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前篇
真実(4)
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「じゃあ知れば? まあ相手を知るには、まずは自分のことを知ってもらった方が早いけどね」
「自分を、知ってもらう……?」
今のは、マティアスにしてはいいヒントのように思えた。
「そ。敵を知るにはまず己からだよ、アレクシス。私たちに味方なんてものはいないんだから」
「なんだその妙な格言は」
「うーん。私も、まあ……なんていうのかな? ちょっと……知ってもいいかなぁと思う人、できたしねぇ」
まじまじと、マティアスを見る。珍しく視線を泳がせている上に、落ち着きもなくやけに頬を掻いている。カスが飛ぶからやめろ、と言っても止めない。
「おまえがそんなことを言うのは珍しいな。毒でも盛られておかしくなったのか?」
「いやだから……ああ、まあ、あながち間違ってないか……だから、たぶんだよ。たぶんね。もう一回会ってみないとわからないっていうか思いがけず頭から離れないっていうか。自分でもまだ掴みかねているというか、うん、そんな感じかな」
妙に早口で、まどろっこしい口調は至ってマティアスらしくない。マティアスはアレクシスと違って、自分の中で答えが明確に出てから口を開く。
そしてあえて結論を先延ばしにして、相手を翻弄するのだ。だというのに、今のは彼の中でも、まだ答えが出ていないように聞こえた。
「ただまぁ、この感覚が勘違いじゃないんだろうなってことも、もうわかるしね。大人ですから?」
ぱちんと片目を閉じてみせたマティアスに、暗におまえは子どもだと言われた気がするが、押し黙ることで受け流す。リョウヤにも、おまえは子どもだと吐き捨てられたことがある。
『お……そろしい、わけあるか……よ、あんたみたいな、ガキ……』
首を絞めているのはアレクシスの方だというのに、おそろしく強い力で手首を掴み返されたのだ。あの日のリョウヤの姿は、酷くまぶたの裏に焼き付いている。そして鮮明だった。
「アレクシス、おまえ気づいてるか? 大親友の私が来てやったっていうのに、おまえ坊やのことずっと見てる……目を背けていられて、さぞや楽だろうねぇ」
マティアスの言う通りだ。寝てるリョウヤの顔なら、こうしていくらでも眺めていられる。
「一応話しておくけど、2人がかりでヤッた時、坊やが私に従順だったのは、シュウと会うための情報をあげたからだよ。私はもう、坊やをおまえと共有する気はないよ……おまえも嫌だろう?」
「誰がするか」
「ほら、即答だ。そういうところだよ」
そんな捨て台詞を残して、マティアスがぽん、とリョウヤの足を叩いて立ち上がった。それでもリョウヤのまぶたは震えもしない。相変わらず体は丸まったままだ。
蓄積した極度の疲労を、なんとか消化しようとしているような姿に見えた。
この屋敷に連れ去ってから数か月。リョウヤに心休まる日は、果たしてあったのだろうか。
『わかる? 俺は今、あんたと話してんだよ。成り上がりでも、なんでもない……人でなし、で、プライドが高くて、すぐに怒って、冷たい……俺の目の前にいる、ただの、あんたと』
自慢の髪をさらりと梳いたマティアスは、顔にターバンを巻きながら去っていった。よくよく見れば、歩き恰好が少しおかしい。内股気味だ。どこか痛むのだろうか。
『アレクと、話してんだよ? なのにあんたは誰と、話してんだよ……』
リョウヤを知るために、まずは自分を知ってもらう。
『なのにあんたはいっつもイライラして、力でねじ伏せようとしてくる。あんたのそれは、道理じゃない。ただのガキの癇癪だ……あんたって本当に、子どもみたい』
何をどうすれば、自分をリョウヤに知ってもらえるのか。
そもそも、リョウヤはアレクシスを知りたいと思っているのだろうか。
『シュウイチさんは、俺と対等になって話してくれたんだ。あんたと違って』
リョウヤの頬を張り飛ばすでも、細い首を絞めるでも、嘲るでも、屈辱を与えるのでもなく。いつものように力でねじ伏せることなく、対等になって会話をしようとさえすれば、リョウヤはアレクシスと話してくれるだろうか。
リョウヤはリョウヤの弱さを、出すようになるだろうか。
アレクシスに、見せて、くれるだろうか。
僕に──僕のことを、見るだろうか。
汚らわしい稀人だとばかり思っていた。
けれども、図々しくて生意気な稀人でもない。得体の知れない生き物でもない。稀人でもなく、珍妙な名前の、ただのリョウヤになってしまったら。
「おまえは、僕のなんになるんだ……」
リョウヤは何も言わない。目も開けない。ただ、木枯らしのようなか細い呼吸を繰り返すだけだ。
だからこれは、アレクシス自身が探し出さなければならない、答えだった。
「自分を、知ってもらう……?」
今のは、マティアスにしてはいいヒントのように思えた。
「そ。敵を知るにはまず己からだよ、アレクシス。私たちに味方なんてものはいないんだから」
「なんだその妙な格言は」
「うーん。私も、まあ……なんていうのかな? ちょっと……知ってもいいかなぁと思う人、できたしねぇ」
まじまじと、マティアスを見る。珍しく視線を泳がせている上に、落ち着きもなくやけに頬を掻いている。カスが飛ぶからやめろ、と言っても止めない。
「おまえがそんなことを言うのは珍しいな。毒でも盛られておかしくなったのか?」
「いやだから……ああ、まあ、あながち間違ってないか……だから、たぶんだよ。たぶんね。もう一回会ってみないとわからないっていうか思いがけず頭から離れないっていうか。自分でもまだ掴みかねているというか、うん、そんな感じかな」
妙に早口で、まどろっこしい口調は至ってマティアスらしくない。マティアスはアレクシスと違って、自分の中で答えが明確に出てから口を開く。
そしてあえて結論を先延ばしにして、相手を翻弄するのだ。だというのに、今のは彼の中でも、まだ答えが出ていないように聞こえた。
「ただまぁ、この感覚が勘違いじゃないんだろうなってことも、もうわかるしね。大人ですから?」
ぱちんと片目を閉じてみせたマティアスに、暗におまえは子どもだと言われた気がするが、押し黙ることで受け流す。リョウヤにも、おまえは子どもだと吐き捨てられたことがある。
『お……そろしい、わけあるか……よ、あんたみたいな、ガキ……』
首を絞めているのはアレクシスの方だというのに、おそろしく強い力で手首を掴み返されたのだ。あの日のリョウヤの姿は、酷くまぶたの裏に焼き付いている。そして鮮明だった。
「アレクシス、おまえ気づいてるか? 大親友の私が来てやったっていうのに、おまえ坊やのことずっと見てる……目を背けていられて、さぞや楽だろうねぇ」
マティアスの言う通りだ。寝てるリョウヤの顔なら、こうしていくらでも眺めていられる。
「一応話しておくけど、2人がかりでヤッた時、坊やが私に従順だったのは、シュウと会うための情報をあげたからだよ。私はもう、坊やをおまえと共有する気はないよ……おまえも嫌だろう?」
「誰がするか」
「ほら、即答だ。そういうところだよ」
そんな捨て台詞を残して、マティアスがぽん、とリョウヤの足を叩いて立ち上がった。それでもリョウヤのまぶたは震えもしない。相変わらず体は丸まったままだ。
蓄積した極度の疲労を、なんとか消化しようとしているような姿に見えた。
この屋敷に連れ去ってから数か月。リョウヤに心休まる日は、果たしてあったのだろうか。
『わかる? 俺は今、あんたと話してんだよ。成り上がりでも、なんでもない……人でなし、で、プライドが高くて、すぐに怒って、冷たい……俺の目の前にいる、ただの、あんたと』
自慢の髪をさらりと梳いたマティアスは、顔にターバンを巻きながら去っていった。よくよく見れば、歩き恰好が少しおかしい。内股気味だ。どこか痛むのだろうか。
『アレクと、話してんだよ? なのにあんたは誰と、話してんだよ……』
リョウヤを知るために、まずは自分を知ってもらう。
『なのにあんたはいっつもイライラして、力でねじ伏せようとしてくる。あんたのそれは、道理じゃない。ただのガキの癇癪だ……あんたって本当に、子どもみたい』
何をどうすれば、自分をリョウヤに知ってもらえるのか。
そもそも、リョウヤはアレクシスを知りたいと思っているのだろうか。
『シュウイチさんは、俺と対等になって話してくれたんだ。あんたと違って』
リョウヤの頬を張り飛ばすでも、細い首を絞めるでも、嘲るでも、屈辱を与えるのでもなく。いつものように力でねじ伏せることなく、対等になって会話をしようとさえすれば、リョウヤはアレクシスと話してくれるだろうか。
リョウヤはリョウヤの弱さを、出すようになるだろうか。
アレクシスに、見せて、くれるだろうか。
僕に──僕のことを、見るだろうか。
汚らわしい稀人だとばかり思っていた。
けれども、図々しくて生意気な稀人でもない。得体の知れない生き物でもない。稀人でもなく、珍妙な名前の、ただのリョウヤになってしまったら。
「おまえは、僕のなんになるんだ……」
リョウヤは何も言わない。目も開けない。ただ、木枯らしのようなか細い呼吸を繰り返すだけだ。
だからこれは、アレクシス自身が探し出さなければならない、答えだった。
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