよ。五十嵐さんこちらの方は?」

「水谷です。五十嵐さんには私も仕事でお世話になっております」

 如才ない話術で必要最低限の情報しか渡さないのがプロ、なのだろう。隙のない笑顔を向けるのも凄いなと感心してはチラリと見やると、遙人は一瞬にして硬かった表情を和らげた。

「そうでしたか。隆則さんの同業者というわけですか」

「あー、その仕事を辞めまして店を始めたんですよ。よければこちらを」

 隆則に渡したのと同じショップカードを取り出し、名刺のように掲げると、癖なのか遙人は両手でそれを受け取った。

「近所ですね、時間があるときに伺います」

「是非ごひいきに。では失礼します。五十嵐さんもあまりご無理をなさらず」

 話を引き延ばすことなくデリヘルボーイは頭を軽く下げると遠くでこちらを見ている背の高い男の元へと戻っていった。

 彼がパートナーなのだろう。ペコリと会釈をすれば向こうも同じように僅かに頭を下げてきた。

「あの人は?」

「あ、うん。矢野さんの知り合いだと思う」

 とてもじゃないがパートナーとは言えず、言葉を濁す。

 去って行く二人の背中を見送ってから遙人は「帰りましょうか」と隆則を促した。

「うん……丁度昼だし、どこかで食べようか。遙人もたまには食事作りを休んだっていいんだし」

「ダメです。隆則さん外食だと緊張して食が細くなりますから。家帰って食べましょう」

「あ……うん」

 たったそれだけなのに、なぜか顔が赤くなるのはなぜだろうか。

「……期待には応えますよ」

「ぅっ!」

 考えていることを読まれているようで、寒い空気にさらされた頬が一瞬にして赤くなる。

 初詣の後は決まって彼に抱かれていたせいだと気づき、どうしようもない気持ちになりながら、それを隠すように俯いてマフラーに顔を埋めた。

「安心してください、ちゃんとお腹いっぱいにしてから美味しくいただかせて貰います」

 そんなことを言われたら食事に集中なんかできるはずがない。

 楽しそうに笑って遙人が身体をかがめ顔を寄せた。

「そんな可愛い顔したら、ご飯後回しになっちゃいますよ」

「んっばか!」

 精一杯の悪態を吐きながら、それでもピタリとくっついてくる彼から離れたくないと同じ歩調で歩くのだった。
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