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雨音
133.
しおりを挟む「オレ──死ねる、の?」
トイの手は、あの時と同様にだらりと地面に投げ出されていた。
手を伸ばして、そっと指先で頬に触れてみる。トイの肌は恐ろしいほどに冷えていた。過去に手首を掴んできたトイの手も、まるで死人のような冷たさだ。
トイは確かに死者だった。皆で、そしてソンリェンがあの日のトイを殺した。そしてそれを繰り返そうとしている。
「ト、イ……」
トイの身体を見る。結合部は血に濡れ、身体中噛み痕だらけだった。
すっと、冷静さを取り戻す。
あまりにも、今更だった。
所々に着いた鬱血痕はソンリェンが散らしたものだ。トイの肌が痛々しく赤く色づくたび感じていた仄暗い満足感が、目眩を覚えるほどの焦燥感へと変わっていく。
死を望んでしまうほど、ボロボロにしたところで何になる。
自分のものにならないから壊したとしても、結局自分のものにはならないというのに。
──何をしてるんだ、俺は。
手の震えが大きくなる。トイではなくソンリェンの。
──これじゃあ1年前と、何も変わらねえじゃねえか。
1年前と違うことは、まだソンリェンがトイの手を振り払ってはいないということだけだ。
トイの負担にならないように、ゆっくりと挿入していた異物を引き抜く。
トイが苦しげに眉根を顰めて唸った。それが快感なのか苦痛なのかは判断できなかったが、抜いた衝撃でトイは身体をくねらせて射精した。
土の上に投げ捨てたトイの服をかき集め、泥で汚れたコートでびくびくと痙攣を繰り返すトイを包み込み、抱え上げる。
ここに連れて連れて来るまでには気にも留めていなかった体重の軽さが、腕に圧し掛かってきた。
トイを強く抱きしめたまま元来た道を辿る。ここからであれば表へ出るまでの距離はさほどないが、足場はよくはない。何度か土に足を取られて腕の中のトイがずれる。
その度に落ちないように抱え直したが、体が擦れることすらも辛いのだろう。トイはコートの中で可哀想なほどに縮こまっていた。
途中まで引き返した所でじわりと腕が濡れた。臭いでトイが漏らしたことがわかったが確認する暇はない。ソンリェンの記憶が正しければ次は熱が上がり、意識が混濁し始め震えと呼吸の乱れが来る。
ぽつりぽつりと、静かに雨粒も落ちて来た。急いで車に戻らなくては。
慣れぬ道をひたすら歩いた。木の間を抜けて細い道路脇に停めてある車へと戻った頃には、日はだいぶ傾いていた。もう直ぐで夜が来る。
「ソンリェン様?」
「屋敷へ向かえ、早く」
「……はい」
自ら扉を開け子どもを抱えたまま乗り込んできたソンリェンに、僅かばかり驚きを露わにした使用人はソンリェンの命令に素早く従った。
走り始めた車の中で、弱ったトイを抱えたまま座席の裏のポケットに突っ込んでいた小さな瓶を手に取り蓋を開けようとしたが、思っていた以上に手が震えていたためうまく開けることができない。
くそ、と強く己の手を罵りながらなんとか蓋を外し、トイが飲みやすいように傾けたまま唇に押し付ける。
「トイ、口開けろ」
トイはソンリェンの呼びかけに薄っすらと目を開けたが、口につけられた瓶に気が付くと暴れだした。当たり前だが、最初に飲まされた液体と同じものだと勘違いしているらしい。
「ゃ……も、や……ぁ」
「バカ、これは副作用を抑えるもんだ。飲め」
有無を言わさず口に突っ込もうとしてもトイは頑なに歯を食い縛る。これではラチがあかない。それに、振り払われて万が一零れでもしたら後がない、手持ちの分はこれしかないのだ。
ソンリェンの腕から逃れようとするトイと目を合わせるように努力し、極力静かな声で語りかける。
「トイ、聞け」
どろんと淀んだ瞳は焦点が合っていなかった。
「これは、最初に飲ませたやつとは違う。いいから飲め」
意識の混濁がもう起こり始めているのかもしれない。
「飲んでくれ──頼む」
ぐらぐらと揺れていた焦点が一瞬だけぴたりと定まった。トイは、ソンリェンを不思議そうに見上げた。
「そん……りぇん」
「ああ」
「そんりぇん?」
「……ああ」
意味もなく頷いてやる。トイの目を見つめながら促すように唇に瓶の口を添えれば、トイは先ほどの抵抗が嘘のようにおずおずと口を開いた。瞬時に差し込み喉の奥に流し込む。
喉が上下するのに合わせ、噎せないように傾けていく。苦みが強いのか一度では飲みきれないようだったので、何度かそれを繰り返し瓶の中身を空にした。
用済みとなった瓶を床に投げ捨て、トイをもう一度しっかり抱え上げる。
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