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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
106.それぞれの夜<2>
しおりを挟む「帰れ」
ぴしゃりと冷たく言い放ったけれど、ヴィオラはにやにやと笑いながら、手にした本のページをぺらぺらと捲った。
「聞こえんのー。お前も、折角訪ねてきた旧友に対して、扱いが酷くないか?」
「知らん。帰れと言ってる」
「まーったく、ほんとにつれない奴じゃなー」
昔からなのだが、こいつは本当にうっとうしい。
賢者というか、魔術師として非常に有能であることは確かだし、古くから居る女賢者として、その界隈ではそれなりに有名だ。
迷惑極まりないことに、大昔のあの時……偶然会って気に入られてしまってからはもう、こんな調子で絡まれてしまっている。
こんな可憐な少女の姿をしていても、数百年前、初めて出会った時から見た目が変わっていないのだから……まったく信用できない部類の女だ。
きっと、このままでは大人しく帰ってくれることもないのだろう。
諦めと苛立ちの混ざった溜息を吐いて、椅子に腰掛ける。
「……で、何の用で来た?」
「何も?……用がなければ来てはいけないというわけでもないだろう?」
「用がないなら来るなよ」
「なんじゃー。私とお前の仲じゃろうて」
「気持ち悪い。不愉快。消えろ」
用件を聞いてやろうとした俺が馬鹿だったのか。
ふー、と頭を抱えるけれど……まぁ、こいつがこんな調子なのは、昔からだ。
まともに相手をしようとすればするほど、馬鹿を見る。
「まぁ、そう言わずに。寂しい私が、ちょっと世間話をしに来ただけではないか。……そう、お前の飼っている子猫の話題なんてどうじゃ」
「……リリーがなんだって?」
さすがに聞き捨てならなくて返事をすれば、ヴィオラは更に悪そうな笑みを深めた。
……うん、いつ見ても悪役にしか見えない笑みだ。
「お前、ちとリードを放しすぎなのではないか?あの子猫、ここの黒い男と毎日楽しそうに魔術の練習しておるぞ」
「……それが、なんだよ」
いきなりそれか。
急激に気が滅入る話題に、クッションに背を預け目を閉じた。
知っている。
リリーが最近になって、リヒトー・レグルから魔術を習っていること。
子供たちと一緒に、だから……まぁ、いいか、なんて思っていた。
「ほ?良いのか?お前の子猫じゃろうに」
「別に……。子供たちと一緒だし」
「そんなこと言って強がるのかえ?独占欲の強いお前らしくもない」
「うるさいな。俺の何処見て言ってるんだ」
「どうせならお前が直に教えたいんじゃろうに。あんな間男に役を取られて悔しいのかと思ったが?」
「…………」
ヴィオラの言葉が図星過ぎて、言い返す言葉が喉の奥でつかえた。
そうだ、俺は少し……いや、相当悔しい気がしている。
彼女が魔術を習っていることすら、本人からは何も聞いていない。
彼女に付けたアルトから、報告という形で聞いては居るけれど……ここ最近、梨里は夜の読書に保管書庫に来るということもなくなってしまって、2人で過ごす時間はまた、ほぼない状態に戻ってしまっている。
食事の時間は、数少ない一緒に過ごせる時間だというのに、ここ数日はとても眠そうだし、今日はぼうっとしていた。
何か悩みごとでもあるのだろうか……と、心配に思うものの、こちらも調査が大詰めになっていて、そのことで頭がいっぱいだし、正直寝不足だ。
それに……どうせなら、梨里から直接、言ってもらいたい。
もっと俺を頼ってくれればいいのに、と思う気持ちもあって……何となく、自分からは尋ねられずに居た。
「図星かのー。まったく、あの炎の大賢者がこれとは。情けない」
「うるさい」
苛立ちのままに手近にあった厚い本を、指先でぺしっと弾いた。
結構な速度で真っ直ぐに飛んでいった本はしかし、彼女が何気なく上げた華奢な手の平に何事もないかのように収まってしまう。
「もう、穏やかじゃないのー。そんなに怒ると禿げるぞ?ほら、歳じゃろう?」
「お前が言うか」
「私はほら、この通り美少女じゃしー」
くるりとその場で回ってみせる姿は確かにただの少女だが、外見の年齢が止まるというのは、賢者と呼ばれる俺たちにはよくあること。
見た目に騙されてはいけない。
「あーはいはい」
本当に、こいつと話しているとイライラしてしまう。
いや……わかっている。
この苛立ちの大半は、近頃の諸々を含めてのものだと。
調査は大切だが、梨里との時間がなくなったことや、彼女の行動や……本当は、もっと一緒に居たいのに、と言う気持ちで、思考がいっぱいになりかける。
それを回避するためにも、と調査に打ち込んでいるけれど……苛立ちは解消されないばかりか、増えて大きくなっていっている気さえするのだ。
……勿論、目の前のこいつも、苛立ちのひとつになっている。
「……のう、イグニスよ」
パタン、とヴィオラが持っていた本を閉じる音が響いた。
先ほどまでのからかうような色の消えた彼女の声は、さすが『氷の賢者』と異名を持つだけのことがある――どこまでも冷たく鋭い、冷徹な響きを持っていた。
「お前、あの子猫にだいぶ入れ込んでいるようだが……忘れたわけではあるまいな?――フィオレッタの」
バシン、と、膨れ上がった感情のままに机を叩いて、椅子を蹴立てる。
「――その名を、言うな……!」
喉の奥から絞り出すようなその声が、自分のものだとは到底思えなかった。
ぶわり、と周囲の空気が渦を巻いて、マナの粒子が燃えてぱちぱちと小さく音を立てる。
抑えきれない感情が溢れて、ゆらりと陽炎が視界に揺れた。
思い切り睨み付けるけれど、ヴィオラはなんでもない風に手で火の粉を払う。
「やめろ。お前がキレたら、ここの本だけじゃすまぬ。こんなちっぽけな村一つ、灰も残らんじゃろ」
「……本を燃やすなんて、間違ってもするはずないだろ」
――だめだ、冷静になれ。
こいつの言葉に挑発されるなんて、まっぴらごめんだ。
ひとつ、深めに息を吐くと、すうっとマナを抑えこんだ。
どっと疲れて椅子に座り込む俺を、ヴィオラは元のにやついた笑顔を浮かべながら見つめていた。
「ほんとーに、そういうところは昔から変わらんの。頭に血が上ると視野が狭くなる。……ほれ、お客人にも気づいてないんじゃろう?」
「は?」
ヴィオラの声に続いて、保管書庫の扉の向こうで小さな物音がした。
――まずい、今のを梨里にでも見られたら――!
がばっと再び立ち上がって、慌てて扉に駆け寄り、大きく開く。
その場にいた人物と目が合うと、相手は気まずそうに瞬きをした。
……先ほど、何処か近場で扉が開閉される音がして、それから誰かの足音が遠ざかっていった。
あの足音は、たぶんライオット王子殿下だ。
自分に割り当てられた部屋で、窓際にぼんやりと立ったまま、外を眺めてどのくらいの時間が経っただろう。
夜空は綺麗に晴れていて、もうすぐでまん丸になりそうな月が綺麗だった。
「そんなとこで悩んでるんなら、ぱぱっと行けばいいだろー」
ベットでごろごろしながら、アルトが面倒くさそうに声を上げた。
「うーん、そう、だね……」
泉であんなことがあってから、ずっと考えている。
変な夢を見るだけじゃなくて、あんな事態になってしまうなら、これはもういい加減……焔さんに報告したほうがいいんじゃないだろうか。
そうは思うものの、何となく……会いに行くための一歩が、踏み出せずにいる。
「……アルト、さ。あの昼間のこと、やっぱり焔さんに話すの?」
「あん?……ああ、お前が泉に落ちかけたことか。そうだなぁ……あんまりくだらないことは報告しないんだが、あれはちょっとお前が間抜けだったからな。笑い話として報告しておくわ」
「人の失敗を笑い話にするの、良くないと思う……」
「だったら、お前が自分で良いように話しにいけばいいだろ。俺も報告の手間が省けるんだ。万々歳だろー」
「職務怠慢じゃない?」
「べっつにー。使い魔としてお前と一緒に居てやってるだろー」
ぺっちぺちとふさふさの尻尾が揺れるけれど、野性味の全く感じられない液体のような寝姿では何の説得力もない。
「もう……」
まぁ確かに、アルトの言うことも一理ある。
もしかしたら、そんなの気にすることないよって言われてしまうかもしれない。
何でもないことで調査を邪魔してしまうことになるかもしれない。
けれど……きっと。
どんなくだらない理由で会いに行ったとしても、調査の邪魔になったりしても。
焔さんなら気分を害することもなく、いつものようにあの優しい微笑みで……会いに来てくれてありがとう、とか言ってくれるのだろう。
いつだって、私には優しい人だから――。
脳裏に浮かんだ、あの微笑みを見たいなと思う気持ちが、ようやっと私の足を動かした。
「お、行くのか?」
カーディガンを羽織って、ドアノブを握る私の肩に、ぴょんとアルトが飛び乗ってくる。
「……アルトが、悩むくらいなら行けって言ったんでしょ」
「おう、そうやって動いてたほうが良いって」
「……まったく」
ぱたんと、背後でドアが閉まる。
月の明るい夜だから、薄暗い廊下もほんの少しだけ、いつもより明るく見えた。
――ああ、焔さんに会いたいな。
純粋で温かい気持ちを抱いたまま、保管書庫へと足を進めた。
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