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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
129.封印の先へ
しおりを挟む――これでよかったんだ。
ひとり、人気のない一般書架へやってきて、大きな溜息をつく。
ゴーストと関わること、それは……本当に何があるかわからない、とても危険なことだ。
僕の力でだって、守り切れるか――。
梨里を確実に守るためには、遠ざけるしか方法がなかったのだ。
今はこの……ザフィアの魔術書の封印を調べることが最優先。
梨里を最優先に守ってやれない状況で、関わらせることはできない。
……彼女のためにも、これでよかったのだ。
自分に言い聞かせるように思考を巡らせる間にも、きつく閉じた瞼の裏には、食堂で見た彼女の表情が蘇る。
今まで見たこともないほどに、ひどく傷ついた彼女の顔。
それが己のせいだと分かっていても、心に激痛が走った。
彼女にこんな顔をさせた自分のことを、塵すら残らぬほどに焼き尽くしてやりたい――なんてことを考えてしまうほどに。
浮かせた本棚に手をついて、項垂れる。
握りしめた拳が、真っ白になっていた。
噛み締めた歯の間から、細く息を吐いていた背後。
小さな音がして、一般書架の扉が開いた。
「……大賢者?」
恐る恐る顔を覗かせたのは、猪王子だ。
……そんなに似合わない顔をして、いつもの猪っぷりはどこにいったのか。
「遅いぞ」
「悪い……」
――だめだ、今はこれに集中しないと。
頭を振って、無理矢理に思考を散らす。
こちらへ歩いてきたライオット王子のことを待たず、床石の魔方陣を見下ろした。
「本当に、封印を解けるのか?」
「ああ。聞いてきたから」
懐を探って小さいナイフを取り出すと、迷いなくそれで右手の指先を傷つけた。
ぷつ、という小さな感触とともに、指先に紅いしずくが盛り上がる。
何百年と生きる自分にも、赤い血が流れてるんだな、なんて……少しぼんやりしたことを思った。
「っ、おい……」
「黙ってて」
慌てるライオット王子に短く告げて、魔方陣の上で手の平を下にむけて手を広げた。
指からぽたり――と、しずくが落ちる。
魔方陣の端にそのしずくが触れた瞬間、足下でカチリと硬質な音がして、魔方陣が一瞬、強い光を放った。
ロランディアの屋敷で、ゴーストとなったアイビーから教えられた、魔方陣の封印を解く方法――。
イグニス本人の、血液。
それがこれを解く鍵だったのだ。
血とは、一番正確に本人を特定することのできる媒介。
ごまかしすら効かないこれを鍵とするのは、この手の封印ではよく使われる方法ではあるのだが……いかんせん、封印をかける魔術師側に相当な技術が要求される。
ザフィアは、とても優秀な魔術師だった。
この程度の封印をかけるのは、あまり難しくなかっただろう。
強い光が収まった時、そこにはもう、魔方陣の姿がなかった。
代わりに現われたのは、地下へと伸びる薄暗い石の階段。
「……おお」
間の抜けた声を背中に聞きながら、未だに血のしずくを垂らす指先に、軽く治癒の魔術をかけた。
真っ暗な石段の向こうから、濃厚なマナが漂い出てくる。
間違いなく、この先にザフィアが封印していた何かが、ある。
そう確信できた。
「…………」
念のためにと用意しておいた魔術書を出してみると、相変わらずビリビリとした強いマナを発しながらも、ぼんやりと光を帯びているように見えた。
この場所の封印を解いたことで、本にも多少の影響が出ているようだ。
持ってきていた小型魔道ランプを灯して、後ろを振り返る。
ちょうどいいところに、使い魔が戻ってきたようだった。
「無事に見送ってきた」
少し不満そうな声で言うアルトに、ひとつ頷く。
梨里の気配は、確かにリブラリカにある。
これなら、他に心配することもない。
「……行くよ」
「あ、ああ……」
「怖いなら、ついてこなくてもいいけど」
「へ?!あ、いや、いや?!こ、ここ怖くなんて……」
「……膝、震えてるけど」
「震えてないし!……そうじゃなくて……」
ライオット王子は、らしくもない不安そうな表情で階段の先の闇を見つめている。
ひゅう、と奥から吹いてくる風は、ひどく冷たい。
「その……なんか、すごく冷たい感じがするんだ……」
「確かに風は冷たいけど」
「そういう温度じゃなくてさ!……ほら、マナの感じが、こう……まとわりついてくるっていうか……」
「…………」
こいつは、こう見えてもザフィアの血を引いている。
もしかしたら、何かを感じているのかもしれないが……だからといって、あまりのんびりしている時間はない。
ここから先、階段がどれだけ長いのかも分からないのだ。
「とりあえず、行くぞ」
「ああ……」
アルトがライオット王子の肩に飛び乗る。
踏み出した先、足下の石段はとても滑らかで、壁やアーチ型の天井も平面に整えられている。
どれだけ長いこと放置されていたのか……それでも、苔むしたり劣化したりすることもない様子は、魔術で作られた通路を思わせた。
周囲の空気は薄くて、一段下がるごとに、吸い込むと肺を冷やす。
足音が二つ、ただひたすら下へ下へと続く階段を降りること、30分くらいだろうか。
案外短くて済んだ階段が終わり、目の前には細い通路と石の扉が待ち受けていた。
素早く視線を巡らせるけれど、特に、魔術による罠が張ってあるような気配はない。
封印の場所として考えると……少しだけ、安全性に欠けるのではないだろうかと思ってしまう。
鍵が自分の血、というのは、それはまぁ安全だろうけれど……血というものは、その気になれば入手しやすいものの部類ではある。
ザフィアがここまで厳重に隠したモノ。
その警備がこれだけというのも、なんともお粗末なような気もするのだが……。
考えごとをしながら通路を歩ききり、行き止まりにある扉の前へとたどり着いた。
扉に彫られているのは、綺麗な祭壇のようなもの。
小さなテーブルには、四角く溝が作られている。
……ぴったりと、魔術書がはまりそうな大きさのくぼみだ。
注意深く台座を観察してみるけれど、飾り彫りのされた壁にも、扉自体にも、特にメッセージや魔方陣らしきものは書かれていないようだ。
台座からも、特に強い魔力は感じない。
背後から台座を眺めていたライオット王子は、落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。
……これ以上眺めていても、何もわかりそうにない。
持っていた魔道ランプをライオット王子に持たせて、自分は魔術書を取り出した。
素手で掴めば、びりりと指先が痺れるような強い感触が走る。
少し痛みも感じるそれを我慢しつつ、魔術書をそっと、台座のくぼみにはめ込んだ。
魔術書を取り巻く淡い光が、一瞬強まって薄い紫色に光る。
何度か明滅を繰り返すその魔術書を眺めること、数分――。
一際大きく淡い光が放たれたかと思うと、台座だけを残して扉がすうっと空気に溶けていく。
最初から何もなかったかのように、音もなく消え去った壁の向こう側。
いよいよ、ものすごく濃い――濃すぎるくらいのザフィアのマナが溢れ出てくるのを全身で感じて、イグニスはぐっと目を細くした。
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