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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
132.古き友
しおりを挟む薄紫のマナが立ち上るそれに、王子も気がついたようだった。
「なんだ、あれ……」
「ちょっと。無闇に触るなよ」
「わかってるって」
王子の後についてベッドへと近づいていく。
間近で見ればそれは、小さな栞だった。
「……綺麗、だな」
王子が思わずといったふうで呟いたのも、頷ける。
薄紫の宝石を薄く削り、そこにさらに透かし彫りをして他の宝石も散りばめた――それはそれは美しい栞だった。
紺に銀色の刺繍が入ったリボンがついている。
無造作に置かれているようにも見えるけれど、この栞……部屋の中にあるものの中で、立ち上るマナの濃さが段違いだ。
王子と2人、栞に釘付けになっている間に、アルトが何かをくわえて戻ってくる。
「あっちの机の上にあったぞ」
「ん」
受け取ってみればそれは、ただ二つ折りにされた紙片だ。
表面に、『イグニス』と書かれているから、自分宛の手紙か何かだろうか。
開いてみると、これまた懐かしい……銀色の輝きを含んだ、薄紫のマナインクで綴られた文字が並んでいた。
――『久しぶりだな。
よくここまで来てくれた。待っていたよ。
親愛なる友へ、僕からの贈り物だ。
788ページ。
そこに、僕の残した想いを込めたよ。
ザフィア』――
短い手紙を読み終えて、俺は手紙からベッドの上の栞へと視線を移した。
ベッドに置かれた栞。
残されていた手紙。
788ページ。
残した想い。
「――ああ」
ここまでくれば、何をどうすればいいのかなんて、すぐにぴんときた。
だが――それを実行することには、少々躊躇いがある。
再び、懐からザフィアの魔術書を取り出す。
ちりちりと手の平を刺激してくる強いマナに耐えながら、本をベッドの上に置く。
と――栞と本が、共鳴するように同じ色のマナを揺らし始めた。
普通の魔術師が素手で触れない程の、強力なマナを宿している魔術書と栞。
こんな規格外のもので封印しなければいけないほど力を持ったもの――その封印を解いてしまっていいのだろうか。
だがその迷いも、先ほどの手紙の文章を思い出せば薄れてしまう。
俺を待っていた、贈り物だと書いてあった。
あいつが俺に、残した想い。
それは、何を置いても受け止めなくてはいけないものなのではないか。
いや、だが――国王にも話してからのほうが、いいのだろうか。
一瞬浮かんだ迷いにも、頭を振る。
――そんなこと、気にしなくてもいい。
あいつが、俺にと、残したものだ。
何かまずいものだったら、俺がなんとかすればいいだけ。
俺は、大賢者イグニス。
誰に咎められることもない。
――心は、決まった。
マナの強さに耐えながら、魔術書を手に取り、ページを捲る。
788ページ……。
それは白紙のページ。
もう片方の手を栞に伸ばして掴むと、触れた瞬間、指先に痛みが走った。
「――っ」
予想はしていたものだったので、声も上げずに耐える。
本以上に強いマナを感じる栞は、少しずつ指先を焼いているようだ。
脈打つような、激しいマナの鼓動を感じる。
だが、取り落としたりはしない。
「……大賢者?」
ぼそり、と呟いた王子の声は、集中している俺には届かない。
しゅうしゅうとマナが指先を焼く感覚に耐え、開いた魔術書のページに、栞をそっと、慎重に置く。
魔術書のまわりを取り巻くマナが、ぶわりと一層強く濃くなったのを感じた。
――あとは、この魔術書を閉じるだけ。
強くなったマナが、魔術書を持つ両手を焼くのがわかる。
それでも痛みを堪え、大切なものを扱うように――両手でそっと、本を閉じた。
カッ――と激しい光に包まれたのは、一瞬。
ベッドからふわりと浮き上がった魔道書は、激しい光と嵐を巻き起こしながら、バラバラと大きな音を立ててページが繰られていく。
「うわっ……」
ライオット王子の声がする。
激しい風に煽られながら、腕で顔を庇う。
頭上のランプも、置いてある家具も、大きな音を立てて軋む。
しかし、そんな視界が効かない嵐は、そこまで長い時間は続かなかった。
風が勢いを緩めていく中、力を失いベッドへと落ちる魔道書。
そのほかにひとつ、どさり、と大きな音もした。
風に煽られて、被っていたフードが背中へと落ちる。
視界が戻ってきた中、ベッドに突っ伏していたライオット王子が、ゆらりと身体を起こした。
「……あー……」
王子は、ぼんやりした様子で手を開いたり閉じたりしている。
さっき大きな音がしていたし、何処か怪我でもしたのだろうか。
「大丈夫か?」
「……ふ、ふふふ」
「?……おい」
「ふふ、ふふ……っあははははは!」
突然、目の前の王子が楽しげに笑い声を上げ始めて、面食らった。
……こいつ、ついに頭のネジでも外れたか。
王子は笑いながらベッドの上に乗り上がると、緩く座り込む。
「あははは!は……はぁー……」
気が済んだのか、一度俯いた彼が髪を掻き上げ、顔を上げた瞬間。
今まで何度も見てきたはずの、その薄紫の瞳と目が合って――頭を殴られたような衝撃に、目を見張った。
――そんな、そんなことはありえない。
ありえない、はずなのに。
震える唇が開いて、無意識にその眼差しの名を呼ぶ。
「……ざ、ふぃあ」
「うん。――本当に、久しぶりだなぁ。イグニス」
それはライオット王子の顔のはず、なのに。
古き友、そのもののマナの気配を身体の内に宿した彼は、記憶の彼方にあるのとまったく同じ顔で、まったく同じふうに笑顔を浮かべていた。
目の前で起きていることに、驚きすぎて思考停止している自分と。
――もう一方で、冷静にこの事態を理解していく自分がいた。
つまり、あの魔道書に封印されていたのは、『ザフィア自身』を、どういう方法か知らないが復活させるような魔術だったらしい。
マナの濃さや質からして……魔道書に魔術自体を、そしてあの栞に、なんらかの形で己自身を封じ込めていた。
二つが揃って、そしてその場に運良く、ザフィアの血を引くライオット王子の身体があった。
もしも彼がこの場に居なかった場合、どうなっていたのかはわからない――が、結果としてこの場にいたライオット王子の身体に、ザフィアという存在が宿った――そういうこと、なのだろう。
どうして。
どうやって。
なんのために。
死して尚、何が目的でこんなことを――。
聞きたいことは沢山ある。
こんな――こんな、死者の魂を扱うような大それた術についても、言ってやりたいことが山ほどある。
ある、が――。
胸の内にあるこの温かさは――喜び、というのだろうか。
――ああ、どんな形であろうと、また会えるなんて。
固まったままの俺の顔をのぞき込むような動作をして、目の前の男はほんの僅か、首を傾げると、その整った顔で、王子とはまた違った爽やかさのある笑顔を浮かべた。
「俺に言いたいこと沢山あるーって顔してるけど……。久しぶりなんだしさ、まーどうでもいいってことにしとこう?な」
「…………」
その言葉に、胸に広がりかけた温度がすうっと冷えていく。
――ああ、やっぱり取り敢えず。
一発、殴っておくか。
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