おじさんの恋

椎名サクラ

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番外編

世界で一番君が好き3

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 遥人が色々と片付けてから出社したので汚れてはいないはずだ。

 扉を開けると、遥人がいつも勉強に使っているシンプルな机の上に封筒が置かれてあった。

「なんだろ、これ……奏人くん、遥人から手紙なんだけど」

 デカデカと『奏人へ』と一目でわかる神経質な文字で書かれてあった。跳ねも払いもしっかりとしていて、年配者のようなしっかりとした文字は間違いなく遥人のもので、彼の几帳面さが現れている。

「あ……ども」

 受け取った奏人は早速中を確認し、苦虫をかみつぶしたような顔をした。口うるさい兄からなにか説教されているのだろうか。あまりの表情に「どうした?」と訊ねたが、すぐに「なんでもないですっ!」と返された。

「そう? じゃあ仕事に戻るのでゆっくりしていて。部屋の中のものは好きに使っていいから」

 中断した仕事に取りかかるため、隆則は部屋に戻っていく。僅か十分ほどの離席で画面はすでにスリープモードになっていた。

 元後輩からのややこしい案件が来たのですぐさま取りかからなければならない。

 なぜいつもギリギリに仕事を寄越すんだと愚痴るが、ギリギリになってもプログラマーが見つからないか、ギリギリになって「やっぱり無理です」と断られる仕事ばかりがやってくるので致し方ないのかもしれない。

 仕様書を確認して抜けを全部赤字で埋めてからメールで飛ばし、その間に大詰めの仕事をやってしまう。こちらはまだ納期に余裕はあるが、今日中に完成させないと次の仕事に差し支えが出てしまうので大至急終わらせようとキーボードを叩いていく。

 チラリとモニターの横に貼ってある仕様書を確認して最終部分のコマンドを、頭に思い浮かべるよりも先に指が打ち込んでいく。

 学校を卒業してから早二十年。ずっとシステム開発に関わってきた隆則は未だにすべてのコマンドを手打ちしている。今は優秀なソフトが色々と存在しているが、それよりも自分の手で打ち込んだものの方が自由度が高い上に想像通りの動きをしてくれる。

 なので、もう頭に浮かんでいることと手は打ち込んでいるものが別になるくらい熟知していた。

 これを今晩までに終わらせて、食事を終えてから次の仕事に取りかかれば問題ないだろう。

 これからのスケジュールをぼんやりとイメージして、今日は奏人が来た初日だからせめて自分が食事を作ろうといつもよりも早く終わらせるためにタイピング速度を上げる。

 早めればそれだけ早く終わるだろうが、一定のリズムがあるし、何よりも早く打つことで腕に無駄に力が入り腱鞘炎になりやすい。

 若い頃は一件でも多くこなすために無茶なタイプをしていたが、何度も腱鞘炎に悩まされて、今は一定の速度を保つようにしている。

 その方がミスタイプは減るし全体の効率が上がると学習済みだ。

 今日は特別と目標の五時までにキーボードを叩こうとして、扉の外から遥人に似た声が聞こえた。

(あれ、遥人帰ってきたのか?)

 弟がやってくるからと早退したのかと扉を開ければ、現れたのは奏人だった。

「あの、すみません……お昼、一緒に食べてくれませんか?」

「え?」

「……あー、その……俺ずっと家族と一緒だったので一人でご飯食べるのが……その、あの……苦手で……」

 歯切れの悪い言葉にぽかんとするが、もしかしたらその願いを口にするのは思春期で恥ずかしいのかもしれないと合点した。二十歳を超えた相手に何が思春期だという所だが、感覚がずれた隆則は一人で勝手に納得する。

「わかった、では何か作ろうか!」

 はっきり言って家事は壊滅的に不得手な隆則であるが、年下の、しかも恋人の弟にみっともないところを見せないようにしようと自分ができる料理を思い浮かべて……なにも思い浮かばなかった。

(やばい、遥人がいないときはいつも店屋物かコンビニ飯だ……さすがに奏人くんにそれを出すのはまずいかもしれない)

 店屋物だって有名店の料理というのではなく、近所のそば屋とか知人である矢野の店のテイクアウトだ。

(せっかくだから矢野さんのところで食べてくればいいか!)

 そのためのタイムロスを頭の中で計算していると、奏人が「あー……」と気まずそうに言葉を続けた。

「食事はもうできてるんで。後食べるだけなんで」

「えっ、作ってくれたの!?」

「はい。家でも食べたいヤツが作るってのがルールなんで」

 遥人の生母である水谷母を思い浮かべ納得してしまう。

 確かに遥人も出会った頃から家事一切が得意で、きっと親御さんの教育方針なんだろうと感心してテーブルに向かえば、若者の昼食というにふさわしいどでかいハンバーグが皿に盛り付けられ、脇には気持ちばかりのサラダが置かれてある。

「これ……奏人くんが作ったのか?」

「すんません、挽肉とタマネギあったんで適当に……」

「すごいなぁ……」

 本当に水谷家の人間はなんでも作れるんだと感心し、箸を手にした。

 自分のとは違う山盛りのご飯をガツガツ食べる奏人を見ながら箸を動かすが、とてもじゃないが全部食べきるのは無理すぎる。
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