大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

28.貴族社会に凜と咲く<後編>

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「……っ、お、おやおや。これはこれは。ロイアー嬢。いつからそこにいらっしゃったのですかな?」

 突然のシャーロットの登場に伯爵が動揺したのは一瞬。
 すぐに薄ら笑いを浮かべた伯爵は、嘲るような笑みでシャーロットを見下した。
 そんな伯爵の態度にも毅然と、シャーロットは微笑んだままだ。

「本日は所用が御座いまして。伯爵殿のお姿が見えたところから拝見しておりましたわ。少々奥におりましたので、まさか指名頂くとは思わず……ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いやそうか。まぁいい、呼ぶ手間も説明する手間も省けたというものだ」
「ええ。先ほどのお話、しっかりと聞かせて頂きましたわ。……ですが、大変申し訳ありません。どうしても、原書をお渡しすることも、マナブックを優先でお作りすることもできませんの」
「それでは困るのだよ。この私が、急いで必要だと言っているのだ。君は副館長だろう、ロイアー?なんとかするべきだ」

 シャーロットと直接話をするようになって、多少伯爵の口調は落ち着き怒鳴らなくなったものの、やはり先ほどの無理を押し通すつもりでいるらしい。
 それに対してシャーロットは、わざとらしく頬に手をついて大きな溜息を零して見せた。

「そうなのです。他ならぬウェンディーク伯爵殿の頼みですもの、私としても融通したいところなのですが……困りましたわ。実は、一昨日から急に、王太子殿下より火急のマナブックの制作を指示されておりまして、書記官は皆そちらにかかりきりなのです」
「殿下、と?」

 ぴくり、と伯爵の眉が跳ねる。……なるほど、その人より高い位の人物からの依頼を引き合いに出して、上手く収めるつもりなのだろう。

「はい。大急ぎと言われておりまして、その最中でも伯爵殿のご依頼のマナブックも作業をしておりましたが……。このまま無理にスケラディア法の制作を進めても構いませんが、王太子殿下のご依頼が遅れれば、どのように説明をしなければならないか……」
「ぐっ……」
「そうですわ!もし、お急ぎと申されるのでしたら、毎日できあがった分だけお渡しするというのはいかがでしょう?」
「何?」
「スケラディア法でしたら、あの分量、いくら急ぎとはいえ伯爵殿でも全て読破されるのにひと月ほどはかかりましょう?でしたら、毎日受け取りに来て頂けるのでしたら、その日できあがっている分を順にお渡しするように致しますわ」
「むむ……」
「この方法でしたら、王太子殿下のご依頼にも支障をきたさず、伯爵殿の急ぎというご希望も果たせますわね。一日でお渡しできる分量は、勿論すぐには読み切れない量になりますから。これでご納得頂けませんか?」

 しばらく唸っていた伯爵はやがて苦い顔で頷いた。

「仕方ありませんな。それで納得するほかないようだ。……王太子殿下を引き合いに出されては、まったく……」
「申し訳ありません。ご了承頂いたこと、感謝致しますわ。ランツァ殿、シェイミス書記官から受け取ってきて頂戴」
「はい、すぐに」

 ちまちまと嫌みを投げつけつつ、なんとかマナジェムの引き渡しが終わると、伯爵はふんと鼻を鳴らして踵を返した。
 伯爵がこちらに背を向けても、シャーロットは凜と美しく立ったまま見送っている。
 ドアベルの音が鳴る中、こちらに聞こえる程度の声が吐き捨てるように言うのが聞こえる。

「……小娘風情が、小賢しい。あの様な汚い真似をしないといけないようでは先が思いやられるな」

 ガシャン。
 扉が閉まり、カウンターに静寂が戻ってくる。
 私はすぐにカーテンから飛び出して、今度こそシャーロットの傍に駆け寄った。

「シャーロット……」
「……リリー。よく耐えましたわね」

 傍まできた私の手を取って、シャーロットはやっと優しい笑みを浮かべた。
 辛かったのは、私じゃなくてシャーロット自身のはずなのに。
 上手い言葉が見つからず、苦い気持ちを飲み込む自分が不甲斐ない。
 そんなことをしているうちに、窓口担当の彼らもシャーロットへと歩み寄ってきていた。

「副館長。本当に、ありがとうございます」

 ランツァと女性職員が深く頭を下げるのに、シャーロットはきちんと向き直ると静かに頭を下げ返す。

「いいえ。私こそ、まだまだ至らぬ身である故に、皆様にご迷惑をお掛けして申し訳ありませんわ」
「とんでもありません!ロイアー副館長がいつも一生懸命にお仕事をされていること、職員皆存じております」
「……ありがとう」

 ちょっとだけ、最後の笑みに元気がなかったような気がしたけれど、シャーロットはさて、と手を打って、気分を切り替えるように明るい声で言った。

「王太子殿下よりご依頼頂いているのも本当ですし、伯爵のご依頼について書記官たちにも説明しないといけませんわ。リリー、時間も良い頃合いですし、本日の授業はこれでよろしいかしら?」
「はい!大丈夫です、ありがとうございます」
「では解散にいたしましょう!……また夕方に、お茶しましょうね」
「うん」

 私にだけ最後、囁くように言った彼女は、もうすっかりいつも通りに思えた。
 そういえば、最初に食堂でオリバーに声を掛けられた時にも、シャーロットについて、若いけれど努力家で……なんて話を聞いた覚えがある。
 凜と強くて美人で、すごく努力家な彼女でも、この国の貴族の間ではあんな心ない事を言われて、傷つくことだってあるのだろう。
 それでも、その後もテキパキといつも通りに仕事をこなす彼女の背中を見て、その強いあり方に、私は憧れのようなものを感じていた。
 私はあんなに美人でもないし、生粋の貴族のお嬢様ってわけでもない。
 それでもやっぱり、あんな風にいつでもしゃんと顔を上げられる、凜と咲く花のような強い女性になれたら――なんて、ちょっと高望みしすぎなのかもしれないけれど。






「ただいまー」
「はいはい、お帰り」

 一日が終わって、誰もいない部屋に声を掛けると、決まって足下のアルトから返事が返ってくる。
 いつからかわからないけれど、こんな習慣がついてしまっていた。
 私の世界の、私の自宅。

「あー……疲れたあ」

 なんだかんだと落ち着く場所に帰ってきて、今日は一際大きな溜息を吐いてしまった。
 ぼすんとソファに身体を投げ出して座ると、その反動だろうか。ソファの足下に無造作に置いたバッグが、バランスを取りきれずぱたんと倒れて、中身が少し飛び出した。
 最近は淑女のマナー講座のお陰で、全身が軽く筋肉痛だったりもする。もう動きたくないな……という気持ちでなんとなく床に目を向けて、バッグから飛び出していたそれを見つけた。

「あ」

 綺麗な包装紙に包まれた、小さな四角い短冊形の包み。

 ――そうだ、あのあと色々あったせいで、バッグに入れたまますっかり忘れてた。

 台所の方では、アルトが不満そうな鳴き声を上げている。

「おーいリリー。俺様に紅茶ー」
「んー、ちょっと待って、後でー」

 にゃうにゃうした文句を聞き流して、慌てて包みを拾い上げる。
 ひっくり返したりして確認しても折れたり包みが破れたりはしていなかったようで、ほっとした。
 焔さんとデートしたあの日、お互いに交換した金属製のブックマーカー。
 お互いに分かれてから開ける約束をしていたのに。
 ソファに座り直して、ちょっぴりどきどきしながら慎重に包みを開く。
 キンと手のひらに当たって澄んだ音を立てたそれは、赤と金の煌めきを反射して輝いた。

「わぁ……!」

 アルトの瞳やブレスレットの石と同じ、鮮やかな紅い宝石に彫刻を施して作られたきらきらのブックマーカーには、金で縁取りがされていた。
 よく見る焔さんのローブの飾りと同じ色合いに、小さく胸がときめく。
 彫り込まれていたいたのは、積まれた本の上に座った猫のモチーフ。
 本に猫。なんだかアルトと焔さんを同時に思い出してしまうようなぴったりのモチーフで、無意識に口元がほころんだ。

「綺麗……」

 なんの宝石なのだろう。やっぱりルビーとか?
 部屋の電灯に翳して見ると、眩しいくらいに光を吸って、部屋中に紅い輝きが飛び散った。
 きらきら、きらきらと光が零れ続けるそれに、時間を忘れて見入ってしまいそうになる。

「なぁ、リリーってば……なんだそれ、綺麗だな」

 いつまでも台所に来ない私に痺れを切らしたのか、のそのそと歩いてきたアルトがほう、と感心したような声を出した。

「うん、すっごく綺麗だね……」

 いつまでも見入っている私に、アルトは置かれた包み紙を見て大体のことを察したらしい。

「へぇ、あいつも中々、キザなことするな」

 黒猫が肩を竦めて呟いた言葉は、煌めきに夢中になっている秘書の耳には届かなかった。






「……っくしゅん!」

 突然むずむずしてくしゃみがでることを、人は時に「どこかの誰かに噂されているからだ」と言うらしい。
 読書中に突然襲ってきたくしゃみに、俺は小さく首を傾げた。
 時計を見れば午後20時。
 今日は夕食の時に、最近読んだ本について梨里と会話が弾んでしまい、帰すのがいつもより少しだけ遅くなってしまった。
 丁度きりも良かったし、と本を閉じようとして、手に取ったブックマーカーに自然と視線が吸い寄せられる。
 きらきらと控えめに輝く、青い宝石のブックマーカー。
 宝石の部分は深い色合いで、光を沢山取り込んで、内部で反射するように控えめに美しく輝く。
 繊細に彫られた雨のモチーフに、ふうっと息が漏れた。
 あの日、梨里が慌ててばたばたと出て行った後に、ふと思い出してブックマークの包みを開いて、驚きすぎて数分ぴくりとも動けなかった。

 ――どうして、まさか、いや。

 自分らしくもなく、大変に動揺してしまっていた。
 まさか、ばれてしまったのではないかと。
 自分があの本を大切にしていることを、どこかから知ってしまったのではないかと。
 でも考えれば考えるほどばれたとは思えなくて、アルトに確認してもその話はしていないというし、彼女の気まぐれだったということでようやく納得したのだ。
 手元で摘まみながらひらひら傾けると、机の上のマナランプの光が反射して、さらに内部が複雑に輝く。
 覗き込めば、目が離せなくなるような内なる煌めきが、彼女とそっくりで。
 すっと目を細めて、眩しいくらいの青の光を見つめる。

「嗚呼――、綺麗だな」

 吐息ばかりを含んだ掠れた声は、誰に届く事もない。
 一度覗き込んでしまうと、どうしても視線が奪われて困る。


――今夜もまだしばらく、青い光の雨に夢中になっていたかった。


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