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第1章 大賢者様の秘書になりました
44.王子様はワルツ上手
しおりを挟むワルツの練習を再開して早々、王子の手を取り腰を支えられる基本姿勢を取ったところで、練習相手が男性であることの違いを体感した。
ぐっと近づく身体。広い肩幅や大きな手のひら。
それら全てが今まで練習相手になってくれていたグレアとは違っていて、ただ基本の位置についただけで、王子の長身に自分の身体が上に引っ張られ楽に綺麗な姿勢を取れるようになった。
そして、一番大きかったのは。
「ち……ちかっ」
「ん?」
近い。
もの凄く、距離が近い……!
グレアが相手の時には、こんなに互いの距離が近いのか、と。
そんなくらいにしか感じなかった距離が、相手が男性に変わっただけで……こう……圧というか、何か気恥ずかしいものがぶわっと増した気がする。
王子はきょとんとこちらを見下ろしているが、きらきらと爽やかな顔がこんなに近くにあるなんて、なんだかすぐにでも飛び退いてしまいたいような、どきまぎする気持ちで心が乱される。
見つめ合う……のも憚られる気がして俯くと、すかさずシャーロット先生の声が飛んできた。
「リリー!顔を上げて。殿下が付き合ってくださっているのですから、しっかりと」
「っはい!」
ええい、だめだ。
ライオット王子は私の為に付き合ってくれているのだから、迷惑を掛けるわけにはいかない(……勝手に飛び込んできたのは王子だけど)。
ぐっとお腹に力を入れて顔を上げると、変な顔でもしていたのだろうか。
「くっ」
目が合った王子が小さく吹き出した。
「そんなに力入ってたら、踊れないだろう?」
ぽんぽんと腰のあたりを宥めるように叩かれて、身体が強ばっていることに今更気づいた。
……けれど、仕方ないと思う。私だって緊張くらいする。
ミスをしたら、せっかく付き合ってくれている王子の足を踏んでしまうかもしれないのだ。
「だ……だって私、本当に、練習中で……」
「わかっている。足踏まれたりしても怒ったりしないし、そもそもそんなことにならないから、な?」
なんでそんなことにならないなんて言えるんだろう。
「でも……」
「俺は初めての友人の役に立ちたいだけなんだから」
尚も言いつのろうとした私に、王子は少しだけ眉尻を下げて見せた。
「……」
そんな風に言われたら、何も言い返せない。
むうっと見返すことしかできない私に対して、王子は楽しそうに口元を緩めた。
「お二人ともよろしいかしら?……では、いきますわよ」
グレアの声がして、小型魔道具からワルツの音楽が流れてきた。
「実践形式ですから、あとは殿下にお任せしますわ」
シャーロットの言葉に、王子が一つ頷く。
――しっかり、間違えないようにしなくちゃ。
緊張する私の腰をもう一度ぽんぽんと叩いて、王子が真剣な瞳になった。
「よし、じゃあ始めるぞ。1,2,3――」
掛け声に合わせて、はじめの一歩を踏み出す。
トッと一歩、ステップを踏み始めたその一歩から、感覚がまるで違っていることに驚いた。
王子と触れているのは両腕と支えられた腰のみだというのに、まるで操られているように、身体があちらへ、こちらへと滑らかに移動していく。
足は、覚えた順に浮かせるだけで、巧みに誘導されているのか下ろす頃にはきちんと正しい場所へとステップを踏んでいる。
「えっ――」
驚いて視線を合わせれば、王子は得意げにふふんと笑った。
「だから言っただろ? ワルツは得意なんだ」
さっきまで全然上手くいかなかったターンも、繋いだままの手にくるりと簡単に回されてしまって、戻ってくる身体は勢いに足がもつれることもなく、魔法のように王子の正面へとすっぽり収まる。
「すごい……」
「もっと肩の力抜いていいんだぞ。あんまり力んでると疲れるから」
「あ、はい!」
途中途中で王子や、周りから見ているシャーロットから注意が入るけれど、先ほどまでとはその回数も違う。
これは、楽しいかも。
踊っている、というよりは王子に踊らされている、というような感覚なのだけど……なるほど、男性に上手くリードしてもらうというのはこういう感覚なのかと感心した。
あっという間に1曲終わってしまって、特に息を乱すこともなく終わりの礼を返すことが出来た。
シャーロットとグレアが満足そうに拍手をしてくる。
「やはり殿下がお相手だと、どんな女性でも上手く踊れるものですわね」
「さすがですわね。リリーにはとてもいい経験になりますわ」
「まぁね。ワルツは本当に得意だから」
2人に褒められまんざらでもない様子のライオット王子は、やはりちょっとだけ幼く見える気がする。
「リリーも、とても良く踊れていましたわ。男性と踊る感覚というのがよく分かったのではなくて?」
「うん……!なんだかこう、気がつくとステップが踏めてて……!上手く言えないけど、踊りやすかった!」
興奮気味なままシャーロットに駆け寄ると、彼女は私の両手を取って微笑んでくれる。
「リードの上手な男性と踊るのは、本当に良い経験になりますの。男性のリードに身を任せるその感覚を忘れないでいてくださいね。ただし、頼り切りというのもよくありませんわ。いざという時には自分ひとりでも美しく動けるようにしておくことも大切です。それもしっかり覚えておいてください」
「はい!」
「よろしいですわ。……殿下、恐れながら、もう何曲かお付き合い頂くことは可能でしょうか?」
シャーロットが声を掛けた先を視線で辿れば、優しい表情でこちらを見守るライオット王子と目が合う。
「まだまだ大丈夫だ。リリーの為とはいえ、練習相手になれるのは役得だし。次は、おすすめの本について話ながらとか、どうかな?」
「はい……頑張ります!」
返事をして、またライオット王子の正面へと立つ。
今度は先ほどまでのような身体の強ばりは、だいぶなくなっているようだった。
会話をしながらのワルツというのは、ただ踊るよりも少し難しかったけれど、その後も供に何曲か踊っている内に、いつの間にか意識しなくても自然と身体が動くようになっていた。
おすすめの本を問われ、先日図書館で借りて読んでいた物語の話をしたり。
舞踏会の当日に一緒に踊らないかと誘われて、当日は焔さんと一緒だからと答えれば、大賢者と会うのが楽しみだと、また王子の少年のような笑顔が見れて微笑ましかったりした。
そんな時間を過ごすうちに、気がつけば『王子と友人として接する』ということにすっかり馴染むことができたような気がする。
授業が終わる頃には、王子との近い距離にもすっかり慣れて、どきどきすることもなくなっていた。
……まぁ、相手が相手なだけに、こんなにも簡単に慣れてしまってはいけないような気もするけれど、そこは……王子自身が嬉しそうにしてくれているので、良いのかな。
「殿下、今日は本当にありがとうございました」
結局帰りは貴族用玄関に王宮からの迎えの馬車が到着したため、シャーロット、グレアと供に王子のお見送りをすることになった。
丁寧に頭を下げるシャーロットに、ライオット王子は外向き用なのか、授業の時よりしゃきっとした様子で頷いている。
「楽にしてくれ、ロイアー。それに他の者も。俺のほうこそ、有意義な時間を過ごせた」
「それはようございました」
「うむ」
シャーロットとの会話を終えて、今度は私に、王子が向き直る。
しかし彼は、一度口を開いてから、何かを考えるような仕草をして口を閉ざしてしまった。。
王子の視線がちらりと背後に控えている騎士達に向いたのを見て、さすがに人目のある場所でどう振る舞うべきか考えているのだろうと察しがついた。
……先に私から声をかけても、失礼にはならないだろうか。
「あの、殿下」
思い切って声を出すと、王子はハッと、少しだけだが表情を明るくした。
本当に、なんとも憎めない人だ。
「本日は楽しい時間を過ごさせて頂いて、本当にありがとうございます」
「あっ……ああ、いや、その……んんっ。り……秘書殿も楽しかったなら、それでいい。大賢者へよろしく伝えてくれ」
「はい、必ずお伝え致します」
「ああ。週末を楽しみにしている」
一通りの挨拶が済んで、騎士達に促されながらも、王子はチラチラと名残惜しそうにこちらを振り返る。
「……」
馬車の中からこちらを見つめる視線と目が合って、何か言いたげにしている王子。
貴族の常識とか、色々なしがらみを考えると、「またね!」なんて手を振るわけにもいかないのが少しだけ歯がゆい。
せめて、と笑顔を向ければ、どうやら正解だったらしい。
王子は少しだけ明るい表情になって、ゆっくり動き出した馬車の中、懐から取り出したマナペンで空中に文字を書いた。
『また来る』
文字は王子の手ですぐに消されてしまったけれど、私にはちゃんと届いている。
口の動きだけで『また』と返事をして、私はシャーロット達と同じように馬車へと頭を下げた。
ライオット王子に続いて、グレアのことも見送った頃、いつもの昼の鐘が遠くから響いてきた。
「さ、食堂に参りましょう」
いつもの様にシャーロットと2人で歩いていると、一般開放区画からすぐ、職員用の通路に入ったところでばったりとオリバーに出くわした。
「あ、オリバー」
「お、なんだ。2人一緒か」
なんだか古そうな、4,50センチほど厚みのある大きな本を抱えたオリバーが出てきたのは、禁書を保管している部屋だ。
よく見ればオリバーは白い手袋をしていて、本も、木枠にクッションが詰められたトレーに置かれていて、扱いが厳重だ。
「それ、……もしかして禁書?」
「おう。あ、リリーは見るの初めてか」
「うん。すごくちゃんと管理してるんだね」
やっぱりリブラリカは本の管理がきちんとしていて、何度でも感心してしまう。
本が大切に扱われているのは、とても気持ちが良い。
「それはそうと、お前達昼めし?俺もこれ移動したら昼だから、一緒に食おうぜ」
「だめですわ、オリバー。リリーはイグニス様とお昼なのですから」
私の事情を知っているシャーロットがすかさずフォローしてくれる。
そう、いつもはごめんね、と苦笑するところ――なのだけど。
「あ、大丈夫。シャーロットも良かったら、一緒に食べよ?」
「え?」
驚いた顔のシャーロットに、私はちょっとだけうきうきと笑顔になった。
「実は今日、マスターは用事があって、ひとりで食堂で食べるつもりだったの」
そうなのだ。2人には言えないけど、今日は焔さんが異世界へおでかけしている日だから、お昼は元々、アルトと食堂で取るつもりだったのだ。
「あら、そうでしたの?それなら遠慮なく一緒に過ごせますわね!」
「なんだ、ラッキーじゃん。すぐ追いつくから先に行っててくれよ」
「うん、待ってるね!」
廊下を早足に歩いて行くオリバーを見送って、嬉しそうなシャーロットと週末の舞踏会について話しながら、明るい日差しの差し込む廊下を歩いて行く。
食堂の入り口にはアルトが待っていてくれて、「ただいま」と声をかけるとするするっと肩へ飛び乗ってきた。
すん、と鼻を鳴らしたアルトが、ん?と肩の上で首を傾げる。
「なんだ、この香り……」
しかしシャーロットとのおしゃべりに夢中になっていた私には、その呟きは聞こえていなかった。
その後、遅れて合流したオリバーと私たちは、いつもの特別席で楽しい昼食タイムを過ごしたのだった。
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