大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

27.貴族社会に凜と咲く<前編>

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「それでは本日は、貴族の方と実際にお話をして頂きます。貴族窓口に、良いお家柄の職員がおりますの」

 淑女のマナー講座を受け始めて4日。
 いつものように面会室に行くと、いつも以上に凜とした雰囲気のシャーロットが待っていた。
 部屋を見回しても、グレアの姿がない。

「グレア様でしたら、本日はシャザローマ店の方で重要なお仕事があるということで、お休みですわ」
「そうなんですね」

 キョロキョロと部屋を見渡す私に、シャーロットが察しよく答えてくれた。

「グレア様もお忙しい方ですから、仕方ありません。丁度良い機会なので、以前に後回しにしていた、リブラリカの貴族向け窓口のご案内も致しますわ」

 リブラリカの貴族向け窓口。名前の通り、貴族専用に開かれた図書館の専用窓口だ。
 以前一般開放区画を案内してもらった時には、そちらの窓口はまた今度、と言われていた気がする。
 いつものようにソファに腰掛けて、シャーロットは小さな溜息をついた。

「昨日までの3日間で、貴女もマナーの基礎くらいは身についたはずです。舞踏会へ行く前に、この国の貴族というものがどんなものか、リリー自身の目で確かめる良い機会になると思いますわ」
「はい……」

 なんだか引っかかる言い方だったけれど、ひとまず頷き返す。窓口へ向かおうと席を立ったシャーロットは、部屋を出る前にふと、こちらを振り返った。

「リリー……ひとつだけ、お約束をよろしいかしら」
「約束?」

 こちらを見つめる瞳がいつも以上に真剣で、なんだか怖い。

「今日、どこのお家の方に会うか分かりませんが……もし、何か酷いことを言われるようなことになったとしても、何も言い返してはいけません。普通の会話なら構いませんが、どんな酷い言葉を言われても私がお返事しますから、対応の仕方が分からない場合は、絶対に黙っていること。……よろしいですわね?」
「……酷いこと、言われるの?」

 まるで言われることが前提かのような言葉に、思わず聞き返す。
 いつも勝ち気な彼女の青い瞳が、問い返した一瞬だけ、揺らいだように見えた。

「……言われることも、あるのです。特に私や貴女のように、若くて地位のある、ましてや女性などと。侮られることは日常茶飯事ですの。それでも、上手な返し方をしなければ、私たちに貴族社会での居場所がなくなってしまうのですわ」
「……何となくしかわからないけど、わかった。約束する」
「よろしいですわ」

 ほっとしたようなシャーロットの横顔が、少しだけ固く見えて胸がざわつく。
 けれどもそれも一瞬のことで、部屋を出て窓口の場所へと向かう彼女は、いつも以上に凜と強く見えた。





 一度、職員用の作業室を経由すると、たまたまオリバーの姿が目に入った。
 部屋の一角に緑色の制服の職員が何人も集まって、机でマナペンを動かし続けている。きっとあそこが、マナブック書記官の作業場なのだろう。
 オリバーとは毎日のお茶会で顔を合わせているけれど、彼が仕事をしているところを見るのは初めてだった。
 とはいえお互い仕事中ということもあって、声を掛けるようなことはしない。
 それでもふと視線を上げたオリバーと目が合った。

「……」

 言葉はないけれど、にっこり笑顔で軽くマナペンを振ってくれる。それに会釈を返して部屋を通り過ぎると、シャーロットも気づいていたのか、呆れたような溜息が一つ聞こえた。
 作業室を通り過ぎて一つの扉へ進むと、小さな通路に沢山のキラキラが目に飛び込んできた。

「リリー。まずここが、貴族の皆様が予約をされた図書――マナブックを保管しておく部屋よ」

 シャーロットが足を止めて、説明しながら細長い通路のような部屋を見回した。
 マナブック。これも、小型の魔道具の一種だ。
 小さく機能も少ないマナジェムに、マナペンの力で本を書き写したもの、それがマナブック。
 主に魔力のある貴族向けに用意される貸し出し用の魔道具。本を直接貸し渡すことがないため、原本の紛失や汚損、返却忘れ等の心配をなくすことができるが、手間が掛かっている上返却義務もないので、それなりの利用料が必要。――と、授業で教わっている。
 通路の壁面いっぱいが小さく格子状の棚になっていて、そこには沢山のマナブックが納められている。マナブック自体は無色透明なのだが、完成後はその写本作業をした書記官のマナペンのインクの色に輝くようになるため、棚は何色もの輝きが反射してきらきらしていた。
 ふと目についたマナブックは覚えのあるエメラルド色に輝いていて、すぐにオリバーが作業した物だと気づく。
 ぐるぐると見回していると、通路の脇にある扉が静かに開いて、1人の女性職員がするりと入ってきた。
 こちらを見て一礼すると、そのまま棚のひとつのマナブックを大切そうに手に取り、また扉から出て行く。

「今のは、貴族の利用者が予約していたマナブックを受け取りに来たのでしょうね。前にも授業で説明しました通り、貴族の方は読みたい本を事前にリブラリカへ予約して頂いて、マナブックができあがったら受け取りに来て頂くようになっていますの。窓口で言われた本を手早く用意する必要がありますから、ここの担当職員は大変なのですわ」

 説明を受けながら、手元のマナペンで手帳にメモを取っていく。メモが終わると、ペンと手帳をしまうように指示された。

「リリーは、窓口の仕事はなさらなくて大丈夫です。今日はちらっと見学だけですから。それでも、気は抜かないでくださいませね。よろしい?」

 シャーロットの再度の確認に、緊張しつつもしっかり頷き返す。
 それを確認した彼女が、先ほどの扉を開けた。
 扉の向こうは、面会室よりも上等な、豪奢な造りの広めの部屋になっていた。
 ここは磨き抜かれたカウンターの内側だ。頭上には見たこともないような大きなシャンデリアが輝いていて、彫刻の美しい窓際には上質なソファが置かれている。
 カウンターの中には、先ほど保管場所で会った女性の他に、眼鏡を掛けた青年くらいの男性もいた。
 男性は、こちらを見ると静かに歩み寄ってきて綺麗な礼をする。

「お待ちしておりました。副館長様、秘書様」
「お仕事中申し訳ありません、ランツァ殿。少しだけ失礼させて頂きますわ」
「秘書様の見学で御座いましたね。勿論です。カウンターの端のほうへどうぞ」

 まずは、と彼の勧めに従い、少しだけ飾りカーテンの影になっているカウンターの端に移動する。

「改めまして、秘書様へご挨拶を。私、ベルナルド・ランツァと申します。以後お見知りおきを」

 シャーロットと私が椅子に座ると、男性が改めて名乗り礼を取った。
 ランツァ。授業で聞いた名前だ。確か、それなりの地位の貴族の家だったはず。
 失礼にならないように、教えて貰ったばかりの作法で立ち上がるとスカートの端を摘まんで少しだけ頭を下げた。

「ご挨拶頂きまして、ありがとうございます。ランツァ殿。お初にお目にかかります、リリーと申します」

 上手く礼できていただろうか。
 恐る恐る姿勢を戻すと、ランツァは優しい表情で頷いてくれた。

「丁寧な御返礼ありがとうございます。さぁ、お掛けください」

 どうやら形にはなっていたらしい。
 その言葉と供にすっと差し出されたランツァの手に触れるか触れないか、指先だけを乗せるようにして椅子へと腰を下ろす。

「では、そこからご見学をどうぞ」

 そうして、ランツァは自分の仕事へと戻っていった。
 まだどきどきとしている私に、隣のシャーロットが満足そうに笑顔を見せてくれる。

「まだ少しぎこちない気もしますけれど、十分できていましたわ。その調子です」
「ありがとうございます……」

 ほっと安心するのもつかの間。
 すぐにベルの音がして、道に面しているドアが開くと、さっそく貴族の利用者が現われた。
 それから立て続けに3人の貴族がやってきた。
 どの貴族も受け取りが目的だったらしく、家の紋章の入ったマナジェムを確認して、マナブックの受け渡しが滞りなく行われていく。
 シャーロットとの約束のような、酷いことを言う貴族を見なくて済みそうだ……なんて、呑気に思ったのがいけなかったのだろうか。
 がちゃりと次のドアベルの音と供に入ってきた今度の貴族は、ぱっと見ただけで良い物とわかるスーツ姿で、カツンと杖の音を鳴らした。

「……っ」

 隣で一瞬、シャーロットが身を強ばらせたのを感じる。
 どうやら、酷い貴族とやらのお手本が来たようだ。
 貴族男性はもったいぶるように大きく杖の音を鳴らしてカウンターまでやってくると、礼を取るランツァに向かって大きな声を出した。

「私のマナブックを受け取りにきた」
「ようこそいらっしゃいました。まずは、マナジェムを拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「なんだと?」

 ランツァの言葉のどこに苛立つ要素があったのだろう。
 男性は眉を寄せると、杖の握りでカウンターをカン!と叩き、さらに大きな声を出した。

「そんな確認をせずとも、私程の身分の者をわからないはずがないだろう!」
「申し訳御座いません、ウェンディーク伯爵殿。勿論存じておりますが、これは当図書館の決まりで御座います」
「なんと失礼な。これだから司書というのは嫌なんだ!」

 いちいち怒鳴り散らすように言う男性は、伯爵の地位にある人物らしい。それに対して真摯に対応するランツァは大したものだ。
 怒鳴る利用者と頭を下げる司書……残念ながら、元の世界の図書館でも見たことのある光景だ。
 どこの世界にも、こういう人はいるものらしい。
 文句を言いつつも伯爵が取り出したマナジェムを確認して、ランツァがすぐに裏の倉庫へと入っていった……が、戻ってきた彼は、困ったような顔でマナジェムを持っていなかった。

「申し訳御座いません、ウェンディーク伯爵殿。ご希望頂いておりましたのは、昨日ご依頼頂いた第54版のスケラディア法前章でお間違い御座いませんでしょうか?」
「ああそれだ。急ぎと伝えたものだ、早く寄越したまえ」
「……何ですって?」

 それまで無言だったシャーロットが、私にしか聞こえないくらいの声で呟いた。

「シャーロット?」

 隣を向けば、シャーロットが厳しい顔をしている。

「どうかしたの?」

 こそこそと、そう問いかけた瞬間だった。
 ガンっと大きめの音がして、突然のことに椅子の上で飛び上がってしまった。続いて聞こえてきたのは、伯爵の怒鳴り声。

「まだできていないとは、どういうことだ?!」
「申し訳御座いません。ですが、受付の際に、納期のお話も申し上げているはずで……」
「ええい黙れ!納期がなんだ!私は、今日までに準備しろと言ったはずだ!」
「ご希望頂いたスケラディア法は、1冊でも1000ページを超える分量の禁書です。ご用意するまでに、2ヶ月はお待ち頂きませんと……」
「何が2ヶ月だ!私が1日と言えば1日で用意しなければいけないに決まっているだろう!早く出せ!」

 ……あまりにも横暴だ。
 どうやらこの伯爵は、納期や作業時間をまったく無視しているらしい。
 ランツァが宥める間にも、怒鳴り声は止まらない。

「マナブックがだめだというのなら、原書で構わないから寄越したまえ!今すぐだ!」
「それは無理です!どうかご理解ください。当図書館の利用手順を守って頂かないと困ります」
「話が通じないな!これだから司書というやつは……!あの小娘が副館長になってからというもの、何の融通も利かないではないか!家の威光ばかりを使って、力もない若造のくせに、貴族の重要性を理解できてもいない……呼んでこれないのか?今日こそ私が説教してやる!」

 この言葉には、さすがに私もムッときた。
 シャーロットは努力をする人だと、普段彼女の仕事ぶりを見ている私でも知っている。真摯で真面目で、仕事の腕も確かだけれど、それ以上に何事にも一生懸命努力をしている。仕事だって毎日ものすごい量をたったひとりでこなしているのに……なんて言い草だ。

「……大丈夫よ」

 小さく掛けられた声にはっとする。あんなことを言われて、傷つくのはシャーロット本人だろう。
 しかし彼女は私が手を伸ばすよりも早く、椅子を立つとカーテンの影からランツァの隣へと歩み出ていた。
 咄嗟に追いかけようと私も席を立ちかけるけれど、私がカーテンの影から出るよりも先に、しゃんと顔を上げたシャーロットの綺麗な立ち姿に目を奪われて、足が止まってしまった。
 突然現われたシャーロットの姿に、それまで好き放題言っていた伯爵がたじろぐ。
 それすら視界に入らないかのように優雅な一礼をして、シャーロットはにっこりと完璧な笑顔を伯爵へと向けた。

「ご機嫌よう、ウェンディーク伯爵殿。ご無沙汰しておりますわ。ロイアー家当主代理、リブラリカ副館長シャーロット・ロイアーで御座います。……お話は私が伺います」


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